ANGEL WALTZ 作:とくめい
目が覚めると、忍は既にいなくなっていた
時計に目をやり、時間を確認すると[AM10:02]
だいぶ寝坊したようだ、慣れない酒を飲んだせいもあるのだろう
気だるそうに身体を起こし、喉を潤そうとリビングに降りていく
そこでは鼻歌を歌いながら、洗濯物を畳んでいる響華が見える
暖かい陽だまりの陽を浴びながら、心地良く歌を口ずさむ姿、平和を絵に描いたような光景だった
殺伐とした戦場で、望んだその光景にしばらく京介は見とれていた
ふと響華が後ろを振り向き、京介に気が付いた
響華
「あら、お兄ちゃんおはよう、珍しくお寝坊さんだったわね、身体は大丈夫?」
その暖かい言葉に、戸惑いながら京介が答える
京介
「……大丈夫です、ありがとうございます……」
響華
「そう、ちょっと遅いけど、ご飯食べる?トーストと目玉焼きくらいなら、食べられるかしら?」
柔らかな微笑みを京介に投げかけながら、キッチンに向かう
昨夜の事は聞かず、何も無かったように優しさを与えてくれる響華に、胸がチクリとする
京介
「何かする事はあります?、手伝いますよ」
響華
「あらありがとう、でも気を使わなくても大丈夫よ、手伝う程かからないから、座って待っててね」
そう言いながらコーヒーを入れてくれた
砂糖は無くてミルクだけを入れたコーヒー
いつも京介が飲む時の好みを、ちゃんと分かっていてくれた
そんな些細な気遣いが、京介の心に染み込んでくる、暖かく優しい、包み込むような温もり
子供の頃から変わらない、自身にいつも優しく接してくれる
能力者と言う存在に、畏怖するどころか、率先して関わろうとする
BLITZで聞く話や、自分が調べた記憶を思い出す
能力が発現した子供や家族は、全てがそうでは無いが、敬遠されたり、ぞんざいにされ、腫れ物に触るように扱われる
分からない程の微少な変化が、長い年月をかけてその人間の心を蝕み、黒く濁らせる
響華さんは自分が怖くないのだろうか?
あれ程恐ろしい体験をしながら、それでも京介と共に生きる事を選んだ
当時の京介は子供だが、それを捨てる選択肢もあった
それなりに辛い経験もしていただろう、だがそれを京介達に言った事はない
響華の左腕に見える酷い火傷の痕
背中から腕まで広がるその傷は、意図せず京介が付けたもの
京介自身も、その傷を響華に付けた事を、未だ負い目に感じている
(……恨んでくれても良いのに……)
京介が何気無しに見つめていると、響華がその視線に気付き、少し照れたように話しかける
響華
「そんなに見つめてどうしたの?お母さん恥ずかしいわ……」
両手を頬に当て身体をくねらせ、乙女が恥じらうように大袈裟なポーズをとる
自分に向かって、ふざけておちゃらけて、決して本心を見せない
きっと優しさなのだろう、だが憎むだけの十分な理由もあるのに、それをチラリともあらわにした事がない
京介
「すみません、ボーッとしちゃって……」
忍といい、響華さんといい、なぜこの人たちはこれほどまでに自分を肯定してくれるのだろう。
異形を宿し、人を傷つける力を持った人間など、敬遠されても、腫れ物に触るように怯えられても文句は言えないはずだ。
世間を見れば、それが能力者を持つ家族の現実なのだから。
それなのに、この人たちは一度だって自分を恐れたことはない。
響華
「ハイ、簡単で悪いけどお待たせ」
トーストとベーコンの乗った目玉焼きが、目の前に運ばれてくる
その手際の良さに、京介は思わず感心する
京介
「ありがとう……ございます……」
響華
「召し上がれ」
まともな食事など何日ぶりだろう。決して豪華ではない質素なメニューが、今の京介には途方もなく贅沢に思えた。
すると、響華はウキウキとしながら自分の分も皿を手に取り、コーヒーのおかわりと共に京介の隣に腰を下ろす。
響華
「お母さんも少し休憩してもいいかしら?」
京介
「むしろなんにもしなくてもいいんじゃないですか?……」
響華
「あら嬉しい、お兄ちゃんも優しくて嬉しいわ」
ケラケラと笑う響華の顔に、また見とれてしまう
……見とれてる?
