しかし、そのダメージは(主に暁にとって)大きかった。
そして、神威鎮守府では、徐々に海からの呼び声の影響が出始めていた……
【暁の幻夢境・港湾棲姫鎮守府・廊下 東水雷戦隊と深海棲艦達】
「Hum……中々ToughなEarthquakeだ、“外”だったら、テレビTo○yoがAnime放送を中断してNewsを流すか検討していたかも知れないな」
座り込んだ東の周りには、色とりどりの艦娘達が転がっていた。
尻餅をついた程度の者から、うつ伏せに倒れている者まで被害は様々である。
「……地震じゃないわ」
足を崩した横座りの体制で額を押さえていた“翔鶴”が東の言葉を否定した。
「揺れたのは“世界”そのものよ……地震程度で“艦娘”も“私たち”も簡単に気を失ったりしない」
「だね、どんな手を使ったか知らないけど、“外”じゃ、相当荒っぽい手を使ったみたいだね……もしかして、思いっきりぶんなぐった?」
“翔鶴”の隣で身を起こした“瑞鶴”が周囲を見回して首を捻っている。 確かに転がっている人員の半分以上は完全に伸びてる様だ。
「ふぁ……」
そんな中、脳天気な欠伸の音が響く。
それは、艤装を出したまま女の子座りになっている暁が発したものだった。
顔の半分を口にする程の大あくびは脳天気そのものだ。
思わず駆け寄ろうとした響を、独り片膝をついた体勢で耐え切っていた神通が、すっ、と手を出して止める。
「Good morning Lady」
でっかい欠伸をして目をこする暁に、東は座ったまま手を上げる。
「んう……しれ~かん、ふぁ…おはようございます」
暁はまだ口をむにゃむにゃしながら、東に挨拶を返す。
もう、完全に寝ぼけている。
「hum……Lady、最後に憶えてるのはどの辺りからかな?」
「えっと……」
「暁、直近の作戦行動について報告せよ」
まどろみに抵抗しながら記憶を探っていた暁の意識を、凛とした声が瞬時に覚醒領域へ引っ張り上げた。
「報告します!……“みつばち作戦”で島から撤退後、警備艦隊と交戦で響とニ級を共同撃沈、ッ級、夕張の支援砲火にて撃沈確認、二級、隣の鎮守府の夕立、叢雲の支援砲火にて撃沈確認、PT小鬼を撃破、浮遊忌雷源突破、戦艦水鬼を私が……撃……沈?」
直立不動ではきはきと報告を始めた暁の言葉が急に失速して霧散し、戸惑った様に下ろされる手が優しく包み込まれる。
「いいんだ、姉さん……おかえり」
「ただいま……?」
暁は響に手を握られたまま周囲の惨状を見回し、また首を捻った。
「ふふ……“憑き物”はすっかり落ちたみたいだね」
「何なのよ?もう」
「いいのさ、何でも」
【択捉島・神威鎮守府 明石と不知火達】
「あかんわぁ、へこんでしもた」
「えーと、できればここまでヤる前に呼んで貰いたかったかなぁ……」
深夜に呼び出されて目の下を擦っていた明石は、金属バットを一心にウエスで磨いている黒潮の前であくび混じりの溜め息をついた。
「想定以上の強敵でした、無傷での捕縛は……非常に困難だったと言えます」
「まぁ、うん……そうね、場数踏んでるなぁ、とは思ったわ」
いつも通り生真面目な表情のまま、軍隊式の“休め”体勢で直立した不知火だが、言葉の間は普段より何拍か余分に空いている。
“上官命令”で金剛の膝枕にのせられている陽炎に視線を向けると、額にかけられた修復材湿布をさっと下ろして目を隠してしまった。
改めて目線を戻してクレーンに吊されたものを見る。
脱力しきったそれは、首が真っ直ぐ伸びていれば、首つり死体に見えそうな代物だったが、静かに聞こえる発動機の唸りがまだ“生きている”事を主張していた。
