南国編です。
今回は、いよいよお隣の鎮守府にお邪魔しちゃいます。
しかし…暁ちゃんは、夜更かしのせいなのか、少々眠そうなご様子。
アニメの見過ぎも程々に…
夕張「えーと、わ、私のせいじゃない、わよね?」
【南の島? 近海】
背中に担いだ対空電探が三時方向から急速に接近する敵機を捉える。
「敵機発見だよ、三時方向」
私が口を開く前に、響が警告を発したのが聞こえる。
無線は空電音が入るが、響の落ち着いた声は聞き取りやすい。
ま、私達だけなら無線なんて必要ないんだけど。
今日は、そうじゃない。
「東水雷戦隊、輪形!」
号令を受け、私達は素早く輪形陣を組む。
進路変更指示はないから、そのまま進む。
爆音が耳に届く。
「対空戦用意!」
私の艤装に搭載された10cm連装高角砲が対空電探の情報に連動してきりきりと旋回した。
今回は響も同じものを積んでいる。
「各自、てぇー!」
お腹に響く爆音が、殆ど頭上で聞こえてくる気がした瞬間、号令がとび、砲撃音が轟いた。
同時に連続した破裂音に、ひゅんひゅんと、妙に甲高い擦過音。
艤装に軽い衝撃が連続する。
逆落としに落ちてきた敵機が、激突すれすれの間を抜け、あっという間に飛び去って行くが、その内の半分程が海に突き刺さって爆散していた。
軽い炸裂音と共に何か暖かい飛沫が頬に飛んだ。
「雷、中破!」
雷は身体の半分を真っ赤に染め、顔を拭っているが、遅れずについて来る。
背後で味方の艦載機が迎撃しているのが“視える”。
第二段以降の攻撃は最初程の“濃さ”は無い筈だ。
風を切る音と共に砲弾が飛来し、私の身長より10倍以上も高い色とりどりの水柱が林立する。
ゆっくりとつぶれ、広がってゆく最中を縫うように機動し、抜けてゆく。
うっかり巻き込まれたりすれば、ふらついてる間に良い的にされてしまう。
「敵機動部隊見ゆ!……12時方向なのです」
「進路維持せよ」
電が先に神通さんの偵察機が捉えていた敵の主力艦隊を目視する。
「空母1、軽空母3、重巡2よ」
水柱が収まるのを待ってから、続けて次の砲撃が降り注ぐ。
水音と爆音に混ざって、誰かの悲鳴が聞こえた。
(夕張さん、中破)
背後から追いすがる攻撃隊の生き残りの爆音に変化が生じる。
ぼうっとした意識を感じる。
ふらついて、頭を振っているのだ。
パワーダイブ、敵機直上急降下3、追撃中味方機1。
後方、夕張さんの頭上へ砲撃、1、2機撃墜。
最後の敵機と味方機の電影が重なり、消える。
(味方機が敵機を排除……)
「敵水雷戦隊発見せり……そちらの10時方向に、軽巡2、駆逐艦4!」
味方機動艦隊からの入電だ。
まだ目視はできない。
「10方向転進、複縦二段!」
私達は転舵しながら、素早く陣形を二列に組み換え、複縦陣を取る。
神通さん、雷、電が左、私、夕張さん、響が右側だ。
敵機動艦隊を右手に見ながら、敵の水雷戦隊にまっしぐらに突っ込んでいく。
敵機動艦隊からの支援砲火が数拍遅れて降り注ぎ、私達の遥か後方で巨大な水柱を虚しく林立させた。
もっと近い場所で砲声が轟き、砲弾が飛んで行く。
味方の機動艦隊があちらを忙しくさせている間に、此方は此方の仕事を済ませるべきだろう。
「目標、敵水雷戦隊、魚雷用意!……てー!」
陣形を微調整して一斉に放った魚雷がキルゾーンを形成し、突き進んでゆく。
「魚雷、来るわよ!」
魚雷の航跡が交錯する。
私は航跡の間に生じたか細い安全地帯を見極め、全速で滑り込む。
「順次砲撃開始!足を止めないで!」
射程の長い軽巡から砲撃が飛び、私の耳元で擦過音が響いた。
背後で水柱が立ち、水面以外への着弾音が炸裂する。
海水以外の何かが沢山、私の艤装に降りかかってきた。
「夕張大破!」
失速した船体が見る見るうちに後方に流れてゆく。
敵の艦列からも、傾いた駆逐艦が2隻流されて消えてゆく。
そして、不意に大きな水柱が二つ上がった。
標的を補足した魚雷がポップアップし、炸裂したのだ。
「まさかコレで勝ったつもりでいるの~?」
全身を朱に染め脱落する軽巡と駆逐艦を抜き越し、最後に残った軽巡と駆逐艦が肉薄して来る。
「着錨!」
号令を受ける前に私は錨を構えていた。
普段は艤装の後ろにぶら下がっているこれは、本来停泊時に重宝する物だ。
しかし、私達艦娘、殊に暁型にとってはさいきょーの至近兵器でもある。
私は正面から迫る軽巡に向かって、左に抜ける直前、振り上げた錨を逆袈裟に振り下ろす。
受け太刀に回った軽巡は、体を沈み込ませながら大太刀を横薙ぎに振り抜く直前、私の陰から飛び出した響が放った二回目の逆袈裟に背面の艤装を思いっきり殴られた。
ハンマー投げの要領でスピンして放つ必殺の一撃だ。
直撃なら、戦艦だってただでは済まない。
「きゃあっ!」
私は必死にバランスを取る。
右太股に貰ってしまった。
全然力が入らない。
しかし、こんな全速航行中に転倒したら、背後で水しぶきを上げながら転がっている相手と同じ目にあってしまう。
