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無限城の中で。
“目”は、生きていた。
今は亡き御館様――
その言葉通り、視線は繋がれている。
歪んだ廊下。
反転する床。
上下の感覚が消える空間の中を――
黒い影が、滑るように走る。
鎹鴉。
「カァァ!西側戦線、壊滅寸前!」
「中層部、隊士三名生存確認!」
「上弦、交戦地点、複数確認!」
声が飛ぶ。
短く。
正確に。
無駄がない。
足場が消える。
障子が裏返る。
空間が裂ける。
それでも――
鴉は止まらない。
一羽が、急旋回する。
次の瞬間、
さっきまでいた廊下が
“壁の裏側”へ折り畳まれる。
間一髪。
それでも声は途切れない。
「東方より強い衝突音!」
別の一羽が、
梁の隙間を縫う。
さらにもう一羽が、
真下へ落ちるように滑空する。
それぞれが、
別の情報を拾い。
別の場所へ運び。
一つの流れを繋いでいた。
無限城は、
人を分断する。
位置を狂わせる。
連携を断つ。
だが。
それでもなお。
“戦場は繋がっている”。
産屋敷邸の別館
その中心で。
産屋敷輝利哉は、
静かに戦況を読んでいた。
周囲には、
妹のくいなとかなた。
護衛として、
音柱・宇髄天元と元炎柱・煉獄槇寿郎。
二人とも口は挟まない。
そして――
大勢の隠やそれを支える者達。
戦況は常に変化していく。
「南西、隊士撤退中」
「中層、再編成中」
「上弦級、三箇所確認」
バラバラの情報。
だが――
繋げば、見える。
輝利哉の指が、
わずかに動く。
「……ここです」
輝利哉が、
一点を指す。
「最深部のこの戦線だけ、
崩れ方が異常に早い」
宇髄が、
静かに目を細める。
「派手にヤバいってことか」
輝利哉は、
小さく頷く。
「時透さんが最初に交戦、玄弥さんも応戦するも歯が立たず。」
「実弥さんが参戦して一時膠着。悲鳴嶼さんもすぐに着きます、が」
槇寿郎が、
低く息を吐く。
「それほどか」
「はい」
輝利哉の返答は、
迷いなく落ちた。
輝利哉が、
静かに言う。
「ですが、
持ちません」
宇髄の目が、
わずかに細くなる。
「……一手崩れりゃ終わる、ってことですか」
「はい」
輝利哉は、
戦況図から目を離さないまま続けた。
「ここが、
崩壊点になります」
「必要なのは、
もう一人の攻め手ではありません」
一拍。
「崩れない土台です」
静かな声だった。
だが、
その一言一言には
明確な重さがあった。
その言葉が落ちた時。
宇髄が、
小さく鼻を鳴らす。
「なるほどな」
「だから真壁か」
輝利哉は、
静かに頷いた。
「はい」
槇寿郎は、
腕を組んだまま
低く呟く。
「……理に適っている」
それ以上、
誰も言葉を足さなかった。
十分だった。
真壁が
どこへ置くべきか。
その言葉は、
予測ではなく、確信だった。
無限城の奥。
空気が、違う。
重く。
濃く。
深い。
音が、
削られている。
刃のぶつかる音。
踏み込み。
呼吸。
それらがあるはずなのに。
“少ない”。
いや。
違う。
一つ一つが、
重すぎる。
――ギィン
たった一音で、
空間が軋む。
そこにいるのは。
上弦の壱。
鬼の頂点。
黒死牟。
まだ、
誰もその姿を
はっきりとは見ていない。
だが。
分かる。
ここが。
“底”だ。
そして。
ほんのわずかに。
「……ふむ、一つ消えたか」
誰の声でもない。
だが、
確かに落ちた。
説明はない。
名前もない。
それでも。
戻らないものが、
一つ減ったことだけは。
全員が、
理解していた。
戦いは、続いている。
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(兄貴、すまねぇ…!)
間に合わない。
その認識は、
すでに確定していた。
黒死牟の刃は、
振り下ろされている。
玄弥の首元へ――
正確に。
避けられない。
防げない。
終わっている軌道。
――ギィンッ!!
火花が弾ける。
金属が軋む。
割り込む影。
「オラァ!!」
風柱・不死川実弥。
だが。
止めていない。
止められていない。
刃が触れた瞬間。
“通される”。
――バキィッ!!
実弥の身体が、
横へ弾き飛ばされる。
床を削り、
壁へ叩きつけられる。
重い、ではない。
違う。
“合っていない”。
「……兄貴」
斬撃は、
わずかに逸れていた。
首を断つ軌道が、
ほんの一拍だけ外れている。
その理由は一つ。
黒死牟が、
動いたからだ。
「……風の柱か」
低く、
静かな声。
「兄弟で鬼狩りとは…懐かしや」
半歩。
距離を取る。
防御ではない。
退きでもない。
“最適な間合い”への修正。
斬撃は止まっていない。
すでに次へ繋がっている。
実弥の足が、
床を踏む。
崩れた体勢を、
無理やり引き戻す。
(……こいつはヤベェな)
一瞬で理解する。
受ければ死ぬ。
逸らしても死ぬ。
触れた時点で、
崩される。
それでも。
踏む。
黒死牟の刃が、
音もなく走る。
実弥は、
半歩ズラす。
避けない。
逃げない。
“通る線”だけを外す。
――ギィンッ!!
刃が弾く。
完全ではない。
だが――
崩れない。
血が散る。
浅い。
だが、
確実に削られている。
黒死牟の目が、
わずかに細くなる。
「……ほう」
続く。
斬撃が。
途切れない。
一つ一つが、
致命。
実弥の足が、
滑る。
踏み直す。
繋ぐ。
通す。
「……稀血か」
「微酔う感覚も何時振りか」
「愉快」
(……クソが)
強い、じゃない。
違う。
“合わねぇ”。
こちらの動きに、
乗ってこない。
読めない。
合わせられない。
それでも。
止まらない。
黒死牟の刃が、
再び振り下ろされる。
今度は、
わずかに速い。
実弥の目が、
開く。
(……間に合わねぇ)
その瞬間。
――ドォンッ!!
空間が、
砕ける。
重い衝突音。
別の“質量”が、
斬撃へ割り込む。
鉄球。
鎖。
「……遅れてすまない」
低く、
深い声。
岩柱・悲鳴嶼行冥。
鉄球が唸り、
空間を抉る。
鎖が、
黒死牟の軌道へ絡む。
初めて。
黒死牟の刃が、
止まる。
ほんの一拍。
実弥が、
息を吐く。
「すみません、悲鳴嶼さん」
短く。
それだけ。
戦場の重さが、
変わる。
だが。
終わっていない。
むしろ。
ここからが――
本番だった。
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第百三話 終