怪人のいない街でヒーローをやっていたら、俺のほうが指名手配されました 作:宙うし
カーテンの隙間から差し込む朝日がやけに健康的で、昨夜の出来事だけが明らかに不健康だった。高槻市駅、黒い羽、変身、滑空、ネット炎上。どれも夢であってほしかったが、スマホを開いた瞬間にその希望は死んだ。
『高槻の怪人動画、別アングル来た』
『鳥みたいに飛んでて草』
『いや草ちゃう怖い』
『ペスト医師型の環境テロリストか?』
『大阪北部、終わる』
終わっていたのは俺の社会的立場のほうである。
ベッドの脇で、真っ黒なカラスが我が物顔でハンガーラックにとまっていた。八咫黒羽。ヤタガラスの精霊? を名乗る、口の悪い女? だ。朝から他人のTシャツを巣材みたいに踏み散らしている。
「不満があるなら洗濯物は畳んでから寝るべきです」
「人の心を読むなって言ってるだろ」
「部屋を見ればわかります」
「それはそう」
俺は寝起きのまま天井を見た。
「なあ」
「なんでしょう」
「敵怪人とかいねーのか?」
「いません」
「即答!?」
「少なくとも、あなたが期待している意味での、わかりやすい悪の組織とか、毎週現れる着ぐるみめいた怪人とか、そういうものは確認されていません」
「なんでそんな世界で俺だけ変身するんだよ」
「私に言われましても」
黒羽は羽を少し広げ、あからさまに面倒そうな顔をした。鳥の顔でどうやってそこまで嫌そうな表情を作れるのか不思議だが、実際嫌そうなのである。
「そもそも現代社会において、街中で変身ヒーローが必要になる状況のほうが希少です」
「でも悪はいるだろ」
「いますね」
「じゃあ出番あるじゃん」
「その理屈で言うと、通勤中に他人の揉め事へ全力で乱入する危険人物にも出番があることになりますが」
「言い方!」
だが、俺はもう決めていた。
せっかく変身できるのだ。せっかく飛べるのだ。しかも昨日、俺は実際に子どもを助けた。結果として全国に怪人認定されたとはいえ、助けたこと自体は事実だ。
なら、やるしかないだろう。
正義を。
「嫌な予感しかしません」
「なんでだよ」
「昨日今日で、あなたから計画性というものを一ミリも感じたことがないからです」
今日は土曜で会社は休み。つまり自由行動日。絶好のヒーロー活動日だ。
昼間から出るのはさすがに危ないので、俺は夕方まで家で過ごし、黒羽に頼んで変身の仕組みや飛び方のコツを聞いた。頼んだ、というか、一方的に質問して、八割は呆れられた。
どうやら変身は強い救難反応か加害衝動の気配に共鳴しやすいらしい。飛行は慣れるしかない。視覚は人間よりかなり広くなる。鳥だが夜目は利く。変身中の俺は、人間の声帯ではなく霊的な共鳴器官みたいなもので喋るので、普通の会話には向いていないなど、ひととおりのレクチャーを受けた
「向いてないってどの程度?」
「かなり」
「例えば?」
「あなたが『大丈夫ですか』と言っても、相手には『ギャア、ガァッ、グルル』くらいに聞こえます」
「怪物じゃねえか!」
「そのとおりです」
「なんでそんな仕様なんだよ!」
「カラスに人語の美声を期待しないでください」
致命的欠陥である。
ただ、黒羽によれば、変身時には人間の認識が少し滑るらしい。暗がりや遠目だと輪郭が掴みづらく、ぱっと見で詳細がわからない。そのぶん、あとから防犯カメラを見返すと、異様な影だけがくっきり残る。最悪の仕様だ。
「つまり現場では『なんかいた』で済んでも、動画になった瞬間に都市伝説みたいになるわけです」
「嫌すぎる」
「もっと嫌なのは、その状態であなたが調子に乗ることです」
「まだ何もしてないだろ」
「今夜する気でしょう」
「……はい」
そういうわけで、俺は夜になってから出動した。
場所は北摂から阪神間にかけての、なんとも言えない境界地帯だ。川西のほうへ行くには少し遠いし、尼崎まで下るには都会すぎる。茨木、高槻、吹田、豊中、池田、伊丹、西宮北口の上のほう。山に近い住宅街と、幹線道路沿いの店と、駅前だけ無駄に明るい繁華街が、まだらに続いている。