「大丈夫かい?」
「あ、ありがとう」
四苦八苦している私を、響が横から支えてくれた。
「オレがここまで剥かれるとはな…」
公開無線から、自嘲気味の呟きが聞こえた。
「暁、小破!」
「単縦!転進14時、敵機動艦隊を挟撃します!」
「大丈夫、一人で行けるわ、ありがと」
私は響にお礼を言って単縦陣の三番に収まる。
まだ、もう少々この演習は続くんだから、気合いを入れ直さなくては。
【南の島? お隣鎮守府】
目の前に置かれた、アイスコーヒーをひと飲みして視線を上げると、向かい側に座っている曙がつまらなそうな顔をしているのが見えた。
多分机の下の足はぶらぶらさせているんだと思う。
空調の効いた会議室の灯りは消されてるけど、プロジェクタの照り返しがあるから、向かいに座ってる子の顔くらいは見える。
曙は私……暁に顔を向けると、不意につんと目線を反らし、ぴしりと姿勢を正した。
私は左側の壁に注意を戻す。
プロジェクタの光が当たった壁には近海の海図が表示されてる。
その上で動き回っている駒は、私達がやった演習の再現だ。
当然その中には“暁”と書かれた駒もある。
プロジェクタに繋がったノートPCをカタカタ、カチカチと操作しているのは瑞鶴さんだ。
そして、今回の演習についての解説を行っているのは翔鶴さん。
二人が座っている側には、お隣鎮守府の第一艦隊所属艦娘の翔鶴さん、瑞鶴さん、妙高さん、羽黒さん、曙、潮ちゃんが腰掛けている。
うちの側は、東司令官、神通さん、私だけだ。
ここの所、私達は瑞鶴さん達と連合艦隊を組んで訓練を行っている。
私達は今まで確実に航空戦力の支援を受けられる状況で作戦をした事がない。
上からほぼ一方的に撃たれるのは本当につらい。
味方の艦載機が頭の上から敵機を追い払ってくれるのを見ると、有り難さが身にしみる。
でも、空を守って貰える分、私達は他を守らなくちゃいけない。
今までとは動き方が全然違う。
だから、今は私達の鎮守府でもそれを考えた訓練をしてる。
皆、少々戸惑いを感じて動きがぎこちなってるけど、私はそんな事も無く、むしろ、艦隊の動きを先読みして動けた。
神通さんも嬉しそうに褒めてくれた程だ。
妹達も口々に褒めてくれた。
夕張さんは、まるで昔連合艦隊を組んだ事があるみたいね、とか笑ってた。
(ま、一人前のレディなら……当然、よね?)
別に雷達以上に予習なんかした訳じゃ無い。
“なんとなく”、“そこに行くのが自然”な気がして機動しただけだ。
まるで、昔からそうしてきた様に。
(最近、疲れてるのかしら)
前の演習では翔鶴さんの事を何故か赤城さん、と呼んでしまい、もの凄く気まずい事になった。
冗談事ではなく、一瞬、公開無線が静かになった、本当に。
多分、気のせいじゃない。
公開無線から、敵艦隊旗艦役をしてた瑞鶴さんのくすくす笑いが聞こえてきた位だし。
後で、随行艦の高雄さんに聞いたら、翔鶴さんは思わず弓を下ろしてしまい、慌ててもう一度構えなおしていたらしい。
幾らなんでも、五航戦を一航戦と間違えるなんて、シャワー室で“かわいがり”をされても文句は言えない失態だ。
あの瞬間は、軍刑務所で同房の囚人達に抑えつけられて椅子でお腹殴られたり、足の裏にフォーク刺されたり、拷問マニアの所長から致死量すれすれの自白剤打たれて悶絶したりする光景がフラッシュバックする程、頭が真っ白になってしまった。
勿論、フラッシュバックと言っても、アニメの絵である。
いい加減、夕張さんと夜更かしするのは止めた方が良さそうだ。
(ふわ……)
こらえきれない欠伸が漏れた。
闇の中に居ると、意識が吸い込まれそうになる。
暗いのは……怖い。
何も聞こえない、とてもとても……シズカナ、ダレモイナイ……
私は無意識に歯を食いしばって闇の中に堕ちるのをこらえる。
頭の先からお尻まで、血が全部落ちていく様な、気の遠くなる感覚が引き伸ばされ……
ぱっと、部屋が明るくなった。
「Hum、今日はこんな所かな?」
「だねぇ、最近、ちゃんと連携も取れる様になってきてるし、これ位問題無いでしょ」
笑いながらノートPCをパタンと閉じた瑞鶴さんの頭を、無言で翔鶴さんがはたいた。
私は隣に座っている神通さんに気付かれないように息をつく。
「あたた、痛いよ、翔鶴姉」
「緩んだ事を言うからよ、あなたがそれでは示しがつかないでしょう」
「はーい」
怖い顔をしてみせる翔鶴さんに、笑いながら頭を抑える瑞鶴さんはいつも通りだ。
「Miss.神通、Lady暁、RTBだ」
資料をマニラ封筒に放り込んだ東司令官がそそくさと立ち上がり、私達を急かした。
ここの鎮守府に来た時の司令は、なんだか此処には必要以上に居たくないみたいな振る舞いをする。
それに、私を決して一人にしない様にしている。
トイレですら、一人で行かせてくれないのは少々困ってしまう。
(だ、だいじょうぶ、よね?)