「頭骨と頸椎は粉砕骨折、右肩は脱臼……鎖骨は両方複雑骨折、艤装は、多分新しい傷は煙突がちょっとへこんだ位……かなぁ」
クレーンを操作して艦娘用のレントゲンを撮り、目視と打診も加えながら“暁”の損傷状況をざっと確認してゆく。
「なんか、ど派手に壊れた跡がありますね……あちこちに土が入り込んでる、まるで土の下にでも埋めてたみたいに」
「いやいや、そんな訳ないじゃ無いですか、」
眉を顰める明石の言葉を、手をひらひら振りながら青葉は否定する。
「土葬されちゃったら、流石に“私達でも死んじゃいます”よ~」
「まぁ、そうですけど」
そう簡単には“死なない”艦娘を活動停止状態へ追い込める数少ない手段、それは“窒息”だ。
酸欠で機関の“火”が完全に落ちれば擬体の維持はできず、泡と消える。
(まるで人魚姫みたいですよねぇ)
残酷な童話のヒロイン。
現実になってしまえば、情緒もなくただ残酷なだけだ。
(とりあえず、“お姫様”のお色直ししますかねぇ……)
ぱしゃりとシャッターを切る音で夢想から覚めた明石はクレーンを操作するのだった。
【択捉島・神威鎮守府 天龍】
「んあ……」
翌日が休暇と言うこともあり、何の憂いもない眠りについていた天龍は、何ともいえない違和感に眉をひそめた。
折角の安らかな眠りに未練を感じながらも嫌々目を開くと、目の前に顔があった。
「うぉっ!」
闇の中、逆しまに覗き込む人形じみて整った貌(かお)。
普通絶叫する所を、うめき声一つに抑えた自分をほめてやりたい。
「……ったく、ふわぁ、ビビらせんじゃねぇよ」
アルカイックスマイルを浮かべている相棒を押しのけて身を起こし、天龍は大きく伸びをする。
一寸横になるつもりだけだったのに、仮眠室でそのまま寝入ってしまっていた様だ。
夜勤明けだったので昼間から寝てた筈だが、もう外はすっかり暗い。
時計をちらりと見ると、まだ日は跨いでいない様だ。
「結構寝たな……」
艦娘としては、擬体の疲れよりも精神的な疲れの方が影響しやすい。
ここ最近気疲れしていたのかも知れない。
「天龍ちゃん、いい顔で寝てたわよ」
「よせやい」
にっこり微笑む龍田に鼻を鳴らし、いつもの眼帯をつける。
大分寝過ごしてしまった気はするが、何はともあれ、明日は休暇なのだ。
少しは満喫することにしよう。
「取りあえず……たっぷり寝た事だし、フロ、メシだぜ」
仮眠室のロッカーに置きっぱなしになっている入浴セットと、枕元に置いていた大剣を手に取り、シャワー室へ向かう。
官舎まで帰れば湯船に浸かれるが、寝起きの風呂上がりで飯を準備するのも億劫だ。
でも、休みの最初からコンビニ飯もちょっと寂しい。
誰かの手作りの温かい飯が喰いたい気分だ。
この鎮守府は、こんな時間でも夜間シフト者向けに食堂が縮小メニューで細々と営業している。
いつも通りなら、カレーとうどん、後は何か煮物系か、牛丼辺りにありつける筈。
(ビールで軽く一杯ってのも悪くねぇよな)
入浴セットを手にした龍田は斜め後ろをついてくる。
彼女も明日は休暇だった筈だ
お互い別の海上護衛艦隊を率いている為、ここの所、一緒に休日を過ごしていなかった。
彼女も少し、物寂しさを感じていたのかも知れない。
脱衣所で服を脱いでシャワー室のドアを開けると、楽しげな笑い声が聞こえてきた。
「ガキ(駆逐艦)共か?」
シャワーブースは広くはないが、少女二人位なら少し狭い思いをすれば、洗いっこしてじゃれあう事程度はできる。
「ったく……」
外見的に齢を重ねる事の無い艦娘達は“中身”が成人しても外観通りの若々しい感性を保つ個体もそれなりに多い。
悪く言えば子供っぽさが抜けにくいのだ。
