翌朝起きたうつつは、まずいつものように日記帳を確認する。
長年の習慣になったこの行動は記憶を失っても身に染みついている。
「えーっと……あ、こいしを探しに行かなきゃいけないのか」
今日やるべきことを確認し、リビングへと向かう。
すでにさとりは起きていて、ちょうど朝食の用意をしているところだった。
「おはよう、姉さま」
「おはよう、うつつ。朝ごはん一緒に食べる?」
「うん」
料理をするさとりの後姿を眺めながら、卵の焼ける美味しそうな音をBGMにのんびりと仕上がりを待つ。
やがて簡単ではあるが、立派な朝食が机に並ぶ。
「いただきます」
二人で口をそろえて食べる。
姉の料理は絶賛するほどでもないが、この世の終わりに何を食べたいかと問われたら迷わずさとりの手料理と答えるくらいには好きだ。いつも通りの一番落ち着く味がする。
「変なこと考えないの」
少し赤くなった表情のさとりが照れを隠すようにデコピンを入れる。
うつつたち姉弟は覚妖怪である。トレードマークであるサードアイは、他人の心をいともたやすく読む。便利な能力ではあるものの、嫌われがちな能力でもある。
うつつはこのサードアイを眼帯で覆っている。使おうと思えば使えるが、意図的に使わないようにしている。もうあんな悲劇は繰り返したくない。あれ、何の話だっけ。確かあれは……。
「今度は余計なことを考えないの」
再び、さとりからのデコピンが飛んでくる。
変な話だ、記憶なんてかけらもないのに何を思い出すというのだろうか。
「それより、今日はこいしを探しに行くんでしょう?」
そういえばそうだった。
同じ覚妖怪でありながら、サードアイを完全に閉ざして心まで閉ざした我が妹、古明地こいし。彼女は心を読めなくなった代わりに無意識を操る術を手に入れた。
しかし本人も能力を制御できておらず、少し目を離すとさとりを含めた普通の人間や妖怪はたちまち彼女を見失い、こいしが意識的に戻ってこない限りは見つけることができなくなる。
うつつも例外ではないが、それは彼の能力を使えば解決する。
「そうだね。今日はこいしちゃんどこにいるのかな……」
やがて朝食を食べ終わり、ごちそうさま、と言って食器を片付けようとすると、私がやっておくから探しに行ってあげて、とさとりに制される。
言葉に甘えることにして、うつつはこいしを探す準備をすることにした。
準備をする、といってもやることはそんなにない。パジャマからいつもの服に着替え、能力を少しだけ調整する。
記憶している人物から妹の人格を思い出し、自分の人格に少しだけ同居させる。
これがうつつの能力「人格を作る程度の能力」である。
これにより、うつつは少しだけこいしと同一の性質を得ることができる。
作った人格は元の人格のフルコピーのため、能力や思考回路も引き継ぐ。そのため、彼女の考えそうなことも大体わかるし、能力の影響も無効化することができる。
……といっても、知っている人の人格は全て忘れないようにほんの少しだけ自分に混ぜてあるので、本来は必要のない調整である。ただ、こいしが全力で能力を発揮していた場合はそれでも見つけられないことがあるから、これはあくまで念のため。
「んー今日の天気だったら、私……じゃなかった、僕の行きそうなところはあそこかな?」
外は相変わらず薄い霧で覆われている。昨日よりも少し肌寒い気がする。
早いところこいしを見つけてしまおう。さとりほど勘がいいわけではないが、あんまりいい予感がしない。
地上に出て人里につながる道を歩く。日記では昨日も人里に行っていたようだ。
どうやら美宵のところに遊びに行く約束もしていたらしい。
本来、美宵とかかわったという事実は彼女から離れると忘れるらしい。だが彼女の人格の一部をまとっているうつつには無効化されている。
彼女が意識的に能力を発揮すれば忘れてしまうかもしれないが、少なくとも日常生活中に忘れることはない。皮肉な話だ。
人里につくと、子供たちがワイワイと遊んでいた。
そのうちの一人がこちらの姿を見かけたとたんに寄ってくる。
「うつつにいちゃんだ!あそぼ!」
おそらく、過去に遊んであげたことのある少年だろう。だが残念なことにうつつの記憶にはない。
「おはよう。ごめんよ、今日は妹を探してるから遊べないんだ」
「えー、ケチ。いつも遊んでくれる緑のお姉ちゃんも遊べないって……あれ、誰のことだっけ?」
ふむ、この記憶の途切れ方はおそらくこいしのことだろう。ということはさっきまでここにいたのかな?