トイレと言えば、さっきの凄い脱力感のせいで、レディにあるまじき粗相をしでかしてないか、私は恐る恐る、かと言って気取られぬ様にそっと手をやって確認する。
(へ、へっちゃらだったし……)
なんとか、レディ、と言うか、人として大事な何かは無事だったみたい。
神通さんはすぐに反応して立ち上がっている。
私も急いで立ち上がる。
体が強張って若干、ふらついてしまった。
神通さんと司令官はびどーだにしてないし。
(疲れないのかしら)
「もうお帰りですか」
「えー、もう少しゆっくりしていってよ~」
悲しそうな顔をする翔鶴さんに、ブーイングする瑞鶴さんの反応はいつも通り。
「No rest for the wicked.」
東司令官は肩を竦めて、一礼する。
相変わらずに失礼な態度で困っちゃうわ。
(でも、何で私だけなのかしら?)
そう、いつも司令官に付いてここに来るのは私と、お目付役の神通さんだけ。
作戦会議に出るだけなら、司令官と神通さんだけで充分だし、“ご褒美”でこのリゾートホテルみたいな所に連れてくるんなら、順番にこればいいだけだと思う。
大体、ご褒美なら、こんな、逃げるように帰ったりしないと思う。
事実、ここに来る様になってから、私は作戦会議中に出されたお茶以外はごちそーになってないのだ。
あのぼた餅は本当においしかった。
(っと……)
私はわいてきたよだれを、のみこんだ。
いけない、いけない。
いくら、アレがおいしかったとは言っても、私だけ食べる訳にはいかない。
それは、よくない事だ。
しかし、お腹は空いたし、何だか、少し、眠い。
司令官と神通さんに前後を挟まれ、涼しくて快適な建物を出ると、強い日射しが目を灼いた。
太陽が黄色い。
夕張さんのいつものぼやきを、今、すごく実感している気がする。
ぼんやりする意識を励ましながら足を進めると、左手側の大きなプールで非番の子達が遊んでるのが見えた。
水着を着て、人間みたいに泳いだり、プールサイドでスカイブルーだったり、エメラルドグリーンにクリムゾンを散らしたエキゾチックなドリンクを横においてのんびりと甲羅干しをしている。
普段ならちょっとだけ羨ましい気がする所だけど、今は、すごく眠い。
眠くてたまらない。
眠気が強くなる度、囁きが聞こえる。
でも、気を取り直すと聞こえなくなって、気になって耳を澄ますと眠くなる。
(だれ、だれ、だれ?)
「大丈夫?」
囁きでは無い、誰かの声が聞こえた。
『%$&!¥?>@#』
自分が何を言った気がする。
分からないけど。
いつの間にか辺りが暗くなってきている。
(よる?)
私はちょっとだけ、ぼーっとしてしまった。
何だか、体が規則的に揺れている。
目の前の暖かい壁に寄りかかると、揺れが気持ちいい。
壁に頭をこすりつけて、息をつくと、小さいうなり声が漏れた。
何だか懐かしい心地よさに身を任せ、私はうとうとする。
途切れ途切れに町の喧噪や、波の音が聞こえる。
町の喧噪は背中がぞわぞわするし、波の音はあたまの後ろでざぁ、ざぁあと髪をなでていた。
さわさわと耳元でこそばゆいのは、椰子の葉音だ。
世界がどんどん消えてゆく。
私は最後に残った規則正しいどくっ、どくっ、と脈打つリズムに聴き入る。
私を守る世界の音。
無くしたおと。
囁きが聞こえる。
音が遠くなる。
囁きが呼んでいる。
暗い、暗い。
暗いのは怖い、一人になるのは怖い
。
きえるきえる、おとがきえる。
よんでる、よんでる。
(一人は嫌だよう…)
イヤだから、力いっぱいしがみつく。
どこかへ消えてしまわないように。
【闇】
全くの闇の中に私はいた。
目を開けているのか、閉じているのかも分からない、自分の手も何もかも見えない。
死んでいるのかも生きているのかもよく分からない。
自分の体の感覚もない。
あるのは自分がひとりだ、誰もいない。
そんな気持ちだけ。
(なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?)
