松尾の声は、静かでありながら、確実に場の空気を支配していった。
論理は積み上げられ、逃げ場を塞ぐように、ゆっくりと、しかし確実に追い詰めてくる。
「さらに決定打としては『カイニ』――普通、被害者がダイイングメッセージを書くなら犯人の名前を書きます。そして『カイジ』と書こうとして息絶えたんです」
その言葉が落ちた瞬間、空気が重く沈む。
「私の名前は松尾です。私の名前を書くなら松尾と書けばいいだけ。違いますか?」
ざわ……ざわ……。
視線が、一斉にこちらへ向けられる。
まるで針のように突き刺さるその視線に、胃の奥がきしむ。
――クソ……来やがったな……決定打気取りの一手……!
カイジは歯を食いしばりながら口を開いた。
「いや。そんなことしたら、あんたにダイイングメッセージを消される可能性がある。だから遠回しのメッセージにしたんだよ。それに『ジ』になるとは思えない。違う文字を書こうとしてる」
「いや、被害者は死にかけだ。手元も狂うでしょう」
松尾は一歩も引かない。むしろ、じわりと距離を詰めてくる。
「多少の違和感はあっても、『カイジ』の方が理に適っている」
「そもそもそれ、本当に被害者が書いたのかよ」
「それは検査済みです。被害者本人の血液で、本人が書いたと断定されています」
高木の言葉が、無慈悲に追撃を加える。
――ちっ……そこ潰されるか……!
逃げ道が、一つ潰れる。
思考が軋む。
だが松尾は止まらない。
「悪いですが、さらに攻めさせて頂きます」
その一言で、背筋が冷たくなる。
「凶器はロシア製マカロフ。そしてその入手は非常に困難。普通の人間にはまず不可能です」
――やめろ……その話は……!
「ただし、カイジ君には“心当たり”がありますよね?」
ざわ……ざわ……。
「バスジャック事件で使用されていた銃……プロシュートとペッシが持っていたのもマカロフだった」
目暮の声が、鈍く響く。
「そうか……その時に入手した可能性が……」
「待ってくれ!それは偶然だ!貰ってねえよ!取り調べも受けただろ!」
声が荒れる。
だが、言葉が軽くなる感覚があった。
――くそ……焦るな……焦ったら負けだ……!
「それにあんた……やけに銃に詳しいじゃねえか。普通そんなこと知らねえだろ」
一矢報いる。
だが――
(やべっ……)
一瞬、松尾の内側から漏れた焦り。
だが次の瞬間には、すでに整えられていた。
「ええ、調べましたよ。テレビ局の人間ですから。バスジャック事件を扱う以上、当然です」
滑らかすぎる。
隙がない。
「仮にその場で入手していなくても、後から回収することは可能です。重要なのは“手段がある”ということです」
――ぐっ……!
言葉が、重い鎖のように絡みつく。
「そして証言もありますよね。プロシュートとカイジ君がひそひそ話をしていたと」
ざわ……ざわ……。
――あああああああ!!そこかよ!!
記憶がフラッシュバックする。
あのバスの中、命を繋ぐための交渉――。
「いや……それはみんなを救うための交渉で……」
だが、そんな事情は通じない。
外から見れば“怪しい会話”でしかない。
松尾の口元が、わずかに歪む。
「では、トドメを刺しましょうか」
――来る……!
「実は、カイジ君と諏訪に“面識がある証拠”があるんですよ」
心臓が、一瞬止まる。
――は……?
「は?捏造でもする気かよ!俺は知らねえって言ってんだろ!」
声を張る。
だが――その瞬間。
“諏訪”という名前が、頭の奥に引っかかる。
――あれ……?
――どこかで……聞いた……?