京都のような古都の陰影もなければ、梅田みたいな巨大な匿名性もない。だからこそ、なにかあればすぐ目立つ。怪人が一匹うろつくだけで、町内LINEの話題が一週間持つタイプの土地である。
俺は変身して、マンションの屋上に立っていた。
風が気持ちいい。夜の空気が羽のあいだを抜ける。遠くに見える万博公園の観覧車の光が、妙にきらきらしている。あれを見ていると吸い寄せられそうになるのが嫌だ。カラスの習性、思った以上に邪魔である。
「おい、あの光るやつ見てもいい?」
「駄目です」
「まだ何もしてない」
「十五秒見つめていました」
「そんなに?」
「そんなにです」
俺は咳払いをした。嘴があるので、たぶんひどく変な音だった。
「さて」
「さて、ではありません」
「正義の巡回を始める」
「獲物を探す害鳥みたいな目で言わないでください」
いやでも、実際そう見えていたのかもしれない。
変身して高いところに立つと、不思議と遠くが見える。いや、視力だけじゃない。気配というか、ざわつきというか、人の感情の尖りみたいなものが、夜の町に薄く光る筋みたいに感じられるのだ。
コンビニ前で屯する若者の退屈。ファミレス駐車場の苛立ち。信号待ちで舌打ちする運転手。酒が入って声の大きくなったサラリーマンの高揚。そういうものが、点々と夜に浮かぶ。
それを屋上の上から見下ろしている俺は、どう考えてもヒーローというより、獲物を探している猛禽類だった。
「今の顔、完全に狩る側でしたよ」
「やめろ、言語化するな」
とりあえず、危険度の高そうな場所を巡ることにした。駅前、飲み屋街、幹線道路沿い、コンビニの駐車場。あまり派手に飛ぶと見つかるので、黒羽に教わった通り、建物の陰を滑るように移動する。電柱、屋上、非常階段、看板の上。飛ぶというより、夜の町を跳ねていく感じだ。
これはちょっと楽しい。
正直、かなり楽しい。
夜の171号沿いを見下ろしながら移動するの、思った以上にヒーローっぽい。車列のライトが川みたいに流れて、ロードサイドのラーメン屋と中古車屋とドラッグストアの看板が光っている。地味に見慣れた景色なのに、空から見ると少しだけ別世界だ。
「顔が気持ち悪いほど浮かれています」
「放っとけ」
そんなふうに調子に乗っていたときだった。
阪急茨木市駅から少し離れた、飲み屋とコインパーキングと古い雑居ビルが混じる裏通り。そこで、びりっと嫌な気配が走った。
見れば、酔っ払いの男が二人、路地の角で揉み合っていた。片方はスーツ姿、片方はパーカーに革ジャン。どちらも赤い顔で、ろくに立てていないくせに、なぜか喧嘩だけはやる気満々らしい。
「てめえが先にぶつかったんやろが!」
「そっちやろボケ!」
胸ぐらを掴み、押し合い、壁にぶつかり、空き缶が転がる。近くの自転車が倒れた。まずい。これはまずい。下手をすると頭を打つ。
俺は身を乗り出した。
「黒羽、止めに行くぞ」
「待ちなさい」
「今なら間に合う」
「あれはただの酔っ払いの喧嘩です」
「だから止めるんだろ!」
「普通は通報です!」
その瞬間だった。パーカーの男が、勢い余ってスーツの男を思いきり突き飛ばした。スーツの男の体がぐらりと後ろへ傾く。その背後には、ちょうどブロック塀の角があった。
「行くぞ!」
「待ちなさい、だから──」
俺は屋上の縁を蹴った。夜気が羽のあいだを裂く。電線の下をかすめるように急降下し、そのまま路地へ滑り込む。倒れかけたスーツ男の背中に腕を差し込み、もう片方の腕を大きく広げた。
ばさっ、と黒い羽が開く。
次の瞬間、本来ならブロック塀の角にぶつかっていたはずの後頭部は、俺の羽に受け止められて止まった。衝撃が羽を通って腕に響く。重い。だが、防げた。
よし。
救助としては完璧だっ!
