不幸の温度はちょうどいい 作:ペンシルガン
いるかちゃんに育成された男の子がなぜか凶暴にならなかった話。
「──可哀想を武器にしちゃだめだよ。無責任な他人は優しくしてくれるかもしれないけど、そういう安らぎって偽物だから。お前はどう思うかわからないけど、私はそういうのは違うと思う」
床についた染みをタオルで擦りながら、岡崎いるかは言った。
不幸を見せびらかすな。同情を誘ってもロクな結果は得られない。ただし死にそうになった時は別。死んだら元も子もないんだから、命を捨てたくなったらその前に捨てれるものを全部捨てて、それでもダメなら死ねばいい。だから死ぬのは最後。
本当に一人になって絶望した時だけだと、一度だけだったが、彼女はそんなことを言った。
「思うんだよね。不幸ってぬるいよな。やり方によっちゃ心地良くなる。でも、慣れたら抜け出せなくなって……最後はどうなるんだろうな? 底なし沼に身を委ねたら、落ちてくだけか。ゾッとするね」
散らかった部屋を最低限片付けて、しつこい染みを消そうとゴシゴシゴシゴシ。
「つかお前も手伝えって。お母さんに見られないように隠すんだよ、こんなモンは」
「うん。ごめんお姉ちゃん」
「あのなぁ、心のこもってないごめんなさいってわかるから。伝わるから、やめろそういうの」
岡崎いるかはたった一人の姉だった。
弟からすれば、たった一人の家族でもあった。もう随分と前から、両親のことは家族だって思えていない。中学校に入って間もない頃、あの人たちは違う生き物なんだと気付かされた。
かなり早い段階での諦め。
悲しい現実だった。
\●/
『僕の名前の意味はアナグラムです。お姉ちゃんの名前を適当に並び替えただけだって、お父さんとお母さんが言ってました!』
小学校低学年の頃だ。
授業参観で『自分の名前に込められた意味』について発表することになったので、ありのままの事実を述べたら変な空気が生まれた。
担任の先生は笑顔で固まり、大量のお母さん達と少人数のお父さん達は
お前は空気も読めないのかと
「だから掃除機こわいんですよ。ほんとマジで無理、ハンディクリーナータイプ見たら投げたくなる」
「そうか。でも掃除機ないと大変だから、家出たらアイボでも買ったらどうだ?」
「アイボって掃除機じゃないですよ」
「そうなの?」
ゴツい大人の男性、
「アイボってあれですよ? 犬型ロボット」
「あれか! あのゾイドみたいなやつ。いいねぇ。ロマンあるね〜。もし良かったら買ってやろうか?」
「いらないです。てか大丈夫ですかそれ。先生が考えてるアイボ、凶悪な爪とか牙とかないですよね」
「え、ないの? 俺はてっきりアイツかと……」
「何を買い与えようとしてるんですか……? ていうか売ってるわけないでしょ、そんな危険なロボット」
ゴリ先生は困惑顔で「うーん」とうなった。部屋の中に設置されているテレビから、主に黄色い声の大歓声がテレビから聞こえてくる。演技中の選手が4回転ジャンプを降りて、ステップを挟んで流れるように3回転を綺麗に決めた。
ここは控え室で、本日はフィギュアスケートの全日本選手権の開催日である。今はコーチと待機中。
日本最高峰の大会で今から自分も滑るのだが、レベルがヤバすぎて言葉がない。出場選手の8割近くが何らかの4回転ジャンプ持ってるって何事?