あたまの中で、先を忘れた疑問が意味をなくした呪文みたいにたれ流されている。
私はいつからここに居るのだろう。
ずっと、ずっと前からだ。
私は、ただただ、闇に向かってつぶやき続けている。
「…」
「……」
「………」
どれくらい時間が経ったのか。
何かが、私の気をひいた。
気のせいかも知れない。
気のせいだったら、きっと、私の中で、また、何かが切れてしまうだろう。
私の意識はまた延々と続く堂々巡りの中に沈み込んで行こうとする。
「…………」
「…………#%」
「*……^~+」
しかし、違和感はやがて物音となり、しつこく、私の気をひき続けた。
その“音”は確かにそこにあって、私に向けられている。
私には、それを無視する事は出来なかった。
闇の中に生じた、私以外の唯一の存在。
“それ”が何なのか、知りたい。
がまん出来る事じゃない。
その音は最初、金属の軋む音、ソーダが泡立つ音、さわさわとした波打ちの音、そんな意味のない音に聞こえた。
その環境音みたいな音に聞き入る内に、私の心が安らいで行くのを感じる。
「%&$}*+:「@>?」
闇の中に、私とその音。
そんな状態がどれ位続いたか分からない。
「;+$&#!ナイ」
「@^|}?”!\オイデ」
それはもう、“音”じゃなかった。
「オイデ、オイデ、オイデ、オイデ、オイデ……」
闇の中でも独りではない。
還ってこいとよんでる声。
深い深い場所から響く声。
怖くはなかった。
ただ、すごく、その声の所へ行きたくて、行きたくて。
【南の島? 鎮守府・執務室】
「あの…提督…宜しいでしょうか?」
執務室でノートPCに向かっていた東が顔を上げる。
夜とは言え、むしむしと暑いのだが、東は学ランをしっかり着込んでカラーのホックまで止めていた。
汗一つかいていないその顔を、神通は胸前で手を組んだままじっと見つめる。
「No problem. Japanese Salarymanは24 hour戦えると聞く、俺にも出来るだろう」
東は椅子の上で軽く姿勢を崩し、足を組む。
「提督……首は大丈夫ですか」
「Not bad、色々な意味でつながってるぞ」
東は肩を竦めた。
首の周りに出来たアザは既に黒ずんできている筈だ。
少しでも暁の腕から首を引き抜くのが遅れていれば、葬式を出す事になっていただろう。
神通の視線を感じたのか、東はカラーに人差し指を軽く引っかけ、くいっ、と引っ張った。
「Hum……ここだと、片付けが大変じゃ無いか」
「……はい?」
首を傾げる神通に、東は首を軽く手刀で叩いてみせる。
「俺の首を飛ばすと、ここがpools of bloodになっちまうが……この間、pendingになったAssassinationをcloseしに来たんじゃないのか?」
「いえ……もしそうなら、お話しする前に、首をお捻りしています……そうすれば、血は出ませんから」
「efficiently!いいな、悪く無い」
至って真面目な神通の言葉に、東は感心した様に頷く。
「……提督、あなたは何者ですか?」
「ここを任された提督だ、ま、Noviceだけどな」
肩を竦める東を、神通は探る様に見つめ、口を開く。
「……幾つか、調べました」
返事は無い。
「着任の手続きですが……特例処置の添付書類は少し多い程度で、書類上の破綻はありません、大本営の人事データベースにもきちんと登録があります」
東は返答を返さずに、神通をじっと見つめ返している。
「でも、私達の記録……そちらは、ここにずっと居た事になっていました、私達はあなたと一緒に着任した筈なのに……もっとおかしいのは、隣の鎮守府です、確かに、今までやりとりされている書類に不備はありません、でも、大本営のデータベースには、そんな泊地のデータは存在しない……当然、そこに所属する艦娘のデータもです」
神通は無意識に左手薬指を撫でていた。
「oops!……とんでもないshoddy workだな」
「……どこまで深入りされているのです……暁さん、いえ、私たちに何をさせる気です」
一歩、神通は踏み込んだ。
そして、ふと、東の背後に飾られた前任の提督の写真に目を留める。
そして、目を瞬かせながら付け加える。
「提督……前任者をどうなさいました?」
そっと、デスクに左手をのせる。
かたり、と薬指にはまった指輪が音を立てた。
それだけで、デスクががっちりと固定される。
東は組んでいた足をほどいた。
こんなもの、下から蹴上げても脚を怪我するだけである。
「……あの人の記録は、写真しかありません、名前も、経歴も、何もかも消されて……」
普段と変わらず、静かに発される言葉からは、哀しんでいるのか、憤っているのか、心中を推し量る事は出来ない。
が、僅かに伏せられた目線が、心中の苦悩を吐露していた。
「あの人は確かにここに居た…居た筈なのに」
伏せられていた目線が上がり、東の視線とぶつかった。
今までにない、真剣な表情だ。
