深海戦線 ~ポイントX撤退作戦~   作:八切武士

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 どうも、お久しぶりです。

(前回の要約)
 ポイントチャーリーにて、敵艦隊へ迎撃に打って出て、有利に戦闘を進めていた暁達。
 打撃を与えて、うまく逃げ切れると思われたのもつかの間、PT子鬼と忌雷に行く手を阻まれ、更には、戦艦水鬼まで出現し、危機に陥ります。
 支援艦隊の夕立が轟沈し、響まで危険に晒される中、全身を浮遊忌雷に覆われ、無力化された暁はどうなってしまうのか……

 今回も相変わらず、艦娘がヒドイ目に会います。
 ※モツドバは、一応ないです。


 【第十二話 真昼の夜戦 其の四 ~Deus ex machina~】

 

【????/??/?? バラック島・ヤシロ ビーチ】

 

 

『今回は、私が先だね……姉さん……すまない、置いていくよ』

 

 記憶がどっと溢れだした。

 

『私達……みんなを助けられたのかしら?』

『大丈夫……街は、きっと大丈夫なのです……』

『結構いい記録とれたと思うんだけど……誰か、見つけてくれるかしら?』

『敵機多数視認、爆装しています……提督、なにとぞ第二掩体壕(えんたいごう)へ御退避下さい……ご一緒できた時間、過分な幸福でございました』

 

 休みのない機銃掃射が体を削り、お腹に響く衝撃が跳ね返って、音圧が体を圧し潰す。

 血と肉、重油が混ざって燃える臭いが鼻をつき、焼き付いた鉄のゆがむ音が血流の音と混じり合う。

 巻き上がる泥と火薬の入り交じった臭いに、陸の津波。

 空が崩れた様な岩の雨。

 体がゆっくりと圧し潰されてゆく。

 聞こえなくなる声。

 

 みんな死んだ。

 沈みもせずに。

 

『先生、空っぽになるとは……こう、でしたか、ああ……自分には、到底』

 

(司令官!)

 

 誰かに呼びかけられた気がして目を醒ます。

 吸い込んだ砂に咳込みながら、なんとか無事な右腕で、砂を這う。

 あと、3メートル。

 消えそうになる意識が、沖合からの腹に響く轟音に揺らされる。

 

(まだだ、まだ、いかないでくれ)

 

 我知らず何かにすがって祈っている。

 何に対して祈っているのかぼうっと考えるが、轟音の合間を縫って聞こえる上空のエンジン音に眼をしばたたく。

 そうだ、夜偵、あれが見ているなら気づくはず。

 さく、さくと遅れて続く足音に首を回すと、揺れる髪の毛がだいぶ近く見えた。

 うつ伏せの体勢から強制的な宙づりへの変化で、いい加減感覚が失せ始めていた体に火が点いた様な衝撃が走る。

 背中を掴んだまま無造作に手首が返されると、目の前に無表情な顔があった。

 整っているがまるで陶器人形の様に固い。

 蒼い珠の様な眼球。

 淡い燐光が揺らめく、吸い込まれそうな海の色合い。

 深海の一部を封じ込めた様なそこへ力を振り絞り、握り込んだ砂を叩きつける。

 風景がゆがみ、ぶれた。

 

(立って!立ってよぅ……司令官、男の子でしょ!)

 

 遠い声が聞こえる。

 立て、立て、と励ましている。

 眠ってはいけないと。

 全身が痛む、今にもバラバラになりそうだ。

 止まる訳にはいかない、娘達の意志を全うしなければ、到底死に切れたものではない。

 重油の臭いが鼻を刺す。

 ドラム缶に埋まった体は、もう半身の感覚がない。

 いや、もう、動く必要もない様だ。

 倒れたドラム缶から、心配そうに小さい人達が見下ろしていた。

 眼で、既に背を向けているタ級を示すと、頷き合った頭が引っ込む。

 彼女達が遺していってくれた妖精達は優秀だ。

 外しはしないだろう。

 最後に残った爆雷投射機3基が控えめな音を発し、たっぷりと焼夷剤を詰め込んだミニドラ缶を射出する。

 発射と同時に着火された遅延信管が、空中で内部の炸薬を激発。

 タ級の頭上から炎の雨となって降り注いだ。

 へばりついて燃え盛る滴は、拭っても容易には消し止める事はできない。

 背後のドラム缶に背中を押しつけ、砂まみれになった64式の銃床をわき腹に押さえ込む。

 安全装置は解除済みだ。

 引き金を引くと、強い衝撃に銃口が跳ね、7.62mmがタ級のケープに穴を穿つ。

 一発撃つ度に全身に激痛が走るが、艤装に弾ける金属音が妙に小気味良い。

 一発撃つ毎に深く息を吐き、銃把を握り直して脇を締め直す。

 片腕では骨が折れるが、外す程遠くはない。

 爆雷の投射機が二射目を放つ。

 ゆっくりと振り向いたタ級のわき腹にプツッと、小さな射入孔が開いた。

 軽くわき腹を撫でた手を見たタ級の艤装で砲塔が旋回し、こちらへ向く。

 視界の端で、低空を飛ぶ夜偵が左右にバンクして翼を振っている。

 娘達は皆任務を全うした。

 自分は、それに答えられたのだろうか。

 最後の銃声は、砲声にかき消されて聞こえなかった。

 

『みんな……これで良かったのよね?……ごめん、響、ごめんなさい、ごめんね、響』

 

 

【???・艦橋 暁・再起動、手段を問わず】

 

 

 目を開けた感覚もなく、不意に視界が開けた。

 狭い部屋。

 

 倒れ込んで咳込み、深呼吸を繰り返す。

 この間見た見た夢より更に生々しい夢。

 みんなと、司令官の記憶。

 記憶にこびり付いた妹達の死に様が咳と一緒に出て行ってくれる事を祈りながら咳込み続ける。

 呼吸困難を起こして、視界が白くなっても、妹達が粉々に砕かれる記憶がよけい鮮やかになるだけだった。

 星が飛び散り、涙で歪んだ視界に伝声管に羅針盤、沢山のレバーが入り込んでくる。

 

(艦橋?)

 

 一瞬だけ、意識が死の記憶から逸れ、私はそれにしがみついた。

 この艦橋はずいぶん狭い、この狭さは駆逐艦に違いない。

 天井があるから、私達特型、というか吹雪ちゃん以降の艦だ。

 

「みんな死んだの」

 

 不意に聞こえた声に、私は目を何度もまばたきする。

 ちかちかする星が消えると、右の壁際に誰かが座り込んでいるのが分かった。

 

「電は発火して動けなくなった雷を助けに行ったわ、でも空襲が止まなくて……目の前が真っ赤で、目も鼻も、口の中も雷の血と油が一杯で」

 

 言葉と一緒に、金気臭さと生臭さ、そして工業油の臭いが入り交じったものが口一杯に広がって、私は床をひっかいてえづいた。

 

「夕張さんは記録担当の妖精さんを降ろした後、対空砲火をしてたけど、沖からの支援砲火で丘ごと粉々になったわ……神通さんは、火砲が使えなくなっても、礫で敵機を落としてた、でも、数が多くて……埋まっちゃった後もずっと撃たれ続けたから、混ざっちゃったわ」

 

 全身が粉々になる激痛に、うめき声しか出ない。

 

(やめて!やめて!やめてよぉ!)

 

「響は」

 

(いや、いや、いやッ!ききたくない!)

