しっかり者だからこそ、不安になるんです。
「何か……私たちに隠しているのか?」
リゼの真っ直ぐな視線が、僕を捉えていた。
すぐに答えることはできなかった。
どう説明すればいいのか。どこまでなら話せるのか。頭の中でいくつもの言葉を並べては、消していく。
ライカンさんとの関係を説明すること自体は難しくない。けれど、その先にあるものまで話してしまえば、彼女たちを危険に近づけることになるかもしれない。
それだけは避けたかった。
「……ごめん、リゼ」
やがて、僕はゆっくりと口を開いた。
「今は、言えない」
「…………」
リゼは何も言わなかった。
ただ、ほんの少しだけ目を伏せる。
「……そうか」
その声に、責めるような響きはなかった。
「誰にでも、言えない秘密はある。私もそうだ」
リゼが静かに続ける。
「だから、無理に聞き出そうとは思わない」
「リゼ……」
「だが――」
そこで、彼女は再び顔を上げた。
「いつか必ず、話してほしい」
その目は、先ほどと変わらず真っ直ぐだった。
「今すぐじゃなくてもいい。話せる時が来たら、ちゃんと私に教えてくれ」
僕は言葉に詰まった。彼女は、僕の秘密を暴こうとしているわけではない。ただ、いつか自分を信頼して話してくれることを望んでいる。
それが分かるからこそ、軽々しく返事をすることはできなかった。
それでも――。
「……約束するよ」
僕は、彼女の目を見て答えた。
「いつか必ず、話す」
「……ああ」
リゼは小さく頷いた。
そして、ほんの少しだけ表情を和らげる。
「なら、今はそれでいい」
そう言って、彼女は店の表へと視線を向けた。
「ココアたちを待たせている。戻ろう」
「そうだね」
僕たちは並んで歩き出した。
ドアを開ければ、いつものラビットハウス。
ココアの明るい声も、チノの呆れたような返事も、きっと変わらずそこにあるだろう。
僕には、まだ話せないことがある。
それでも――いつか、この秘密を打ち明けられる日が来るのだろうか。
そんなことを考えながら、僕はリゼの後に続いた。
(……参ったな)
その日の夜。僕は、自分のベッドに腰掛けながら、手元のコーヒーカップに視線を落とす。
頭を悩ませているのは、やはりリゼのことだった。
チョップ大将やエンゾウおじさんなど、六分街で暮らす人々に自分の正体を疑われたことはない。
彼らにとって自分は、ビデオ屋の店長だ。
それ以上でもそれ以下でもない。
そして僕もまた、その関係を大切にしてきた。
余計なことを話さず、必要以上に踏み込ませず。それで十分だった。
けれど――。
リゼは、違った。
ほんの些細な一言だった。
『ライカンさんに連絡した』。ただそれだけの話だ。
それなのに、彼女は疑問を抱いた。
僕が何者なのか。
何を隠しているのか。
そして、僕自身も気づいていなかった。
その疑問を向けられるまで、どれほど自然に彼の名前を口にしていたのかを。
(……迂闊だったな)
苦笑し、息をつく。
気づこうと思えば、気づけたことだった。
もちろん、正体を明かすつもりはない。
プロキシという仕事は、時に知らなくていい人間まで巻き込んでしまうことがある。だからこそ、彼女たちには普通の日常を送っていてほしかった。
それだけは、絶対に譲れない。
なのに。
『いつか必ず話してほしい』
ふと、リゼの言葉がよみがえる。
僕は、コーヒーをひと口飲んだ。
(……約束、しちゃったからな)
いつか。
その日が本当に来るのか、僕にもわからない。
それでも、あのとき彼女の目を見て、約束すると答えたのは僕だ。
「……まったく」
小さくつぶやき、僕はカップを置いた。
いつもと変わらない、六分街の夜。
隣の部屋では、リンがポンプたちにギターの弾き語りをしている。
守りたい日常は、ここにある。
だからこそ――その日常の中にいる彼女たちに、いつか自分の秘密を打ち明ける日が来るのだとしたら。
そのとき、僕は何を思うのだろうか。