いや、違う。
これは見とれているんじゃない。 ずっと冷え切っていた心が、この変わらない笑顔に触れて、無理やり閉じ込めていた熱を取り戻していく――そんな、恐怖に近いほどの居心地の良さに呑まれているのだ。
変わりなく自分を見つめる京介に気づき、響華は微笑みながら、その頭をそっと撫で始めた。
子どもの頃から変わらない、無条件の温もり。
別に恥ずかしくも、嫌だとも感じない
ただ、それが痛いほど心地良くて……同時に、何も変わっていない母親の優しさに甘えている自分の不甲なさが、どうしようもなく情けなかった。
溢れそうな感情を誤魔化すように、京介はたまらず、スッと響華から目を逸らした。
響華はそれでも、微笑みながら頭を撫でるのをやめない。 静かに、ゆっくりと、愛情を確かめるように。
響華
「お兄ちゃんは今日お出かけする?」
優しい口調で響華が話しかけてくる。京介は動揺を隠すように、そっと視線を戻した。
京介
「なんか用事でもあります? 手伝いとか……」
そう言いかけた京介の言葉を、響華は優しく遮る。
響華
「ううん、そうじゃなくて。少し街に出て、気晴らしでもして来たらどうかなって思ったのよ」
京介
「……街歩きですか……」
響華
「うん。ずっと家にこもってなくてもいいんだよ……それに、いつもこうして気を使ってくれて、ありがとうね」
……ありがとう。
その言葉が、今の京介にはあまりに重すぎた。
幼少期から能力が発現した事により、しなくてもいい苦労を負い、要らぬ気遣いをさせ、奇異の目に晒されてきた
傷を負わせたのは自分なのに
苦しませてきたのは自分なのに。
それなのにどうして、この人は自分に「ありがとう」なんて笑って告げることができるのか。
響華の口から出たその何気ない一言は、今の京介の胸にあまりに真っ直ぐすぎて、素直に受け止めることなど到底できなかった。
これ以上そこにいれば、自分がどれほど歪んだ罪悪感を抱えているかを見抜かれてしまう気がして、京介は耐えきれず、残りの食事をかき込むとそそくさ席を立った。
それから少しして。
響華の「気晴らしに行ってきなさい」という言葉に背中を押されるように、京介は家をあとにする。
(少し遠出してみようかな……)
呟きながら、ガレージに停めてあったバイクのカバーを剥がした。
この時代には珍しい、古いキャブレター式の二輪車
一体どこから拾ってきたのか分からないほどの年代物だが、その車体は日頃から念入りに手入れされており、古さを感じさせないほど程度が良い。
京介
「……気晴らしねぇ……響華さんと忍に土産くらい買って来るか……」
自嘲気味に呟きながら跨がり、キックペダルを踏み下ろす。
けたたましいエンジン音を響かせ、京介はそのまま朝の静かな街へと走り去っていった。
京介が自宅を出てしばらくして
大学のキャンパス内にあるカフェで、忍は同級生たちと束の間の休息を楽しんでいた。
忍
「……でね?、今度お兄ちゃんと一緒にケーキ食べに行くんだ! うへへ……」
友達(1)
「……忍、ヨダレ出てるよ……」
友達(2)
「ていうかさ……忍ちゃんのお兄ちゃんって、たしか能力者じゃなかったっけ……。一緒にいて怖くないの?」
忍
「え? なんで? 全然怖くないし、むしろすっごく優しいよ?」
友達(1)
「うーん……。この前、学外で見かけたことあるけど、なんかこう……目つきがすっごく悪くて怖かったよ?」
忍
「目つき悪い?……もしかして朝じゃなかった?」
友達(1)が、思い当たる節があるのかゆっくりと頷く。
忍
「想像してみて?、その目つき悪い顔で、朝からホットケーキ焼いたりしてくれるんだよwお兄ちゃん、朝めっちゃ弱いのw」