 

 必死に目を瞑って、耳を塞ぐ。

 ダメだ、それだけは、絶対に知りたくない。

 でも、目を閉じた所で、“内線”ごしに見たもの、感じたものの記憶がよけいにくっきりしてくるだけだ。

 響は必死に走っていた。

 少しでも遠い所へ。

 ひっきりなしに面制圧の大口径砲弾が降り注ぎ、爆装した敵機の群が頭上を飛ぶ。

 爆弾と砲弾の落下音と炸裂音が混じり合い、合間を機銃掃射が埋める。

 爆風に砕かれた艤装の破片が鋭い散弾になり、対空銃座の妖精さん達をずたずたに切り裂く。

 直撃した爆弾が煙突を引き裂き、ダメージコントロールに走り回る妖精さん達をまとめて吹き飛ばした。

 発火した艤装と、血塗れの体を機銃掃射の波状攻撃が削り、貫通する。

 口の中に血が溢れた。

 呼吸ができない。

 倒れて、自分の白い髪に絡まりながら這いずる。

 いつの間にか無くした腕からあふれた血で、髪がまだらに染まってゆく。

 

「響だけは分かってた」

 

 声をかけられて私は目を開けた。

 額が熱い。

 目の前の少しへこんだ床に珠になった液体がぽつぽつと盛り上がっている。

 鼻からぽたりと滴が垂れて、また赤い珠が増えた。

 

「最初の一斉砲撃、まるまる崩れた崖の下に私は居た、響だけは分かってた、だから……」

 

 そうだ、響は、攻撃で埋まってしまった私からひき離そうとしたのだ。

 少しでも、少しでも遠くへ。

 

「あの子は司令官さえ生きていれば、私を掘り出してくれる、必ず助けてくれる、そう思ってたの、きっと」

 

 ずきずきする頭を押さえて、顔を上げる。

 壁際に膝を抱えた艦娘が座っていた。

 略帽から長い髪が垂れている。

 私と響が被っているのと同じ略帽だ。

 抱えた膝に押しつけられた顔から又、声が漏れきこえてきた。

 

「でも、私にはできなかった、司令官はみんなが守ろうとした町の為に走ってるのに、止めたら、みんな無駄になっちゃう、私だけ、司令官に助けてなんて、そんな事……言える訳ないじゃない!」

 

 ぼう、と艦橋が薄明るくなり、持ち上げられた顔をうっすらと照らす。

 

(私?なんで?)

 

 よく分からなくてぼうっとしていたけど、強い光に眼を刺されて我に返ると、窓から光がさしていた。

 艦橋の窓一枚一枚が、違う風景を映し出している。

 まるで、監視モニタか、前の夢で見た宇宙船のスクリーンだ。

 でも、よく見ると、それは風景じゃなかった。

 

(電?)

 

 妹達と、神通さんに夕張さん。

 そして、私の知らない、写真の提督。

 これは、記憶だ。

 そうだ、私じゃない“私”の記憶。

 “私”と妹達、神通さん達の“同い年の姉妹”達。

 

『私は、みんなを助けられなかった、響のお願いをきいてあげられなかった!』

 

 風景が爆炎と火花に染まる。

 無音なのに、お腹が重低音に震え、頭は砲弾で撃たれた様にぼうっとしている。

 突然、窓に何か重く湿った物が叩きつけられた音がして、私は目を瞬いた。

 

「い、ぎぃ……ッ」

 

 息を吐ききった喉から何かヘンな音が漏れた。

 窓にへばりついた赤黒いものがゆっくりと、下にずれてゆく。

 筋状になった血痕に、まばらに細い筋が混じっていた。

 目が離せずにいた視界の中、白い房の様な物が貼り付いたままになっているのが目に入る。

 血でこびりついた白髪の束。

 目を閉じる事ができない。

 

『神通さんも、夕張さんも、電も、雷も、響だって、みんな司令官に生きてて欲しかった』

 

 窓が司令官で一杯になる。

 一緒に釣りをして、畑を耕して、背中を流してあげた。

 買い物に行った時には、みんなには内緒だなんて言いながら一緒にアイスを食べた。

 右舷に大穴が開いた時には眠るまで手を握ったまま、話を聞かせてくれた。

 逆に司令官が高熱を出した時は、みんなでかわりばんこにずっと看病した。

 あの時少し泣きそうになったのは、司令官が“人間”だって事を意識させられたから。

 “人間”は私たちよりも早く、簡単に死んでしまう。

 

『でも艦娘だって同じ、明日、響が隣にいないかも知れない、私がいられないかも知れない、怖くて、怖くて、涙がとまらかった』

 

 暖かい手のひらに、ふわっと髪の毛が撫でられる感触がして、私は目を開いた。

 

『大丈夫、大丈夫だって、司令官、熱で殆ど意識が無い筈なのに、ずっと言ってたわ』

 

 そうだ、ただそれだけなのに、私は何だか安心して眠ってしまったのだ。

 

『私は、司令官を助けられた、でも出来なった、しなかったの』

 

(そう、助けて、なんて言えなかった、司令官が守ろうとしてたのは、響達が、私たちが守ろうとしてた町なのに)

 

 最後まで、みんなのやろうとした事を守ろうとしてくれてる司令官を止める事なんてできなかった。

 

『司令官は死んじゃったの、助かった筈なのに、助けられた筈なのに』

 

 堂々巡りの言葉が細い針金みたいにぐるぐると巻き付いて締め上がり、心がゆっくりと裂けてゆく。

 

『電達のそばにいてあげられなかった、響を助けてあげられなかった!』

 

 岩に潰されて、土に埋まってる間にみんな死んでいた。

 残された響は最後の最後まで私を捜していた。

 

『あのこのお願いだって聞いてあげられなかった、私はあのこのお姉ちゃんなのに!』

 

「違うわ!」

 

『でもそうなの』

 

 どちらかを選ばなきゃならなかった。

 見ているしかなかっただけ。

 分かってる。

 “私”も私も分かってる。

 でも、そうじゃない。

 

 響は、“私”がまだ助かると信じて死んだ。

 独りでも生き残って欲しいと願って死んだ。

 でも、それは無理だった。

 できなかった。

 

 何もして上げられなかったこと、言えなかったこと。

 分かっていても消えてくれないんだ。

 止まった時間の中で生きることも死ぬこともできないまま、暗闇の中でひとりぼっち。

 なにかを間違えてしまったのか、みんなを助ける事ができたのか、崖崩れに巻き込まれなければ、近くに居てあげる事ができたのか。

 遠くなりそうな記憶と後悔に首まで浸かってずっと眠る。

 最後の夜の夢を見ながら。

 

 窓がびりびりと震える音で私は気を取り戻した。

 顔を上げてみると、窓の風景が変わっている。

 

「雷!」

 

 私は思わず窓に張り付いた。

 傷ついた電を庇う雷の制服は、焼け焦げと血の染みで、もう白い所の方が少ない。

 不自然な体勢で構える神通さんの左腕は、ねじ曲がり、だらりと垂れている。

 そして、巨大な拳に握り込まれた響。

 全部、波でさえ凍り付いた様に動かない。

 まるで時間が止まっている様だ。

 凍りついた夜戦の風景をバラバラに映した窓はまるでスライドショウみたいだった。

 私は響の姿を映した窓を力一杯殴りつける。

 兎に角、響を助けなくてはいけない。

 

(痛っ!)

 

 軽い、ごん、という音を立てて、窓は私のげんこつをはねかえした。

 もう一度、さらにもう一度。

 音が重くなるだけ。

 力一杯叩いても全然だめだ。

 私位の体重でも、脚にぐっと力を込めて下から上に突けば、大抵のものは壊せる。

 防弾ガラスだって枠ごと吹き飛ばすのはそこまで難しくはない筈なのに、これはびくともしない。

 

(なんで割れないのよ!)

 

 もう一度手を振り上げようとして、私はふにゃふにゃと床に倒れ込んだ。

 立てない。

 全身から生々しい痛みがあふれて、神経が端っこから炙られている様だ。

 ぶらぶらになって動かない左肩が急に意識されて、そう言えば自分も体中を負傷していた事を思い出す。

 

(なんで、急に痛く……)

 

 じんわりボヤける視界を回して床でのたうち回っていると、ふと、右舷側の窓が目に入った。

 なにか大きなものが動いている。

 なんとなく見慣れた色彩がそよそよと蠢き、風になびく。

 細くて淡い、何かさらさらしたもの。

 月明かりでほの光るそれに気を取られていると、ふいにその後ろから見慣れたマストが覗いた。

 波の揺れだけじゃなくて、体の傾きと合わせて揺れ動く動作には見覚えがある。

 

(艦娘?)

 

 右の窓から見えているのは、間違いなく艦娘だ。

 でも、それじゃあ、この船より身長が高い事になる。

 それこそ、特撮の巨大化ヒーロー位だ。

 うつむいて蠢いていた頭が上がり、ちらりと目線が窓を撫でたのが分かった。

 

(夕張さん?)

 

 髪の毛が降りているので、ちょっとイメージが違うけど、間違いなく夕張さんだ。

 

(そうだ……私、忌雷に)

 

 記憶が急に戻ってくる。

 

(夕張さんは、忌雷を除去して……)

 

 そうだ、夕張さんは私にこびりついた忌雷を除去してくれていた筈だ。

 なら、今、私が居るのは。

 どこだ。

 

(艤装?)

