鬼滅の刃 ― 礎 ―   作:【規制済み】

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第十話 ― 守るために立つ

 

朝の蝶屋敷は、相変わらず騒がしかった。

 

庭を掃く音。

廊下を走る足音。

薬草の匂い。

そして遠くから響いてくる、

善逸の情けない悲鳴。

 

「やだぁぁぁ!! もう無理だってぇぇ!!」

 

「うるせぇ!! 次は俺だ!!」

 

炭治郎は思わず、

ほんの少しだけ口元を緩めた。

 

蝶屋敷の空気は、

ここしばらくで少しずつ戻ってきている。

 

無限列車の任務の後、

胸の奥に沈んでいた重さは

まだ完全に消えたわけではない。

 

それでも、

息が詰まるだけの日々ではなくなっていた。

 

立ち直ったわけではない。

 

だが、

“立てる日”が増えてきた。

 

それだけでも、

今の炭治郎には十分だった。

 

その日、

炭治郎は一人で庭の端に立っていた。

 

手には木刀。

 

ここ数日、

真壁に教わってきたことを

自分なりに繰り返していたのだ。

 

構える。

息を整える。

足を置く。

崩れない位置を探す。

 

派手ではない。

 

だが、

こうして繰り返していると、

少しずつ身体の感覚が変わっていくのが分かる。

 

以前の自分は、

もっと“前へ出ること”ばかりを考えていた気がする。

 

だが今は違う。

 

前に出るために、

まず崩れないこと。

 

その意味が、

ようやく少しずつ身体に馴染んできていた。

 

「良いですね」

 

後ろから、

静かな声が落ちる。

 

炭治郎が振り返ると、

そこには真壁堅が立っていた。

 

深紺の羽織。

 

相変わらず、

そこにいるだけで妙に足元が安定するような人だった。

 

「真壁さん」

 

「自主的にやっているのですね」

 

「はい。忘れないうちにと思って」

 

真壁は小さく頷く。

 

「それは良いことです」

 

その一言に、

炭治郎は少しだけ嬉しくなる。

 

真壁は炭治郎の足元を見て、

短く言う。

 

「足の置き方も悪くありません」

 

「本当ですか?」

 

「はい。前より無理がありません」

 

炭治郎はその言葉に、

少しだけ胸の内が温かくなるのを感じた。

 

この人は大げさに褒めない。

 

だからこそ、

短い言葉でもよく残る。

 

真壁は庭の隅にある木陰へ視線を向けたあと、

炭治郎に言った。

 

「少し歩きましょうか」

 

「えっ」

 

「今日は、稽古というほどではありません」

 

その言い方に、

炭治郎は少しだけ笑う。

 

真壁が“稽古というほどではない”と言う時ほど、

大事なことを教えられる気がしていた。

 

「はい」

 

二人は蝶屋敷の庭の外れ、

人通りの少ない細い道へ出た。

 

朝の空気はまだ少し冷たい。

 

木漏れ日が土の道に落ちている。

 

しばらく並んで歩く。

 

真壁はいつものように、

必要以上のことは話さない。

 

だがその沈黙は、

炭治郎にとってもう居心地の悪いものではなかった。

 

むしろ、

考えを整理しやすい静けさだった。

 

やがて炭治郎は、

前から少しだけ気になっていたことを口にする。

 

「……真壁さん」

 

「はい」

 

「どうして、そんなに崩れないんですか」

 

真壁の歩みが、

ほんのわずかにだけ緩む。

 

だが止まりはしない。

 

炭治郎は少しだけ言葉を探しながら続けた。

 

「真壁さんって、

いつも落ち着いていて……」

 

「何かあっても、

すぐに全部見て、

ちゃんと立て直して……」

 

「俺にはまだ、

ああいうふうには全然できなくて」

 

言ってから、

少しだけ恥ずかしくなる。

 

うまく言えた気がしなかった。

 

だが真壁は、

笑うでもなく否定するでもなく、

静かに前を見たまま歩いていた。

 

やがて、

ぽつりと答える。

 

「崩れますよ」

 

炭治郎は思わず目を見開く。

 

「えっ」

 

真壁は視線を前に置いたまま、

淡々と続けた。

 

「私も普通に崩れます」

 

その答えは、

炭治郎にとってかなり意外だった。

 

あまりにも意外で、

思わずその横顔を見てしまう。

 