口を真一文字に引き結び、じっと見返している。
神通は喉元まで出てきている言葉に戸惑い、眉をひそめた。
「……何で、私……私たちは」
何かが、神通の意識の底で蠢いている。
衝動のままに、吐き出してしまいたい。
「……私は」
「司令官」
神通は素早く背後を確認する。
執務室の外の暗がりに、ぼう、とした白い姿が浮かび上がっていた。
普段浮かんでいる物憂げな表情はそこには無かった。
ほんのり朱に染まり、息を切らせた響は、何かを堪える様に口を引き結んでいる。
「ドーブるイ ヴィエーチル」
神通が口を開くより早く、穏やかな声が、響の顔を上げさせた。
「いないんだ、姉さんが」
両脇に下ろされた拳は握りしめられ、元々白い肌が作り物めいた乳白色になっている。
「居ないんだ……捜したんだけど、鎮守府には居なくて、近くに居るけど、分からないんだ」
溢れ出しそうな不安を抑える様に、響は途切れ途切れに言葉を発する。
神通は意識を集中し、暁の現在地を探るが、漠然とした存在感が感じられるだけだ。
普段なら、提督に第一艦隊として確立された精神リンクを介すれば、僚艦との正確な距離、方角を直感的に感じ取る事が出来る。
どんな妨害にも邪魔されない筈の感覚。
それが、突然、当てにならなくなる。
ただでさえ動揺を誘う状況だ。
すがる様な目で見上げている響の肩は小刻みに震えていた。
一人、又一人と姉妹が沈み、最後に取り残された記憶を持つ響は、人一倍姉妹を失う事を恐れている。
そして、かつての大戦で最初に喪われた姉妹である暁への執着。
そこには、史実が再現される事への恐怖が潜んでいた。
落ち着いた立ち居振る舞いの裏に慎重に隠されたそれを、神通は知っている。
神通は響の前で膝をつき、両肩をしっかりと掴んだ。
「……大丈夫」
視線を捕らえ、涙がにじんだ目をまっすぐに見る。
「近くにいます、みんなで捜しましょう」
「う、うん、そうだね……」
訓練時と変わらぬ揺るぎない声で語りかけられ、響は、深呼吸する。
「雷達は、起こして、ないんだ……電も、きっと、怖がるから」
「分かりました、では、あなたは夕張さんに知らせて、三笠岩の方を捜して下さい、雷さん達には私から知らせます」
「了解、だよ」
響は敬礼を返し、工廠に走って行った。
神通は立ち上がり、東を振り返る。
「提督、宜しいですね、雷さんと、電さんの二人で町側の道付近、提督と私で海側を……」
東は手を上げ、神通の言葉を遮った。
「Sorry、Urgent businessができた、海側はYouに任せるから、何かあれば連絡をくれ、こちらでも何かあれば連絡する」
東は、無言で視線を向けてくる神通に顔を顰めて首を振った。
「Hum、俺は“I don't know”、知ってる、訳じゃ無い、“be suspicious”……疑っている、“clearing”が必要だ」
神通は、東と一時見つめ合い、真顔ですっと手を上げる。
「……分かりました、そちらはお願いします」
神通はそのまま敬礼し、駆け足で執務室を出て行った。
東はポケットから、へしゃげて曲がった、Ⅲ型の銀バッジを取り出す。
「Hurry Hurry Hurry Lady's……home away from homeじゃ終われん、Contractは“home-away-home”、もう来た、あとは帰ればいい……Aha、Take it easy.」
東はバッジをポケットにしまうと、口笛を吹きながら歩き出す。
夜は始まったばかりだ。
【南の島? お隣鎮守府】
ゲートの前で佇んでいた少女は、道の向こうから近付いてくるリズミカルな口笛に気がついた。
顔を上げ、身近に立てていた杖を体から若干離した位置に突き直す。
行進曲らしき音に合わせて歩み寄ってくるのは、学生服を纏った少年だった。
黒い学生服が闇に紛れる中、常夜灯の光を受けた金ボタンが輝いている。
少女の杖が届くか、届かないか微妙な間合いに立った少年は、ゆっくりと左手を上げ、ラフな敬礼をした。
「texas yellow roseさ」
面食らった様な顔をする少女に、少年は頭を掻いた。
「今の口笛の曲さ、Youが不思議そうな顔をしてたんでね」
ぼんやりとした顔で首を傾げる少女に、少年は首を振って帽子を被り直す。
「Port Queen に目通り願いたい、as soon as possible! 重要な用件だ、東が来たと伝えてくれ」
少年の言葉を受け、少女は軽く頭を振る。
肯定とも否定とも取れる曖昧な仕草に、長い白髪がさらさらと揺れるが、その手はさっと杖を傾け、少年の進路を遮った。
何かを聞き取る様に頭上のビット型アンテナをピコピコと動かし、口を開く。
「#%$*~?」
鉄が軋む様な異音が漏れ、やけに鋭い犬歯が覗いた。
とても友好的とは言いかねる反応だ。
ついでに、プールサイドのクラブハウスから、四つん這いになった少女が、金髪が翻る程の速度で、こちらに駆けてくるのが見える。