 

 そうだ、自分の艤装に違いない。

 なら、夕張さんがあれだけ大きく見えるのは当たり前だ。

 艤装に“乗った”状態なら、人間だって巨人に見える。

 

(響、響を助けなきゃ……)

 

 そうだ、そんな事は今はどうでも良い、ここが“私”の艦橋なら、何とか動かさなくては。

 響の所へ行かなくては。

 

(機関を始動して、スクリューを、両舷全速……機関、とまって?)

 

 痛みでまた、意識が朦朧としてきた。

 

(だめ、まだ)

 

 歯を食いしばって、何度も、床に額を叩きつける。

 こんな訳分からない状態でも、“これ”が私の“艤装”なら、きっと動かせる。

 

(機関を)

 

 兎に角、まずは機関を機動させないと、死んでしまう。

 もう死んでいるのかも知れない。

 でも、響に助けるためには、機関を動かさなくては。

 死んでいても、体を動かす。

 必要なら、そうする。

 床を這いずって、手近の伝声管にもたれ掛かるように

体を起こし、右腕をかけて寄りかかった。

 伝声管の蓋をあげて、口を開けるけど、声が出てこない。

 

「き、機関、室……おう、とう……応答、しなさい」

 

 ようやく絞り出した声も、頼りなく、吸い込まれてしまう。

 そもそも、機関室に誰が居ると言うのか。

 艤装なら、本来妖精さんが居るはずだ。

 なら、なんで、艦橋に一人も居ないのか。

 不吉な考えを振り払うように、冷たい伝声管におでこを当てて息を整える。

 目を開けた時、誰かのつま先があるのが目に入った。

 見覚えのあるローファー、タイツ、スカート、セーラー。

 どれも泥に汚れ、裂けている。

 “私”が立っていた。

 蒼白い肌に、血色のない唇。

 “私”は死んでいた。

 

『みんな、死んだわ』

「知ってるわ」

 

 真っ暗な夜みたいな眼、私とは違う“私”の眼。

 

『“私”の響は死んじゃったの』

「私の響は生きてるわ!」

 

 ただ目の前に立っているだけなのに、全身に何故か寒気が走った。

 でも、響を助ける邪魔は誰だって許さない、もちろん“私”でもだ。

 底の見えない井戸みたいな眼を精一杯にらみ返す。

 

「私の響は死なせない、みんな死なせないわ!」

 

 もう一度、お腹の底から力を込めて叫ぶ。

 

「どんな事をしたって、助けて見せるんだから!」

 

 そうだ、腕が一本しか動かなくったって関係ない。

 粉々になって海底に沈むまでは、止められはしない。

 死んだって、化けて出てやる。

 

『もう、死なせない……』

「そうよ!」

 

 “私”なら分かる筈だ。

 

『助ける……どんな手を使ってでも』

 

 呟いた“私”の眼の奥に、ぼう、と光が宿る。

 ぎり、と歯を食いしばった顔が歪む。

 

「助けるわ!」

 

 雷の口癖。

 そうだ、絶対に助ける。

 残りの弾を深海棲艦の口に素手で詰め込んででも止めてみせる。

 

『いかずち……いなずま?』

 

 髪留めに絡まった一房の髪、両腕を広げて立つ雷。

 髪留めを掴んで座り込んだ電、艤装から火と水を交互に噴いている電。

 前方の窓に“私”と私の雷と電が交互にフラッシュする。

 そうだ、もう一度なんて無理だ。

 一度だって無理だ。

 “私”も私も分かっている。

 

『どんな手を使ってでも』

「私はあの子達のおねえちゃんなんだから」

 

(助ける!)

 

 艦橋に“私”と私の声が響き渡り、窓だけじゃなくて窓枠、壁や床までびりびりと振動させた。

 どうん、と突き上げる様な衝撃が頭のてっぺんまで突き抜けると、轟く様な機関音の高まりが艤装全体を震わせ始める。

 体が熱い。

 出ているかも分からない汗を拭おうと手を持ち上げると、手が燃えていた。

 反射的に手を振ると、弾けた炎が床に飛び散って引火する。

 “私”も燃えていた。

 私も燃えている。

 私と“私”が手を伸ばす。

 

『ダメだ!、止めてくれ、それ以上“進んではいけない”』

 

 誰かが後ろで叫んでいる。

 意識のノイズをかき消す様な叫び。

 絶叫。

 きっと、“私”が知っている人。

 今はもう、私も知っている人。

 

 牟田浜提督。

 

 居なくなっちゃったけど、ここには居る。

 きっと、ずっと居た。

 “私”を見ていた。

 私達を守っていてくれていた。

 目線をあげて、手を差し伸べる私を見る。

 “私”は私の目を真っ直ぐに見ている。

 “私”には進んだ先の響達が見えているのだ。

 私にはそれしか見えてないから。

 それ以外は見えない。

 

「ごめんなさい、私、進むわ、そこにしか響達は居ないから」

 

 “私”の手を握ると、炎がすぐ全身に燃え広がった。

 爆発的に燃え広がる炎は蒼くて、痛みは感じない。

 ただ、冷たく、融けてゆく感覚だけが強い。

 融けた“私”と私が混ざり合う。

 

(動き出す)

 

 蒼色に染まる視界の中で、響達の凍り付いていた時間が溶けてゆくのが分かった。

 

(“今回も”私が先、ごめんね……それだけは譲ってあげられないわ)

 

 

【ポイントチャーリー・交戦海域 夕張・“特殊火災発生!”】

 

 

「っ!」

 

 暁の艤装から発火した炎を見た夕張は、咄嗟に艤装の側面を叩いた。

 巻き取られていたホースがするりと解けて海面に投げ込まれ、小型コンプレッサーが唸りを上げる。

 汲み上げられた海水が勢いよく放水砲から噴き出し、暁の艤装に降り注ぐ。

 市販の小型高圧洗浄機をバラして組んだ代物なので、横付けする距離じゃないと役に立たない代物だが、この距離なら充分役に立つ筈だ。

 

「つぅッ!」

 

 瞬間、目の前で光が炸裂した。

 咄嗟に振り上げた左腕の激痛に一瞬、意識が飛びそうになったが、背筋が震える様な冷たさに引き戻される。

 左腕に点々と青い炎が踊っていた。

 

(うわわ)

 

 慌てて海水に腕を浸そうとしかけて、目の前が妙に明るい事に気がつく。

 暁が燃えていた。

 放水砲のコンプレッサーは唸りをあげ、海水を噴出させ続けている。

 しかし、暁を覆う炎は消えない。

 むしろ、海水がかけられた部分はより激しく燃えている。

 まるで、ガソリンをかけた様に。

 左腕の痛みが芯まで凍える冷たさに麻痺してゆく。

 ずっと意識されていた強い痛みからの解放は、快楽ですらある。

 

(冷たく蒼い、海水で燃え広がる炎……)

 

 艦娘の艤装を溶かす蒼白い炎。

 それは、怪談、あるいは都市伝説。

 酒の席の与太話。

 深海棲艦が発するのと同じ、熱のない炎。

 それに灼かれれば、変わってしまう。

 艦娘では居られない。

 人型の炎の中で、機関音が高まってゆく。

 

『や、だ、ダメ、なの……暁、ちゃ』

 

 電の“声”を聞きながら、機械的に動いて放水を止めた左腕の痛みを意識する。

 右腕は、艤装をまさぐって、ドラム缶を外していた。

 

(ベーコンのフライ音……)

 

 ふと、そんな単語が脳裏をよぎる。

 機械音と言うよりは、モーター音に近い響きの機関音を聞きながら、蓋を締めているガスケットのレバーを引く。

 ぽろりと取れた蓋が落下防止チェーンをぴんと突っ張らせ、滑ったミニドラ缶が手から離れた。

 脚の間に落ちたドラム缶を反射的に両足で挟んで固定し、中からバケツを一つ取り出す。

 封印のタブを掴んで一気に密閉を剥がし、蓋をむしり取る。

 ライムグリーン系の蛍光色をした液体に右手を突っ込むと、ねっとりとした感触が伝わり、さわやかだが、形容しがたい芳香が鼻をくすぐった。

 液体シャンプーよりもっと濃いが、スライムのおもちゃ程ではない粘性。

 手を引き抜いて修復剤を左腕に擦り付けると、一瞬、目の前が暗くなる程の激痛が走る。

 ダクトテープの下に滲んだ原液が直接傷に触れたせいだ。

 しかし、修復剤でぬるぬるになった腕からは蒼い炎がすっかり消えていた。

 

(いけるっ)

 

 掴んだバケツを振りかぶり、残りの修復剤を暁に向かってぶちまける。

 思い切りよくぶちまけられた修復材はあっさりと炎を通り抜け、波間に鮮やかな彩りとなって叩き付けられた。

 

(え?)

