──あいつは今、引きこもってる。
静かな声だった。
それだけで、店の空気がずしりと重くなる。
「……引きこもり?」
高巻さんが小さく呟く。
惣治郎さんは短く息を吐き、カウンター席へ腰を下ろした。
ギシ、と椅子が軋む。
「……さて、どっから話せばいいもんか」
帽子のつばを軽く押し上げながら、ぼそりと漏らす。その横顔は、さっきまでより少し疲れて見えた。
自然とみんな口を閉ざす。
この先の話が軽いものじゃないことくらい、俺でも空気だけで分かった。
「アイツ……双葉の母親とは、双葉が生まれる前からの知り合いでな」
静かに惣治郎さんが話し始める。
「変わり者だったが、妙に馬が合ってな……」
少しだけ遠くを見るような目で話す惣治郎さん。
「頭が切れて、目つきが悪くて、空気が読めなくて、自由奔放で……」
そこまで言って、少しだけ口元を緩めた。
「……そういや、お前の母親ともアイツ経由で知り合ったんだったか」
「え?」
急に話を振られて、思わず間抜けな声が出る。
「母さんと、ですか?」
「ああ。知り合ってすぐだったな。急に居酒屋に呼び出されてよ」
惣治郎さんは呆れたように肩を竦めた。てか、双葉ちゃんが産まれる前から、3人には交流はあったのか。
「行ってみたら、アイツがベロベロに酔っ払った状態で、お前の母親と飲んでてな、『紹介する! 私の親友!』とか言いながら、お前の母親の背中バシバシ叩いてたよ」
「ベロベロ……」
記憶の中の若葉さんからはイメージできない……いや、結構できるな。
「しかも、その後二人して地元の話で盛り上がり始めやがって。俺だけ全く話についていけなかった」
「……なんかすみません」
「お前が謝ることじゃねぇよ」
呆れた口調だったが、声はどこか柔らかかった。
「……まあ、本当にいい奴だったよ」
え? 惣治郎さんめっちゃ若葉さんのこと好きじゃん。
「のめり込むと周りが見えなくなって、毎日遅くまで仕事に打ち込んでた」
惣治郎さんは続ける。
「子供ができりゃ少しは変わるかと思ったんだが、双葉が生まれてからも相変わらずでな」
そこで、懐かしむように小さく笑った。
「そんなでも、双葉の面倒はちゃんと見てたよ」
「仕事と子育ての両立かぁ……大変だったんだろうな」
高巻さんがぽつりと漏らす。
「ああ」
惣治郎さんが頷く。
「女手一つだったからな」
「父親は?」
雨宮が静かに尋ねる。
「……いない」
「それは……」
惣治郎さんの短い返答に喜多川くんが反応する。
「いや、いたんだろうが……俺は知らねぇ。アイツ、何も言わなかったからな」
視線を落としながら、惣治郎さんは続ける。
「一人で産んで、一人で育てた」
「……」
誰も口を挟まず、店内は時計の針の音だけが響く。
「双葉のことは本当に可愛がってた」
ぽつりと続ける。
「普通の、仲の良い親子だった」
そういえば昔、母さんが言っていた気がする。
『若葉さんね、双葉ちゃんの話になると止まらないのよ』って。
あの時は「ほぇ〜」くらいにしか思ってなかったけど、今なら分かる気がする。本当に、本当に大切にしてたんだな……
惣治郎さんは足を組み直し、少しだけ黙り込んだ。
それから、低い声で言う。
「……だが、アイツは双葉を残して突然いなくなっちまった」
「いなくなった?」
雨宮が聞き返す。
惣治郎さんはすぐには答えなかった。
数秒の沈黙。
なんだか嫌な予感だけが、じわじわ広がっていく。
「ああ、自殺だ」
頭の中が真っ白になった。
「……は?」
気づけば、声が漏れていた。
自殺?
若葉さんが?