「挨拶代わりの4回転サルコウはまあまあだったが、スケーティングがちょい雑だな。って言うより不器用な感じがする。全体的に硬い。これじゃ
先生はヒゲを
同じジュニアからの推薦選手だから頑張って欲しいが、厳しいなー、と。
いま滑っているのは僕と同い年、14才の
それは、コントロールが悪すぎることだ。
暴投魔人ってチームメイトから恐れられていたすごい選手だったみたいで、自分のせいでガンガン失点するのが辛いから辞めたって言ってた。
「さーて、ぼちぼち気持ち入れてくか。ショート12位からだから気楽なもんだろ。初めての選手権、どこまでいけるか試してやろうじゃないの」
フィギュアスケートはショートプログラムとフリープログラムの合計点で順位が決まる。ショートで足切りがあって、本日のフリーに進んでいるのは合計24名。滑る順番は点数が低い順。つまり僕は15番目。
「じゃあ、ジャンプをもうちょい後半に……」
「回しません。何回もダメだって言ってんだろうが。今のままじゃ大失点する可能性の方が高いんだから、勝手に構成変えたりすんなよ? 先生との約束だ」
「守らなかったら……?」
「俺の胃の穴が広がる」
構成の後半ではジャンプの点数が1.1倍になるボーナスがある。が、疲労で成功率が下がるし、後半でやらかすと
4回転を後半に持ってくる選手は頭オカシイと言われるのもそれが理由だ。いずれは選択肢に入ってくるとは思うけども、今はまだその段階にはない。
「きかん坊はいるかだけで十分だから。暴走機関車を二台も相手にしたらオレ死んじゃうから。ホント頼むぜ普通にやって頼むから」
「わかってますよ。ハハハ、心配しすぎですって」
「だってオメー怖えんだもん。姉貴と同じで何やらかすかわからない怖さがあるんだもん」
失礼な。あんな凶暴な生き物と一緒にしないで欲しい。
岡崎いるか15才。
姉でもありクラブメイトでもあるJCで、今回の全日本選手権では総合6位だった。高校に入ったら寮生活できることになったので、最近は機嫌がいい。持ち前の攻撃性が少し落ち着いてきた気がする。
「ちゃんとやりますよ。僕だけコケるわけにはいかないでしょ。そんなことになったら、親がめんどい」
ジャンプでコケて下位に転落なんてしたら、何を言われることやら。勝負弱い奴は何をやってもダメだとか言われそうだな。後は母さんが可哀想だとか。
うちの母はスケートを見に来ない。僕が最初の大会でやらかして、その時に大恥かいたのがトラウマで見に来れなくなったんだって。父さんから謝れって言われたから謝ったけど、なんだかなぁ。
「ウッシ。そんじゃあ景気よくいこうぜ、景気よく。何事も景気よくいかなきゃな。シリアスになってもスケートは上手くならないんだから」
「景気よく後半に4回転サルコウを……」
「ダメだっつーの」
さーて、緊張してるぞ。
ぶっちゃけ、死にそう。
頑張ってはいるけど平常心が遠い。いきなり自分の名前の由来とか考えてた時点で、どう考えても頭おかしくなってるんだよな。
名前、そう、アナグラム!
いるかを並べ替えて、
るかい! 神経を疑うわ。同じキラキラネームでも、ナイトとかウルフとかの方がまだ良かった。母さんいわくキラキラネームじゃないってことだけど、ドキュンネームってことかしら?
「おいどうした。急に真顔になって、緊張? 緊張とかしてんのお前」
「ぶっちゃけ死にそうです」
「よーし、いるかのこと思い出してみ。お前のこと馬鹿にしてゲラゲラ笑ってるとこ」
「ははは! ……闘争心が湧いてきました」
とにかく、大失敗して大失点しないように、がんばろう!
馬鹿にされて喧嘩になって、新たな家庭内暴力が発生するのを阻止するためにも!
いるかちゃんと同じくらいの結果。
入賞したい。8位以内に入りたい。入らなければ!
\●/
満員のアイスアリーナは観客1万人を超えている。
見渡す限りの人、人、人。シンプルに絶景だ。実際に氷の上に一人で入ると、その迫力が更に大きく感じられた。
フィギュアスケートは選手と観客の距離が近い。
場所によっては表情すら窺えるほどに。他のスポーツのことはわからないけど、会場の空気は分かりやすい方なのではないか、と思う。
「おーい! 私のとなりで岡崎がぁ! ちゃんとやれって言ってるぞーー!」
声も簡単に届く。今みたく叫べば。
同じジュニアの先輩がなんか言ってるな。京都の
「コケたら全員分ワッフルケーキだー!」
さーて、やめてください?
