次なる目標に向け地道に歩みを進めていく。
夜の埠頭。
物思いにふける提督の、真の目的。
その先に見るものとは。
第五話、始まります。
まだ夜が明けきる前だった。
窓の外は薄暗く、水平線の向こうがかすかに白み始めている。
僕はゆっくりと体を起こす。
「……」
時計を見る。
起床時刻まではまだ2時間以上あった。
もう一度寝ようかとも思ったけれど、一度目が覚めてしまうとなかなか眠れない。
隣を見る。
アトランタはまだ眠っていた。布団を頭までかぶり、規則正しい寝息を立てている。
布団の隙間から覗く表情は、昨日よりは少しだけ柔らかい…ように見える。
この場所にも少しずつ慣れてきたのだろうか。
そうだとしたら嬉しいな。
僕は起こさないよう静かにベッドから降りた。
制服を整え、そっと部屋を出る。
廊下は静まり返っていた。
当然だ。まだ誰も起きていない時間なのだから。
潮風が窓の隙間から入り込み、頬を撫でる。
「少し散歩でもしようかな」
誰に言うでもなく呟き、僕は外へ出た。
―――
――
—
朝の警備府は静かだった。
昼間になると漁船のエンジンの音や釣り人たちの会話が聞こえてくるけれど、この時間は違う。
埠頭に弾ける波の音。
頬をくすぐる風の匂い。
遠くで鳴く海鳥の声。
それだけだ。
埠頭を歩きながら海を見る。
朝焼け前の海は不思議な色をしていた。
青とも黒とも言えない。
夜と朝の境目みたいな色だ。
「綺麗だな」
思わずそう零れる。
こういう時間は嫌いじゃない。
静かで。
穏やかで。
何も考えなくていいから。
そんなことを思いながら歩いていると――
ふと、耳に音が届いた。
シュッ。
風を裂くような音。
「……?」
立ち止まる。
聞き間違いではない。
再び聞こえた。
シュッ。
シュッ。
一定の間隔で続いている。
何だろう。
こんな時間に、しかもこの警備府に誰か迷い込んだのかな。
少し気になった僕は音のする方向へ向かった。
―――
――
—
音を辿っているうちに、見慣れない場所までやってきた。
打ち捨てられた倉庫、音はその裏手から聞こえていた。
ここで一度、僕の足が止まる。
今、この警備府にいるのは僕を含めた5人。
アトランタは眠っていたから、もしいるとしたら提督かルナかソルの3人のいずれか。
でも、もしこの3人以外だったら?
もし、危ない人だったら?
不安を押し殺し、建物の陰に身を寄せる。
そしてそっと覗き込む。
「……ぁ」
思わず声が漏れそうになった。
そこにいたのは――提督だった。
いつもの軍服ではなく、タンクトップ姿に、一本の刀を握っている。
その姿は、いつも執務室で見る提督とはまるで違って見えた。
静かで、けれど鋭く、冷たくて、熱い。
刀が振るわれる。
風が鳴る。
今度は刀が振り下ろされる。
次の瞬間には返す刃が空を裂き、さらに身体が半歩だけ前へ出る。
動きは速い。
けれど速さだけじゃない。
一つひとつの動作が、不思議なほど正確だった。
例えるなら、川の水が流れるような動き。
どこを切り取っても、一切の無駄がない。
それでいて一つ一つが、重い。
「……」
僕は思わず見入ってしまった。
動きは完全に『殺す』ことを前提とした、そのために洗練された動きだった。
けれど、怖くはない。
むしろ逆だった。
提督から不思議に思うほど殺気を感じない。
むしろ、慈愛に近いものすら感じる。
誰かを傷つけるためではなく。
ただ己を磨くためだけに剣を振っている。
そんな風に見えた。
刀が空を切る。
朝日が刃をなぞり、その軌跡を写し出す。
綺麗だ。
そう思った。
戦いの技なのに。
何故かそう思った。
どれくらい見ていただろう。
数分かもしれないし、もっと長かったかもしれない。
その時だった。
「……そこにいるのは誰かな」
突然提督が言った。
背筋が跳ねる。
「えっ」
「出ておいで」
声は穏やかだった。
けれど気付かれている。
隠れても意味はない。
僕は観念して姿を現した。
「ご、ごめん」
「時雨?」
提督は少し驚いた顔をした。
「起きてたんだ」
「うん。目が覚めちゃって」
「なるほど」
提督は刀を鞘に納めた。
「いつから見てたの?」
「結構前から……」
「そうか」
怒られるかと思った。
でも提督は苦笑しただけだった。
「盗み見は感心しないな」
「ごめん」
「まあいいよ」
