鬼滅の刃 ― 礎 ―   作:【規制済み】

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第九十七話 ― 決意の内側

 

冷たい。

 

肺の奥が、

じわじわと凍りついていく。

 

呼吸が、

わずかに遅れる。

 

吸う。

 

浅い。

 

吐く。

 

足りない。

 

ほんのわずか。

 

だが――その一拍が、

致命になる距離だった。

 

童磨の扇が、

静かに開く。

 

「もう限界でしょ?」

 

やわらかい声。

 

「ほら、息もちゃんとできてないよ」

 

次の瞬間。

 

――ヒュッ

 

空気が裂ける。

 

しのぶの身体が、

半拍遅れて沈む。

 

頬をかすめる冷気。

 

遅い。

 

(……今のは)

 

遅れた。

 

足が、

わずかに止まる。

 

呼吸が、

繋がらない。

 

一瞬だけ。

 

本当に、

ほんの一瞬だけ。

 

“間に合わない”感覚が、

身体をよぎった。

 

 

 

童磨の姿が、

消える。

 

来る。

 

分かっている。

 

だが――

 

身体が、

追いつかない。

 

(……ここで)

 

終わる。

 

その認識が、

静かに浮かぶ。

 

――その時。

 

(できるわね、しのぶ)

 

思い出したわけじゃない。

 

浮かんだだけだ。

 

ずっと前から、

ここにあったものが。

 

ただ、

今の自分に届いただけ。

 

 

 

呼吸を、

繋ぐ。

 

浅くていい。

 

細くていい。

 

切らなければいい。

 

(優しくありなさい)

 

その言葉もまた、

同じ場所にある。

 

揺らがない。

 

変わらない。

 

 

だから――

 

 

殺す。

 

 

しのぶの足が、

沈む。

 

遅れていた一拍が、

消える。

 

踏み込む。

 

――ギィンッ!!

 

童磨の扇と、

しのぶの刃が噛み合う。

 

「……あれ?」

 

初めて。

 

わずかに。

 

童磨の声に、

違和感が混じる。

 

速さは変わっていない。

 

力も変わっていない。

 

だが――

 

しのぶの突きが、

迷わない。

 

揺れない。

 

通すための軌道だけを、

正確に選び続ける。

 

――ザッ

 

踏み込む。

 

これまでと同じ間合い。

 

同じ軌道。

 

同じ最短。

 

童磨の首元へ、

正確に届く――はずの一突き。

 

だが。

 

しのぶの刃が、

ほんのわずかに“外れる”。

 

「……んん?」

 

童磨の声が、

初めて“読み損ねた側”のものになる。

 

致命の軌道だった。

 

ズレるはずがない一線。

 

それが、

ほんの指一本分だけ外れている。

 

しのぶは、

何も言わない。

 

ただ、

そのまま一歩だけ踏み込む。

 

もう一度。

 

今度は、

さらに浅く外す。

 

「……え?」

 

童磨の目が、

わずかに細くなる。

 

理解が追いつかない。

 

速さは変わっていない。

 

精度も落ちていない。

 

それでも、

“当たらない”。

 

違う。

 

“当てていない”。

 

一拍。

 

しのぶの呼吸が、

静かに落ちる。

 

(……ここだ)

 

初めて。

 

相手の“間”が揺れた。

 

積み上げてきたものが、

通らなかった理由。

 

噛み合わなかった原因。

 

それを――

 

今、

掴んだ。

 

「……ふーん」

 

童磨の声が、

ほんの僅かに低くなる。

 

軽さの中に、

初めて混じる“探る音”。

 

しのぶは、

答えない。

 

ただ――

 

次の一歩を踏み込む。

 

その踏み込みは、

もう先程までとは違っていた。

 

 

童磨の目が、

ほんの少しだけ細くなる。

 

初めて、

“見る側”の目になっていた。

 

 

「へぇ、変わるんだねぇ」

 

 

しのぶは答えない。

 

ただ、

次の一歩を踏む。

 

呼吸は浅い。

 

肺は軋む。

 

身体は確実に削られている。

 

それでも――

 

止まらない。

 

止まる理由がない。

 

 

 

童磨が、

ゆっくりと扇を閉じる。

 

「なるほどねぇ」

 

くすりと笑う。

 

「やっと美味しそうな顔になった」

 

空気が、

変わる。

 

軽さの中に、

ほんのわずかに混じる“圧”。

 

だが、

しのぶは動じない。

 

踏む。

 

詰める。

 

削る。

 

通す。

 

積み上げてきたものを、

最後まで崩さず繋ぐ。

 

それだけ。

 

 

 

遠く。

 

わずかに。

 

別の気配が近づいていた。

 

だが――

 

まだ届かない。

 

この場は、

まだ終わらない。

 

しのぶの刃が、

再び閃く。

 

その一撃は――

 

もはや、

迷いを一切含んでいなかった。

 

 

第九十七話 終

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