観客から注目集まってますから。あなたに。そしてなぜにワッフルケーキの要求。今から滑る選手より目立つのやめて。やりにくいから。
「さーいけー! お前の愛を表現しろー! そうすりゃ勝てるー!」
そして、誤解を生むような発言はアウト。ネットに書かれたらどうすんだ! 変な考察とか生まれたら凄いヤダ。父さんも母さんも来てないから声援は凄くありがたいけど、内容は考えて欲しい。
「ぶちかませー! 応援歌とか必要だったら言えよー! 岡崎が歌うからー!」
「歌うわけねーだろ! 黙れ!」
贅沢かな? 贅沢なんだろうな。
応援してくれる人間がいるだけ有難い。この大観衆のどこにも親はいないけど、別にいいやって気持ちにさせてくれる。
\●/
「叫んでいるのは
全日本選手権は全国放送される。となれば実況も解説もいるわけで、本日の実況は滑らかな声に定評のある44才、谷岡
フジヤマテレビの名物アナウンサーである。
解説は自称、金メダリスト
「微笑ましいですね〜。私も彼らくらいの年の頃はああいったことがあってですね〜、青春ですね〜」
「さて
「いやあ、ショートではかなり硬さが見られたと思いますよ〜。トリプルアクセルの転倒もありましたし、どう修正してくるか注目ですね〜」
「トリプルアクセルはポイントのひとつになる。岡崎選手も話していました」
「恐らく苦手なんじゃないですかね〜。トリプルアクセルは踏み切りが前向きなので感覚が全く違うんですよね〜。人によっては4回転よりもトリプルアクセルの方が難しい。私もトリプルアクセルには苦労した人間なので、気持ちはよく分かりますね〜」
アリーナの空気はまだ
本命はショートプログラム上位6名からなる最終グループ。これから始まるのは12位から7位にかけての第3グループで、岡崎
「お姉さんのいるか選手はひと足先に6位でフィニッシュ。気持ちを落ち着けて続きたい。コールされてからの1分間という時間をじっくりと使って、ポジションにつきます」
会場から声が消える瞬間。
音楽が鳴り始めるまでの数秒間。
胸に手をあてて誠実のポーズ。襟付きシャツとパンツ。上下黒の衣装が動き、右掌が押し潰すように顔に触れて、勢い良く剥がれる。
「最後に微笑むのは天使か悪魔か。今宵は誰とワルツを踊る。仮面舞踏会。岡崎
優雅で甘美なメロディ。しかし
叩きつけるような旋律の中でステップを繋ぐ。何度も氷に沈み込む靴のブレード。何かを振り払うような手の動き。リンクをいっぱいに使って加速し、踏み切りの姿勢に入る。
「緊張の一瞬です」
速度に乗ったまま左足の内側に重心が傾き、押し出すような動きで後方に飛ぶ。舞い上がる。
勢いはそのまま回転に繋がり、体の輪郭が締まって開いて右足で降りる。さらに間髪入れずに踏み切って、飛ぶ。
「4回転サルコウ、降りました! そして3回転トウループ。コンビネーションに繋げた!」
「クリーンでしたね〜。素晴らしいですね〜! 全日本ジュニアでは単独になったコンビネーション。最高の入りになったと思います」
ステップの中で速度が落ちない。激しく腕を動かしながらも下半身との連動はぶれることなく、ジャンプ2本目。
1本目とほぼ同じ挙動。
しかし今回は単独。
「もう一度4回転サルコウ! これも成功!」
「いきなり乗ってきてますね〜! 4回転を2本はこれまで一度もできていなかったはずなんですが、この大舞台で壁を越えてきました。素晴らしい!」
実況と解説から次々に賞賛の言葉が飛び出す。観客席からは歓声と拍手が。リンクサイドではコーチが「ウッ」と口に手をあてた。予定通りの構成ではあるが、それでも胃がダメージを受けたようだ。
「さあもうひとつ。いやふたつ!」
「トリプルルッツ。これもクリーンに決まりました。かなり難しい繋ぎを難なくこなして、フライングシットスピン。いやぁいいですねぇ〜、ここまでは上位と比べても遜色ありませんよ〜」
このままいければかなりの点数が期待できる。だが、4分間をミスなく終えることがどれだけ大変なことか。前半良くても後半で失速する選手はごまんといる。そのパターンを越えられない選手も。
会場の空気は完全に張り詰めている。演技開始前とは打って変わって、集中している視線は上位争いをする者に向けられるものだ。そして、目の肥えた者ほど理解している。勝負はここからであると。
\●/
いつも以上に体が動く。
びっくりするほど高く飛べているような気がする。
氷がどんどん体を押してくれる。疲労が普段に比べて格段に軽い。ショートの時は逆でずっと体が重かった。これならいける。次のトリプルアクセルさえ普通に飛べれば。多少乱れてもいい。
(いい゛っ!?)
体がフワッと浮いて、1回転して、ストーンと着氷する。1回転。頭を打ち付けられたような衝撃に襲われ、悲鳴が遠のいた。
転倒どころか1回転になってしまった。
なんで? ズレた? 踏切のタイミングが? ビビって必要以上に合わせにいっちゃった?