 

 目の前の光景より、遠ざかってゆく機関音に反応して上体を捻ると、炎の揺らめきが遙か遠くを滑っている。

 半分朦朧とした意識の中、姫級と同質の機関音にひかれ、殆ど本能的な動きで右舷の砲塔を追随させる。

 熟練した艦娘は、近距離ではIFFをあてにしない、と言うより、そんなもの一々みていない。

 機関音、光の反射、艤装の駆動音等々、艦娘とは異なる深海棲艦の“気配”に反応し、動く。

 意識と無意識の半ばで、砲の一部になった指が引き金を引く。

 射撃の是非を意識するのは、砲弾を放った後の事だ。

 

『Прекрати……駄目だ、やめてくれ』

 

 “内線”に聞こえた声に、偏差射撃の暗算が止まった。

 

『暁に“特殊火災”発生、明らかに両舷一杯以上の速度で暴走、夕張、追跡します』

 

 “内線”に報告しながら、足下のドラム缶を引っ掴み、両舷一杯に回転数を上げている。

 そうしている間にも、目に見えて炎の揺らめきは小さくなってゆく。

 

(うそ、はやっ!)

 

 高速ボート以上の加速力。

 駆逐艦と言えども、到底無理な加速だ。

 高速艦娘の代名詞的に引用される、島風型でも無理だろう。

 “内線”には暁の気配をもう感じない。

 自分の速度自体、そこまで他の艦に比して劣っている訳では無いが、今は、まるで糖蜜の中を泳いでいる様な、もどかしい速度に感じる。

 到底、追いつけない。

 

(あの速度なら……)

 

 無意識に計算していた偏差射撃が行き着くのは、戦艦水鬼の艤装が展開している方角。

 だとすれば、彼女の目的は、きっと一つ。

 全てを捨ててでも、果たさんと願ったこと。

 暗澹とした想いで、残された火砲の装弾を確認しつつ、今はただ、せめて、間に合ってやってくれと祈る。

 次、必要な時に、指が砲の一部になってくれるだろうか。

 

 

【ポイントチャーリー・交戦海域 暁・私はあの子のお姉ちゃんなんだから】

 

 

 炎を通してみる世界は、ゆるゆると蠢く墨絵みたいだった。

 ふと、近くでパターンがかき乱された方に目を向けると、大きく何かを振りかぶる動作が“視えた”。

 攻撃的な意図を感じて、体が勝手に“アメンボ”をしている。

 すごく体が軽い。

 さっきまで立っていた場所に、ねっとりとした動きで光る液体が弧を描いて、海面に広がってゆく。

 あれなら、振り切られてからでも避けられたろう。

 

(そうだ、響、響はどこ?)

 

 頭の中にみんなの声が無い。

 “内線”は切れている。

 私は、辺りを見回して、すぐにずんぐりした影を見つけた。

 遠目でも、巨大なその影は丸見えだ。

 両舷を一杯にすると、周りが極彩色の泡に包まれたみたいにキラキラし始める。

 でも、夜とは思えない程、視界はいい。

 はっきりと、響を握って大口を開けた奴が見える。

 一口で食べる気なのだ。

 夕立と同じ様に。

 

(武器は……ない、けど)

 

 火砲も魚雷発射管も、浮遊忌雷の締め付けでねじ曲がり、壊れている。

 私は、後ろに手を回して、最後に残った武器を取った。

 鎖を引いて、力一杯投擲する。

 

「コレデモクラエ!」

 

 格闘戦の距離じゃない。

 でも、届く。

 “当てられる”確信があった。

 炎を曳いて飛んだ錨が、カエル面へ斜めにめり込んだのを感じる。

 脚に力を込めながら鎖を思い切り引くと、胴体にくっつく程に仰け反っていた首が跳ね戻り、咆哮の形に大口を開けていた。

 もう、遠目に炎と一緒に歯のかけらが飛び散ったのが分かる距離に縮んでいる。

 鎖が巻き取られて、錨が手元に戻ってくるのを待たず、又、波を蹴った。

 一歩、また一歩。

 脚を叩きつける度に、大口径砲の着弾みたいな水柱がねっとりと伸びあがる。

 波を蹴る毎にぐい、ぐいと、空間が縮んで、あいつが大きくなっていく。

 残った首も大口を開けて、咆哮しているが、もう遅い。

 遅い、遅すぎる。

 でも、それでいい。

 

 コロシヤスイカラ。

 

 ゆっくりと、こちらへ首を向けようとする敵の右側面へ潜り込む。

 ほんの一瞬だけ、アメンボをして右を向き、左足を水面に叩きつけると、完全に脚が止まる。

 みしり、という軋みが左足首から頭まで突き抜けるのを感じながら、手元に戻ってきた錨を持ち直す。

 制動をかけた左足から先へ、津波みたいな波が伸び上がり始める。

 ようやく体重移動を初めて伸び上がり始めた蒼白い膝へ、大上段に構えた錨を振り下ろした。

 真横に立った私が右斜めから袈裟懸けに振り下ろした錨は、ちょうど膝の正面側から斜めに叩きつけられる。

 軟組織の潰れる感触に、ぼき、とも、ぼくっ、ともつかない鈍い音。

 蒼白い皮膚が張りつめ、筋肉のすじと血管がじわりと浮かぶのが見えた。

 艤装の金属部分をぬめる様に流れる朱色の警戒色。

 縞模様のそのオーラが一際強く光を放つ。

 右の腕が落ちてくる。

 まだ、響を握りしめたままの拳がゆっくりと、海面へ落ちてゆく。

 私は海面を走って追いすがり、もう一度、大上段に錨を振りかぶった。

 唐竹割りに振り下ろした錨は、丸太位の太さがある指をまとめて2本ねじ曲げた。

 第二関節を粉砕された人差し指、中指の痙攣を見ながら、今度は、薬指より下を狙って、斜めに打ち下ろす。

 まだ、錨が空中にある間に右舷に途轍もない衝撃が爆発した。

 急に音が戻ってくる。

 世界が加速してゆく。

 水の蒸発する音がひどくうるさい。

 口と鼻から入り込む潮の味。

 不思議と痛くも苦しくもない。

 右腕の痺れを感じながら、どこかへ吹っ飛んでいってしまった錨を引き戻す。

 左右に動揺する体を押さえつけ、被った波を振り払う。

 振り払った波が裂け、蒸気の爆発に水が砕ける。

 不意に、波を切り裂いて現れた蹴りが、左の防盾に激突した。

 全身を震わせる衝撃と、重金属の歪む軋み。

 表層が削り取られる音は悲鳴の様だ。

 蒸気に辟易しながら眼をすがめると、目の前1メートル先に戦艦水鬼が立っていた。

 潮と蒸気越しに閃いた右下段蹴りが、硬い激突音を立ててぶち当たる。

 左腿で何かが砕ける感触。

 蒸気が濃い。

 体が触れ合う様な距離で、戦艦水鬼の右膝がお腹に突き刺さる。

 錨が手から滑ってゆく。

 

(ジャマシナイデ!)