・・・・・
それから数日後。
六分街の喧騒が窓の向こうから聞こえてくる、いつものラビットハウス。
カウンターではチノがコーヒーの準備をし、ココアはテーブルを拭きながら鼻歌を歌っていた。リゼは食器を丁寧に拭きながら、店内の様子に目を配っている。
そんな、何の変哲もない午後のことだった。
カラン、カラン。
ドアベルの音とともに、四人の来客が姿を現した。
「いらっしゃいま……っ!?」
最初に気づいたリゼが声をかけ、固まった。
続いて顔を上げたココアは、先頭に立つ人物を見て、ぱっと目を輝かせた。
「わあっ!モフモフさんだ!」
「ココアさん、失礼ですよ」
間髪入れず、チノの注意が飛ぶ。
「えーっ!だってモフモフなんだもん!」
「そういう問題ではありません」
「……お褒めにあずかり、光栄です」
モフモフさん……もとい、ライカンは一瞬だけ返答に迷ったようだったが、すぐに落ち着いた様子で一礼した。
「ふふっ。随分と気に入られたようですわね、ライカン」
隣に立つリナが、口元に手を添えて微笑む。
「……そういうことにしておきましょう」
そんなやり取りを見ていたリゼが、ふと顔を上げた。
「ライカンさん、リナさん。お久しぶりです」
「お久しぶりです、リゼ様」
ライカンは丁寧に一礼し、リナも穏やかな笑みを浮かべて応じた。
「リゼ様がお元気そうで何よりですわ」
「はい。お二人もお変わりないようで」
「ええ、おかげさまで」
短い挨拶だったが、互いに面識があることは明らかだった。
もっとも、親しげに世間話を始めるほどの間柄でもない。あくまで、以前に顔を合わせたことのある相手として、礼儀をもって言葉を交わしただけだった。
「……お知り合いですか?」
チノが不思議そうに三人を見比べる。
「以前、少しお会いしたことがあるんだ」
リゼが簡単に答えると、ライカンも静かに頷いた。
「ええ。リゼ様のお父様を通してご縁がありまして」
「すごいですね」
「すごい……のか?」
リゼは少し困ったように苦笑した。
その一方で。
「ティッピーとどっちがモフモフなんだろう? ねえ、触ってもいい?」
「ココアさん、そろそろ怒りますよ」
「冗談だよ、チノちゃん!」
賑やかなやり取りに、リナはくすくすと笑った。後ろに控えていたカリンは、少し緊張した様子で頭を下げる。
「こ、こんにちは。先日はありがとうございました」
「あっ、カリンちゃん!エレンちゃんも!」
ココアが二人を見つけて、ぱっと駆け寄った。
「また来てくれたんだね!」
「……ん。来た」
エレンは相変わらずの気の抜けた声で返事をした。
「本日は、先日エレンとカリンがお世話になったとお聞きし、そのお礼も兼ねて伺いました」
ライカンが丁寧に説明する。
「そんな、お礼だなんて」
チノは両手をぶんぶんと振った。
「パンケーキおいしかった。ありがと」
「エレンさん……!」
ややテキトーな感謝に、カリンが小声でたしなめる。
「わかってるって。だから来たんじゃん」
「そ、そうですけど……!」
「ふふ。皆さん、ありがとうございます。今日はわたくしたちも、ゆっくり珈琲を楽しませていただきますわ」
リナが柔らかな笑みを浮かべる。
「それでは、お席へどうぞ。ご注文がお決まりになりましたら、お声がけください」
チノに案内され、ライカンとリナはカウンター席へ。カリンは二人に続こうとしたが、エレンは店内を一度見回すと、空いているソファへさっさと腰を下ろした。
「エレンさん、そちらでよろしいんですか?」
「うん。ここでいい」
「……わかりました」
カリンは少しだけ困った顔をしたものの、結局、エレンの向かいに腰を下ろした。
その後、ライカンたちはチノたちと簡単な挨拶を交わしながら、メニューに目を通し始めた。
エレンはというと、座った途端にスマートフォンを取り出していた。
画面を操作し、短いメッセージを送る。
そして、待つことしばらく。
カラン、カラン。