にしたってこんな不格好なパンク、練習じゃまずしないような大失態だ。
大失点。でも必死に頭を冷やす。仕方ない。この後ミスなく終えられればオッケー。落ち込んでたら試合が終わる。
(トリプルルッツ、オイラー、ダブルサルコウ! 大丈夫、
感情を解き放つように腕を広げる、大切なものを手取り戻すように手を握る。加速の中に見える景色はぼんやりと、きらきらと輝いていた。
足の張りが心地良い。体が勝手に動いて、頭に色んなことが浮かんでくる。観客席のどこにも両親はいけないけども、そのことに怒りを覚えたり、悲しんだこともあったけれども、もういいやって思える。
氷の上は孤独な場所じゃなくなったから。
あなた達がいなくても、応援してくれる人はちゃんといる。
(3回転2回転。コンビネーションも決まった! ジャンプ全て終了!)
ジャッジを見る。仮面舞踏会の主人公、リッカルドのように腕をのばして陽気に笑う。ターンで背を向け振り返って視線を戻す。背徳の罪悪感に苛まれているヒロインのように悲壮を吐き出す。最後には怒りと懇願と哀愁を。
愛と疑念によって導かれた悲劇。
それが仮面舞踏会。ステップシークエンスはやっぱり楽しい。そして楽しいことは特に時間の流れが早くて、最後にスピン二連発。
「っ!」
重厚的な音が弾けて消えた。
一瞬の静寂の後に、乾いた音がアリーナ中に響き渡る。東京代々木第三体育館。人生初となる全日本選手権が、終わった。
\●/
先生は一言だけ。
「惚れ直したわ」
と気色悪いことを言って、その後はしばらく無言だった。なんかぼけーっとしてた。これで頬を赤らめてたりしたらマジで気色悪いところだったけど、幸いなことに顔色は普通だった。
そんな下らないことを考えてしまう程度には、僕の頭もおかしくなってたんだな。いつも演技の後は頭が火照ってるけど、この時は特に夢見心地だったっていうか、フワフワしていた。
キス・アンド・クライに向かって、すぐに得点のアナウンスが始まって、終わって。
──
暫定1位。
今の実力を考えたら十分すぎる結果が出たにも関わらず、お祭り騒ぎになることは、なかった。
僕は糸が切れたようにグッタリ状態になり、ゴリ先生は口から魂が出てた。要するに疲れたのだ。
「これさー、胴上げとかした方がいいか?」
「絶対にだめです。やめてください」
なお、この後の方々はそれはそれは見事な演技を見せつけてくれたおかげで、暫定順位はどんどん下がっていき……最終順位は8位でした。
ギリギリ入賞。8位と9位じゃ結構な差があるので、本当に良かったと思います。
\●/
試合も表彰式も終わったしとりあえず飯。ということでファミレスに来た。同伴者は疲れ果てたゴリ先生とクラブ別々のコーチ数名。メンバーはジュニアでつるんでいること者に限る。みんな地元は東京以外関東圏外のため、帰るのは明日。学校? 今日帰ったところで明日は疲労で使いものにならない。つまりどうせ休むから問題ない。行くとしても午後からだ。回復優先。
「やっぱジュニア組は迫力がなー。足りない感じがするんだよな、男子見てて思った」
テーブルに肘をついてスマホいじりながら、失礼なことをほざいたのは、岡崎いるか。
岡崎家の長女はダメ出しが多い。理不尽かつ自分のことは棚上げしての発言も結構多い。つまり傍若無人なのである。
「お前それ自分が言われてブチ切れてたやつじゃん。しかも昨日。超短期間での負の連鎖やめろ」
隣に座っているちっちゃいJCは
「つか眠いんだよ。なんでファミレスとか来てんのうちら」
「腹減ったからだよ。他に理由とかいる?」
「いらねー」
「甘いもん食べたいなー。このパフェ全部注文しようぜ。みんなでシェアすればいいだろ」
「しよしよー」
この二人の会話は基本的に雑だ。
お互いに思ったことを好き勝手に喋るし、急に空返事を連発したりもする。当人達によれば、この感じが居心地良いとのこと。
「いやいや待ちなよ。先に主食でしょ。カレーとチャーハンとピザとミラノ風ドリアと」
寧々子の横でメニューとにらめっこしているのは、180cm越えの身長を誇るモデル体型の女子、
どんだけ食べても太らないことが自慢。
食べれば食べるだけ消化エネルギーが増えるから、結果的に痩せるらしい。意味不明だが本当に太らないから周りは困惑している。
今回の総合順位は11位。
「あっ、この鮭おにぎりも美味しそう!」
「つーか狭いんだが。なんで
「狭いのがおかしくない? だって三人がけだよこのソファー」