提督はそう言って笑う。
僕は少し安心した。
―――
――
—
「提督って剣術が得意なの?」
気になっていたことを聞いてみる。
すると提督は少し考えてから答えた。
「得意かどうかは分からないけど、昔習ってたいよ」
「昔?」
「子供の頃ね」
「へぇ……」
意外だった。
提督は、本当にいろんなことができる。
英語も話せる。
機械も直せる。
料理もできる。
でも、剣術まで習っていたとは思わなかった。
「なんで習ってたの?」
「色々あってね」
提督は曖昧に笑う。
「知合いに剣術道場の師範をしている人がいて、私もその道場に通わせてもらっていたんだ」
「へぇ」
「その人は稽古中に気を抜くとすぐに見抜いてきて、そのまま特別鍛錬に移行するんだ」
「き、厳しい人だったみたいだね」
「でも、とても愛のある指導だったよ」
提督はどこか懐かしいものを見る目をしていた。
「ねえ提督」
「ん?」
「僕にも教えてくれないかな」
「何を?」
「提督の、剣術」
提督は少し驚いた顔をした。
「どうして?」
僕は少し迷った。
でも正直に答える。
「僕、海での戦いが…それほど得意じゃないんだ」
「……」
「もちろん、これからも出撃は頑張るよ」
「…でももっと何かできるようになりたいんだ」
「提督やルナやソル、それにアトランタもいる」
「みんなそれぞれできることがある」
拳を握った。
提督は何でもできるし、ルナやソルは艤装の操作から提督の補助もできる。
アトランタも、多分とっても強い人だと思う。
でも、僕は…。
「だから僕も、何か身につけたい」
『またお前だけ帰ってきたのか?』
『本当に役に立たないな?幸運の駆逐艦が聞いて呆れるぜ』
『この疫病神が!』
『次はどこの鎮守府がお前を拾ってくれるかな?』
「…役に立てる…技術が欲しいんだ」
静寂が落ちる。
提督はすぐには答えなかった。
朝風が吹く。
木々が揺れる。
遠くで鳥が鳴いた。
提督は空を見上げる。
そして小さく息を吐いた。
「時雨」
「?」
「君が何を経験して、何を見て、何を感じてきたのかは、私にはわからない」
「でも時雨は、時雨自身が思っているより、ずっとすごい人だよ」
「でも」
「昨日だってそうさ。時雨があの瞬間、アトランタを助けに行く決断をしていなかったら、私は対応を遅らせていたかもしれない。そのせいで、アトランタは助からなかったかもしれない」
提督はゆっくりと僕に近づいてきて肩に手を置く。
「時雨には、時雨にしか持ちえない素晴らしさがある。だから、周りからの評価なんて気にする必要はないよ」
「そう、かな?」
「そうさ。強いて言うのなら、君は君であるというだけで価値がある」
「それを踏まえた上で、それでも剣を学びたいというのなら」
提督は肩から手を放し、僕の目を見る。
「教えるくらいなら構わないよ」
「本当?」
「うん」
思わず顔が明るくなる。
「ただし、剣の道は厳しいよ」
「大丈夫」
「朝も早いし」
「大丈夫」
「筋肉痛にもなる」
「…大丈夫」
「私も、教えるからには本気になる。手加減はできないかもよ」
「うっ」
「冗談だよ」
提督が笑う。
僕もつられて笑った。
―――
――
—
「じゃあまずは構えからだね」
「うん」
こうして僕の初めての剣術稽古が始まった。
提督が持ってきた木刀を握る。
思ったより重い。
「重いね」
「真剣はもっと重いぞ」
提督の腰に差してある刀を見る。
先ほどまで提督が振るっていた刀。
提督はそれを、自らの手足のように操っていた。
「力を入れすぎない」
「こう?」
「…こんな感じ」
すると、提督が後ろから手を回し、僕の姿勢を直す。
提督の手が、僕の手に重なるようにして木刀を握った。
「て、提督…」
「ん?」
「その…少し、近い…かな」
「…アッ!ごめん!そんなつもりはなかったんだ…」
提督は飛んで退く。
そこまで、気にしてたわけじゃないけど…。
何というか…提督らしい、かな。
「ううん、大丈夫だよ。それよりも、どう?こんな感じかな?」
「えっと…うん。でも、少し右手が力みすぎかな」
「…こう?」
「そうそう。そして、肩の力を抜く」
「難しいな……」
「慣れだよ。そのうち、体が覚えてくれるよ」
何度も振る。
何度もやり直す。
単純な動きなのに意外と難しい。
でも嫌じゃなかった。
むしろ楽しかった。
