不幸の温度はちょうどいい 作:ペンシルガン
曖昧なまま書いてた。
もうロビーでいいから移動しようかな。
岡崎
問題は音だ。音。寝息。いびきとかじゃなくてハァハァ言ってることが問題。マスクを外せと言ったのにそのまま寝たのが原因だ。案の定、息苦しくなって口呼吸になっていやがる。
「寝てる時に触ると鬼のようにキレるからなあ……触らぬ神に祟りなしだけども、気になる、音が」
細かい男だと思われてしまうかもしれないが、気になるものは気になるのだ。ずっと隣ではーはー言われると気が散って仕方がない。これが小さな音なら良かったのだが、いるかのはぁはぁはデカかった。
「うわ……マスク濡れてるし」
これが別の女子ならドキドキもするのだろうが、この物体は姉であり、岡崎いるかという生き物だ。
彼は岡崎いるかという物体について、独立した生物の括りとして考えるようにしている。そうすると、どれだけ顔が良くとも異性のドキドキとかは発生しない。まあ、そんな感情が生まれた時点で大問題ではあるのだが。
「ん?」
ルカはいるかがハァハァ言っている横──隣のベッドに目をやった。置きっぱなしのマイスマホが震えている。どうやら着信アリのようだ。
画面には父親と表示されている。
ここまで何も連絡はなかったが、流石に結果が出たら連絡くらいはしてくるか。気が重いけども無視すると後が面倒臭い。仕方ないので一回部屋を出て、静かな場所でかけ直すことにした。
「ちょっと出てくるけど、悪夢見て暴れたりしないでよ。ホテルのもの壊すと面倒臭いんだから」
返事はハァハァであった。
この人は将来結婚とかできるんだろうか。深く考えると不安になるのでやめておく。
パーカーを羽織って部屋を出ると、ドアの向こうから声が聞こえた。「うおわ!」とガサツな悲鳴が。ちっちゃい寧々子さんである。貴重な髪の毛全下ろしモードだ。お団子にこだわりがあるらしい彼女は、外出する時は常に二つのお団子を作っている。
「ビビった! 乱暴にドア開けんなよー、岡崎かお前は」
「岡崎ですけどすみません! ぶつかってないですよね? でも足くじいたりしてません?」
「だよな岡崎だよな……うん、大丈夫。岡崎だけどいるかじゃないな。わかりやすい優しさを感じる」
「本当に大丈夫ですか? なんか言動が怪しいみたいですけど、のぼせた?」
寧々子は迫真の顔でブツブツ言ってる。
岡崎がこんなのはおかしい、とか、岡崎の優しさはもっとわかりにくいはずだ、とか。
きっと寧々子は疲れているのだろう。なにせシングルとペアの二刀流だ。ルカは改めてこのちっちゃな先輩を尊敬することにした。ちっちゃいのに凄いですねとは口が裂けても言えない。初対面で褒めたら頭突きされた苦い経験があるからだ。
「寧々子はのぼせてはいませんよ。ところであなたはどこに?」
なぜかキョロキョロと周りを観察している麒乃の後ろから、お綺麗な顔がニュッと出てきた。180cmオーバーの後ろに隠れていた烏羽ダリアである。好きで隠れていたのかは不明。
「ちょっと着信アリなんで出てきます」
「それはまさか……あの呪いが伝染する恐怖の……? 飴玉が口から出てくる……」
「その着信だったら泣き叫んでます」
「ですよね。安心しました」
頭から湯気を発して「フフフ」と微笑む
自分の世界を強く持っているタイプである。何を考えているのかはよくわからない。あまりよく知らないうちは凄く腹黒い人だと思っていた。
「いるかちゃん、姉さん寝てるんで。良かったらシバキ起こして下さい。風呂キャンするやつは無理とか自分で言ってたんで。あの人すぐ自分のこと棚上げするんで。そういうのよくないんで、絶対お風呂入らせてください」
「なるほど。それはいけませんね。ばっちいですし、ここは私が優しく起こしてあげましょう。どこかに洗濯バサミなどありませんか? 寧々子、麒乃、一緒に探してください」
仮に発見したとして、この人は何するつもりなんだろうか。放っておいた方が面白そうなので、ルカは何も聞かずにお願いしますと頭を下げた。
その場を離れてエレベーターへ。下の階に向かってロビーを通過。もう外でいいやと自動ドアも通過して、適当にブラブラ歩き始めた。電話は歩きながらでもできる。
\●/
『お疲れさま。結果は見たよ。まあ、最低限は責任を果たせたんじゃないか? でも、また悪い癖が出たみたいだね。詰めが甘い人間は社会に出てからも苦労するって』
あー、またこれだ。