それは特に“年少組”に分類される駆逐艦、海防艦において顕著である。
“年長組”に分類される、戦艦、正規空母はややすると“年少組”には割と甘くしてしまったり、恐縮させ過ぎたりしてしまう程度には距離感がある為、その辺を程々に引き締めて指導する役割を期待されるのはもっと距離感の近い軽巡、重巡級となるのだ。
天龍もその例に漏れず、“ガキ共”こと、駆逐艦や海防艦の指導を日常的に行っている。
「あ~、ちったあ静かに……って、何してんだ?」
軽く声をかけようとした天龍は、ブースの戸を開け放したままシャワーを浴びている時雨の姿を見て、思わず声のトーンを落とした。
制服と艤装から水を滴らせながら両手を掲げていた時雨はゆっくりと振り向き、微笑みかける。
「いい雨……だね、山城」
「いや、雨じゃねぇし、つーか、山城サンでもねぇよ」
思わず突っ込んでしまった。
どこか焦点のあっていない目で微笑み、服を着て、しかも艤装まで展開した状態でシャワーを浴び続けている時雨の様子はかなり異常だ。
艦娘達が担う任務の過酷さ故に精神を病む娘はそれなりに居るが、時雨のこんな様子は初めて見る。
(取りあえず、連絡だけはしとくかぁ……)
「雨はいつか、止むさ……」
「おう、栓を捻りゃな」
両手を掲げたままゆっくりとシャワーブースで回転し出した時雨を置いて脱衣所へ戻った天龍は当直室へ電話をかけ、時雨の回収を依頼する。
「……休みだっつーのに、いきなり疲れたな」
シャワーを浴びてさっぱりしている内に、最上が時雨を回収していった。
取りあえず手を離れたので一安心である。
「さて……メシ、メシ」
食堂に行ってみると、妙に騒がしい。
「おうおう、せーだいにやってるじゃねぇか」
食堂の窓から見える中庭、レクリエーションスペースとして解放されているそこを占拠した集団、千歳、隼鷹、Ranger、那智、Polaからなるアル中艦隊が気勢を上げてる。
寒空の中、露天に置かれたテーブル上には、大量の空になった酒瓶と肴の皿に漏斗、柿の種やポテトチップ等の乾きものつまみ類の袋が散らばっていた。
少々気が緩み過ぎな気もするが、まぁ、別に非番中の呑み会が禁止されてる訳でもなし。
ただ、食堂の空気まで物理的にも完全に居酒屋の臭いに染まって、もうアルコールの臭いだけで火がつきそうな気がするだけだ。
「ったく、こっちまで本格的に呑みたくなるじゃねぇか」
「良いんじゃないかしら、天龍ちゃんもお休みでしょ?」
言われてみればそうである。
つい夜勤気分で愚痴ってしまったが、今日はもう非番なのだ。
一杯やっても別に問題はない。
「ま、とりあえず軽くひっかけて、帰ってからゆっくりやっか」
料理を貰いにカウンターに向かった天龍は、背後からがっしりと肩を掴まれる。
「えー、ここで呑んでけばいいじゃーん」
「そーですよ、お酒おいしーんです」
「うふふ……みんなで呑むお酒は美味しいですね」
「そうだぞ、駆けつけ三杯だ」
「うふ、Nice to meet you、てんりゅー、 Drinker's together!」
「いつの間に!」
気がつくと左右からPolaと隼鷹に挟まれている。
滅茶苦茶酒臭い。
(こいつら、窓から入って来やがったな……)
まるでホラーゲームのクリーチャーである。
「うおっ、寒っ!」
ひょいと担ぎ上げられて外に持ち出されて、気がついたらテーブル席に座らされていた。
手に握らされたコップに、とぷとぷとアルコールが注がれていく。
「ったく、ちょっと腹に何か入れてからにしてぇんだけどな」
もう、断るのが面倒くさい。
とりあえず目に付いたねぎぬたを一口食べる。
空腹も手伝って、中々にうまい。