訝しげな友人たちを相手に、忍はケラケラと笑い飛ばす。
世間を見れば、突然変異で異形を宿す能力者は「危険な存在」として敬遠されがちだ。本人だけでなく、その家族すらも遠巻きに見られることは珍しくない。 それでも、こうして忍の周りに変わらず友達が集まっているのは――ひとえに、彼女自身の底抜けに明るい性格と、お兄ちゃん大好きな真っ直ぐさゆえなのだろう。
そんな忍たちの耳に、けたたましいバイクの音が飛び込んできた。どれだけ遠く離れていても聞き逃さない、聞き覚えのある特徴的な爆音。
友達(1)
「……なに、今の音?」
友達(2)
「え、雷……?」
忍
「お兄ちゃんだ!」
友達たち
「えっ!?」
優れたバッテリーやクリーンなバイオ燃料が普及したこの時代、街を走る車両の大半は驚くほど静かだ。化石燃料を轟かせる旧式のバイクなど、一般人が所有しているケースは極めて珍しい。
だからこそ、忍には一発で分かった。
彼女は道路に面したカフェテラスから飛び出すと、一直線に車道へと駆け寄っていく。
友達(1)
「ちょ、忍! どこ行くの!」
友達(2)
「危ないよ!」
友人の制止も聞かず、大好きな兄の姿を見たい一心で、忍は柵のそばまで駆け寄った。 ちょうどその時、コーナーを曲がってきた京介のバイクが、忍の姿に気づいてピタリと横付けされる。
爆音を上げて停まった旧式のバイクに、カフェの客や友人たちは驚き、気後れしたように遠巻きからその様子を窺っていた。
京介
「……よく俺のバイクだって気づいたな」
忍
「えへへ、だってお兄ちゃんのバイクの音、すぐわかるもん!」
ヘルメットを脱いだ京介は、満面の笑みを浮かべる妹を見て、自然と緩んだ手でその頭をそっと撫でた。
京介
「少し遠くまで走ろうと思ってさ。ついでに忍の大学この辺だったなぁって思って、何か欲しいものあるか?」
忍
「どこか行くの? ならサンジェルマンのアップルパイがいい!」
即答する忍の背後で、友達たちが不安そうにこちらを伺っているのに京介は気づいた。
京介
「……友達が心配してるぞ。戻りな」
言われて振り返った忍が手を振ると、友達たちは恐る恐る頭を下げ返す。京介はそれに向かって軽く片手を上げると、再びヘルメットを被り直し、ポケットから無造作に紙幣を取り出して忍に手渡した。
忍
「え、なにこれ!」
京介
「カフェテラスにいたんだろ?これで甘いものでも飲みな、友達の分もあるから。……車道に出るなよ、危ねぇから」
忍
「ありがとう! お兄ちゃんも気をつけてねー!」
ぶんぶんと手を振る忍を残し、京介のバイクは再びけたたましい音を響かせて朝の街へと走り去っていった。
見えなくなった背中を見送りながら、友人たちが慌てて駆け寄ってくる。
友達(1)
「忍、大丈夫だった!? 何もされなかった……?」
友達(2)
「いまの人、もしかして……」
忍
「お小遣いもらった! これでみんなでいちごラテもう一杯飲めるよ!」
友達達
「えっ……う…ん……」
恐ろしい能力者の兄に怯えていた友人たちは、差し出された紙幣と、どこまでも呑気で楽しそうな忍の笑顔を交互に見つめ、拍子抜けしたように顔を見合わせるのだった。
二時間ほどバイクを走らせ、峠道の観光スポットに到着する。 そこは雄大な自然と広大な湖が広がり、いかにも避暑地といった佇まいを見せていた。
だが、その裏には大戦時の爪痕が深く刻まれている。
大きくえぐれた山肌は、長い年月をかけて根を張った樹木のおかげでかろうじて形を保っているが、あの一帯を消し飛ばしたのはかつての殺戮兵器だ
