怪人のいない街でヒーローをやっていたら、俺のほうが指名手配されました 作:宙うし
翌朝。
「……は?」
寝起きの頭でスマホを開いた瞬間、見慣れた嫌な文字列が目に飛び込んできた。
『171号ドラレコが捉えた衝撃映像 北摂カラス男、ついに猫を狩る』
『首輪つき猫を連れ去る黒い怪鳥』
『北大阪で“猫さらい怪人”目撃相次ぐ』
終わった。
いや、薄々予感はあった。171沿いでモモを助けたとき、歩道の高校生とドライバーが引いた目でこっちを見ていたのだ。だが、ドラレコは完全に頭から抜けていた。バカか俺は。車しか走ってない幹線道路だぞ。
震える指で動画を開く。
暗い夜の171。流れるヘッドライト。画面の端にぽつんと映る白茶の影。モモだ。
直後、上空から巨大な黒い影が弾丸のごとく落ちてくる。
俺だ。
嘴。漆黒の翼。異常なスピード。車道へ出かけた猫を足の爪でガチッと引っ掴み、そのまま夜空へ急上昇。動画はそこでバッツリ終わっていた。
置き手紙の存在も、猫が無事帰宅した事実も、飼い主の感動の涙も一切映っていない。ただ「ペットを狩り去る巨大な怪物」のカットしか存在しなかった。
「うわあ……」
「うわあ、ですね」
窓枠の黒羽が、あまり感情のない声で言った。
「これ……ひどすぎだろ……」
「映像の切り取りとしては100点満点です」
「採点すんな! 悪意しかないだろ!」
コメント欄はさらに地獄だった。
『完全に動物虐待で胸糞』
『猫を足で掴むとか正気かよ』
『首輪ついてんのに連れ去るとかマジで最悪』
『生きたまま持って帰って何すんの……?』
『え、まさか生贄?』
『なんか黒魔術の儀式っぽくて無理』
『近所でペット飼ってる人、夜絶対外に出さないで!』
『北摂の猫、今ごろ供物にされてるだろこれ』
「生贄ってなんだよ!!」
「人間は不明なものに対して、わりと雑に儀式性を見出しますね」
「冷静に分析すんな! 俺、猫ちゃんと返したんだぞ!?」
「世間はその部分を知りませんから」
分かってる! 分かってるけど、だからって生贄はないだろ。どんな発想したら道路で猫拾った映像からカルトの供物に辿り着くんだ!
頭を抱えてベッドの上で悶絶する。人間が怖い。今回はガチで怖い。動物が絡むとネットの火力が違いすぎる。北摂の治安を心配する声なんて吹き飛び、猫好きの怒りが黒々と渦巻いていた。
「……でも」
俺はガバッと顔を上げた。
「でもさ、猫は帰ったろ」
「そうですね」
「インコも無事だったろ」
「まあそうですね」
「結果としては、命を救ったんだよ」
「結果『だけ』を見れば」
「そこだよ!」
黒羽が「正気か?」と言いたげな半目でこっちを見た。鳥のくせにその表情やめろ。
「結果は出てるんだ! 猫もインコも家で寝てる! 俺のやった救助自体は間違ってない!」
「間違ってるプロセスのほうが山積みですが」
「でも助けたのは事実だろ! なのに途中で変に誤解される!」
「ですね」
「つまり……原因はそこだ!」
そこで、俺の中で何かがばちんと噛み合った。
「わかったぞ黒羽!」
「嫌な予感しかしません」
「今までの失敗は全部、説明不足だ」
「違います」
「助ける前に、『今から助けます』って伝えればいいんだよ」
「違います」
「やっぱり書面が大事……」
「違います」
「インフォームドコンセントだあああ!!!」
「それっぽい横文字で正当化するのやめろ!」
違わない!! 俺の中では完璧なロジックが組み上がっていた!