「お邪魔しまーっす!」
聞き慣れた声が店内に響いた。
先に顔を出したのはリンだった。その後ろから、アキラが続いて入ってくる。
「や、やぁ。お邪魔するよ」
アキラは店内を見渡し、ヴィクトリア家政の面々を見つけると軽く手を上げた。
「みんな、久しぶりだね」
「アキラ様、リン様。ご無沙汰しております」
「六分街に来るなんて珍しいね!」
ライカンとアキラ、リンが挨拶を交わす。
その間に、エレンがソファから顔を上げた。
「……アキラ」
「ん?」
「隣」
エレンはそれだけ言うと、自分の隣の座面を尻尾でペチペチと叩いた。
まるで、そこに座るのが当然だと言わんばかりだった。
「……はいはい」
アキラは苦笑しながら、エレンのいるソファへ向かう。
その瞬間。
リンが、兄の背中に肘をぐりぐりと押しつけた。
「おにーちゃ〜ん」
「なんだい」
「べっつにー?」
リンはニヤニヤと笑っている。
「……その顔、やめなさい」
「えー? 私、何も言ってないけど?」
「顔がうるさいんだよ」
「ひどっ!」
リンは楽しそうに笑いながら、もう一度、兄の背中を肘で小突いた。
アキラは小さくため息をつきつつ、エレンの隣に腰を下ろす。
「……ん」
エレンは満足そうに頷き、再びスマートフォンへ視線を戻した。
「エレン?」
「……前にアタシを運んでくれたの、アキラなんでしょ。ありがと」
「どういたしまして」
それ以上、アキラも何も言わなかった。
あまりにも自然なやり取りだった。
まるで、こうして隣に座ることが、二人にとって当たり前であるかのように。
リンはまだ何か言いたそうな顔をしているが……やがて彼女はカリンの隣に腰を下ろした。
そして――その一連の光景を、リゼはカウンター越しに眺めていた。
先日、アキラが口にした言葉。
『ライカンさんには連絡してあるよ』
あのときは、ただの何気ない一言だった。
けれど今、目の前で交わされた挨拶と、エレンのあまりにも遠慮のない態度を見ていると、どうにも気になってしまう。
……やはり、アキラには何かあるのだろうか。
リゼは小さく息をつき、ひとまず考えるのをやめた。
今は、お客さんを迎える時間だ。
それに、カウンターでは別の会話が始まっていた。
「それでは、こちらをお願いします」
ライカンが注文を伝えると、チノは静かに頷き、コーヒーの準備に取りかかった。
豆を量り、器具を整え、湯を注ぐ。
小柄な少女の手元には迷いがなく、一つ一つの動作が丁寧に積み重ねられていく。
その様子を、ライカンとリナは興味深そうに見つめていた。
やがて、チノが二人の前にカップを置く。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
ライカンはカップを持ち上げ、香りを確かめてから静かに口をつけた。
「……これは」
わずかに目を見開く。
「大変素晴らしい。豆の持ち味がよく引き出されていますね」
「まあ……本当に」
リナも一口味わい、感心したように目を細めた。
「これほど丁寧にコーヒーを淹れられるとは。日々、研鑽を積まれているのですね」
「ありがとうございます。でも、まだまだ勉強中です」
チノはいつもの落ち着いた調子で答えた。
ただ、耳がほんの少しだけ動いたのを、リゼは見逃さなかった。
どうやら、褒められて嬉しいらしい。
「ご謙遜を。私も見習わなければなりませんね」
ライカンがそう続けると、チノは少しだけ頬を緩めた。
その様子を見守りながら、リゼは何度か店内へ視線を向けていた。
ソファでは、エレンがアキラの隣を陣取り、リンがそんな二人を面白そうに眺めている。
アキラ本人はというと、特に気にした様子もなく、エレンと何やら言葉を交わしていた。
……やはり、親しい。
先日、ライカンに連絡したと聞いたときから気になっていたが、こうして見ると、ますます不思議だった。
「……リゼ様?」
「っ、はい!?」
不意に声をかけられ、リゼは肩を跳ねさせた。