いや、待て。
そんな話、母さんから一度も聞いたことがない。
最後に『もう連絡してこないで』ってメッセージが来て、それっきりになっただけじゃ──
「車道に飛び込んだんだ。双葉の目の前でな」
「そんなの……ショックどころじゃ……」
新島先輩が苦しそうに呟く。
「辛すぎんだろ……」
坂本くんも顔をしかめていた。
俺は何も言えなかった。驚きとか、混乱とか、そういうのが全部一気に押し寄せてきて、頭が全然回らない。
惣治郎さんは何も言わず、少しだけ視線を伏せる。
「……それで、まぁ色々あって、俺が双葉を引き取ることになった」
重たい沈黙が落ちた。
コーヒーの香りだけが、やけに場違いに漂っている。
「はじめは塞ぎ込んで、一言も話してくれなかった」
「やっぱり、自殺が尾を引いて……?」
高巻さんが質問をし、それに頷く惣治郎さん。
「飯を持っていっても反応なし。学校なんてもってのほか」
淡々と語っているようでも、その声の奥には苦さが滲んでいるように感じた。
「部屋の隅で膝抱えて座ってるだけ。……見てられたもんじゃなかったよ」
小さい頃、一緒にゲームをしたり、アニメを見たりして笑っていた双葉ちゃんの顔が頭に浮かぶ。
その子が、暗い部屋で一人膝を抱えている姿なんて、うまく想像できなかった。
「それでも、俺が勝手に喋ってるうちに、少しずつ口を開くようになってな。それで分かったんだ」
惣治郎さんはゆっくり息を吐く。
「アイツ、自分の母親の死を……全部、自分のせいだと思い込んでやがる」
「自分のせいって、どうして?」
高巻さんが驚いたように声を上げる。
「そこは話さねぇ」
惣治郎さんは首を横に振った。
「事情は知りたかったが、傷口を無理にえぐるようなことはやめたよ」
静かな声だったけど、多分、“踏み込めなかった”んじゃなくて、“踏み込まなかったんだ”じゃないかなって思う。
双葉ちゃんの、ために。
「それで、数ヶ月前からだ」
惣治郎さんが腕を組む。
「何もねぇのに急に怯えたりするようになった。“声が聞こえる”とか、“母親が見てる”ってな……」
店の空気がまた少し冷える。
母親が見てる。
その言葉だけが妙に耳に残った。
「幻覚や幻聴、ですか」
喜多川くんが静かに口を開く。
「医者には?」
「双葉が徹底的に拒んだ」
即答だった。
「往診頼んでも部屋に鍵かけやがる。それで、閉じこもって、そのまま引きこもりになっちまった。家の外には一歩も出ねえし、誰とも顔を合わせようともしねえ」
「マスターは?」
さらに喜多川くんが質問し、惣治郎さんが深く息を吐いて答える。
「俺も、部屋に入れてもらえねえんだ」
「けっこう重症だな……」
坂本くんが眉をひそめる。
「双葉は、とにかく、特殊な子なんだ」
惣治郎さんはゆっくり言葉を選ぶように続けた。
「頭の回転が早すぎるっていうか、話も飛び飛びだったりしてな……。自分の中で全部完結しちまうらしい」
そこで、小さく肩を竦める。
「俺には、理解できないことも多いよ……」
そう言う惣治郎さんの声には、突き放した感じはなくて、理解できなくても、理解しようとしている。そんな感じに思った。
「そんなわけで、他者を拒むからお前を家に入れるわけにはいかなくてな……」
惣治郎さんは雨宮の方を見る。
よく分かんないけど何か事情があるらしい。雨宮が「ここで十分だ」と答えた。
惣治郎さんはまた目線を落として、話を続ける。
「双葉に必要なのは、何者にも脅かされない、安心できる環境だ。だから、俺はアイツが望まないことはしねえ」
そこまで言って、自嘲気味に笑った。
「……って、それじゃダメだって事ぐらいは分かってる。だが、俺にできることなんて、そんくらいしかねぇんだよ……」
ゆっくり席を立ち、帽子を被り直す。
「……ったく。お前らがなんで双葉を探してんのかは知らねぇが」
そこで惣治郎さんがちらりとこっちを見る。
「どうせ、あの女に何か言われたんだろ」
……?
「あの女?」
怪盗団のみんなの視線がこっちに向いた。しまった、口に出てたか……。いや、ここは開き直ろう。
「いや、誰です?」
「……いや」
坂本くんが視線を逸らす。
「その……まぁ、色々?」
「色々って?」
「説明むずいんだよ!」
なんか誤魔化された。
新島先輩は小さく息を吐いて、
「後で説明するわ」
とだけ言った。
いや絶対説明されないやつじゃん、それ。
その横で雨宮だけが静かに惣治郎さんを見ていた。
惣治郎さんは肩を竦める。
「まぁ、深く詮索する気はねぇよ。お前らなりに事情があるんだろうしな」
惣治郎さんはそれ以上は踏み込まなかった。
「……だから、双葉のことはそっとしておいてやってくれ」
頼み込むわけでもなく、怒るわけでもない。ただ、本心からそう願っている声だった。
「……分かった」
雨宮が返事をする。
惣治郎さんは「ああ」とだけ返し、そのまま出口へ向かう。
「じゃあな。早く帰れよ、お前ら」
カラン、とベルが鳴る。
一瞬だけ夜風が店内に入り込んだが、すぐに扉は閉じ、ルブランには重たい静けさだけが残った。
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あの後、情報の濁流を整理するため、明日もう一度集まろうという話になった。集合場所は渋谷の連絡通路。
俺は「いや、怪盗団じゃないし関係なくない?」とか思っていたんだけど。
『佐藤くんもね』
新島先輩に即座に釘を刺された。
拒否権は無かった。ひどい。
俺は、まだ少し話すことがあると言う怪盗団を置いて、先に家に帰った。
◇
自室のベッドに倒れ込み、仰向けになる。
頭の中に浮かぶのは、白い天井じゃなくて、さっきのルブランだった。
『……ああ、自殺だ』
惣治郎さんの声が耳に残っている。
若葉さんの自殺に双葉ちゃんの引きこもり。
小さい頃、一緒にゲームをしたり、アニメを見たりしていた家族が、そんなことになっていたなんて想像もしていなかった。
なんだか胸の奥が重い。
母さんは知ってるんだろうか。
若葉さんのこと。双葉ちゃんのこと。あのメッセージの後に何があったのか。
もし知ってるなら。
俺は、それを聞いていいんだろうか。
いや、そもそも伝えていい話なのか?
そこまで考えて、視線を横へ向ける。
今は多分、風呂に入っている。
母さんはもう帰ってきている。最近は仕事が忙しいらしく、今日はルブランへ行っていた俺の方が先に帰っていた。
「……うーん」
少し考える。
「まぁ、まだいいか」
今じゃない気がした。
聞くにしても、もう少し整理してからでいい。そう結論づけて、ベッドの上で寝返りを打つ。
そこでふと違和感に気づいた。
「……あれ?」
そういや、途中から猫いなくなってなかった……?
Cat has gone somewhere