そんな歴史の傷跡を、今の世の中の人間がどれほど知っているだろうか。
車のまばらな駐車場にバイクを停め、自販機とベンチのある一角へと歩いていく。 冷えた缶コーヒーを片手に、目の前に広がる穏やかな自然に目を向けた。
(……景色を見たところで、何になるんだかな)
常人と一線を画す能力者。しかも、常に血生臭い戦場に身を置くBLITZの隊員。
――いや、全員が全員そうではないだろう。だが、どんなに感動的な景色を目の当たりにしても、今の自分には常人と同じ感性など残っていなかった。
(――左の崖上、香奈恵なら突っ込むのに、端まで十秒か、五秒か)
無意識のうちに、景色を「戦闘のための地形」として測っている自分に気づき、京介は乾いた笑いを漏らす。
(……そうじゃねぇだろ)
京介
「ダメだなぁ……忍とフリージアのお出かけ相手は、俺より紗夜ちゃんのほうが……」
ハッとしながら、そこまで言いかけて口を噤む。金星から生還してなお、秘書である紗夜と、フリージアの二人は未だ昏睡状態から目を覚ましていない――その残酷な事実を思い出し、京介の胸が激しく詰まった。
昨晩から今朝にかけての束の間の平穏が、無意識のうちにその現実を薄れさせていた。 響華の優しさ、忍の温もり。 それに気休めのように甘えていた自分の弱さを、京介は激しく恥じる。
高鳴る心臓の鼓動が耳障りで、呼吸が急速に浅くなる。込み上げる自責の念を抑え込むように、京介は再び己のなかに問いを投げた。
(……俺が……弱いから……)
沸き立つ焦燥と絶望を誤魔化すように、手にしていた缶コーヒーを限界まで握り潰し、必死に意識を保とうとする。
「――お兄ちゃん、大丈夫?」
ふと掛けられた幼い声に、京介ははっと顔を上げた。 視線の先には、心配そうにこちらを覗き込む見知らぬ小さな少女が立っていた。突然の声に思考が凍りつき、京介はただ呆然と少女を見つめ返す。
「お兄ちゃん……。どこか痛いの? お腹痛いの?」
怯えるわけでもなく、ただ純粋に心配してくれる瞳に気圧されながらも、京介は慌てて強張った表情を緩めた。
京介
「……だ、大丈夫だよ。心配してくれて、ありがとう……」
少女は物怖じせず一歩近づくと、背伸びをしてその小さな手で京介の頭をぽんぽんと撫でた。
「痛いの痛いの、飛んでけー!」
幼いアクセントで唱えられたおまじない。 そのあまりに無垢な優しさに、京介は一瞬呆気にとられたが――気がつけば、先ほどまで狂っていた心臓の動悸が嘘のように収まっていた。
「……どう? もう痛くない?」
心配そうに見上げてくる少女を安心させるため、京介は不慣れながらも、できる限りの柔らかな笑みを向けた。
京介
「うん、大丈夫。平気になったよ。ありがとうな」
その言葉を聞いて、少女はぱっと満面の笑みを咲かせる。
「よかったぁ! じゃあね、お兄ちゃん、バイバイ!」
ひらひらと手を振りながら、少女は母親が待つのか、トコトコと駆けて去っていった。
「……お兄ちゃん、またねー」
遠ざかる後ろ姿に小さく手を振り返し、京介は大きく息を吐き出した。 降り積もっていた黒い感情が、ほんの少しだけ軽くなった気がして、彼は静かに目を伏せる。
京介
「……あんな子供の笑顔が……また見れたらなぁ……」
自嘲混じりに零した呟きは、峠の冷たい風にかき消されて消えていった。
京介が自身の弱さを克服しようとしている頃、BLITZの本部ではまだ目覚めない紗夜とフリージアの治療を行う菜琉が、溜め息をつきながらモニターを食い入るように見つめていた
菜琉
「なんで?……傷は全部治ってるし、異常はないのに……」