 

 左手で掴んだドレスに吐き散らかしながら、右手を力一杯叩きつける。

 燃える拳がわき腹にぶち当たり、何かがまとめて折れる感触が指に響く。

 一瞬の均衡。

 次の瞬間、布の引き裂ける音がして、私はよろめいた。

 戦艦水鬼が曲げた右足を後ろに叩きつけてこらえる。

 ドレスからこぼれた大きなおっぱいが、ぶるんと右へ流れた。

 勢いのいい時計回りの回転。

 右すねの外側に下段回し蹴りがぶち当たり、肉をえぐり抜いたハーフブーツのトゲ金具が根本まで潜り込む。

 衝撃が竜骨を芯まで震わせるのを感じながら、巻き上がる鎖に右手を引っかける。

 思い切り左へ手繰ると、海面から飛び出した錨が戦艦水鬼の脚に絡みつき、激しい金属音を立ててハーフブーツに食い込んだ。

 全開で巻き取られた鎖が肉を引き裂きながらトゲを引っこ抜き、戦艦水鬼の脚をぐい、と吊り上げる。

 目の前でドレスの裾が翻り、まるで花開く様に円を描いて視線を塞ぐ。

 錨で押さえ込んだ左足首が火花を立てて回転し、視界の外から降ってきた右足の踵が側頭部へ時計回りに突き刺さった。

 世界が爆発した様な衝撃。

 眼に何かが入って、よく見えない。

 幾重にもブレる視界の中で左脚を押さえられたままの戦艦水鬼がまるでブリッジの様に海面へ手をつき、又、体を捻った。

 逆時計回転。

 お腹の底まで震える重低音の衝撃と一緒に、持ち上げた左の防盾がびぃんと、お寺の鐘みたいに震える。

 激しく震える金属音の中で、違う硬さの金属が触れ合って不協和音を奏でた。

 

(ソウ、か……)

 

 錨から手を離し、鎖をリリース。

 体全体をたわめて、攻撃態勢を取った戦艦水鬼の体勢が微妙に崩れる。

 体勢を崩しながらも唸りを上げて繰り出された戦艦水鬼の右足が、左膝の横を打つ。

 左脚から感覚が消えるのを感じながら、つんのめって前に進み、倒れ込む様に左腕を伸ばす。

 

 三連装二番ゲージ散弾発射筒。

 

 防盾を震わせ、籠もった発砲音が轟いた。

 戦艦水鬼の胸にぼふっと射入孔が開いて、反対側から肉をえぐり抜いた鉄球と肉片が飛び散る。

 体が崩れ落ちるのに任せて更に、一発。

 思ったより細い首が、ぼぼぼっ、と半分位、えぐり取られた様に消える。

 最後の一発を、防盾の先端を戦艦水鬼の顔へ叩きつけてる様に激発。

 体の下で、戦艦水鬼がびくん、と体を突っ張らせ、ゆっくりとブリッジが崩れ、背中が着水した。

 顔に水が当たる。

 水底へ、手を伸ばしながら戦艦水鬼が沈んでゆく。

 肘をついてもがき海面から顔を引き剥がして、肺の中のものを激しく吐き出した。

 血と油、そして海水のにがりが混ざった何かが水面にどぼどぼと溢れて散ってゆく。

 ひどく寒い。

 何だか、視界がすごく、狭い。

 音が遠い。

 

「……姉さん?」

 

 懐かしい声。

 光の中で、響が呼んでいる。

 天使の様に可愛い、私の妹。

 

「ヒビキ……?」

 

 大丈夫だ。

 あの子は、大丈夫。

 それにしても、何だか、寒い。

 つかれた。

 ねむい。

 だいじょうぶ。

 もう。

 きっと。

 

(響……きっと、なんとかしてあげるから……ね)

 

 

【ポイントチャーリー・交戦海域 神通・誤射の真偽を問うな】

 

 

 戦艦水鬼の艤装へ、残された右腕を根本まで撃ち込む。

 凄まじい熱量を指先に感じながら腕を引き抜くと、熱水と血流が噴き出し、外気に触れた瞬間、沸点に達しているそれは不快な臭気を放つ危険な霧を作り出した。

 肉を灼く熱雲に成長してゆくそれを避けてステップ。

 回転を加えて打ち下ろした左脚が、海面すれすれまで落ちていた右拳に残された指を纏めてくの字に曲げる。

 残心。

 吹き出す蒸気が弱くなり、やがて、途絶えた。

 

『戦艦水鬼、沈黙……各員、戦況を報告して下さい』

『雷、まだ生きてるわ、電、火は消えた?』

『電、鎮火したのです……自力航行にはもう少し』

『姉さん……』

 

 夕張からの応答がない。

 目線を振って捜すと、棒立ちになり、立ち尽くしているのが見えた。

 少し離れた場所に、戦艦水鬼撃の艤装から抜け出した響がふらつきながら立ち上がっている。

 二人の視線は、うずくまっている暁に注がれていた。

 

(……これは?)

 

 夜目にも分かる陽炎を帯びながら動きを止めている暁の防盾には、未だに、ゆっくりと縞状の蒼白い警戒色がぬめる様に流れている。

 全身を包んでいた同色の炎は鎮火している様だ。

 すっかり色を失った髪が、俯いた顔を隠していて表情は見えない。

 手足は蒼黒く、光沢を持った金属に覆われていた。

 艤装の一部にも、同様の光沢が広がっているのが見てとれる。

 これではまるで、深海棲艦だ。

 

『提督?』

 

 沈黙を守ったままの東に、“内線”越しに指向性のあるピンを打つ。

 程度によるが、おおよそ目配せから、肩を叩く程度の意思表示になる。

 

『Miss.神通……We know、状況は把握している、“増援”は到着した、後は彼らに任せるんだ』

『増援?今度は主力艦が来てくれたの?』

『Just a little more、“そっち”はまだだが……hum、Listen carefully、充分な筈だ』

 

(音を、聞く?)

 

 指摘されて、微かに響く音に気がついた、独特の風切り音。

 敵の艦載機だ。

 

『敵艦載機視認、おおよそ20機前後、爆装状態は不明、警戒して!』

 

 残った腕を持ち上げ、対空射撃体勢を取る。

 接近されるまで気がつかないとは、酷く感覚が鈍ってしまっている。

 思ったより、ダメージの蓄積が大きい。

 

『うそ……艦戦?』

『光って、る……のです?』

 

 夜間に聞こえるはずの無い轟音。

 最初、耳鳴り程度だったそれは、みるみる、腹腔を震わせるレシプロエンジンの轟きに変わり、頭上を飛び越してゆく。

 

(零戦、と、流星?)

 

 蒼白い燐光を曳いた数十機の編隊は、二手に分かれ、片方がぱっと、更に小分けに散開する。

 零戦は敵艦戦と格闘戦に入り、流星は護衛機を引き連れて雷撃体勢だ。

 頭が混乱する。

 強い鈍痛に刺されて、初めて左手をまさぐっていた事に気がつく。

 力の抜けた指にまだ細くて硬いリングが収まっているのが分かり、安堵を感じる。

 兎に角、何故かは分からないが、充分な航空支援があるのだ。

 機会を逃してはならない。

 

『電、自力航行可能ですか?』

『何とか、動けるのです』

『私は、叢雲ちゃんを載せるわ!』

 

 支援艦隊の天龍も、下半身を喪失して漂流していた龍田の回収に成功した様だ。

 

『私に合流して下さい、体勢を立て直し、撤退します』

 

 不意に、イメージが割り込んだ。

 

「……最終段階初期、突然、出火点不明の蒼白い炎による火災が発生する、これらの炎には通常の水、化学消化剤を用いた消化は効果が無く、海水による消化を試みた場合、燃焼が促進される、幾つかのケースでは高速修復剤が消火剤として効果があったという記載あり」

 

 会話ではない、記された書類のイメージ。

 

『夕張さん……何、を言っているの……です?』

『そっちへ行くから!すぐ……なんとかして』

 

 困惑した電達の言葉には応えず、夕張は読み上げ続ける。

 

「……この熱を奪う炎は、艤装に対しては金属を融解、変質せしめ、擬体に対しては色素を奪い、皮膚、毛髪を白化せしめる効果を持つ」

 

(特殊火災……)

 

 暁に発生した火災を、夕張はそう呼称した。

 

「この段階で、著しい身体能力の上昇が見られる……最終段階の末期では、火災は一旦鎮火し、活動停止状態となるが、やがて、再度出火が発生する、末期で発生する火災は内部火災であり、艤装、擬体の開口部からの炎の噴出にて確認できる……この火災は短時間で鎮火するが」

「……末期火災の後はどうなる、いや、“どうする”んだい?」

 

『ダメよ!』

『止めて!』

 

 殆ど、一瞬の事だった。

 いつの間にか回頭していた響の連装広角砲が発射される。

 射線は真っ直ぐ、夕張を貫いていた。

 気がつけば、体が回転し、動かぬ腕を鞭の様にしならせている。

 確かに射出物を捕らえた感覚。

 意識の空白ができる程の激痛と共に、腕が千切れ飛び、左半身のバランスが崩れる。

 重ねる様に轟いた銃声は少し静かだった。

 既に艤装と擬体の合一を失った体に鉄球が降り注ぎ、めり込んだ玉が骨を砕き、肉を潰し、皮が引き裂かれる。

 勝手に体が丸まり、水面から脚が離れた。

 空が傾く。

 体の周りで、塩辛い水しぶきが上がった。

 水の冷たさと、赤熱した鉄球が臓腑で転がり回る激痛が意識を引き戻す。

 月が赤い。

 

(立つ……)

 