曖昧な記憶が、じわりと浮かび上がる。
「TVロケ殺人事件。沖野ヨーコさんと九条さんのドラマ。君、バイトしていましたよね?」
「……ああ」
答えた瞬間、背筋に冷たいものが走る。
――やべえ……
「その現場に毛利探偵も、目暮警部もいましたよね?」
「確かにいたな……」
「カイジとはそこで顔見知りになった」
逃げ場が、さらに消える。
松尾は淡々と続ける。
「そのドラマ、月9枠。つまり日売テレビ制作。そしてプロデューサーは――諏訪です」
ざわ……ざわ……。
「さらに言えば、カイジ君はその後もテレビ局に出入りしていた」
「あっ――」
口から、思わず漏れる。
――終わった……!
思い出してしまった。
どうでもいいと思っていた記憶が、最悪の形で繋がる。
スタッフの証言が追い打ちをかける。
「確認取れました。カイジ君は現場に同席し、テレビ局にも何度か来ています」
ざわ……ざわ……ざわ……。
――やべえええええ……!!
頭の中がぐにゃりと歪む。
逃げ道が、完全に閉じていく。
「つまり――」
松尾の声が、静かに響く。
「カイジ君は、立地も把握している。面識もある。そして動機もある」
その一言一言が、重く沈んでいく。
「特に――諏訪と故人の安西が、カイジ君を貶していたという証言もあります。これも立派な動機でしょう」
ざわ……ざわ……。
視線が、変わる。
疑いから――確信へ。
――くそ……!
事実を積み重ねられている。
しかも、全部“本当”だ。
だからこそ、崩せない。
胸の奥で、何かが軋む。
だが同時に――別の感覚もあった。
静かに、冷えていく思考。
――いや……待て……
これは“詰み”じゃねえ。
むしろ――ここまで積み上げてきたってことは……
“どこかに無理があるはずだ”
カイジはゆっくりと顔を上げた。
視線の先にいるのは、松尾。
――お前……どこかで“やりすぎてる”だろ……
ざわめきの中、次の一手を探す思考だけが、異様に冴え渡っていくのだった。
目暮警部は、ゆっくりと帽子を深くかぶり直した。
その仕草は、何かを決断したときのものだった。
「残念だよ……」
低く、重い声が落ちる。
「動機、入手経路、そして諏訪を知らないと言っていて実は知っていた……つまり嘘吐きはカイジ。君がやったんだな」
ガチャリ――。
冷たい金属の感触が、手首に食い込む。
銀色の手錠が、現実を突きつけてきた。
ざわ……ざわ……。
空気が変わる。
完全に、“犯人を見る目”だ。
――終わった……。
その言葉が、喉元までせり上がる。
確かに、ここまでの話だけを並べれば――俺が犯人だ。
逃げ場なんて、どこにもない。
だが。
――それでも……あらがうしかねえ……!
「違えよ……!」
声を絞り出す。
「俺じゃない!諏訪のことは忘れてただけだ!あいつの話してるとき、俺……めんどくさくて寝てたんだよ!全部!」
ざわ……。
「だから言われて気付いたんだ!嘘じゃねえ!認識してなかっただけだ!テレビ局に来たのも忘れてた!興味ねえことは覚えてねえんだよ!」
必死だった。
だが――
「言い訳が苦しいぞ……カイジ……」
目暮の声は、揺るがない。
――くそ……!
本当のことなのに。
全部事実なのに。
それでも――“言い訳”にしか聞こえない。
――これが……俺の人生かよ……!
積み上げてきたクズな過去が、ここで牙を剥く。
信じてもらえない。
何を言っても、信用されない。
――会議室で……あのときは信じてもらえたのに……
その瞬間。
頭の中で、何かが繋がった。
――会議室……?
――会議室……!
「……分かった」
顔を上げる。
「『カイニ』の意味が分かった」
ざわ……ざわ……。
「なんだ?」
「諏訪は……『カイギシツ』って書こうとしたんだ」
空気が、一瞬止まる。
「そもそも外は暗い。犯人の顔は見えてなかったはずだ。だから名前じゃなくて――場所を書こうとした」
言葉が、次第に熱を帯びていく。
「トリックを解き明かすためか、それとも証拠があるのか……とにかく7階の会議室を調べる必要がある!」
沈黙。
そして――
「ほう……」
服部が腕を組む。
「確かに筋は通っとるな。『カイニ』の答えとしてはあり得る話や。調べる価値はあるで」
その一言で、流れが変わった。
――よし……繋がった……!