モニターに映し出されるデータは、二人がもう目を覚ましてもおかしくない数値を示している
医療班として、見立てが間違ってないのに、結果が起こらない事を焦っているようだった
伽耶
「ねぇ……少し休んだら?」
その姿を心配そうに声をかける伽耶
だが菜琉はそれが納得のいかない様子で、伽耶に返す
菜琉
「……だって、戻った時はすぐ起きるくらいに回復してたんだよ?、朦朧としてたけど意識だって辛うじてあったし、それが幾らなんでも一日経って起きないなんて……」
伽耶
「……今まででもそんな人いたじゃない……焦りすぎだよ」
菜琉
「このまま起きなかったらどうしよう……私の能力が原因だったら……」
伽耶
「えい!」
パンっ!っと言う音と共に、菜琉の頬を両手で挟み、静かに目を見つめながら話した
伽耶
「総班長のアンタが、そんなに焦ってどうするの、今までも起きない人は幾らでもいたでしょ?、単純な疲労で起きない可能性もあるんだから、数字だけ見ないの」
菜琉
「……う、うん」
口を絞られたまま返事をするが、伽耶の言葉に落ち着きを取り戻す
伽耶
「可愛がってるのはアンタだけじゃないんだからさ……心配なのはアタシも一緒だよ?」
秋浩
「それに京介も同じ事言ってのんびり構えるだろ?」
菜琉
「……うん……えっ?」
伽耶
「気配消すの止めてよ……びっくりする……」
音もなく忍び寄った秋浩に、菜琉も伽耶も心臓がバクバクする程驚いた
秋浩
「おぅ、悪ぃ……」
そう言う秋浩の手には、菓子店の箱が握られている
それを目の前に差し出し、ボトルの飲み物を配りながら話し出す
秋浩
「多分高負荷に耐えれなくて身体が限界迎えただけだろ?自発呼吸があるなら様子見ろよ」
箱の中身を取り出し、シュークリームをかじりながら話す秋浩
伽耶
「そうだよね?秋浩もそう思うでしょ?、アタシ、プリンもーらい」
伽耶も箱の中身をひとつ取り出す
菜琉
「だと……いいんだけど……」
そうは言われても、菜琉は心配が勝ってしまってるようで、菓子の箱に手を伸ばさない
そんな菜琉に、思う事があったのか口を開く秋浩
秋浩
「……お前も京介と同じじゃねぇかよ……」
菜琉
「えっ……」
秋浩
「……忍ちゃん達と重ねてんだろ」
改めて秋浩に図星を突かれ、返答に詰まる菜琉
秋浩
「忍ちゃんが同じ目にあったら、まぁ取り乱すのもわかるけどな、けど京介は責めねぇし、お前の責任とも思わねぇよ」
菜琉
「……」
伽耶
「まぁ、菜琉は京介が自分責めるまで考えてるんだよ」
伽耶が口をはさみ、菜琉にとってクッションになろうとしてるのを見越して、秋浩もそれ以上は言わなかった
秋浩
「とりあえず様子みてもバチ当たんねぇだろ?」
秋浩はシュークリームを飲み込むと、どこか場を引き締めるようにふっと表情を改めた。
秋浩
「――それよりよう」
意味ありげに秋浩が言葉を繋げたことで、部屋の空気が少しだけピリリと引き締まる。
秋浩
「……件のBLITZ狩り……京介が隠蔽したって話、もう一回詳しく説明して欲しいんだけど……」
その言葉に、菜琉は思わずビクリと肩を揺らした。 金星からの帰還や二人の処置に追われてバタバタしていたせいで、伽耶も一通り聞いただけで細部までは把握しきれていなかった。
菜琉
「あ……あはは……いやぁ……」
伽耶
「さすがに、このメンツの間だけで済む話でしょ? 言いづらい事情があるのも分かるけど、きちんと聞いておかないと、後で外でボロが出たら厄介よ……」
菜琉
「う……うん……そう、だよね……」
金星のスカーレットスコルピオの掃討作戦より前に、BLITZ狩りを鎮圧していた京介