まぁ、別に天龍とて酒が嫌いな訳でも無いから、おごり酒は貰っておく事にする。
気を取り直して、ぐびりとやった瞬間、違和感が鼻を抜け、喉を灼いて降りてきた。
たしかに、アルコールはアルコールだ。
だが、幾ら何でも薬くさすぎるというか、風味もクソも無い純粋なアレの味がする。
今、タバコをすったら火を噴きそうだ。
「なんじゃこりゃー!」
「これ、燃料ね……」
天龍の手から取ったコップの臭いを嗅いだ龍田が呟く。
「マジか!……こっちもかよ!」
テーブルから食堂のコップをひったくってぐいっと煽った天龍は、勢いよく隼鷹の顔面に霧を吹く。
「うわー!」
「Ranger!Ranger!」
唐突な酒攻撃を食らってひっくり返る隼鷹に触発されたのか、Rangerはきゃっきゃ笑いながらマグカップみたいに掴んだ四角いポリ容器から謎の液体を直にぐいぐいあおり始めた。
どう見ても、飲用可能な液体を保存する為の容器とは思えないそれには、どうやら焦げ茶色の液体がたっぷり入ってるらしい。
側面に貼られたシールには黒い馬のイラストと“DarkBooster”という商品名が印刷されている。
(おいおいおい、まさか不凍液とかじゃねぇだろうな?……幼女化するか酒乱になるのか、どっちかにしやがれ……ちくしょう)
「あ~、Polaそれ知ってます、カブーキの毒霧ですね~……あー!」
脳天気に手をたたいていたPolaはおかわりを注ごうと手に取ったワイン瓶が空になっているのを見て悲しそうに声を上げる。
「よし、まってろ、次を入れてやる」
うんうんと頷きながらPolaの肩を叩いた那智がひょいと、テーブルの上から漏斗をとりワイン瓶の口に差し込む。
「わぁ、ありがとうございま~す」
まるで杯に一杯注いで貰う様な調子で差し出された漏斗に向けて、テーブルの下からすっ、と取り出された一斗缶が傾けられ、透明な液体がどっぽどっぽとぶち込まれていく。
『メタノール 99.9%』
ごく当たり前の視線の動きで一斗缶のラベルに目をやった天龍は、ざざっとテーブルから距離をとる。
「ば、ばっかやろう!メチルじゃねぇか!」
「あらあら、銀蠅はだめよぉ」
「当たり前だ、私物にきまっているだろう、貰い物を放置してたのを思い出してな、在庫処分と言った所だ、私たちなら呑めん事は無いからな、一部では艦娘用の“健康飲料”として出回っているらしいが、まぁ、非番の日しか呑まんようにはしてる」
叫んでいる天龍をよそに、妙に冷静な会話を始める龍田と那智。
「最初からだと口当たりがきついので、一升以上開けてからにするのがコツですねぇ」
「いや、だから、呑むなよ!」
お茶で口を濯いで立ち直った天龍は、うんうんと頷いている千歳に叫ぶ。
艦娘は毒物に強い、というか、飲み下せるものなら大抵のものは摂取できる。
艦娘にとって、食べる、イコール、本体の艤装にある缶で燃やす事なので、燃やして何とかなるものなら何とかなってしまうのである。
「あ゛ー、きもちわりぃ……」
しかし、だ。
天龍は外気できんきんに冷えてるサイダーを開けて口を洗う。
口に入れられるのと、口に入れたいのとは天と地ほども違うのだ。
味覚のない炉にぶち込むのではなく、人としての味覚に縛られた艦娘の身には、ガチの燃料は荷が重い。
「へへへ~、慣れるとおいしーですよぉ、」
「いや、流石に慣れるまで呑みたい訳ではないが……」
顔を顰(しか)めながらも、那智のコップを傾ける手は止まらない。
「いやいや、流石にそこまで補給滞ってねぇだろ」
南海の孤島ならともかく、北海道からほど近い場所にある単冠泊地は嗜好品に購入制限がついたり、配給制になったりする事はない。
