設定・構成・文章を一緒に練りながら制作した作品です。
「鬼滅の刃本編に、もし甲の隊士が一人いたら?」
という発想から始まり、
対話を重ねながら少しずつ真壁堅という人物を形にしていきました。
自分一人では辿り着けなかった広がりや視点も多く、
今回こうして作品として形にできたことを嬉しく思っています。
少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
夜の山は、どこまでも息苦しかった。
血の匂いが、まだ濃い。
斬り伏せた鬼の残滓。
張り詰めた糸の感触。
那田蜘蛛山の夜は、
下弦の伍――累との死闘が終わったあとでさえ、
まるで何も終わっていないように静まり返っていた。
そこへ鎹鴉(かすがいがらす)の声が響く
「伝令!伝令!水柱富岡義勇、下弦ノ伍、鬼ヲ討伐、カァァ!」
竈門炭治郎は、荒い呼吸のまま膝をついていた。
肺が焼けるように痛い。
腕も脚も、まともに言うことを聞かない。
それでも炭治郎は、腕の中の存在だけは決して離さなかった。
「富岡さん・・・やったんだ!」
禰豆子。
妹の身体は小さく、軽い。
だが今の炭治郎にとって、その重みだけが
まだ自分をここに繋いでいた。
「禰豆子……大丈夫だ……!」
そう言った声が、
自分でも驚くほどかすれている。
返事はない。
だが、まだ温かい。
その時だった。
夜気の中に、
花のような香りが混じった。
「まあ」
柔らかく、しかしどこか温度の低い声。
炭治郎は反射的に顔を上げる。
そこに立っていたのは、
蝶の羽を思わせる羽織を纏った女剣士だった。
その姿は美しかった。
だが同時に、夜の山の空気よりも
どこか冷たく感じられた。
「鬼を庇うなんて、変わった子ですね」
その声音は穏やかなのに、
炭治郎の背筋に冷たいものが走る。
炭治郎は禰豆子を抱えたまま、
咄嗟に前へ出る。
「違います!」
声が掠れて、うまく出ない。
「禰豆子は、人を喰ってない……! 俺の妹なんです!」
女性は微笑んだまま、
ほんの少しだけ首を傾げた。
「鬼は鬼です」
その一言に、
炭治郎の中で何かがざわりと逆立つ。
違う。
違うんだ。
禰豆子は、人を守ってきた。
一緒に戦ってきた。
何度も、自分を助けてくれた。
でもそれを、
今ここで全部言葉にして証明できるほどの余力がない。
身体が動かない。
頭も回らない。
それでも炭治郎は、禰豆子を背に庇うように立った。
その時だった。
女性が一歩踏み出すより先に、
その間へ、別の影が静かに滑り込んだ。
黒い隊服。
深紺の羽織。
肩幅の広い背中。
その人は、
まるで最初からそこに立つことが決まっていたみたいに
自然な動きで炭治郎としのぶの間へ入った。
炭治郎は思わず息を呑む。
その背中は大きかった。
派手ではない。
だが、妙に目を引いた。
何より不思議だったのは――
その人が立った瞬間、場が少しだけ“崩れなくなった”
ように感じたことだった。
その隊士は、振り返らないまま
低く言った。
「竈門炭治郎ですね」
声は静かで、短い。
感情を煽るような響きはない。
だが、はっきりと届く声だった。
炭治郎は戸惑いながら答える。
「……はい」
「そのまま動かないで下さい」
その言葉に、炭治郎は一瞬だけ目を見開く。
敵意がない。
何より、匂いが違う。
この人は、今ここで誰かを斬ろうとしていない。
女性が少しだけ目を細める。
「真壁さん」
その名を、炭治郎は初めて聞いた。
真壁堅。
まだこの時の炭治郎は、
その名前も、この人が何者なのかも知らない。
ただ一つだけ分かったのは、
この人は“ただの通りすがり”ではないということだ。
真壁は、女性の方へ半歩だけ身体を向ける。
「胡蝶様、この件、少し待って頂けますか」
丁寧な言葉だった。
だが、声音には一切の迷いがない。
胡蝶しのぶは微笑んだまま言う。
