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違和感は、
最初は小さかった。
童磨の身体は、
確かに動いている。
斬撃も速い。
精度も高い。
だが――
「……あれ?」
ほんの僅かに、
“ズレている”。
再生が遅いわけじゃない。
だが、
噛み合っていない。
斬られた箇所と、
戻るはずの肉が、
一拍だけずれる。
呼吸のように自然だったはずの動きに、
ほんの僅かな“綻び”が混じる。
童磨が、
首を傾げる。
「……変だな」
その声は、
まだ軽かった。
だがその足元で、
確実に何かが崩れ始めている。
――ザッ
しのぶの身体が、
崩れ落ち、
童磨の腕の中で、
力が抜けていく。
「……ああ」
童磨が、
少しだけ寂しそうに笑う。
「終わっちゃった」
「でも大丈夫」
やわらかな声。
「安心してよちゃんとキミは、俺の中で生きるから」
その言葉は、
どこまでも優しかった。
だからこそ――
歪んでいた。
童磨が、
完全にしのぶを取り込む。
「やっぱり若い女の子はいいね」
「後で鳴女ちゃんにお礼言わなきゃ」
その瞬間。
「――ッ?」
身体の奥で、
何かが弾けた。
多い。
量が、
おかしい。
流れ込んでくる毒が、
今までとは桁が違う。
「……え?」
初めて。
その声に、
理解の遅れが混じる。
血ではない。
刃でもない。
これは――
「……全部、毒?」
空気が、
変わる。
童磨の足が、
わずかに止まる。
次の一歩が、
ほんの半拍遅れる。
それだけ。
たったそれだけ。
だが――
それは致命的だった。
――ドンッ!!
天井を蹴り砕く音。
「オラァッ!!」
伊之助が、
一直線に突っ込んできた。
躊躇も。
理屈もない。
ただ、
“そこにいる”から斬る。
童磨の視線が、
一瞬だけそちらへ向く。
その瞬間。
動きが、
噛み合わない。
本来なら、
完全に捌ける角度。
だが――
「……ズレた?」
伊之助の刃が、
わずかに深く食い込む。
血が、
飛ぶ。
浅い。
だが、
確実に“通った”。
「ハッ……やっと会えたなァ!!」
「テメェは俺が斬る!」
伊之助の笑いが、
荒く弾ける。
その一撃は、
致命ではない。
だが――
戦場の“形”を壊すには、
十分だった。
その背後。
静かに。
一人の少女が、
踏み込んでいた。
栗花落カナヲ。
呼吸は乱れていない。
視界も、
揺れていない。
ただ、
見ている。
今この瞬間。
どこが崩れたのか。
どこが、
通るのか。
迷わない。
考えない。
選ぶ。
ただそれだけ。
(ここ)
童磨の身体が、
再生を始める。
だが――
遅い。
いや違う。
“ズレている”。
戻るはずの肉が、
ほんの僅かに遅れた。
その一瞬。
本来なら、
絶対に存在しない“隙”。
――ヒュン
音すら、
ほとんどなかった。
カナヲの踏み込みは、
静かだった。
だが――
迷いがない。
軌道が、
一切ブレない。
童磨の目が、
わずかに見開かれる。
「……あ」
理解が、
追いついた瞬間だった。
――ザンッ
頸が、
落ちる。
あまりにも、
あっさりと。
時間が、
止まる。
童磨の視界が、
ゆっくりと傾く。
「……あれ?」
軽い声。
だが、
もう戻らない。
身体が、
繋がらない。
再生が、
追いつかない。
「なんで……」
初めて。
その声に、
“分からない”が混じる。
そして。
ようやく。
理解する。
「……ああ」
「そっか」
小さく、
笑う。
「最初から、
俺は負けてたんだね」
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その視線の先。
崩れ落ちていく中で。
一人の女の姿が、
脳裏に浮かぶ。
怒らない。
叫ばない。
ただ、
静かに見ている。
胡蝶しのぶ。
「……すごいなぁ」
童磨が、
心からそう思った。
初めて。
ほんの少しだけ。
その感情に、
重さが宿る。
身体が、
崩れていく。
灰となり、
散っていく。
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「あ、やっと死にましたか。良かった」
「やぁしのぶちゃんだったかな?」
「気持ち悪いので名前呼ばないでください」
「わぁ」
(なんだろう、これ何だろう)
「これが恋なのかな可愛いねしのぶちゃん」
「俺と一緒に地獄へ行かない?」
しのぶは最後まで、
笑っていた。
「とっととくたばれ糞野郎」
笑みを湛えたその表情に
一切揺らぎは見えなかった。
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沈黙。
無限城の空間に、
ようやく静けさが戻る。
伊之助が、
荒く息を吐く。
「……終わった、のかよ……」
カナヲは、
何も言わない。
ただ、
前を見ている。
姉の髪飾り。
足が、
止まる。
一歩だけ。
近づく。
言葉にはならなかった。
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第九十九話 終