離島故、少々お高い送料を払う必要はあるが、内地と変わらないお買い物ライフを満喫できる。
「お酒ッ!呑まずにはいられません~ん、あ~、手が震えちゃいますぅ」
「おい、アル中!こぼれてっぞ」
瓶とグラスをカタカタ震わせながら、酒を注ぐイタリア重巡につっこみながら、龍田が注いでくれたまともな酒を天龍はぐいっと飲む。
「なんか、今夜は酒が進むぜ……」
しかし、酒はすすむのに、全然酔いが回ってこない。
頭は酒を求めてるのに、体は酔いたがってない様な、休日なのに休日気分になれない様な微妙な心地。
結局、駆けつけ三杯の義理だけ果たし、天龍達は宴を後にする。
「さて……ま、こういう時にゃ、軽く体を動かして寝ちまうかぁ、日が上がりゃ気分も変わんだろ」
天龍はエレベーターに乗り込み、泊地の地下体育館へ移動する。
地下に造られた広々とした空間、そこは、基地の地下空間では浅層にあたり、非戦闘員の緊急避難シェルターとして造られたものだ。
だが、普段はその堅牢な構造を利用した、艦娘向けのトレーニングスペースとして解放されている。
“生まれたとき”から体が出来上がっている艦娘には筋トレ等は不要だが、人を模した“擬体”を自在に操るには運動の経験値が必要なのだ。
あと、単純に体を適度に動かすのは気持ちいい。
艦娘が普通の家屋でちょっと強めに跳んだりはねたりしようものなら、床は踏み抜かれ、壁は崩壊する事間違いなしだが、その点、分厚いコンクリと補強が入ったここなら、安心して運動に励める訳だ。
「割と使ってんな……」
日中の業務終了時間後の為か、体育館ではそれなりの数の艦娘達がそれぞれ運動に興じていた。
(ま、いっちょ、軽く素振りからいってみっか……)
『ぐるるるるるる……』
「ん?」
辺りを見回して剣を振るえる場所を物色する天龍の耳が、場違いなうなり声めいた音を拾う。
「犬の散歩でもさせてんのか?」
一瞬そう思うが、それはない筈であった。
この体育館、シェルター運用以外では艦娘以外立ち入り禁止である。
何故なら、危険なので。
ちょっと本気で走り込んでいる艦娘に“轢かれ”でもしたら、“全身を強く打って”殉職という事態になりかねない。
当然、ペット同伴も同様の理由で禁止となっている。
「なんだありゃ?」
武道用に畳が敷かれた一角で、刺し子と袴……どっちも真っ黒な道着姿の鳳翔が静かに佇んでおり、その周囲を殆ど四つん這いに近い前傾姿勢の夕立がぐるぐると歩き回っていた。
低速回転の発動機が発する様な唸りは夕立から放たれている。
「おいおいおい、なんでマジモードなんだよ」
夕立と言う艦娘は、普段はまるで人懐っこい大型犬の様な生き物だ。
だが、いざ実戦になると、人格が入れ替わった様に獰猛さを発揮し、いの一番に敵に突っ込んでゆく。
天龍も彼女が指揮下に入っている時は必ず押さえ役の“相方”を配する様腐心していたものだ。
「あらあら~、元気ねぇ」
妙に楽しげな龍田の呟きと合わせた様に、夕立が加速した。
一瞬。
予備動作と言える程の動きもなく鳳翔の左斜め後ろから襲いかかった夕立の体が宙を”回る”。
どーん。
何とも形容しがたい、肉と石の激突音。
それは、耳どころではなく、腹の底を震わせる響き。
鳳翔の右手側の壁に叩きつけられた夕立は地面に落下するのとほぼ同時に“跳ねた”。
垂直落下からの横方向へ、ほぼ直角となる方向転換。
「浅い……いや」
突風の様に鳳翔の足下を通り過ぎる夕立、左腕を振り抜いた体勢の頭に、優しくすらある緩やかな動きで鳳翔の手が添えられる。
一瞬の攻防の末、夕立の体は左側、鳳翔の立ち位置からすればその背後へ勢いよく跳んでいた。