「また今度遊んであげるから、今日は許して、な?」
「しょうがないなー、僕はおとなだから許してあげる」
うんうんと大げさに頷く少年。この時期の男の子は誰だってお兄ちゃんぶりたいものである。
少年に別れを告げ、少し歩く。
人里で元気に遊んでると思ったが当てが外れてしまった。
いや、完全に外れたわけではないらしいが、少なくとも今は一人のようだ。
となると、次の候補は……
うつつは人里から少し歩いたところにある、川の畔に来ていた。
この辺りは水がきれいで、植物や動物も生き生きとしている。
そんな自然が大好きなこいしであれば、ボーっとしてここにたどり着いていても不思議ではない。
果たして、こいしはそこにいた。
川の流れをジーっと眺めている。横には、気を許した小鳥たちが何羽か囀っている。
こいしに近寄ると、小鳥たちはこちらに気づいて逃げていく。それを見た彼女もうつつの存在に気が付いたようだ。
「あれ、お兄ちゃん」
「やっほ、こいしちゃん。元気してた?」
こいしは常にどこかをふらついているので、意識的に探しに行かないと会うことができない。故に彼女と出会うのは何日ぶりであるのか、記憶があってもなくても思い出せないであろう。
「お兄ちゃんってば、私のこと見つけるの上手いよね」
「そりゃお兄ちゃんだからな」
「変なの。ところで、私に何か用事?」
キョトンとした顔で尋ねるこいしに、事情を説明する。
「ああ、ここ最近ずっと霧が立ち込めているだろ?それについて姉さまが心配していて、こいしも帰ってきてほしいんだってさ」
「そういえばずっともやもやしてるよね。なんか変な魔力こもってるし」
「んで、帰ってきてくれるか?」
うつつが尋ねると、うーんとこいしが考え込む。
「別に私はなんともないし、あんまり帰る理由ないよね~」
「まあそうだな。俺もこいしちゃんに強制はできないし」
「んー……お兄ちゃんは、私が帰ってきたら安心する?」
「へ?そりゃあまあ。あんまりいい予感がしないのは確かだし」
そっか、と一言呟いたこいしは、その場で立ち上がる。
「わかった。数日だけ、家に帰ってあげる」
「いいのか?」
「うん。でも一つだけ条件がある」
「なんだ?」
「お兄ちゃんがカレー作ってくれること」
なぜかこいしはうつつの作るカレーをとても気に入っている。別に特別な調理はしていないが、彼女が帰るたびに要求してくる。
「お前いつもそれだな。別にいいけど」
「やった、約束ね」
じゃあ先に帰ってるね、と告げてこいしは立ち去る。
その儚い後姿は、瞬きした次の瞬間には見失ってしまいそうだった。
帰る前に、せっかくだから昼飯を済ませてしまおう、と人里にもう一度寄ることにした。
鯢呑亭は相変わらず繁盛しており、人でいっぱいだ。
「あ、うつつ君!」
店内からこちらを見つけた美宵がこちらに寄ってくる。
「やあ。遊びに、もとい昼飯食べに来たよ」
「早速来てくれてありがと!席に案内するね!」
そういって店内奥の空いてる席へと案内される。
道中、常連客からの野次が飛んできたりしたが美宵は慣れているようにあしらう。
「今日は何食べる?」
「んー美宵さんのおすすめで」
「いつもそれじゃん!って覚えてないか。いいよ、ちょっと待っててね~」
美宵が奥に引っ込む。
店内はただでさえ混んでいるうえ、昼間から飲んでいる人間もおり結構騒々しい。
だが、うつつはこういう雑多な雰囲気が嫌いではない。
店内の喧噪からは面白い噂話や悩み事が断片的に聞こえてくる。
記憶を保持できないうつつにとって、こういう情報に溢れるような場所は暇をつぶすのに十分な空間である。
「お待たせ!私の自信作よ!」
しばらく待っていると、美宵が2人分の食事を持って来る。
「あれ? なんで二人分?」
「私も食べるの。店主さんに休憩していいって言われたから」
手際よく二人分をテーブルに並べ終える。今日のメニューは美味しそうな煮物がメインの定食だった。
いただきます、と大根を口に運ぶ。中まで味が染みていて、とても美味しい。
「味はどう?」
「めっちゃ美味しい」
「それはよかった」
私も食べよ、と美宵も食べ始める。
口に運んだあと、何度か確認するようにうなずく。
どうやら満足のいく出来だったようだ。
その後も美宵と他愛もない話をしながら食べ進め、気が付けば完食していた。
「ごちそうさま。本当においしかったよ」
「お粗末さまでした。そう言ってくれて嬉しいよ。作った甲斐がありました」
自慢げに胸を張る美宵。ただでさえ大きいあれが強調されて目に毒だ。
気づかれないようにそっと目をそらしつつ、うつつは最近の不思議な天候について尋ねる。
「そういえば最近ずっと霧ばっかだよね。美宵さんは何か知らない?」
「私も知りたいのよ。今日は寒いから人がいるけど、最近はこの天気のせいでいつもより人が少ないから困っちゃって」
はぁ、と少しため息をつく美宵。
常連客から噂か何かを聞いていないかと思ったが何も知らないようだ。
「それは困るねぇ。早くいい天気にならないかな」
「うつつ君の力で何とかならないの?」
「もしかしたら出来るかもしれないけど、原因がわからない以上はすぐ元通りになっちゃうかも」
「だよねー……」
「まあ、なんとかなるんじゃない?」
根拠のない言葉だったが、美宵はそれでも少し表情を和らげた。
「うつつ君がそう言うなら、そうなのかもね」
「あてにしすぎないでよ」
「してないよ、全然」
そう言いながらも笑っているのだから、まったく調子がいい。
お会計をすませて席を立つ。
「また来てね」
「うん。覚えてたらね」
「それ無理な奴じゃん。まあ、なんだかんだ来てくれるからいいけどさ」
呆れたような、でも嬉しそうな顔で美宵が手を振る。
うつつも軽く手を上げて、店の外へと出た。
人里を出ると、地底へと続く道が伸びている。
うつつの足は迷わずそちらへ向かう。
今日のことも、もうじき忘れてしまう。
こいしを見つけたことも、美宵の煮物が美味しかったことも、霧が昨日より少し濃くなっていることも。
全部。
(でも、今日はきっと楽しかった)
無くなってしまう今日の思い出を胸に、うつつは妹と姉の待つ家へと帰るのだった。
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