その後ろからは、更に、数隻の駆逐艦が続いている様だった。
「Hum、手厚い歓迎だな……Juck potを引いたか」
東は流れる様な動作で全力疾走に移る。
背後から複数の足音がついて来る事を確認し、外壁の門を速度を維持したまま曲がる。
そして、程よく茂っている椰子の木にあたりをつけ、助走から勢いをつけて幹を駆け上った。
(1、2、3……)
手頃な所で幹を蹴ってバク宙を決めると、眼下で鉄条網付の壁が外側へ流れ行く。
数瞬後、東はコンクリの上に足から着地。
三回程後ろ向きに転がってから、片手を地面に添えると、それだけで回転がぴたりと止まった。
カサカサと揺れている椰子の木の下で走り回る音と、金属的な唸りが響いている。
人ではなく、艦娘でもない何か。
「hum……ま、どれだけsimulateしてもnullはnullか、but、“張りぼて”の出来としちゃ、not bad、上出来、上出来」
東は埃を払い、ビルを軽く見上げる。
「Admiral's officeだろうなぁ……hum、どうする?」
言いながらも、闇を拾いつつ中庭を移動し続け、ビルの壁に取り付く。
すぐにでも、追跡に出た駆逐達が戻ってくるに違いないが、警報はまだ鳴っていない。
正面玄関の他には、脇に使用口、裏手に搬入口があるが、使用口は施錠されているし、搬入口も搬入作業時以外はシャッターがしっかりと下ろされている筈だ。
「Usually、だったら」
上部の傾斜部分に設けられたペントハウス、普段からそこのガラス戸は開放されっぱなしになっている。
東は壁をざっと見回し、突起、隙間を確認した。
「Hum……New Yokerに倣って、Excelsiorといくか」
数分後、東はペントハウスに足をおろし、周囲を確認していた。
ペントハウスと言っても、多少広いベランダ程度で、プランターとガーデンテーブルがある程度だ。
灯りは消灯されており、人の気配は無い。
「Peeping tomに一点」
東は、開け放されているガラス戸をくぐり、室内へ侵入する。
室内にはテーブルに籐いす、ソファが置かれ、壁際にはホームバーがあり、酒瓶が並んでいた。
見る限り、中身はすべて満タンだ。
周囲を確認しながらも、余計な寄り道を避けて玄関を探して移動する。
床にも、家具にも埃一つ無く、食卓のテーブルクロスにも染み一つ無い。
(好みとしては、折り目はもう少々目立たない方が良いな……)
テーブルに掛けられたクロスは、くっきりとした折り目で浮かび上がり、今さっきパッケージを開けて広げたばかりに見える。
途中、キッチンがあったので、少しだけ覗いてみると、綺麗に整理された料理道具が目に入った。
ナイフスタンドから牛刀を持ち上げて見ると、脂汚れ所か研ぎ跡一つ無いピカピカの刀身が覗く。
壁にぶら下げてある手鍋の尻には、加熱による変色もない。
試しに冷蔵庫を開けてみると、冷え冷えとした空気以外何も入っていなかった。
「……Mary Celesteを少しは見習うべきじゃないか?」
東は肩を竦めると、玄関口で耳を澄ます。
誰かが動き回っている音はしない。
建物が素直に見た目通りになっているのなら、ペントハウスがある階からは執務室はそう遠くない筈だ。
(段ボールが欲しいな……)
のぞき窓から外を見ると、常夜灯でうっすら照らされた廊下が見える。
人影、カメラは見当たらない。
ロックを外して外に出る。
見覚えのある区画に到達するまで3階層下った。
提督執務室の前に立つと、中から“歌”が漏れている。
砂浜に寄せる波の様に、耳に染み入る音。
人ならざる者の歌。
「Hum……」
東はドアをゆっくり間を空けて、三回ノックした。
足音が近付いてくる。
(2人以上か)
“歌”は止まず、音源は動いていない。
「Good evening. Lady's」
東はドアを開けた瑞鶴へ軽く学帽を持ち上げて挨拶する。
東を確認した瑞鶴の目が剣呑に細められ、腕が上がりかける。
しかし、呼び止められた様にちらりと横目になると、溜め息をついて脇にずれた。
「Thanks」
東が入室すると、背後でドアが閉じられる音に続けて、かちりと錠前が下りる音がした。
ふかふかの絨毯を踏んで応接セットのソファに腰掛けた翔鶴に歩み寄る。
彼女の膝を枕に暁は眠っていた。
優しく髪を梳く手を止めずに、翔鶴は顔を上げる。
その唇から歌は発せられていた。
翔鶴は左の人差し指をそっと唇の前で立てて見せる。
心地良さげに暁が身じろぎし、何事かを呟く。
それは、波間に消える泡沫の調べであった。
それを聞いた翔鶴は愛おしげに目を細めて暁を見やり、その頭をゆっくり、ゆっくりと撫でる。
「やっと眠ったわ……」
歌を止め、長々と息をついた翔鶴の口から、改めて人語の呟きが漏れた。
名残惜しげに最後の一撫でをくれ、翔鶴はそっと暁の頭を膝から外す。
ゆらりと立ち上がる動きに合わせ、長い白髪が揺れる。