「鬼を匿う理由になりますか?」
「今ここで斬る理由にはまだ足りません」
その返しに、
炭治郎は思わず真壁の背中を見る。
なにを言うんだ、この人は――
と思った。
もっと激しく止めるのかと思った。
もっと感情的に庇うのかと思った。
でも違う。
この人は、
“どちらかを否定する”のではなく、まず場を支えている。
その立ち方が、炭治郎には妙に印象に残った。
しのぶは相変わらず笑っている。
だが、その笑みの奥に
ほんの少しだけ鋭さが増したのを炭治郎は感じた。
「真壁さんが、鬼を庇うんですか?」
真壁は短く答える。
「庇ってはいません」
一拍。
「確認したいだけです」
その返しは、ひどく静かだった。
だが、その静けさが逆に
“簡単には退かない”という意思をはっきり示していた。
しのぶとの間に緊張が走る中、
真壁はそこで初めて、少しだけ炭治郎の方へ顔を向けた。
炭治郎は、その目を見て少し驚く。
鋭い。
だが冷たいだけではない。
何かを見極めようとする目だった。
真壁は炭治郎の顔を、
禰豆子を庇うその姿勢を、
ほんの短い時間で静かに見ていた。
まるで“話”ではなく、
“立ち方”を見ているようだった。
「……鱗滝さんの言っていた通りですね」
小さく、そう呟く。
炭治郎は目を瞬かせる。
「鱗滝さんを……知ってるんですか?」
真壁はすぐには答えない。
代わりに、短く言った。
「後で話します」
その言い方はぶっきらぼうにも聞こえたが、
不思議と突き放す感じはなかった。
炭治郎は少しだけ息をつく。
完全に助かったわけじゃない。
でも今、目の前には
確かに“時間を繋いでくれる人”が立っている。
それだけで、少しだけ呼吸が戻った。
崩れない人
炭治郎は、その背中を見ていた。
広い背中だった。
でも、
義勇のような圧倒的な孤高とも違う。
炎のような熱とも違う。
もっと静かで、
もっと重く、地面に近い強さだった。
例えば、崩れかけた場所で
最後まで立っている柱みたいな。
その人がいるだけで、
誰かが少しだけ倒れにくくなる。
炭治郎はまだ言葉にできなかったが、
後になって思えばこの時すでに
真壁堅という人の本質を少しだけ見ていたのだと思う。
もう一つの気配
その時だった。
山の奥から、
別の気配が近づいてくる。
冷たい水のような、
鋭く澄んだ気配。
真壁がほんのわずかに視線を上げる。
炭治郎も、次の瞬間には分かった。
この気配は知っている。
そして同時に、
真壁がここにいる理由の一端も、
少しだけ見えた気がした。
木々の間から現れたのは、
水柱――
冨岡義勇
その姿を見た瞬間、
炭治郎の中でいくつもの感情が交錯する。
安堵。
緊張。
そして、嫌な予感。
だが、義勇が現れてもなお
真壁は一歩も退かなかった。
炭治郎の前に、
しのぶとの間に、
そしてこの夜の“答えが出るまでの時間”の中に。
ただ静かに、
そこに立ち続けていた。
この人は誰だ
炭治郎はその背中を見つめながら、
ぼんやりと思う。
この人は誰なんだろう。
柱ではない。
でも、ただの隊士とも思えない。
目立つ人ではない。
なのに、なぜか印象に残る。
そして何より――
「この人がいなければ、今この場は、自分も禰豆子も壊されていた」
と、はっきり分かった。
夜風が吹く。
那田蜘蛛山の空気はまだ重い。
鬼の匂いも、血の匂いも、
終わってはいない。
でもその夜、
炭治郎は確かに一人の隊士を知った。
名を、真壁堅という。
後に鬼殺隊の中で、
誰より前へ出るわけではなく、
誰より派手に戦うわけでもなく、
それでも多くの者の記憶に残ることになる男。
その夜、炭治郎は確かに思った。
この人がいなければ、今この場は壊れていた。
第一話 終
楽しんで頂けましたでしょうか?
完結まで毎日、もしくは隔日くらいで投稿続けようと思っています。
読んで頂けると嬉しく思います。