 腹部の痛みが激化し、肺腑から溢れ出た血が喀血で絞り出される。

 咳が止まらない。

 胸が灼ける。

 炎を呼吸している様な熱。

 体が勝手に捻れる感覚。

 歪む。

 

『ダメ!ダメッ!響、何してるのよ!』

『神通さん!』

 

 海面に右腕を圧しつけ、血を吐きながら膝を立てる。

 腹部に貯まった鉄球が触れ合い、かちかちと蠢いた。

 声が出ない。

 

(今日も、皆を無事に連れ帰ってくれたな、ありがとう)

 

 誰の言葉だろう。

 

『……てい、とく』

 

 視界が暗い。

 血を失いすぎた。

 

(帰す……この……子、皆を、あと……)

 

 遠くなる音の中で、水の滴る音だけが妙に響いている。

 

『ご……誤射、はっ、せい……とく、お願い、し……』

 

 まだ、言わなくてはならない事があるのに、思い出せない。

 左腕がどこへ行ったのか、酷く気になる。

 左腕には、大事な、大事な。

 あの人から貰った。

 水音が止まらない。

 一目、また、最後に。

 

「大丈夫、お前は充分頑張った……もう、みんなで帰れるんだ」

 

 逞しい腕と肩に身を委ねる幻をみた。

 懐かしい、あの笑顔。

 もう一度、一目だけ。

 

 

【ポイントチャーリー・交戦海域 夕張・提督は時の氏神】

 

 

 深海棲艦への変異事例、最終段階。

 一時鎮火した後に訪れる内部火災には、高速修復剤をかけるだけでは足りない。

 変異した暁をあの子達は撃てない。

 

 みんな死ぬ。

 

 守ろうとした妹達を、暁が殺す。

 私は、そうなった事例を“知っている”。

 防ぐ責任があった。

 コードMKIプロトコル。

 あれは、存在を認めてはならないもの。

 引き金が酷く重かった。

 響が私を撃ったのは当然の事だ。

 でも、神通さんを巻き込んでしまったのが辛い。

 至近距離から、二番ゲージ散弾を二発も擬体に撃ち込まれるのは、それだけでも想像を絶する痛みだ。

 全長40cm以上の強装弾、実包の中にはピンポン球を少し小さくした程度の鉄球が計9粒、それがが二射だから、計18粒、人間なら上半身がまるまる無くっている。

 彼女の様な、擬体と艤装が殆ど一体化している艦娘であれば、多少は軽減されるとは言え、もう、立てはしないだろう。

 こちらも、最後の一射で左肩を粉砕されて、もう動かない。

 衝撃で、第一射は明後日の方向に飛んでいってしまった。

 しかし、同時発射した四本の魚雷は全弾が命中コースに乗っている。

 九三式酸素魚雷。

 たとえ、暁が姫、水鬼級へ変異していたとしても、相応の損傷を与える筈だ。

 魚雷はもう無い。

 響にもう一度撃たれる前に、20.3cm連装砲の再装填は間に合うだろうか。

 10cm連装広角砲の直撃に耐えきる自信は無い。

 再装填を急ぎながら目をしばたたき、かすみ始めた視界で、暁の姿を捕らえる。

 最後まで、自分のもたらした結果は見届けなくてはならない。

 記録し、伝え、分析する。

 それが、抹消される記録だとしても。

 最期まで、記憶にだけは焼き付けよう。

 装填の完了と同時に、右手の人差し指が引き金を絞る。

 撃発とほぼ同時に、白い影が射線に飛び込んできた。

 響の防楯が火花を散らしながら吹き飛び、背後で幾本もの水柱が盛り上がる。

 随分近い。

 

「Прощайте(プラシャーイチェ)」

 

 残されていた砲塔で甲高い金属音が響き、止まらなかった弾頭が艤装の内部を抉り抜きながら、側面へ貫通する。

 

(爆雷……そっか)

 

 響を甘く見過ぎていた。

 散弾を撃った後、ありったけの爆雷を魚雷のコースに散布して、移動していたのだ。

 魚雷は破壊できないかも知れないが、コースは逸れてしまったかも知れない。

 擬体を撃たれた時とは又違う激痛に朦朧としながら、既に背を向けかけている響を見る。

 もう、武器はなく、動けもしない。

 だが、暁の足下で確かに二つの水柱が上がった。

 出足くらいは鈍るかも知れない。

 

『……提督、電達を撤退、させて、まだ、間に合うかも……艦攻で、集中……』

 

 言葉が途切れる。

 

「Вы кто?」

 

 水柱が途切れた後、跪いていた人影が立ち上がるのが見えた。

 焼け焦げ、ずたずたになった布切れは、辛うじて、提督が一般的に身につけている制服なのが分かるが、本来白地の布はべったりと赤く染まっている。

 

『牟田浜……提督?』

 

 自然と声が出た。

 この人は提督だ。

 でも、何故そう思ったのか、制服だけではない。

 制服など無くても、きっと提督と認識していた筈だ。

 妙な、確信がある。

 

(私の提督……は、東、赤?……え……誰?)

 

 棒立ちになっている響に、スピードを殺さずに横付けした雷が、艤装を叩き付ける様にして組み付く。

 やや遅れて、反対側へ電がしがみついた。

 響は抵抗せずに、呆然と、視線を送っている。

 私も同様に、焦点が定まらない視線が許す限り注視していた。

 海の上に立った、男が振り向く。

 その腕には、艤装を格納した暁が抱かれていた。

 遅れて気がついた雷と電も、響に抱きついたまま、呆然とそれを見ている。

 まだ、目鼻、口、耳から炎が上がったままの暁を抱えたまま、ゆっくりと歩み寄ってくる男を、皆、動けずにただ、眼で追った。

 

「ついておいで」

 

 響達の横を通り抜ける時、はっきりとした声が、耳を打った。

 弾かれた様に電と雷が響から離れ、急ぎ足で後を追う。

 男は響達を従えたまま歩き、異様な角度に体を傾がせている神通さんの横までゆくと、暁をおろした。

 それが終わると、眼を半分見開いたままの神通さんの頬をそっと手で挟んで何かを囁きかけてから軽く抱きしめ、背中を叩く。

 神通さんの体からがくりと力が抜け、斜めに伸ばされていた腕が垂れ下がる。

 男は、背中と膝裏に手を回すと、神通さんの体をひょいと持ち上げて、暁の横に寝かせてしまった。

 海を“掴んだまま”気を失った艦娘を海面から引き剥がすのは本来かなり厄介な作業になる。

 撤退戦の途中であれば、それだけで雷撃処分の対象になりかねない程のアクシデントだ。

 実際、あそこまで簡単にやってのけるのは、気合いで人を吹き飛ばすレベルのオカルト。

 まぁ、そもそも、人が艦娘みたいに海を歩いている事自体おかしいが。

 いや、それを言うなら、背中で庇って魚雷を無効化できる人間など居ないだろう。

 

(夢?)

 

 夢にしては、激痛がリアル過ぎる。

 今にも、痛みと脱力で意識が無くなりかけている程だ。

 それとも、死に際に見ている幻想か何かなのだろうか。

 男は横たえた神通さんの横に膝を付き、肘の少し上から失われた腕を持ち上げている所だ。

 不意に轟いた砲声に、全員が一瞬、警戒態勢に入った。

 

「おいおい、うっそだろ……」

 

 支援艦隊の天龍さんのつぶやきに混じって、千切れとんだ腕が海面へ衝突する控えめな音が響く。

 男が掴んでいた神通さんの左腕は、何事も無かったかの様に、そこにあった。

 掴んだ手を額に押し当て、激痛に身を折っている男の左腕は、湯気の様な煙と血を吐き、喪われていた。

 まるで、代償の様に。

 雷が息をのみ、声にならない、悲鳴の様な音を発し、すぐに飲み込んだ。

 背筋を震わせながら、男は神通さんの胸前に手をそっとおろす。

 薬指に、夜闇の中でも時折きらりと光る結婚指輪がしっかりとはまっているのが分かった。

 男は少し呼吸を整えると、今度は、残った右腕を神通さんの胸に当てる。

 腹に響く銃声が二発。

 吹っ飛んだ体を、駆け寄った電と雷が助け起こす。

 

「血が……」

「死んじゃうわ!……こんなの、なんでよ?ダメよ」

 

 蒼白になった雷の肩を男は励ます様に叩いて首を振り、電の手を握る。

 半身を起こした体に引っかかった白い礼装の布切れが、胸と腹部で真っ赤に染まっている。

 

「司令官、暁を……」

 