真壁はいつも通りの顔をしていた。

 

冗談を言っているようには見えない。

 

「……そうなんですか」

 

「はい」

 

「でも……」

 

炭治郎は言葉を探す。

 

真壁はそこで、

ほんの少しだけ息を吐いた。

 

「ただ、崩れたままにしないようにしているだけです」

 

その言葉に、

炭治郎は黙る。

 

真壁は続ける。

 

「怖いこともあります」

 

「間に合わないこともあります」

 

「嫌な予感が当たることもあります」

 

一つ一つの言葉は静かだった。

 

だが、

そこには確かな実感があった。

 

真壁は少しだけ視線を落としながら言う。

 

「それでも、

自分まで崩れると」

 

そこで一拍置く。

 

「守れるものも、守れなくなります」

 

炭治郎は、

その言葉を聞いた瞬間、

胸の奥が少しだけ強く鳴るのを感じた。

 

守れるものも守れなくなる。

 

それは、

今の自分にとって

あまりにも重く、まっすぐな言葉だった。

 

二人は小さな庭石のそばで足を止める。

 

真壁はそこへ視線を向けたまま、

静かに続ける。

 

「私は、

強くありたいから立っているわけではありません」

 

炭治郎は顔を上げる。

 

真壁は言う。

 

「誰かを守るために、

崩れないでいようとしているだけです」

 

風が吹く。

 

木の葉が小さく揺れる。

 

その言葉は、

派手でも熱くもない。

 

でも、

炭治郎にはひどく深く届いた。

 

強くなるためではなく、

守るために崩れない。

 

それは、

これまで自分がなんとなく感じてきた

真壁という人の在り方そのものだった。

 

炭治郎はそこで、

少しだけ分かった気がした。

 

この人は、

ただ“強い人”なのではない。

 

“守るための形”を、

ずっと選び続けてきた人なのだ。

 

だから、

前に出すぎない。

 

だから、

必要な時だけ前に出る。

 

だから、

誰かの足場になれる。

 

炭治郎は静かに息を吸う。

 

そして、

少し迷ったあとに口を開いた。

 

「……俺も」

 

真壁が視線を向ける。

 

炭治郎は少しだけ拳を握った。

 

「俺も、そうなりたいです」

 

「強いだけじゃなくて」

 

「ちゃんと守れるように」

 

その言葉は、

背伸びではなかった。

 

今の自分にはまだ全然足りない。

 

それでも、

目指すべき形として

それを口にすることはできた。

 

 

 

真壁はしばらく炭治郎を見ていた。

 

やがて、

ほんの少しだけ目を細める。

 

「ええ」

 

短い返答。

 

だがそれは、

今までより少しだけ柔らかく聞こえた。

 

「それでいいと思います」

 

その一言に、

炭治郎は胸の奥が静かに熱くなるのを感じた。

 

その時だった。

 

少し離れた廊下の方から、

またしても聞き覚えのある騒がしい声が響いてくる。

 

「炭治郎ぉぉぉ!! 助けてぇぇぇ!!」

 

善逸だった。

 

続いて、

 

「逃げんな黄色ぁぁ!!」

 

伊之助の怒鳴り声。

 

炭治郎は思わずそちらを振り向き、

次の瞬間には少しだけ笑ってしまった。

 

真壁もその方向へ視線を向ける。

 

ほんの一瞬だけ、

その口元がわずかに緩んだように見えた。

 

炭治郎はその横顔を見て、

また少しだけ思う。

 

この人は、

何か特別な言葉で導く人ではない。

 

でも、

在り方そのものが

ひどく強く残る人だ。

 

きっと自分はこれから先、

何度も迷う。

 

何度も崩れる。

 

何度も、

守れなかったもののことを思い出す。

 

それでも――

 

守るために立つ。

 

その形を、

少しずつでも覚えていけるなら。

 

前へ進める気がした。

 

炭治郎は静かに息を吐く。

 

朝の空気はまだ少し冷たい。

 

だが、

足元は前よりずっと確かだった。

 

傷は消えない。

喪失も消えない。

 

それでも、

その上に立つことはできる。

 

真壁堅という人は、

きっとそれを

ずっと体現してきたのだろう。

 

崩れないために立つのではない。

 

守るために立つのだと。

 

その意味を、

炭治郎はようやく少しだけ

自分の中へ置き始めていた。

 

 

第十話 終

 

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