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踏み込みが交錯する。
速い。深い。互いに外さない。
猗窩座の拳が差し込まれる。
義勇が流す。水の呼吸、肆ノ型・打ち潮。
面で受けず、線をずらす。
衝撃は残るが、致命にはさせない。半歩、踏み留まる。
その一拍、炭治郎が入る。ヒノカミ神楽。
最短で“通る線”だけをなぞる。
――ザッ
浅い。だが確実に触れる。猗窩座の身体がわずかに遅れる。
「……いい」
低い声。踏み込みは止まらない。今度は炭治郎へ一直線。
――ドォンッ!!
受ける。重い。骨が軋む。
体勢が崩れる。そこへ二の打ち。
逃げ場はない。
義勇が割り込む。
弐ノ型・水車。回転で軌道を外す。
完全には消さない。“外させる”。
衝撃が散る。
距離が、わずかに開く。
炭治郎が息を整える。乱れはある。
だが、落ち着いていく。
(……違う)
さっきの一撃を、なぞる。
力を込めない。速さを求めない。余分を落とす。
猗窩座が踏む。詰める。終わらせに来る。
その瞬間――
炭治郎の“気配”が、抜ける。
消えたのではない。
最初から“無い”ように。
踏む。
ヒノカミ神楽。
――ザンッ
深い。
今までと同じ軌道。だが、違う。
猗窩座の身体が“遅れる”。
再生が遅い。
「……?」
初めて、猗窩座の動きが止まる。
(……何だ)
闘気はある。だが、掴めない。
読めないのではない。“
最初から乗っていない”。
炭治郎がもう一歩入る。
迷いがない。怒りでもない。ただ“通す”。
――ザッ
もう一太刀。深い。確実に“ズレる”。
猗窩座の視界が、僅かに揺らぐ。
(……空だ)
そこにあるはずの“気配”が、空白になる。
理解が追いつかない。
技ではない。速さでもない。
――在り方が違う。
「……お前」
声が、わずかに低く変わる。
踏み込もうとした足が、止まる。
一瞬。
ほんの一瞬だけ。
“何も測れない領域”が、そこにある。
猗窩座の瞳に、微かな戸惑いが走る。
その隙に、炭治郎の刃がさらに通る。
――ザッ
痛みはある。だが、それよりも――
(……思い出せない)
違う。
(……思い出している?)
視界の端に、別の“像”が重なる。
白い。
静かな。
呼吸のない空気。
拳を構える前の――
“何も持たなかった頃”。
猗窩座の動きが、わずかに鈍る。
戦場の音が、遠のく。
炭治郎の“無い気配”が、そこにある。
埋められない空白。
猗窩座の視界が、深く沈む。
音が、遠い。
拳を構えているはずの腕が、わずかに止まる。
目の前には敵がいる。
踏み込めば届く距離。だが、その一歩が“決まらない”。
(……何だ)
違和感は、消えない。
炭治郎の“気配”は、まだそこにあるはずなのに、掴めない。
読めないのではない。最初から“乗っていない”。
空白。
埋まらない。
その“無”が、残る。
――ザッ
遅れて、斬撃が入る。
浅い。だが、避け切れていない。
猗窩座の身体が、ほんのわずかに遅れる。
(……遅い?)
違う。
(……遅れている)
自分が。
炭治郎は踏み込まない。
追わない。
呼吸を繋ぐ。
余分を、落とす。
ただ、“通る線”だけを見ている。
猗窩座が踏む。
はずだった。
だが。足が、半歩だけ遅れる。
その瞬間。
景色が、重なる。
畳。
静かな部屋。
差し込む光。
拳を握る前の手。
「……」
思い出す、ではない。
“残っている”。
「……誰だ」
言葉が、漏れる。
義勇が動く。
水の呼吸。参ノ型・流流舞い。
揺らぎながら距離を保つ。
攻めない。崩さない。繋ぐ。
戦場を、壊さない。
猗窩座の視線が揺れる。
敵を見る目ではない。
どこか、遠くを見る。
(……名前)
呼ばれたことのある、名前。
思い出せない。
「……」
踏み込む。
無理やり、繋ぐ。
戦いを、続ける。
――ドンッ!!
拳が落ちる。
速い。
だが。
“僅かに遅い”。
炭治郎が通す。
ヒノカミ神楽。
――ザッ
深い。
確実に“ズレる”。
猗窩座の呼吸が、わずかに乱れる。
(……違う)
何かが、違う。
強さではない。
技でもない。
「……何だ」
声が、低く落ちる。
その問いに、答える者はいない。
交錯する拳と刃。
速い。深い。互いに外さない。
――ギィンッ!!
衝突。義勇が流す。
水の呼吸、参ノ型・流流舞い。
軌道を殺し、間合いを保つ。
だが完全には防げず、衝撃は残る。
炭治郎が入る。
ヒノカミ神楽。
迷いがない。
――ザッ
通る。
浅い。だが確実に“届く位置”を選んでいる。
猗窩座の動きが、わずかに遅れる。
(……読めていない)
義勇の視線が、炭治郎を捉える。
(違う)
(読めないのではない)
(最初から――無い)
炭治郎の動きに、“迷い”がない。余分がない。ただ“通す”ための動きだけが残っている。
一瞬。
義勇の中で、確信が形になる。
(……ここまで来たか)
短期間での爆発的な成長。
(炭治郎、お前はもう俺よりも――)
そこまでで、思考を切る。
今は必要ない。
猗窩座が踏み込む。
速い。
だが、わずかに“遅れる”。
そのズレに、炭治郎が合わせる。
――ザッ
さらに一太刀。
猗窩座の身体が、明確に揺らぐ。
しかし、次の瞬間。
空気が変わる。
猗窩座の踏み込みが、一段上がる。
迷いを、切り捨てる。
「……いい」
「ならば――ここだ」
踏み込む。
(速い!!)
今までで最速。
最短。
最深。
――ドォンッ!!
義勇が受ける。
水の呼吸、肆ノ型・打ち潮。
流す。
だが――
“抜ける”。
衝撃が、完全に通る。
――バキッ
骨が軋む音。
義勇の身体が、大きく弾かれる。
床を削り、壁へ叩きつけられる。
「義勇さんッ!!」
炭治郎が踏む。
止めに入る。
だが。
間に合わない。
猗窩座の拳が、すでにそこにある。
――ドンッ!!
炭治郎の身体が、正面から弾き飛ばされる。
肺の空気が抜ける。
視界が揺れる。
それでも、落ちない。
踏む。
ヒノカミ神楽――
輝輝恩光
“線”を、通す。
――ザンッ!!
深い。
今までで最も深い一撃。
猗窩座の身体が、大きく“ズレる”。
再生が、遅れる。
一拍。
ほんの一拍。
猗窩座の動きが、止まる。
(……まただ)
理解できない。
(……この感覚は)
戦いの中に、あるはずの“何か”が――
無い。
「……何だ」
声が、低く落ちる。
視界が、揺らぐ。
戦場の音が、遠のく。
拳を構える。
だが。
“遅れる”。
記憶が、滲む。
白い部屋。
静かな空気。
拳を握る前の手。
名前。
呼ばれていたはずの――
「……」
思い出せない。
だが。
残っている。
猗窩座の視界が、深く沈む。
戦場が、音を失う。
――その奥で。
一つの“過去”が、
静かに、開き始める。
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第百八話 終