 とぼとぼと歩いて近寄っていた響が、それ以上声にならず、手のひらで、ぐしぐしと、涙でぐちゃぐちゃになった顔を拭う。

 

(ていとく?……)

 

 顔を上げた“提督”は、安心させる様に頷きかけ、電の手を借りて立ち上がる。

 体が勝手に痙攣する程の激痛。

 超人的な努力を払って直立し、“提督”は響の顔をハンカチで拭った。

 

『おまえは、もう、一人にはならん!』

 

 その言葉は、はっきりと“内線”から聞こえた。

 “提督”はふらつきながらも、電の肩を借りて、暁の傍らに何とか座り込み、右手を額に当てた。

 次の瞬間、肉の焼ける不快な臭気と、明らかな苦鳴が漏れる。

 

「司令官……」

「そんな……」

「え……?」

 

 “提督”の顔、眼、鼻、口、耳、暁と同じ所から炎が噴き出していた。

 だが、こちらは、熱のない炎ではなく、はっきりと、肉を焼いている。

 電達が悲鳴をかみ殺す。

 自分達の擬体が傷つくのと、人間の体が傷つくの見る感覚は全然違う。

 手ひどく傷ついても、その内、擬体は治るものだ。

 だが、人間の肉体損傷は不可逆。

 “提督”の体は、明らかに想像を絶した苦痛に震えていた。

 でも、暁の額に当てた手は貼り付いた様に動かない。

 蒼白い炎の火勢が弱まるのにつれて、“提督”から漏れる炎の火勢も弱くなる。

 いつの間にか、“提督”の手は暁の頭を優しく撫でていた。

 

『今度は皆で帰るんだぞ』

 

 不意に力を失った“提督”の体が崩れ落ちる。

 咄嗟に支えようとした雷の腕の中で“提督”の体はぼろぼろと崩れ落ち、崩れた炭と灰が海面へ流れてゆく。

 

「うそ……」

「暁!」

「暁ちゃん?」

 

 響達の悲鳴に意識が引き戻される。

 蒼白い炎の噴出が止まった暁の全身から、今度は蒸気が噴き出していた。

 さっきのはオカルトだったが、これなら分かる、この症状は。

 

『冷却水、冷却水が無くなりかけ、早く……』

 

 意外と軽視されがちだが、艦娘にとって水はボイラー缶に使われているだけではない。

 異常に加熱してゆく艤装を冷却する為、常に、水は消費されている。

 普通なら、そこまで簡単には枯渇しない、が、擬体の血液を大量に失ったり、常識を越えて、体を酷使した場合、希に発生する症状だ。

 

「兎に角、水をかけて!少しでも温度を下げなきゃ」

「分かったのです!」

「暁!艤装を展開して!起きてくれ!」

 

 肌を焼く熱も構わず、響が暁を助け起こして、頬を叩いている。

 雷と電は、一生懸命手で海水を掬って暁の体にかけ続けているが、じゅう、じゅうと音を立ててすぐに蒸発してしまう。

 もう少し近づけば、消火用の放水器が届く。

 だが、一歩踏み出したら、急に足下の支えが無くなってつんのめった。

 おかしい。

 波は穏やかだった。

 そんな急な段差はある訳がない。

 手で海面を探っても、特におかしな所はない。

 

「んあ……ひびきぃ、ひとりでおきられるわ……だいじょうぶよ」

 

 潮騒の音に混じって、脳天気な声が聞こえる。

 

「姉さん艤装を出して、そうしたら、もう少し寝ていてもいいから」

「……んん、しょうが、ないわね……ふぁ……ん」

「出てきたのです!」

「あつっ!蓋が灼けてるわ!」

「噴き出すよ、注意して……私はまだ水は余裕があるから」

「三人で少しずつ入れれば充分間に合うわ!」

「そうなのです、あ、ちょっとずつ入れないとふきこぼれちゃう」

 

 声からすると、大丈夫そうだ。

 しかし、月が雲にでも隠れたのだろうか。

 凄く、暗い。

 潮騒が近くに聞こえる。

 さっきの事を記録しなくては。

 収集し、分類し、分析する。

 

(私が居なくなっても、どこかの“私”が……きっと)

 

 

【ポイントチャーリー・制空確保海域 “翔鶴”・大破艦回収】

 

 

 蒼白い燐光を曳きながら艦戦が飛んでいる。

 先ほどまで、同様に蒼白い色を発していた月は、紅く染まっていた。

 既に砕けた青空は無く、赤黒い光が、星雲の様に蠢いている。

 

「オシカッタナ、アノチイサイノハ、ワルクナイ、アア、ワルクハナイ……アアイウノガ、ワレラノガワニモ、モットホシイモノダ」

 

 あの子は、自分から望んでこちらへ進んだ。

 しかし、“あの男”に引き戻された。

 そこに払われた代償は大きい。

 我々全員にとってもだ。

 空を見上げる。

 この虚構の世界を守っている薄皮の先に蠢く、化け物の触手が透けて見えるのではないか。

 そんな妄想に捕らわれそうだ。

 こんな事を考えるとは、“翔鶴”に取り込まれかけているのかも知れない。

 人間は我々の事こそを化け物と呼ぶ。

 化け物に恐れは要らない。

 

「ヨアケハ モウ、コナイダロウナ……コウナッテハ、モハヤジカンガナイ」

「テイトクトイウヤツラハ、イツモジャマヲ……シカシ、アアナッテハ、モハヤジャマデキマイガ」

 

 あの男、牟田浜という“世界”の支柱そのものが瀕死の状態では、もう長くは保たない。

 世界が滅ぶ前に自分を取り返さなくては、ヤツに見つけ出され喰われてしまうだろう。

 艦娘でも、深海棲艦でもない、あの化け物に。

 

「ソウダナ……」

「シカシ、マタ、イッセキ、シズンダナ」

 

 “瑞鶴”の言葉に手元へ目を落とすと、指に巻いたリボンが目に入った。

 “叢雲”が握り締めていたものだ。

 

「“ユウダチ”ノママシズンダ力、ワレラノモトニハモウ、モドランダロウナ」

「ソモソモ、ココデシズメバ、“ヤツ”ニクワレル、ワレラダロウト、カンムスダロウト、カワラナイダロウ」

 

 手を何回か、握ったり、ひっくり返したりしながら、鉤爪状の指が、細くて脆そうな形に戻ってゆくのを確認する。

 

「……あなたも、そろそろ戻っておきなさい“瑞鶴”、そろそろ、あの子達が合流してくるわ」

「モドル、力……」

 

 抜けそうになったリボンを締め直して顔を上げると、弓を下ろした“瑞鶴”が、目をすがめて、水平線に目をやっていた。

 “瑞鶴”の白化していた肌に血色が戻り、髪の毛が黒みを帯びてゆくと、瞳から紅い光も消えてゆく。

「あいつらから、たまに我々と等しくなる者もいる、我等からも……我等とあいつら、どれ程違う?」

 

 “瑞鶴”の視線の先には、足を喪失した“龍田”を背負い、“叢雲”を小脇に抱えた“天龍”が居た。

 

「ここではすべてがあやふやになる、あいつらも、我等も、いつまで“自分”で居られるの?」

 

 いらいらした様に髪の毛をかきむしる“瑞鶴”にため息をつく。

 本来の自分との違和感に自覚がある分、馴染んでいる他の者に比べてストレスが大きいのだろう。

 取り込まれる危険性は少ないが、その分、苦痛は大きい。

 

「今回、”引き揚げ屋”と契約したのは、そりゃあ、仕方ないよ……でも、ヤツは信用できない、あいつらを“引き揚げてる”からじゃなくて、我等もあいつらも……ヤツにとってはゲームの駒に過ぎないんじゃないかって……考えずには居られない、我、んん、私達だけじゃなくて、あいつらにとっても、ヤツは“敵”なんじゃないか、私達が殺し合うのを見てほくそ笑んでる、討つべきは……」

「“瑞鶴”!」

 

 肩を少し強めに叩くと、“瑞鶴”は顔を覆っていた左手を下ろした。

 

「どのみち、後少しだけのことよ……その間は“皮”を被っていなさい、ね、“瑞鶴”」

「はぁ……ん、わかったよ……“翔鶴姉”、これでいい?」

 

 “翔鶴”としての声を作ると、不服そうだが、一応、返事は返ってくる。

 まぁ、許容範囲だろう。

 

「ええ、でも、確かに、今回の作戦で喪ったものは大きい……」

 