ただし、見た目は最悪かもしれない。
薄暗い路地で、嘴のある黒い怪人が、酔っ払いの男を片腕で抱え込み、巨大な羽で包み込むようにしている。助けた側の俺が見ても、ちょっと通報したくなる絵面である。
パーカー男が引きつった声を漏らした。腕の中のスーツ男も、酔いが一瞬で醒めたみたいな顔をしている。
俺は慌てて声をかけた。
「グァアアアッ! (大丈夫か!?)」
「ひっ」
「う、うわあああああっ!?」
助けたはずのスーツ男が、俺の腕の中で全力でもがいた。危ない危ない危ない。頭は守ったのに、ここで暴れてもう一回転んだら意味がない。俺は慌てて力を緩める。
「ガァッ、グルルルッ! (落ち着け! 頭は打ってない!)」
「いやああああああ!!」
両方とも逃げた。
スーツ男は靴を片方脱ぎ捨てながら、パーカー男はスマホを落としながら、ものすごい勢いで左右に散った。仲良く喧嘩していたくせに、怪人一匹で見事な連携逃走である。
俺だけがその場に取り残された。
路地裏に、しんとした沈黙が落ちる。
「……」
「……だから申し上げたでしょう」
「いや、でも、結果的に喧嘩は止まったし」
「野生動物が出てきて人間が逃げただけです」
「言い方!」
そのとき、足元でぴかっと何かが光った。
落ちたスマホの隣、たぶん酔っ払いのどちらかが落とした銀色のライターだった。街灯を反射して、妙にきらっと光る。気になる。すごく気になる。いや拾わないけど。拾わないが。
「駄目です」
「まだしゃがんでないだろ」
「視線が獲物を見るカラスです」
「獲物じゃない、落とし物だ」
「その言い訳、たぶん警察には通じませんよ」
警察。
その単語で、嫌な想像が頭をよぎった。
まさにそのとき、路地の入口のほうで、誰かが叫んだ。
「いたぞ! あれや! 黒いの!」
しまった、目撃者だ。
見ると、コンビニ袋を提げた大学生っぽい男が、顔を引きつらせてこちらを見ていた。たぶん、酔っ払い二人が怪人に襲われて逃げる場面だけを見たのだろう。最悪の切り取り方である。
俺はとっさに飛び退いた。今は離脱が最優先だ。だが路地を抜ける瞬間、頭上の配管に羽を引っかけた。がしゃん、と派手な音が鳴る。
終わりである。
「下手」
「うるさい!」
俺は半ば転がるように路地を抜け、建物の壁を蹴って上へ跳び、看板の上へ逃げた。その下では、さっきの大学生が震える手でスマホをこちらへ向けている。録画されている。ああもうだめだ。今日も炎上だ。
夜空へ飛び上がりながら、俺は思わず叫んだ。
「グォオオアアアアアッ!! (誤解だあああああ!)」
その夜のうちに、動画が上がった。
タイトルは最悪。
『北摂に出る嘴怪人、ついに人を襲う瞬間が撮られる』
襲っていない。喧嘩を止めたのだ。たぶん。いや、止めたこと自体は事実だ。だが映像だけ見ると、真っ黒な異形が上空から降ってきて、羽を広げ、なにか濁った雄叫びを上げた瞬間に男性二人が命からがら逃げ出しているだけだった。
別の記事をタップする。
路上で不審者騒ぎ 鳥のようなお面の人物、男性二人の前に出現
【北摂通信社】
二十七日夜、阪急茨木市駅近くの路上で、男性二人が何者かに襲われているとして、警察に通報があった。警察によると、現場では酒に酔ったとみられる男性二人が口論となっており、その最中に黒い服装の人物が上空から現れたとの目撃情報があるという。
目撃者の話では、その人物は鳥のようなお面をかぶり、羽のようなものを広げていたといい、男性に接触した後、大きな声のようなものを発して飛び去ったという。
男性二人に大きなけがは確認されていないが、警察は不審者と事件との関連を含め、当時の状況を調べている。
「いやいやいやいや」
思わず声が出た。
「何者かってなんだよ! 俺だよ! いや俺だけど、そうじゃなくて!」
「落ち着いてください。だいぶ落ち着く資格はありませんが」
「男性に接触した後って、そこ庇ったとこだろ!」
「世間一般ではそうは見えなかったのでしょうね」
コメント欄は地獄だった。
『普通に怖い』
『もうこれUMAやろ』
『大阪北のほうやばすぎ』
『ペスト医師じゃなくてカラス男やん』
『獲物探してる目で草』
『草ちゃう、夜道歩けん』
獲物探してる目。
言われてみれば、心当たりがあるのがつらい。
自宅アパートに戻った俺は、机に突っ伏した。変身を解いても、精神的ダメージは解けないらしい。黒羽は窓枠にとまったまま、静かに羽を整えている。
「……なあ」
「はい」
「俺、向いてない?」
「ヒーローにですか」
「うん」
「現時点では絶望的ですね」
「即答やめろ!」
だが、黒羽は珍しく、少しだけ声を柔らかくした。
「ただ」
「ただ?」
「助けたいという気持ち自体は、本物なのでしょう」
「……おう」
「そこだけは、まあ、評価します」
そこだけ、か。
いや、そこがあるならまだ戦えるかもしれない。
俺は顔を上げた。スマホの画面には、さっきの動画の再生数がどんどん増えている。胸くそ悪い。でも、同時に思う。
だったら次は、もっとちゃんとやる。
もっと上手く隠れて、もっと上手く助けて、せめて怪人じゃなくて、得体の知れない善いやつくらいには見られるようになってやる。
そう決意した瞬間、黒羽が嫌そうに目を細めた。
「今また、ろくでもない前向きさを発揮しましたね」
「前向きなのはいいだろ」
「あなたの場合、前向きさがだいたい被害を拡大させるんです」
「ひどいな」
「事実です」
俺はスマホを握りしめたまま、天井を見上げた。
敵怪人はいない。
悪の組織もいない。
あるのは酔っ払いの喧嘩と、ドラレコと、防犯カメラと、拡散の早いネット社会だけ。
その現実のほうが、たぶん着ぐるみ怪人よりずっと厄介だ。
それでも。
ヒーローになってしまった以上、俺は飛ぶしかない。
たとえ今のところ、夜の北摂を徘徊して炎上するカラス怪人でしかなくても。