だがその主犯の死亡したハズのアメリカ支部、前攻撃隊総隊長のルーイン・J・トンプスンを、そのまま逃亡させた事を、この場の三人だけの話として、詳しく話した
伽耶
「……とりあえず、突っ込む所しかないんだけど……」
秋浩
「……まぁ、流れ的に予想は出来るけどな……ほんとにやるかは置いておいて……」
菜琉
「は……ははっ……」
アメリカ支部の医療班の癖の強さ、京介の生身での帰還、医療用輸送機の持ち出し、菜琉が見たものだけでも情報が渋滞している
それに加えて犯人の逃亡幇助、それがバレただけでも京介の失脚は確定する
秋浩
「でもまぁ、それすらも気にしてねぇからそうやったんだろ?」
伽耶
「……除隊は京介のブレーキにはならないからね……」
秋浩
「除隊だけじゃ済まねぇよ、軍法会議で極刑は確定だろ、けどそうなったら……暴れ散らかすだろうなぁ……」
伽耶
「あぁ〜……」
三人とも、遠い目をしながら納得してしまう京介の自由さ
だが逆を返せば、それほど自棄な状態で生きているという危うさを危惧してしまう
秋浩
「まぁいいや、とりあえず事情は把握したから、この話は終わりにしようぜ」
伽耶
「……だ、だよね、そうしよう。ほら菜琉、せっかく秋浩が持ってきたお菓子、溶けやしないけど食べよ?」
菜琉
「う……うん、だよね。じゃあ……いただきます」
不穏な空気を払い落とすように包装紙を開く三人。だが、その遠い目をした表情の奥には、今は停職処分を受け、たった一人でそれぞれの十字架を背負って生きる京介への、静かな心配と仲間としての温もりが澱のように沈んでいた。
そんな三人の心労を、つゆとも知らない京介は、峠道から戻り、街中にあるサンジェルマンでのお遣いをしていた
京介
「……予想以上にギリギリだったな……アップルパイあれば良いけど……」
「いらっしゃいませ〜」
店内を見渡すと、辛うじて二つ残っていたアップルパイにホッとし、適当にほかのものと一緒に買い物をする
京介
「……あの〜……」
「はい?なんでしょうか」
京介
「棚にあるやつ、全部貰えますか?」
「……えっ……全部…ですか?……」
京介
「箱とか貰えると助かるんですけど……」
閉店間際の店内の商品を、あるだけ購入すると言う、ある意味暴挙に出る京介
だがこの店のパンは、忍や響華にとってもお気に入りになっている
それをわかっていて買い占めたのだろう
「あぁ〜……ジャムパン無くなっちゃった……」
店員が棚のパンを全て取り尽くしていると、高校生くらいの女の子が残念そうこぼす。
申し訳ございません、と店員が謝っていると、トレイにあるジャムパンを二つ程掴み女子高生に渡す
「えっ?」
京介
「買い占めちまったんだ、悪い、これやるから勘弁してくれ……」
「いやいやいや、いいですよ!そんな……」
京介
「良いんだよ、貰っといてくれ」
見ず知らずの大人に、急にジャムパンを渡された女子高生は、受け取って良いかも分からず困惑する
「……貰って置いて大丈夫よ」
入り口から唐突な声をかける年配の女性、京介はその声の主に驚きながら声をかける
京介
「秋浩の母ちゃん……」
「先生!……」
女子高生は、自分の言葉と同時に放たれた京介の言葉に驚きながら、二人を交互に見る
三条母
「しばらくぶりね、京介くん、相変わらず豪快に買い物するわねぇ……」
京介
「お久しぶりです……」
「えっ、えっ?」
三条母
「私の息子の友達だから、遠慮なくそのパン貰ってあげて?」
秋浩の母親、高校の教員をしている
しばらく会わなかったが、幼少期から京介に世話を焼いてくれた一人
響華とは違う、気を許せる数少ない人間