「あなた、この子に何をしたの?」
その声に込められた紛れもない悲憤に、東は眉を上げた。
ひどく人間的な共感に裏打ちされた声。
次の瞬間、対応が一瞬遅れたのはその声に聴き入っていた故(ゆえ)である。
「Contract……ここから、全員無事に出る為に必要な事だ」
真下から振り上げられた繊手が東の首を捉え、宙に持ち上げていた。
左右から四指と親指が食い込み、血流と呼吸を制限する。
「翔鶴姉?……*~%!」
困惑した様な声を上げて近寄ってきた瑞鶴は息を呑み、硝子が軋る様な音を発する。
真横に腕を伸ばしたまま、ぐらりと首を巡らした翔鶴の目。
それらは赤々と、禍々しい光を放っていた。
「ナニヲシタ…ト……キイテイル」
「いや、それじゃ、そいつ喋れないよ……スコシハ…オチツケ」
若干、当惑した様に手を広げた瑞鶴に目をやり、翔鶴は左手を横薙ぎに払う。
放り出された東は、勢いのまま数回回転し、壁に鈍い音を立てて叩きつけられた。
衝撃を堪えて起き上がろうとする東に瑞鶴はすたすたと歩み寄ると、そのまま蹴上げる。
脇腹に鈍い音を立てて爪先が突き刺さり、東の体がもう一度、壁に叩きつけられた。
起き上がる隙を与えずに、瑞鶴はそのまま胸を踏みつけ、体重をかける。
罅(ひび)の入った肋骨が、みし、みしぃっ、と歪む。
「この子が鍵なんでしょ?」
瑞鶴が微笑みながら足を捻ると、みし、が、ぴしっ、に変わった。
一呼吸、一呼吸が火を吸っている様な苦痛を東に与える。
「ここに来てからずっと、君はずっとあの子を気にしてた、特別のお気に入り、でも、それだけじゃない……君の所の鎮守府は、あの子だけが“半分”居なかった、けど、今はもう半分が何処かにいるのを感じる」
瑞鶴の笑顔が引き歪み、凶気の形相を形作る。
「ハンブンハ…ソトニイル……ソウダナ?」
表情を変えずに、肩を竦めて見せる東をニタニタと笑いながら見やり、瑞鶴はもう一度軽く足に力を入れる。
「アハハ…おさわりは禁止だよっ?」
太股辺りを掴んでくる手を振り払い、瑞鶴は笑う。
「翔鶴姉、そこまで怒んなくてもいいじゃん、その子が“鍵”なんだし、私達の“歌”が聞こえるその子は、もうじき私達と同じになる……“鍵”が私達の仲間になるなら」
瑞鶴は足をどけ、東の胸倉を掴んで軽々と持ち上げる。
「コイツはもう、要らないんじゃないかな?」
耳元で囁くように言うと、逆手の拳を引いた。
「それとも」
目の前の獲物を弄う猫の様に、口が裂けんばかりの笑みが広がる。
「あの子が、“仲間”に変わっちゃうまで、もう少し、このごっこ遊びに付き合ってあげても良いかな」
瑞鶴は胸倉を掴んだままの東に口づけせんばかりに顔を寄せ、その目をのぞき込む。
「私達もここから出たい、けどね、もうちょっと位、待っても良い……でも、君は待てない、こんな契約を危なくする様な真似をする位だもんね」
瑞鶴は、ちらりと背後に目をやった。
「いずれ、あの子は私達と等しくなる……そうなれば、他の子も、ね」
胸倉を掴んだ手が、ぬいぐるみでも持ち上げるように振り回され、地に足が着かぬ状態で東の全身が翻弄される。
が、一言も反応を返さない東の様子に、一旦振り回すのを止め、もう一度引き寄せた。
「どう?“引き揚げ屋”も死にたくないとか思うのかな?それとも、やっぱり契約の遂行が何より大事とか、つまんない事言うのかな?」
胸部圧迫による絶息で紫色になりつつある唇が笑いの形に綻んだ。
いや、唇だけではない、東の顔全体が破顔している。
嘲りでもない、強がりでもない。
心から楽しげな笑みは、瑞鶴を一瞬、芯から面食らわせた。
「っ!」
不意に力を失った左手を引き、瑞鶴は半歩、身を退く。
左肘から広がる脱力感の元へ手をやると、何か細い異物が生えている。
「Sorry、そんなもんしか無かった」
床に座り込んだままカラーを緩めている東を睨み付けたままそれを引き抜くと、凶器は伸ばした安全ピンであった。
本来、砲戦に耐える艦娘の体を傷つけられる様な物では無い。
「小細工をッ!」
握りしめられた拳の中で、安全ピンは丸まった針金と化して行く。
般若の様な形相で見下ろしてくる瑞鶴を見上げ、東は微笑みを浮かべている。
「“待てる”、か……待てないのは、You達じゃないのか?」
「瑞鶴」
東を、今度は右手で掴みに行こうとした瑞鶴は、背後から掛けられた声に動きを止めた。
背後に目をやった表情は不服そうだったが、進み出る翔鶴を止める様子は無い。
「なぜ、そう思う?」
「You達も“等しくなっている”からさ」
翔鶴は右腕を上げ、前に出そうになった瑞鶴を制した。
東は床にあぐらをかいて座ったまま、目の前の翔鶴を見上げている。
「偽りの世界には、偽りの姿……“翔鶴”でいるのはオマエとの契約の為、それだけだ」
「That's right、そうだったな」
東が目をやると、瑞鶴は不機嫌そうに腕を組み、顔を横に向けてしまった。