「岡崎が靴脱いであぐらかいてるから。お前のせいじゃねーか岡崎。靴履いて足伸ばせ。家じゃないんだぞここ。ファミレスなの。パブリックな場所なの」
「私は足パンパンなんだよ。昨日の今日だからまだ無理。寧々子がもっと詰めればいいじゃん」
「私だってパンパンだわ。乳酸溜まってるのが自分だけだと思うなよ?」
寧々子は「オラオラ」と言いながら、ガツガツといるかの脇腹を肘でどつく。いるかは凄まじく迷惑そうな顔で、ため息を連発しながら足を伸ばした。
ぐでーんとテーブルに突っ伏して、あー、とか、うー、とかフザケた声を発する。
「寧々子さぁ、DVとかないわー。人の心とかないん?」
「お前には優しさとかないん? 麒乃の尻が四分の一くらいはみ出してたんだよ。普通は気付いて詰めるだろ」
「ごめん、ぶっちゃけさっき超ねむくて気が回んなかった。ほら見てよ、『ウボンゴドラレレラル?ル』とか検索してるし」
「こわっ。なんだその呪いの言葉は」
みんな住んでいるところがバラバラなので、こういう機会はそんなに多くない。貴重な時間ではあるのだが、会話の大部分は下らないものだ。クソ真面目にスケート談義することはあんまりない。
「あっ、そうだカルボナーラも食べよう。よし決まった! いるか〜、タブレット取って〜。どーせ先生達の
「はいよー」
麒乃が注文係を買って出る。だが、ここで真向かいの席の女子が待ったをかける。
「待ちなさい
いるかみたく露骨に眠そうではないが、目の下にクマのある少女、
所属は岡山ティナFSCで、今回の成績は総合8位。
順当にいけばもうひとつふたつは下の順位だと予想していたが、ショートの時点で拮抗していた数名がミスで自滅。ノーミスだったダリアの順位が上がった。
「ダリア〜、大丈夫だって! みんなで食べればいいじゃん?」
「カレー、チャーハン、ピザ、ミラノ風ドリア、鮭おにぎりにカルボナーラ。これを私たちだけで、完食すると? 自分で頼む料理以外に?」
「いけるっしょ」
「誰も彼もあなたのように
「いやいやー、男子いるしいけるっしょ! ルカ君いけるよね? 食べ盛りだしいけるいける」
だらしない格好で溶けている岡崎いるかの前で、
カレー、チャーハン、ピザ、ミラノ風ドリア、鮭おにぎりにカルボナーラ。この面子で食い尽くすのはどう考えても無理である。男子として残飯処理するのは吝かではないが、麒乃が述べた料理の総量は許容範囲をぶっちぎっている。
「寝込みそうなんでドカ食いはちょっと……」
「えー、そっかぁ……じゃあ仕方ないかぁ。普通に自分で食べれる分だけ注文しよう」
「そうしましょう。大量に残したりしたら失礼ですし、いけそうなら追加すればいいでしょ」
「だねー」
麒乃はわかってくれた。これで一安心。
危機が去ったところで、彼は改めて思った。
さぁて、居づらいぞぉ……と。
男女比率が偏りすぎていて肩身が狭い。一応、ジュニアから出場していた他の男子も呼んだのだが、みんな『気まずい』って言って逃げてしまった。また、いるかの愛想の悪さは有名な話なので、特に年下男子には敬遠される傾向がある。
弟としてはとても納得。と同時に不安も感じていて、このままだと同性に恋愛感情を抱くのではないかと危険視している。実際、年上のお姉さんに恋しているような節が以前はあったし。
「注文かんりょー! ってダリア何見てんの? なにそれ、アレルゲン・カロリー塩分情報一覧? なんか食べれないものとかあったっけ?」
「いえ、私ではなくルッカが」
「また変なあだ名で呼び出したなぁ。本人
「親しみを込めているので大丈夫です。私ではなくてこの子、りんご関係は危ないでしょう? 私自身が不安なく食事を楽しむためにも、こういうことはちゃんとしておかないと気が済まないんです」
そうそう、ルッカこと
「うんうん。そうだね。もちろんわかってるし私もそうだよ〜。ちゃんと考えて注文してるから大丈夫〜、でもありがと。一応確認はするつもりだったから助かる〜」
なんて良い人達なんだろうか。
ほろりと涙が溢れそうになってしまう。親ですら頻繁に失念するというのに、この人達は天使なのかもしれないと思った。
「甘やかされてんね〜、お子ちゃま」
岡崎いるかはニヤニヤしている。
こんなんでも優しいところはあって、リンゴ関係は代わりに食べてくれるから助かる。両親は反省はしているのだが、とても残念なことにうっかりと失念が止まらない。『ごめんね』『謝ってるのに許さないのは心が狭い』とか言うので、最近はガタガタ言わないように心がけている。