 無表情に体を揺らす響を先頭に、即席の艦隊を組んだ回収組が横を通り過ぎて行く。

 響の後ろには、意識不明でうなだれたままの夕張を曳航した高雄が続いていた。

 不自然にしゃがんだまま曳航されている夕張の体が波に揺られる度に首がかくんと傾き、はねた水しぶきが血に汚れたダクトテープを洗う。

 血の気の失せた横顔は殆ど深海棲艦の膚色に近い質感を想起させた。

 夕張の後ろには、ゴム製の無転覆ボートを曳航した愛宕が続いている。

 上下のないゴム風船の箱は、左右を固めた雷と電の間で危なっかしく波間を跳ねていた。

 あの狭苦しい箱には、意識を回復していない神通と、瀕死の暁が詰め込まれている筈だ。

 東、いや、牟田浜水雷戦隊は、継戦能力を完全に喪失していた。

 今回、“皮”を半脱ぎした事で、あの化け物もこちらの存在に感づいたと考えるべきだ。

 

「血を流しすぎたわね……私達は何を得たのか、しっかり説明して貰いましょう」

 

 

【南の島?・お隣鎮守府 電・司令、あなたは誰なのです?】

 

 

 妙に靴音が響く。

 モノトーンで統一されたお洒落な模様のリノリウムに、くすみ一つ無い綺麗な壁紙。

 作戦会議の為に短時間立ち寄った時も少し、違和感を感じていたけど、改めて歩き回ってみると、なんだか本当に生活感の無い建物だ。

 お隣の鎮守府にもそれなりの数の艦娘と、鎮守府の職員達が生活していた筈なのに、何もかもが整然とし過ぎている。

 

「やっぱり、モデルハウスの中みたいなのです」

 

 誰か住んでいる様に整えられながら、誰も住んでいない。

 今は、不安定にちらつく蛍光灯の光が、更に不気味さを追加している。

 この程度の事で怖がるなど、まるで生まれたての娘みたいでおかしいのだが、正直、今は怖い。

 司令官の命令でお隣の鎮守府へ撤退した後、私達は結局そのまま居候する事になった。

 みんな酷い怪我をしていたし、暁はあんな状態だから、設備の整ったここに運び込んだのだけど。

 あれだけ、憧れていたリゾートホテルみたいな場所だったのに、今はあの、小さな鎮守府へ帰りたくてたまらない。

 天龍さんや、高雄さんか、叢雲さんに行き会えば少しは紛れるとは思うのだけど、ドックと工廠以外で行き会う事がないのも不思議だ。

 まるで、私生活が無いみたいな、ヘンな感じがする。

 

「でも、もう忘れ物はないのです」

 

 しばらくこちらでお世話になるという事で、雷と一緒に必要なものをリヤカー一杯に持ってきたばかりだ。 司令官からは、もう、戻れないつもりで何でも持ってくる様に言われたので、本当に積める限りみんなの持ち物と物資を満載してきてしまった。

 流石にもう戻る用事も無い。

 大体、暁の意識も戻っていないのに、ここを離れる事など出来ないのだ。

 微かに漂っている良い匂いの出所へ脚を早める。

 食堂の扉を開けると味噌と出汁の良い香りがふわりと溢れて、お腹のあたりがほっと暖かくなった。

 カウンターで仕切られている厨房の奥から漏れ聞こえる雷の鼻歌に、背筋の寒気が降りて行く気がする。

 従業員用のドアを開けて厨房に入ると、エプロンを着けた雷が背伸びしながら鍋をかき回していた。

 厨房は広くて凄く立派なのだけど、立派過ぎて調理台は雷には高すぎる様だ。

 まぁ、雷に高すぎるなら、自分にも高すぎるのだけども。

 

(後で、踏み台を探してみるのです)

 

「ごめんね、ごはん、もうちょっとかかるわ」

「ちょっと、響ちゃんへ何か持って行こうかと思ったのです」

 

 修理が完了した後、響は部屋に閉じこもったままだ。

 東司令は、皆が落ち着くまでは、色々な処理は保留すると言っていた。

 

(誤射とかあったけど、作戦は完了……でも、結局、物資は殆ど運べなかったのです)

 

 元々、うるさく言う人では無いけれど、今回は、まるで、作戦の成否自体に興味が無いか、他に目的があったみたいな不自然な感じがする。

 

「お握りを作っておいたわ」

 

 雷の視線を追うと、調理台の端に、お握りとたくわんをラップしたお皿と、お茶のペットボトルが載せられたお盆が置いてあった。

 スタンダードな醤油にねぎ味噌、それにひと工夫したごま油の、冷めても香ばしくて美味しい、丁寧に焼かれた焼きお握り。

 響も大好きなお弁当メニューだ。

 

「おいしそう、これなら響ちゃんも食べてくれるのです」

「だったらいいんだけど……後で持って行くつもりだったけど、そうね、お願いしちゃっていいかしら」

「引き受けたのです」

「ねぇ、私達……」

「え?」

「ごめん、なんでもないわ、響のとこに行った後にみんなを呼んできて、そろそろできるから」

「分かったのです」

 

 振り返らずに厨房を出て、後ろ手にドアを閉めた。

 雷がどんな言葉を呑み込んだのかは分かる。

 こんな異常な状況、みんな不安になって当然なのに。

 それでも、頑張れたのは、みんなを信じてきたから。

 でも、夕張さんは暁を撃った。

 あんなになっても、響を助けようとした暁を。

 殺す気で。

 響も夕張さんを撃った。

 殺すつもりだった訳じゃ無い。

 ただ、暁を助けたかっただけ。

 ちゃんとした理由がある。

 それは分かってるけど、聞くのは怖い。

 分かりたくは無い。

 でも、幽霊の様に消えてしまったもう一人の司令官。

 牟田浜司令が暁を助けてくれなかったら。

 もしも、暁がそうなってしまったら。

 私は、何が出来ただろう。

 

「誰も悪くなんてないのです……」

 

 きっと、全部、そんなぐちゃぐちゃを分かっていたから、司令は全部自分で呑み込んでくれたのだ。

 ほんの一瞬だったけど、牟田浜司令の目はとても優しかった。

 あの人は、間違い無く私達の“司令官”だ。

 まだ、少しもやもやしているけど、あの人との記憶は間違い無く心の中にある。

 でも、思い出そうとすると、心がざわざわするのだ。

 違うのだと。

 頭を撫でてくれた手は、違うのだ。

 もっと乱暴だけど、優しくて。

 

「司令官……あなたは誰なのです?」

 

 

 




 最後まで読んで頂きありがとうございます。
 次回はいつ投降出来るかな……頑張ります。

<オマケ>

・散弾発射筒
 ⇒元々、火砲の再装填が完了していない状態で接敵されてしまった際の緊急回避を目的として作成された装備。
  駆逐艦がよく装備している箱型の手持ち火砲の上部や、暁型の防楯裏の様に、咄嗟に敵に向けられる場所へ固定されている。
  形状としては、鉄パイプを束ねただけの様に見える素っ気ない代物で、口径は40mm程で後装式。
  手持ち砲に載せる比較的短いタイプでも実包が三十センチ程度あり、戦闘中の再装填はかなり困難。
  防楯裏に載せるタイプに至っては、場所が場所だけに、戦闘中、自力での再装填は不可能である。
  手順書には、相手の“顔”がはっきり認識出来る距離で、“殴りつける”様に撃てと書かれている。
  鉄球の粒はピンポン球をやや小さくした程度で、かなりの質量ではあるが、所詮散弾である為、装甲部位には効果が薄く、有効打を与えるには深海棲艦の口中、腹部、或いは非装甲の擬体部位を狙う必要がある。

・無転覆ボート
 ⇒艦娘の補助携行装備。
  ミニドラ缶位の大きさに折りたたまれた本体と、圧縮空気のガスボンベで構成されており、ワンタッチで膨らませる事ができる。
  時間はかかるが、艦娘なら息を吹き込んで膨らませる事も可能。
  上下の無い、ボートっぽい形をした箱で、自力航行出来なくなった艦娘や、それほどの重量がない積載物を曳航する為の装備。
  駆逐艦娘なら、大体3人まで詰め込める。
  錨の鎖を船首から通して内部の艦娘に固定する事で、両舷一杯で航行しても、問題無く曳航する事が可能、と、言われている。
  ただし、バナナボートなんか目じゃない位に波を跳ねる為、意識のある状態で中に艦娘を搭載するのは非推奨。
  人間を搭載するのは禁止されている。
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