頭がキュッと締め付けられる感じ。鈍痛。ありえない考えが浮かんでくる。電話越しに聞こえてくる父の声は、誰か別の人なんじゃないかって。
残念ながら父親だ。
人当たりが良くて見栄っ張りで、平均以上に稼いでいて、子供に手を挙げたりしない、世間様から見たらちゃんとしてる父親。
『トリプルアクセルさえちゃんとできれば、表彰台は無理でも5位くらいには入れたんだろう? フリーだけで考えたら3位以内にくい込んでたかもしれないって話じゃないか』
『どうだろ。実際に点数出てみないとわからないよ。それに、確率のスポーツでたられば言っても仕方ないし。次に向けてきっちり準備するよ。でも父さん、よくそんなことわかったね? あんまりルールに興味ないって言ってたのに』
『子供が全日本レベルならルールくらい知っとくべきだって同僚にアドバイスされてね。言われてみればそうかなって思ったから軽く調べたんだ。人からのアドバイスは感謝して受け止めるべきだからね』
あれだけ姉さんが何言っても無関心だったのに、赤の他人に言われてアッサリですか。ほんとこの人は他人に見える部分ばかりに興味がある。
『くどいようだけど、お前は詰めが甘いよ。お前はいるかに比べて素直だから、何回もアドバイスしてあげてるのに。なんで直らないんだろうね?』
それは素直なんじゃなくて、二人して暴れたら収拾がつかなくなるから諦めてるだけだ。それにね父さん、あの人も昔は素直だったじゃん。今みたいに反抗したりしなかったでしょ? 今だって衝動的になることはあっても、ちゃんと謝って関係を維持してるじゃない。これ結構キツイんだよ、子供的には。
『今回はいるかの方が結果を出したね。いるかは全日本ジュニアは3位で表彰台に上がった。お前はメダルなし。いるかの良いところは闘争心があるところだと思うんだ。スポーツをやるなら見習った方がいいと思うな』
『はい』
『五里先生にもちゃんと謝ること。失敗して謝れない人間はダメな人間だ。母さんはどう思ってるか知らないけど、父さんはお前にダメな人間に育って欲しくないんだよ』
『ちゃんと謝ったよ。先生に対しては心から申し訳ないと思ってる』
だからって絶対安全な構成に逃げるわけにはいかないし、そもそも氷の上に絶対なんてない。2回転でも転ぶ時は転ぶ。
父さんからしたら理解できないだろう。フィギュアスケートっていうのは、氷の上でピョンピョンするだけの簡単なお仕事で、全部同じに見えているのかも。
でも、こちとら毎日が違うんだ。
同じリンクであっても氷の状態は一定じゃない。リンクが変われば明らかに感触が変わる。体の細かいコンディションも日々違う。体の成長は止められないから、今できていることが一年後もできるかなんてわからない。
『姉さんとは話したの?』
『別々に電話するってこと? どうせ一緒にいるんだから、お前に伝えれば十分だろう? いるかにはお疲れ様って言っておいて。今回は出来すぎなくらいだったってネットにも書いてあったし、特に指摘することはないよ』
それ、まさかヤフコメとかじゃないだろうな? ヤフコメ見て娘の評価を決める父親とか嫌すぎる。せめてちゃんとした評論記事であって欲しい。
『さっきは流したけど、スケートは確率のスポーツだからって言ったよね。たしかにそうかもしれないけど、正論を盾にして開き直るのはおかしいと思うな。父さんはそれは違うと思う』
ん?
『ああ、そうだよね。ごめんなさい』
なにか今、口から出かけたけど飲み込めた。溜息ごと。柱にもたれかかって蛍光灯を見上げる。ここは屋内駐車場だ。適当に歩き回ってたら、気付いたらここに逃げ込んでた。寒くて。
東京、極寒じゃん。また気温下がったみたいで現在は多分氷点下。薄着で出てきちゃったから死ぬかと思った。
『フリーだけでも3位以内に入れば、何か得られるものがあったかもしれないのに。表彰台っていうわかりやすい結果だけが全てじゃないと思うよ。細かい積み重ねが大切なんじゃないかな』
何の話だっけ? メンサスコンサスかな? あの動画のこと思い出したら元気出るな。物の価値っていうのは後からわかるものだっていうの本当だね。姉さんありがとう。いるかちゃん愛してるよ。やばい今、自分がキモすぎて死にたくなった。
仮に、いるかちゃんに愛してるって言うか、ゴキブリを素手で叩き潰すか、究極の二択を迫られたとしたら、僕は迷わずゴキブリを圧殺する。チャバネゴキブリでもワモンゴキブリでもヨロイモグラゴキブリでも構わない。何の話だっけ?
