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鬼殺隊の中には、
目立つ者がいる。
一太刀で空気を変える者。
声一つで場を引っ張る者。
ただそこにいるだけで、
周囲に強さを理解させる者。
柱とは、
そういう存在だ。
だからこそ、
柱ではない者が
人の記憶に残ることはそう多くない。
だが――
ごく稀に、
そうではない者もいる。
その任務は、
山間の集落で起きたものだった。
夜ごと一人ずつ人が消える。
痕跡は少ない。
血もない。
争った跡も薄い。
それだけなら、
鬼の仕業としてはむしろ静かすぎた。
だからこそ、
隊には嫌な緊張があった。
派手な異常より、
静かな異常の方が崩れやすい。
何が起きるか分からないまま、
少しずつ神経だけが削られていくからだ。
その夜の任務に出ていたのは、
数名の一般隊士と、
一人の甲の隊士だった。
深紺の羽織を纏った男。
真壁堅。
隊の中で、
その名を知る者は少なくなかった。
だがそれは、
華々しい武勇伝のせいではない。
「一緒の任務だと、不思議と死なない」
そういう言い方で、
静かに知られている名前だった。
山道を進みながら、
若い隊士の一人が
小さく息を呑んでいた。
夜の気配が濃い。
木々の隙間から覗く月も薄く、
風の音だけがやけに耳につく。
その時だった。
前を歩いていた真壁が、
足を止めた。
振り返りはしない。
ただ、低く言う。
「止まってください」
声は静かだった。
だが、
それだけで全員の足が止まる。
一人の隊士が、
反射的に息を呑む。
その足元、
わずかに地面が沈んでいた。
落とし穴だった。
しかも浅くない。
そのまま踏み抜いていれば、
崩れた姿勢のまま夜の山で孤立していたかもしれない。
若い隊士の喉がひくりと鳴る。
真壁は足元を見ることもなく言った。
「左から回ります」
それだけだった。
誰も叱られない。
誰も責められない。
ただ、
“崩れる前に止められた”という事実だけが残る。
それは、
その夜に限ったことではなかった。
一歩早く止める。
一拍早く気づく。
一人が崩れそうになる前に、
場の方を整えてしまう。
真壁堅という隊士は、
そういう動きをする。
鬼と斬り結ぶより先に、
鬼と戦うための形を崩さない。
それがどれほど厄介で、
どれほど異質なことなのかを、
若い隊士たちはまだうまく言葉にできなかった。
だが、
確かなことが一つだけある。
この人が前にいると、
妙に足を滑らせない。
妙に慌てない。
妙に――
死なない。
鬼が現れたのは、
山の奥に入ってからだった。
気配は遅かった。
姿も遅かった。
まるで最初からそこにいたのではなく、
こちらが崩れるのを待っていたかのように。
木々の影の間から、
ぬるりと細い腕が伸びる。
一人の隊士が反応しきれず、
半歩遅れた。
その瞬間、
「下がってください」
真壁の声が落ちた。
大きくはない。
だが迷いがない。
同時に真壁が一歩だけ前へ出る。
抜刀。
礎の呼吸 壱ノ型――
盤脚。(ばんきゃく)
重心が沈む。
踏み込んできた鬼の腕を、
真正面から受け止めるように刃が走った。
硬い。
だが、
真壁は退かない。
受けた刃がそのまま滑り、
鬼の体勢だけをわずかに崩す。
たったそれだけで、
鬼の“押し切る形”が消えた。
若い隊士の一人が息を呑む。
速さではない。
派手さでもない。
だが、
その一太刀には
妙に逆らえない重さがあった。
鬼がすぐさまもう一歩踏み込み、
今度は横薙ぎに腕を振るう。
真壁はそこで初めて、
ほんのわずかに身体を開いた。
礎の呼吸 弐ノ型――
止水壁。(しすいへき)
刃が小さく、
最短で動く。
一度、二度、三度。
最小限の軌道で振るわれた木を裂くような斬撃が、
鬼の腕筋と爪の軌道だけを正確に削ぐ。
攻撃は通らない。
だが、
ただ弾いているわけでもない。
鬼の勢いそのものが、
じわじわと殺されていく。
「右へ」
短い指示。
言われた隊士は反射で動く。
次の瞬間、
鬼のもう一方の腕が
ついさっきまでその隊士がいた場所を薙いでいた。
冷や汗が遅れて背を伝う。
間一髪だった。
だが真壁の呼吸は少しも乱れない。
視線も揺れない。
鬼を斬りながら、
同時に隊の崩れも見ている。
それがどれほど異常なことなのかを、
その場にいた者たちは後になってようやく理解することになる。
鬼が苛立ったように距離を詰める。
今度は真正面から、
体ごと叩き潰すような突進。
その瞬間、