(いやいやいや、一体どうやったらああなんだよ……マジで)
壁に弾かれる様に夕立が跳ぶ。
今度は高い。
天井を蹴って、鳳翔の直上から襲いかかる夕立の背へ優しくのばされた手が撫でるように動く。
それだけで、下に向いていたベクトルが直角へ転じた。
直立したまま一歩も動かぬ鳳翔の背後へ吹っ飛んだ夕立は壁を蹴り更に跳ぶ。
今度は鳳翔の背後へ四つん這いで降り立ち、一気に跳ね上がる。
その頭を待ち受けていたのは、“なでなで”だった。
まるで、後ろからじゃれかかる犬の頭を撫でる様なその仕草。
なんでもない、その触れるか触れないかの刹那で、夕立の体は激しい横回転を起こし、真横へ跳んでいた。
どう考えても、跳ね上がった時の数倍の勢いが付いた回転に達したまま、夕立の体がコンクリベトンは激突する。
一際大きな衝突音に、部屋全体の揺れ。
そして、何かが決定的な崩壊を起こしたくぐもった粉砕音。
「あらあらあら、痛かったでしょう?ごめんなさいね、あんまり元気が良いから、強く撫で過ぎちゃいましたね」
少し困惑した様に頬に手を当てた鳳翔の視線の先では、残された片手と片足でじたばたともがく夕立の姿があった。
どうやら受け身を取れずに叩きつけられたせいで、腕と足を一本ずつ持って行かれたらしい。
艦娘といえども、ぶらんぶらんになるまで骨が粉砕されれば手足は動かない。
流石にゲームセットだ。
「今日はいつになく落ち着きがないみたいだったので、軽く遊んでから寝かしつけようと思ったんですが失敗しちゃいました、駄目ですねぇ、勘が鈍っちゃって」
「おいおい……遊びは遊びでも、Dr.ス○ンプア○レちゃんの“はげしくプロレスごっこしてあげなさいっ!!”って奴じゃねぇか……」
まったくいつもと変わらぬほわほわ具合の鳳翔に天龍は若干口元をひきつらせながら、未だにうーうー唸りながら、工廠の当番隊員に担架で運び出されてゆく夕立を見送るのであった。
「あ~、こぇぇもん見たなぁ」
そそくさと惨劇の場を離れた天龍は、今度は刀掛けが備え付けられた剣術コーナーへ足を向ける。
すると、ここでも先客がおり、伊勢と日向が真剣を手にして立ち会いの真っ最中らしい。
「おお、いいねぇ」
二人の手にした真剣は刃引きなどされていないが、並の武器など跳ね返す素肌の艦娘にとっては、そんなものペーパーナイフと変わらない。
木刀でなく真剣を使うのは訓練の中に実戦の空気を持ち込む為のフレーバーなのだ。
まぁ、本気で艦娘がただ刀を振るえば、間違いなく刀身が折れとぶので、周囲に人が居る時にはやらないが。
伊勢と日向は互いに静かに構えたまま、じわりじわりと、立ち位置を変え、構えを移ろわせ、僅かづつ体勢を変えてゆく。
端から見れば、それはまるで、謎のボディランゲージで語らっている様に見えなくもない。
裂帛の気合いも無ければ、丁々発止の斬り合いもないその空間は、地味極まりなく、素人目には大層つまらないものであった。
が、それなりに剣を使う天龍から見れば、互いに、先の先を徹底的に潰しあい、隙あらば後の先をねじ込もうとし、更にそれを先んじて無効とする、互いの頬を切っ先で撫であう様な達人の立ち会いである。
思わず立ち尽くして、息をする事さえ忘れて見入ってしまっても致し方のない事であった。
どれほど、それが続いた事か。
上と下、全く正反対から煌めきが翻り、それは、互いの肩と、脇の下へすっ、と吸い込まれて消える。
「そこまで!相打ち!」
別に立ち会い人を頼まれた訳でもないのに、天龍の口から声が迸る。
興奮で体の芯が震える程のいい勝負であった。
終わってしまったのが惜しいくらいだ。
「あちゃあ、やったちゃった?」