「Lady暁は、You達に垂らされた蜘蛛の糸、さっきは、そう思ったんじゃないか?……Miss.“瑞鶴”」
「言った通りよ」
瑞鶴は不機嫌そうな表情を崩さないまま、それでも首肯した。
「手元にLady暁が来た時、すぐに“同じ”にしてしまおうとすれば、出来たんじゃないのか?……それとも、“もっとここに居たい”からじゃないか?」
瑞鶴の目が見開かれ、顎に指を当てると、何事か考え始める
指先が微妙に震えている所を見ると、単に動揺を抑えているだけなのかも知れない。
翔鶴は、先程と同様に怒りの形相で東を見下ろしているが、瞳からは朱い輝きが失せている。
東はその変化を興味深げに見ていたが、やがて頬を緩め、今度は妙に微笑ましそうな表情になった。
「Hum……やはり、“出来なかった”か」
含み笑いでもしそうな表情で呟いていた東は不意に真顔になり、翔鶴の目を真っ直ぐに見つめる。
「You達もSalvageするかい?」
東がそれを口にすると同時に、翔鶴の爪先が腹部に突き刺さっていた。
壁までノーバウンドで飛び、叩き付けられた体へつかつかと歩み寄り、頭を踏みにじる。
「ちょ、翔鶴姉!死ぬよ!本当に」
思わず、止めに入ろうとした瑞鶴は、控えめなノックの音に動きを止めた。
未だ無表情に東を踏んづけている翔鶴に目をやり、瑞鶴は空咳をしてから誰何する。
「誰?取り込み中なんだけど」
「……東水雷戦隊の神通です、提督と暁の迎えに上がりました」
「え、うっそ!……駆逐共はなにやってたのよ」
ノックと同じく控えめな声が響き、翔鶴の動きまで止まった。
「どうする?」
瑞鶴は東を踏みつけにしている翔鶴に目をやり、彼女が頷くのを見てドアまで歩き、そっと開ける。
薄暗い常夜灯に照らされて、神通が佇んでいた。
服装に乱れは無く、昼間、会議に現れた時と何も代わらない姿だ。
「提督からの内線(※)で、此方に暁がお邪魔していると、聞いております」
※内線で
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提督と艦娘の精神リンク内で行われる通信を指す隠語。
<ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー>
「hum……お疲れ、Lady暁はそこのソファだ」
「……提督」
瑞鶴に一礼した神通は、妙に低い位置から聞こえる声に戸惑った様に周囲を見回し、翔鶴の足の下にそれの発生源が踏みつけになっているのを発見。
困惑した表情を浮かべた。
「Excuse me.……よっ、と」
翔鶴の足の下から頭を引き抜き、東は帽子を被り直す。
「いや、ちょっとした、Practical jokeだな」
「……血が出ています」
東の隣に膝をついた神通は、ハンカチを取り出し、東の頬を抑える。
「Miss.神通」
「はい」
翔鶴達の方を向いて立ち上がろうとする神通を東は呼び止めた。
「Lady暁を曳航してくれ、こちらは、今、ちょっと難しい」
「……」
一瞬の逡巡を逃さず、東は袖口から小さな布切れを引っ張り出す。
「Miss.“瑞鶴”」
「なに?」
不機嫌そうに返事をする瑞鶴に、東は引っ張り出した布を持ち上げてみせる。
まだ、微かに暖かい。
「お返ししておく」
一瞬、ぎょっとした顔で袴を抑えた瑞鶴は、眉毛を吊り上げてつかつかと東に近寄ると、布切れをひったくった。
神通は呆れた様にため息をついてから立ち上がる。
「……提督、それは私でも怒ります」
神通がソファーまで行き、暁を抱え上げて戻って来るまでに、東はなんとか立ち上がっていた。
「随分長くお邪魔してしまった……Thank you for your hospitality.」
敬礼を決め、若干足を引きずりながら東は執務室を後にする。
「ちょっといいかしら?」
「はい」
続けて退出しようとした神通を、翔鶴が呼び止める。
「うちの駆逐達が居た筈だけど、どうしたのかしら?」
問われた神通は、うっすらと微笑みを浮かべた。
「提督の“内線”で、夜間遭遇戦を想定した訓練を行われていると聞いておりましたので、邪魔にならぬよう忍んで参りましたが、途中、“程々に遊んでやって欲しい”とのご要望を言づてされました」
瑞鶴が口を開きかけるが、翔鶴の目線を受けて口を閉じた。
「なので、道中少しだけお相手をさせて頂きました……皆さん、訓練に臨んでの気迫、素晴らしいものでした」
「そう……あの子達に伝えておくわ」
翔鶴は鷹揚に頷くと、神通の腕に抱かれた暁の帽子を直し、名残惜しげに頬に手を当てる。
「暁……また」
随分長い事間が開いてしまいましたが、続いてます。
皆さんは春イベントどうだったでしょうか?
私は、乙乙乙乙丙丙という、まぁ、そんなもんだろうな…的な感じでクリアしました。
ながもんさんと、酒匂さんがやって来たので、書くとドロップするという都市伝説は事実である可能性が…?