会議室。
空気は重く、静まり返っている。
捜査員たちが部屋を洗い、やがて――
「警部!これを!」
差し出された一枚の書類。
そこには――松尾の名前。
降格を提案する内容。
若手の起用、将来性――冷酷な判断。
さらに。
床に落ちていた、軍手。
マカロフに指紋を残さないためのもの。
――ビンゴ……!
証拠が、揃っていく。
だがそのとき、ふと違和感がよぎる。
――そういや……
――今回、こうちゃん……何もしてなくね?
カイジは思わず口を開いた。
「なぁこうちゃん。なんか名探偵っぽいこと言ってくれよ」
小五郎は腕を組み、少し考え――
「そうだな……警部殿。初歩的なことですが、硝煙反応はどうだったんですか?」
その瞬間。
全員の思考が――止まった。
「「「あっ!!?」」」
声が重なる。
――やっべええええええ!!
完全に抜けていた。
コナンが舌打ちする。
(ちっ……トリックと動機に気を取られて基本を忘れてた……)
服部も額に汗を浮かべる。
「やってもうた……犯人は硝煙反応を対策するのが基本……でも今回は時間がない……処理できるはずない……!」
目暮が叫ぶ。
「高木君!大至急調べてくれ!」
数分後。
「出ました!」
高木の声が響く。
「松尾さんの右腕から硝煙反応が検出されました!窓から腕だけ出していたため、袖部分に付着したものと思われます!」
沈黙。
そして――
全てが、決まった。
「……あれ?」
小五郎がぽかんとする。
「今回、俺、お手柄ですか?」
「毛利君、お手柄だよ」
目暮が頷く。
「くそぉ……一番おいしいとこ、こうちゃんに持ってかれたぜ……」
カイジは肩を落とす。
だが内心では、妙に納得していた。
――基本ってやつは……やっぱ強えな……
コナンがぼそりと呟く。
(おっちゃんは基礎は強いからな……)
――おいコナン……なんでいつも上から目線なんだよ……
心の中でツッコミを入れる。
だが、どこか懐かしい感覚もあった。
――まあ……俺もガキの頃はそうだったな……
事件は、あっけなく終わった。
短時間の犯行。
だからこそ、トリックよりも“基本”が物を言う。
難事件ばかり追ってきた名探偵たちでさえ、見落とすほどに。
エピローグ。
帰り道。
夜の街に、ラーメンの湯気が立ち上る。
暖簾をくぐると、香ばしい香りが鼻をくすぐった。
「やっぱラーメンはこれだな!」
小五郎は迷わず味噌ラーメンを注文。
濃厚でガツンとした一杯。
「俺はとんこつやな。こってりいくで」
服部は豚骨。替え玉前提の顔だ。
「僕は醤油でいいよ」
コナンはあっさり系。
「私は塩ラーメンにしようかな」
蘭は優しい味を選ぶ。
そして――
「俺は……全部乗せだな」
カイジは笑った。
――今日くらい……贅沢してもいいだろ……
湯気の向こうで、皆が笑っている。
さっきまでの緊張が嘘のように、空気は穏やかだった。
「しかしカイジ、今回も危なかったなぁ」
「ほんとだよ……マジで終わったと思った……」
「でも最後はちゃんとひっくり返したやんけ」
服部が笑う。
カイジは箸を割りながら、少しだけ真顔になる。
――ギリギリだった……
――でも……
ふっと、肩の力が抜ける。
――まだ……ツキは残ってるみてえだな……
湯気の向こうで、ラーメンが静かに揺れていた。
次回、黒の組織のあの方登場!そしてカイジ 歴代最高の修羅場!