「剣を握る上でもう一つ大事なことは、心を静めること」
「心を?」
「うん。特に憎しみや怒り。つまり『殺気』だね。これは、どんなに高い技術を持っていても、途端に太刀筋を狂わせてしまう」
「そうなんだ」
「その点時雨は、心の平静を保つのは得意みたいだね。ここに1本の筋が通ってる」
「うーん…自分ではわからないな」
「素質があるよってこと」
提督は丁寧だった。
怒鳴らない。
急かさない。
一つ一つ教えてくれる。
―――
――
—
気付けば空はすっかり明るくなっていた。
「さて、今日はこのくらいかな」
「ふぅ……」
構えと、ほんの少しの素振りをやっただけで、これほど体力を使うなんて…。
提督みたいになれるのは、まだまだ先みたいだ。
額の汗を拭う。
腕が少し重い。
でも気分は透き通って、心地よい疲労だった。
「お疲れ様」
「ありがとう」
提督は木刀を片付け、僕に手ぬぐいを手渡す。
提督の、手。
僕の手よりも大きくて、少しごつごつしていた。
普段は軍服に隠れている腕には、鍛え抜かれた筋肉が筋を作っている。
自分の手を見てみる。
小さくて、細い。
何かを守るには、少々心許なく見える。
まだまだ時間がかかりそう、かな。
「はい、これ」
「これは、氷嚢?」
「今回は初めてだったから、筋肉にかなりの負荷がかかったはず。筋肉痛になる前に冷やしておくと、幾分かマシになるよ」
僕は素直に、氷嚢を受け取る。
その冷たさが、火照った筋肉から熱を取り除いていく。
心なしか、体が軽くなった気がする。
「気持ちいい…」
「それはよかった。よく頑張ったよ」
提督は微笑し、頭を撫でてくれた。
やっぱり不思議な人だ。
外国語を話せる。
機械を直せる。
料理もできる。
剣術も使える。
そして何より、艦娘を兵器として扱っていない。
普通の提督とは違う。
初めて会ったときから、そう思っていた。
でも今日、その思いはもっと強くなった。
提督は何者なんだろう。
どんな人生を歩いてきたのだろう。
まだ知らないことばかりだ。
僕はその背中を見る。
そして、僕はあるものを見た。
――見てしまった。
「え……」
「時雨?」
見間違いじゃなければ、今…。
だけど…。
「…提督」
「ん?」
「その…傷は…?」
「…ああ、これ?」
タンクトップから除く肩筋…そこには、くっきりとした『傷跡』があった。
「これは………東京陥落の時に、負ったものだよ」
「東京…陥落」
今から10年以上前――まだ僕たち『艦娘』が登場する前に起きた、あの事件。
多くの人が亡くなり、東京が死の街と化した、あの災厄。
「当時はまだ幼くて、そのころの記憶は曖昧なんだ」
「………」
「ただ、これだけは言える」
「どんなこと…?」
「あの瞬間、私の賽は投げられた」
「それって…どういう…」
「それは、今は言えないかな」
「………これは、私だけの問題ではないから」
「………」
「でも、いつかは明かす時が来ると思う」
「…それまで、待っててくれるかな?」
「…うん」
朝日が後光となった提督の表情を、僕は読み取ることができなかった。
―――
――
—
水を浴びて汗を流した後、僕は提督に言った。
「提督」
「ん?」
「また明日もお願いしていいかな」
提督は少し笑った。
「もちろん」
その答えに、僕も自然と笑みがこぼれる。
提督のことは、まだよく分からない。
確証もない。
でも。
この人についていけば、何かが変わる気がした。
「おはよーマスター」
「おはようございます。提督」
「...Good morning」
「おはよう、ルナ、ソル。アトランタも、よく眠れた?」
「うん」
「みんな、おはよう」
また、新しい一日が始まる。
その始まりは、不思議と少しだけ特別なものに思えた。
次回からは多分少しだけ物語が動き始めます。
保証はできません…。
それから、アンケートへの協力ありがとうございました!
結果の通り、今までの方向性で頑張っていきたいと思います!
今後とも、カワガラスをよろしくお願いします!
セリフの前に人物名を付けてほしいか?
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付けてほしい!
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付けないでいい