『聞いてる? 大局でものを見るっていうかさ、そういう感感がお前には足りないと思う。そういうところはお母さんにそっくりだよね。でも、それだと社会で必要とはされないから』
それ、お母さんに言ったら間違いなく殴り合いの喧嘩に発展するぞ? 最近はいるかちゃんも僕も無視する技を身につけたから、今まで子供にぶつけられてたストレスが行き場を無くしてるみたいで。
結果、夫婦で罵り合うことが増えた。
こちとら全部が全部スルーできるわけじゃないけど、前に比べると一方的にサンドバッグにされることは減った。その分、しわ寄せが親にいってるってわけ。
誰かと一緒にさ、自分より弱い立場の人間を攻撃するって絆が深まるっていうもんね。自分達は正義だっていう優越感も得られるし、だから昔は夫婦仲が良好だったんだよね。小学生がそのまま親になるとうちの両親みたいになるんだな。
『はい。気をつけます』
『気をつけますじゃなくて直しますね。言い方、気をつけた方がいいよ。日本語はちゃんと使わないと、ちゃんと相手に気持ちは伝えられない』
『はい。わかりました』
さぁて、ちょっと長いな?
父さんはいつもより饒舌だ。しかもくどい。ネチネチ度もレベルアップしてる。もしかして少しお酒入ってて説教くさくなってるとか?
『ああ、そうそう。母さんは喜んでたよ。職場の人達に褒められたって。だからホテル代は出すって五里先生に伝えておいてって言ってた。父さんは最初から出すべきだと思ってたよ。でも、スケート関係のことは母さんに任せてるから』
『わかった。ありがとう』
ダメだ。何が『だから』なのか、なんでそこで『でも』になるのか全く理解できない。
心がヒュンってなる。言葉は理解できるけど会話は通じてないこの感覚。うすら寒いっていうのかな。喋ってる間ずっとだから、気持ち悪くなってくる。
『ああ、そうだ。先生だけじゃなくて、いるかの友達ともしっかりコミニュケーションを取りなさい。みんな将来有望なんだろう? 普通に生きていたら相手にもされないような子達なんだろうから、そういう子達との人脈を作るチャンスは逃さないこと』
おぅ気持ち悪いよぉ!
いくら慣れてても物には限度がある。そして寒さの限界は突破した。今すぐ部屋に帰りたい。凍え死にそうでもはや父さんとかどうでもいい。
『はい。わかりました。父さん、明日も早いんでしょ? あんまり時間取らせたら申し訳ないから、この辺で。忙しいのにわざわざ時間使って電話してくれてありがとう。早目に休んでね』
『ああ。気にしなくていいよ。それじゃお休み』
『はい。おやすみなさい』
会話が終わって
エッ。切れた。カウントダウン始めた
なるほど自分はいいのか。ははは、いつか一方的に罵倒してやる。
「葬送のダウナーエルフに出てくる魔族みたいだな……人間性のない相手と喋ってる感じ」
昔は純粋に優しい時もあったはずだし、今ほどネチネチクドクドもしてなかったと思うんだけど、なんであんなんなっちゃったんだろうなぁ。母さんと関係が悪化してるからストレスがやばいとか? 実は母さんがいなきゃ生きていけないってくらいラブで、別れを切り出されることを恐れてるストレス……とか。
わからん。わからない。わかりません。だって会話が通じない生命体が相手なんだもの。
「うー、戻ろ……さむいガチでさむい」
そういや、出口どっちだっけ?
キョロキョロと場内をさまよっていると、今まさに歩いてきた方向からドアが閉まる音がした。アッと振り向くと誰もいなくてドアがある。
他のお客さんが入ってったのかな? だとしたらあれが出口だ助かった。
「父さんの着信音、着信アリにするか……シファ・レファ・シファドファ・シファレファ・シファドファ……うーん不気味!」
夜の駐車場で独特の雰囲気あるよね。
一回くらい霊的存在とか見てみたい。いるかちゃんがたまに怨霊じみた何かに見える時はあるけど、残念ながら全部見間違いだからなぁ。
\●/
「怖い話しようぜ」
二時間後、僕は思った。
寧々子さん、マジで寝ねえな──と。
「起きろ岡崎、怖い話するぞ」
寝てる人間まで叩き起こそうとするし、まさか徹夜して遊び倒そうとしてる? なんでそんなに元気なの?
「ダリアー、怖い話しようよー」
「それでは、友人の妻を愛してしまった男の話を。思い詰めた男性Aは、自分の妻を殺害してこの世から消し去り、友人のことはダムのそこに突き落としました。そして邪魔者を全て排除したのち、遂に友人の妻を監禁することに成功して……」
「それなんかちがう。ドロドロとした狂気の殺人事件じゃねーか。次、きの!」
「えー、そうだなー。いるかと初めて絡んだ時、触んなってしばかれたから、グーで頭ぶん殴っちゃったんだ。そしたらいるかってば涙目になっちゃってさ〜、今思うと怖いよね〜」
「めっちゃ怖いけど違う! 私が求めてんのはそういんじゃなくて、霊的なやつ! ストーカーの殺害記録とか女の秘めたる恐ろしさとかじゃないの!」
寧々子さんがやかましいのと、何気に話の内容が気になっちゃって、意識が消えてくれません。寝れない。