唐突な教員の出現に戸惑いながら、その言葉を信用し京介から受け取る、小さく「ありがとうございます……」と礼を述べた
ぶっきらぼうで、あまり表情が豊かではなく、人相もあまり万人受けしない京介に向かい、微笑みながら言葉をかける
三条母
「……相変わらずそんな辻斬りみたいな真似してるのね、安心したわ」
京介
「……誰が戦後の誘拐犯か!……」
その言葉に、店員の方が耐えきれずに吹き出す
カタカタと身体を震わせ、失礼が無いように我慢するが、数名耐えきれず奥に隠れていた
秋浩の母親も、思わず声をあげながら笑う
三条母
「フフフッ……そこまで言って無いじゃない……ふふっ」
京介
「まだイケるネタですね」
二人はそのまま店を後にし、近くのベンチで話す事になった
三条母
「京介くん元気そうで良かった、いつ以来だっけ?」
京介にコーヒーを渡しながら話し出す秋浩の母親
懐かしい気持ちもあるだろう、響華と同じ眼差しで見つめる
京介
「二年ぶりくらいですかね?」
三条母
「……もうそんなになるかぁ……」
京介
「秋浩、帰って無いんですか?」
三条母
「忙しいんだろうし、大変なんでしょ?」
秋浩の母親の言葉に、一瞬言い淀む
まさか自分のせいで大変です、とは口が裂けても言えない
京介
「……帰るように言っておきますよ」
そう言われ、少し遠くを見つめる秋浩の母親
何かをふける様子で、言葉を続ける
三条母
「……変わらずに元気ならいいの……邪魔したく無いから……」
京介
「……寂しいでしょ……」
三条母
「ハハッ……昔からオブラートって言葉を知らないよね、まぁそれがいい所だけど」
京介
「すんません……」
バツの悪そうな顔の京介に向かい、頭を荒っぽくガシガシと撫でる
三条母
「大丈夫よ、逆にそこまで言って貰えると助かるわ……あなたのお母さんと違って、私は同じ事が出来なかったから、年頃の秋浩に、ちょっと辛い思いさせちゃったし……」
京介
「……響華さんも忍も、多分普通の感覚とは違うんですよ……良くも悪くも……」
コーヒーに口をつけながら、京介が静かに話す。その横顔は、どこか痛々しいほどに寂しそうに見えた。 些細な変化を見逃さない秋浩の母親は、愛おしむように、またさらに京介の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
三条母
「……あんたも、たまには誰かに甘えなさいよね」
京介は苦笑いを浮かべ、冷めかけたコーヒーに目を落としつつ反論する
京介
「……秋浩のかぁちゃんも、甘えて下さいよ……大人には大人の辛さもあるでしょ……俺ん家は気にしないんで、遠慮なく来て下さいよ」
三条母
「……生意気言っちゃって……響華ちゃんとはたまに会うのよ?まぁ忍ちゃんにも会いたいけどね」
第三者との対話
だがそれ自体が自分を客観的に見せて貰える良い影響になり得る
京介は、親友の母親と言う立場に、ささやかに感謝した
京介
「良かったらパン、何個か持って行って下さい、閉店間際だから買い占めただけなんで」
そう言うと、箱の中身を秋浩の母親に見せながら、好きなのを取ってくれと差し出す
秋浩の母親
「……相変わらず優しいわね……ありがとう、それじゃあどれにしましょうかね〜?」
秋浩の母親の柔らかい笑みに触れながら、京介は胸の奥が微かに温かくなるのを感じていた。
――利害でも、能力の恐ろしさでもなく、ただの近所の友達の子供、として見てくれる
畏怖の象徴として怯えられ、あるいは戦闘兵器として扱われる世界にあって、こうして飾らない温度で接してくれる存在は、いまの彼にとって掛けがえのない救いだった。