真壁の足が土を噛んだ。
礎の呼吸 参ノ型――
砕路。(さいろ)
踏み込みと同時に、
下から斬り上げる。
重い。
速さではなく、
“通すため”の一撃だった。
鬼の腕を、胴を、
そのまま防御ごと割るように刃が走る。
一瞬、
鬼の身体が泳ぐ。
その隙を、
周囲の隊士たちが逃さない。
だが、
そこで終わりではなかった。
鬼はなおも退かず、
血鬼術で周囲の木々の影を歪める。
気配が散る。
位置が読みにくくなる。
若い隊士たちの呼吸が、
目に見えて乱れた。
崩れる。
そう思った瞬間だった。
真壁が一歩だけ動く。
礎の呼吸 肆ノ型――
鎮環。(ちんかん)
半歩だけ位置をずらしながら、
円を描くように刃が走る。
大きくはない。
だが無駄がない。
影から迫ろうとした鬼の腕も、
側面へ回り込もうとした胴も、
その円の中へ入った瞬間に止められる。
攻める隙が、ない。
いや――
“攻めていい場所がない”。
若い隊士の一人は、
その時初めて理解した。
この人は、
強いから前に立っているのではない。
前が崩れないように、
そこに立っているのだ。
やがて鬼は苛立ちを露わにし、
最後の賭けに出る。
体勢も何も捨てて、
ただ力任せに踏み込んだ。
勝てると思ったのだろう。
押し切れると思ったのだろう。
その瞬間だけ、
真壁が完全に止まった。
動かない。
呼吸すら、
そこだけ静まったように見えた。
鬼の腕が届く。
その直前――
礎の呼吸 伍ノ型――
不動礎。(ふどうそ)
一閃。
それだけだった。
最短。
最小。
だが、
最も深い一太刀。
鬼の首が、
音もなく落ちる。
あまりにも静かな決着だった。
戦いが終わったあとも、
誰もしばらく動けなかった。
生きている。
全員が。
その事実が、
現実味を持たなかったからだ。
帰り道、
若い隊士の一人が
ぽつりと呟いた。
「……あの人、全然動じなかったよな」
誰に言うでもない声だった。
別の隊士が、
疲れた顔のまま答える。
「いや……」
そこで少し考えてから、
言い直した。
「動じなかった、っていうより」
夜道の先を歩く、
深紺の背中を見る。
あの人はたぶん、
最初から最後まで
“崩れない位置”にいたのだ。
だからこちらも、
崩れずに済んだ。
その感覚をうまく言葉にできず、
その隊士は最後にただ一言だけ言った。
「……不動、って感じだった」
その言葉に、
周りの隊士たちは何も返さなかった。
だが、
否定もしなかった。
しっくりきてしまったからだ。
それからしばらくして、
その呼び方は
ごく一部の隊士たちの間で
小さく広まっていくことになる。
不動。
派手な異名ではない。
強さを誇る名でもない。
だが、
その名は真壁堅という男を
妙に正確に表していた。
何が起きても揺れないのではない。
揺れても、
崩れない位置に戻れる。
そして――
自分だけではなく、
周囲まで崩れにくくしてしまう。
それは、
ただ強いだけの剣士にはできないことだった。
もちろん、
真壁本人はその呼び名を知らない。
知ったところで、
特に気にもしないだろう。
彼にとって大事なのは、
異名ではない。
誰かが死なずに済むこと。
崩れそうな場が、
崩れきらずに終わること。
ただそれだけだ。
だから今日もまた、
真壁堅は
誰かの知らない場所で立っている。
前に出る者たちの少し後ろで。
崩れそうな場の、
ぎりぎり手前で。
静かに、
だが確かに。
その足場があることに、
気づかない者も多いだろう。
だがきっと、
そういう者がいるからこそ
前へ進める人間もいる。
鬼殺隊の中で、
誰より目立つわけではない。
だが、
確かに必要な一人。
真壁堅。
その名は
後に一部の隊士たちから、
静かに定着する。
――不動、と。
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幕間 終
※礎の呼吸の小解説。
読み飛ばしていただいても構いません。
礎の呼吸は、
水の呼吸系統から派生した独自の呼吸です。
受け・間合い・重心・位置取りを重視し、
「崩されても戻す」「場を崩さない」
ことを土台に組まれています。
礎の呼吸
壱ノ型 ― 盤脚
弐ノ型 ― 止水壁
参ノ型 ― 砕路
肆ノ型 ― 鎮環
伍ノ型 ― 不動礎
陸ノ型 ― ???(未登場)
終ノ型 ― ???(未登場)
キービジュアルAIさんに作成してもらいました。
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