これまでの俺は、急に空から降ってきて、強引に救出して、黙って飛び去っていた。そりゃ怪人の襲撃に見える。だったら逆だ。先に宣言する。「こちらは敵ではない、これより救助を開始する」と知らせるのだ。これなら誤解の生まれようがない!
「文面はどうするつもりです」
「って、乗るのかよ」
「どうせ止めてもやるでしょうから」
俺は机からメモ帳を引っ張り出し、ペンを走らせた。
まずはわかりやすく、端的に。
『これから助けます』
「軽いですね」
「じゃあもう少し荘厳にする」
書き直す。
『これより救済を執行する』
黒羽が深々と翼で顔を覆った。
「思春期をこじらせた中学生ですか」
「違う! ヒーローの救助予告だ!」
「カルト宗教の犯行声明です」
「言い方!!」
だが俺は、妙にこのフレーズが気に入ってしまった。
短く、重厚で、威厳がある。聲が出せない俺にとって、完璧なメッセージツールだ。これなら怪声で脅かすこともない!
◇
一週間後。
俺はそのメモを何枚か懐に忍ばせ、夜の北摂の平和を見守っていた。
北千里のほうへ近づくと、町の空気が少し変わる。万博公園の明るさや千里中央の人の密度とは違って、こちらはもう少し静かだ。古い団地と低いマンション、ゆるい坂、並木道、夜のコンビニ。駅前を外れるとすぐ住宅街の匂いが濃くなる。派手ではないが、整っていて、静かで、少しだけ人が暮らしてきた時間が染みている感じがする。
その静けさの中で、一箇所だけ異常に赤く光る場所があった。
築浅のマンションだ。
五〜六階建ての屋上。下にはパトカーと消防車の赤色灯が群がり、野次馬と規制線テープが道路を塞いでいる。胸の奥がビリッと痛んだ。
「黒羽、あれ!」
「ええ……」
俺は少し高度を落とし、マンションの上空を大きく旋回しながら様子をうかがった。
屋上の柵の向こう側に、若い女が立っていた。二十歳前後だろうか。髪が乱れていて、足元も危うい。警察官と消防らしい人たちが、柵越しに必死で説得しているが、距離がある。
助けなきゃ──!
一気に急降下……しかけて、踏み止まった。
違う。今日の俺は一味違う。ここで飛び込んだら、また「突如現れた怪人に襲われた」と思われるだけだ。
「まず説明だ」
「やめなさい」
「同意を得てから介入する!」
「現場が混乱します!」
俺は懐からメモを取り出した。風向きを読む。
「よし!」
「よくありません!」
俺は上空を旋回しながら、一枚、また一枚とメモを撒いた。
白い紙片は夜気に乗って、くるくると回りながら屋上へ、ベランダへ、マンション前の規制線のあたりへ散っていく。
「ん……なんだ!?」
年配の刑事っぽい男が紙を拾う。
「……『これより、救済を執行する』……?」
別の一枚を若い警察官が拾う。
さらにもう一枚が、消防隊員の肩をかすめて地面へ落ちた。
「紙を撒いてるぞ!」
警察官たちの目が一斉に上を向き、そして、目撃する。
夜空をぐるぐる回りながら、北摂を守る黒い鳥のような
「上だぁぁッ!」
「何だあれ!? 怪人か!?」
「全員警戒! 近づけるな!」
なんだ救助にきたのに、失礼な!
だが俺の中では、これで第一段階は完了だ。救助の予告は済んだ。
「なんか……思ってたより現場が殺気立ってないか? 段取り通りなのに……」
「警察が最悪の方向に解釈しています」
「なんで?」
「『救済』という単語の意味を考えてください」
「救うだろ」
「場合によっては『楽にしてやる』とも読めます」
「ええぇっ!?」
そのとき、屋上の女の子が、おそるおそる一枚を拾い上げ、顔を上げた。
俺と、目が合った。
ここだ! 『大丈夫だ、俺がいる!』という安心感を与えるため、俺は渾身の優しさ(のつもり)で片目を閉じ、バチコンとウインクしてみせた。
女性はヒッッと顔色を劇的に血の気を失わせ、そのままガクガクと震えながら半歩、いや一歩、柵の内側へ後退した。
「……あ」
「……」
「見たか黒羽」
「見ました」
「戻った」
「戻りましたね」
「予告が効いた!」
「違います!!」
下では警察が狂ったようにメガホンで叫んでいた。
「飛行物体! 上空の不審者を警戒しろ!」
「女性を刺激させるな!!」
何も刺激してねえ! むしろ命を救った側だぞ!