「まぁ、こうなるか」
「ん゛ん゛!?」
気分良く拍手が出そうになった天龍は、同時に喀血した伊勢と日向の姿に、片方だけ出ている眼をまん丸くする。
勝負がついた体勢のまま、刀を互いに預けている二人。
その肩から、脇の下から、胸の中央まで入った刀が止まっていた。
「マジもんの艤装じゃねぇか!」
普通あり得ない事なので、つい見過ごしてしまったが、二人が使っていた刀には妖精さんが宿っている。
それは、深海棲艦を切り裂く、艦娘にとっての“真剣”艤装刀だ。
当然、その切れ味は、艦娘にとっても致命的である。
「っ!……はあ゛あぁ、怒られるかなぁ」
「ま……ごぶ!そ、そうなるな……」
刀を胸から生やして、時折血混じりの咳をしながら、ちょっと悪戯をやり過ぎた子供みたいな会話をループさせている航空戦艦達の代わりに、壁の内線電話にとびついた天龍は、今の今、帰ったばかりの工廠の当番隊員を呼び戻すのであった。
「……もういいわ、帰ってねっか」
刀を生やしたままドナドナされていった二人を見送り、どっかの燃え尽きたボクサーみたいになっていた天龍は盛大にため息を吐きつつ、立ち上がる。
「ったくよぉ、折角の休みだっちゅうのに、禄な眼にあわねぇんだが……なんだよ今日の鎮守府は?躁鬱病のテーマパークになってんじゃねぇか」
「……みんな怖いのよ」
「あんだって?」
ぼそりと呟かれた相棒の言葉に、天龍は首だけ回して、横を見る。
そして、今夜一番背筋が冷える体験をする事になった。
十センチも離れていない距離に、龍田の顔がある。
ひたと、天龍の眼を見据える瞳孔は完全に開ききり、井戸の底を思わせる深い闇がたたえられていた。
「うぉ!」
思わず一歩退いてしまうが、龍田との距離が変わらない。
二歩、三歩。
かしゃり、と左手に持った鞘に固いものが当たる感覚が響く。
いつの間にか壁際まで追い込まれている。
あと、一歩で壁ドンだ。
「ここにいる奴らが、今更、深海棲艦にそこまでビビるタマかよ?」
神威泊地は確かに本土に近い拠点だ。
だが、後方という程安閑とした場所でもない。
特に掃海、哨戒、海上護衛に駆り出される、小型艦。
海防、駆逐、軽巡達は日々、命の削り合いに身を投じている。
平時から目に見えて変調を来し続ける様では勤まらない。
「天龍ちゃん、“歌”が聞こえないかしら?」
「うたぁ?」
頬に添えられた龍田の手は驚くほど冷たく、まるで体温が奪われてゆく様だ。
「“誰か”が歌ってるの、“そっちへ行くから、一緒になろう”って」
「……そいつは、いったいどこのどいつなんだ?」
「“捕食者”よ」
少し茫洋とした、柔らかい口調をかき消して囁かれた、どこの誰ですらない感覚的な言葉。
その言葉は、氷の固まりの様に天龍の竜骨を滑り落ち、全身を総毛立たさせる。
「天龍ちゃんだって、“分かってる”んでしょう?」
龍田の手が、左手に掴んだ艤装剣に添えられる。
「艤装の真剣なんて、普段は“現場”以外じゃ絶対に出しっぱなしで持ち歩いたりしないのに、どうして、今日は“目が醒めてからずっと握ったまま”なのかしら?」
「そりゃ……」
天龍は改めて、しっかりと鞘を握り込んでいた剣を見る。
目が醒めてから、風呂場に行った時も、酒を呑んでいる時も、地下の運動場に行った時も、片時も離さずずっと握っていた。
現場と同じく、いつでも抜ける様に。
「天龍ちゃんはもう、“ここが戦場になってるのを分かっちゃってる”のよ……心より先に、体の方が分かっちゃったのかしらねぇ」
唇の端をにぃ~、とつり上げて微笑む龍田を前に、天龍は生唾を飲み、剣を引き寄せるのだった。
ああ、久々の更新!
終わらせます……なんとかして……