隣を見ると、リナが不思議そうにこちらを見つめている。
「先ほどから、何か気になることでもおありですの?」
「い、いや。別に、そういうわけでは……」
「そうですか?」
リナは穏やかな笑みを浮かべたまま、ちらりとソファのほうへ視線を向けた。
「ああ、アキラ様のことでしょうか?」
「なっ……!」
思わず声が裏返る。
「ど、どうしてそうなるんですか!?」
「ふふっ。違いましたか?」
「そ、それは……」
リゼは言葉に詰まった。
気になっているのは事実だ。だが、アキラにはすでに約束をしている。彼が話すと決めるまでは、こちらから追及しない。
それだけは守らなければならなかった。
「……リナ、時と場所を弁えてください」
「あら。これはご無礼を」
ライカンに言われ、リナは丁寧に頭を下げた。
リゼは少し俯きながら、口を開いた。
「……少し、意外だっただけです」
「意外、ですか?」
「アキラさんと、皆さんがあんなに親しいとは思っていなかったから……」
リゼはそれだけを口にした。
嘘ではない。けれど、聞きたいことのすべてを話したわけでもなかった。
リナは一度アキラのほうを見て、それからリゼへと視線を戻した。
「そうでしたのね」
そして、どこか納得したように微笑む。
「アキラ様には、わたくしたちも何かとお世話になっております。とても信頼できるお方ですわ」
リナの声には、何のためらいもなかった。
アキラが何を隠しているのか。どうしてヴィクトリア家政の面々と親しいのか。本当は、聞きたいことがいくつもある。
けれど、それを尋ねる権利は、今の自分にはない。
彼が話してくれると約束してくれたのだから。その日が来るまでは、待つと決めたのだから。
それでも。
「……一つだけ、教えてください」
気づけば、リゼはそう口にしていた。
ライカンとリナが、静かに彼女へ視線を向ける。
「……なにか、危ないことに手を出しているわけではないんですよね?」
声は、思っていたよりも小さかった。
それは、彼の秘密を暴こうとする質問ではなかった。
ただ、心配だったのだ。
いつも飄々としていて、何を考えているのか分からないところがあって。困ったときには自然と手を差し伸べてくれるのに、自分のこととなると、どこか一歩引いてしまう。
そんな彼が、自分たちの知らないところで危険な目に遭っているのだとしたら。
そう考えると、どうしても気になってしまった。
リナは、先ほどまでの微笑みをわずかに和らげた。
隣のライカンも、すぐには答えなかった。
やがて、二人は一度だけ視線を交わす。
「……アキラ様はご自身の判断で行動されるお方です」
ライカンは、慎重に言葉を選ぶように答えた。
「ですが、何もかもが安全だと、私から申し上げることはできません」
「ライカン……」
リナが静かに名前を呼ぶ。
彼は小さく頷き、リゼへと向き直った。
「しかし、アキラ様がご自身の意思を持って行動されていることは、私が保証いたします」
それは、彼に代わってすべてを語る言葉ではなかった。
それでも、ライカンなりの誠実な答えだった。
リゼはしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「……そうですか」
それ以上、何も尋ねなかった。
今はそれでよかった。
リゼはカウンターの向こうへ視線を戻す。
ソファでは、アキラがエレンの話に相槌を打ちながら、リンに何かをからかわれていた。アキラは困ったように笑い、リンは楽しそうに肩を揺らしている。
いつもと変わらない光景。
それを見て、リゼはほんの少しだけ表情を緩めた。
……どうか、これからも変わらない笑顔で。
胸の内でそう願った気持ちに、彼女はまだ名前をつけていなかった。
1.4で朱鳶さんに冷たくされたシーンは辛かった。朱鳶さんが最推しだったから、尚更……。
まさか、年下の女の子にそんなことさせませんよね? お兄ちゃん。