それなのに、現場の危険度ランキングでは一瞬で一位になっていた。ひどい話である。
だが結果として、恐怖で竦んだ女性の隙を突いて、警察官が一気に距離を詰め、彼女の体を抱え込んだ。消防隊員が雪崩れ込み、無事に保護された。
「あれ? 俺、まだ何もしてなくない?」
「怪文書で場を乱しました。怖すぎて、あの女性も我に返った可能性があります」
「だったら止めたのは俺の手柄だな!」
「絶対に誇っていい内容ではありません!」
警察の無線が激しく飛び交い、銃でも抜かれそうな気配を感じた俺は、慌てて上空へと逃走した。
◇
翌日。
飛び降り未遂現場に“カラス怪人”出現! 不審文書ばらまく
【北摂通信社】
4日午後9時ごろ、吹田市古江台のマンションで女性が飛び降りを図ろうとした騒ぎで、消防と警察が説得にあたる最中、北摂地域で目撃が相次ぐ“カラスの怪人”が出現。現場上空から「これより救済を執行する」と書かれた不審な紙片を多数散布した。
現場で対応した消防関係者は、「文面内容から、女性を救助名目で飛び降りへ誘導、あるいは後押ししようとしていた可能性もあるとみて警戒した」と証言した。
女性は最終的に自ら柵の内側へ戻り、その後、警察官らに保護された。
警察は、北摂地域を騒がせている“カラスの怪人”によるものとみて、詳しい状況を調べている。
「なんでだよぉぉぉおおお!!」
自室でスマホを叩きつけそうになった。
「なんで全人類が俺の言葉を最悪の意味で受け取るんだよ!」
「文面がカルト宗教の犯行声明だからです」
「救うって意味だろ!!」
「世間は『抹殺』の意味で読んでいます」
コメント欄の炎上は過去最高火力を記録していた。
『自殺教唆とかマジでライン越えたな』
『救済って何? 宗教?』
『女の子突き落とそうとしたってこと?』
『上空から怪文書撒いてウインクしてくるとか悪夢すぎるだろww』
『完全にサイコパスの挙動』
俺はベッドに突っ伏し、深い溜め息をついた。
「……黒羽」
「はい」
「人間って、ほんと難しいな」
「今さらですか」
「今回、めちゃくちゃ配慮したんだぞ俺」
「ベクトルが180度間違っていました」
「でも……飛び降りは止まった」
「そこだけ見れば、ですね」
「結果は勝ったんだ……」
黒羽は、鳥の顔でありながら「もう言葉もない」という顔で俺を見つめていた。
「……では次はせめて、もっと人間向けの文面にしてください」
「……たとえば?」
「最低でも『救済』『執行』という単語は禁句です」
「そこが一番ヒーローっぽいのに」
「だから怖いんです」
俺は少し考えた。
たしかに文面は改善の余地があるかもしれない。
書面という方向性は間違っていない。たぶん。
問題は言い回しだ。もっと柔らかく、もっと一般人向けに、もっと誤解の余地なく伝えるべきなのだ。
「わかった」
「嫌な予感しかしません」
「次は、もう少し優しい言葉にする」
「そこだけ聞くとまともですね」
「『助けます、びっくりしないでね』とかですか」
「『安心してください、味方です』にする」
「怖いです」
「なんでだよ!」
ヒーローへの道は、あまりにも険しかった。
だが俺はもう、次のメモ用紙にどんな丸っこい文字を書くか考え始めていた。