⸻
崩れ始めている。
無限城が、軋む。
壁が割れ、
床が沈み、
空間の継ぎ目そのものが歪んでいる。
――ベんっ
鳴女の琵琶。
だが。
遅い。
音が揃わない。
「……」
鬼舞辻無惨は、
静かに目を開く。
再生は続いている。
肉は繋がる。
血も巡る。
だが。
完全ではない。
珠代の薬が、
未だ内側で噛み合っている。
(……遅い)
違和感。
そして。
もう一つ。
「鳴女」
呼ぶ。
返答。
――ベん
だが。
“浅い”。
視界が、揺れる。
戦場が映る。
鬼達。
隊士達。
柱。
流れ。
配置。
そこまではいい。
だが。
“合っていない”。
無惨の目が、
僅かに細くなる。
(……少ない)
死体が。
鬼殺隊の消耗が。
報告される戦況に対して、
削れている数が噛み合わない。
さらに。
鬼の流れが、
妙に偏っている。
「……鳴女」
もう一度。
今度は、
返答が遅れる。
ほんの一瞬。
それだけ。
だが。
鬼舞辻無惨にとっては、
十分だった。
「……誰だ」
空気が、
変わる。
殺気ではない。
“認識”が、
空間全体へ広がる。
その瞬間。
愈史郎の視界が、
軋む。
「……っ!!」
鳴女の視界へ潜っていた意識へ、
別の“目”が重なる。
深い。
圧倒的に。
覗き返される。
「見つけた」
無惨の声が、
落ちる。
次の瞬間。
鳴女の身体が、
跳ねる。
――ブチッ
音。
短い。
鳴女の首が、
落ちる。
琵琶が、
床へ転がる。
――ベン……
最後の音。
空間が、
止まる。
一拍。
その後。
無限城そのものが、
悲鳴を上げた。
⸻
――ゴゴゴゴ……
空間が崩れる。
壁が裂ける。
廊下が落ちる。
部屋と部屋の境界が消え、
上下の感覚が砕け散る。
「……っ!」
炭治郎が踏み止まる。
義勇が腕を引く。
「止まるな!」
落下。
視界が反転する。
その先。
暗闇の奥。
一つの気配。
圧倒的な“何か”。
鬼舞辻無惨。
そこにいる。
⸻
別の場所。
鬼の流れが、
変わる。
焦り。
混乱。
そして。
収束。
無惨の元へ。
鬼達が、
雪崩のように走り始める。
数が増す。
密度が増す。
通路そのものが、
黒く埋まる。
その前に。
真壁が立っている。
動かない。
ただ。
前を見る。
鬼が来る。
速い。
重い。
止まらない。
だが。
真壁の呼吸は、
乱れていない。
(流れる)
理解する。
鬼達は、
崩れた無限城の中で、
唯一残った“道”へ集中している。
なら。
止める場所は、
一つ。
足が沈む。
深く。
静かに。
礎の呼吸。
盤脚。
流れを読む。
止水壁。
通る線を消す。
砕路。
踏み込みを崩す。
鎮環。
押し寄せる圧を循環させる。
不動礎。
位置を固定する。
盤界静断。
空間の“間”を断つ。
積み上げてきた全てが、
繋がる。
鬼が、
殺到する。
――ドォンッ!!
衝突。
空間が揺れる。
それでも。
真壁は、
動かない。
「……来い」
低く。
静かに。
その声だけが、
落ちた。
鬼の群れが、
さらに押し寄せる。
津波のように。
層になって。
重なって。
それでも。
一歩も、
通らない。
⸻
地上。
夜風が吹く。
崩壊した無限城の破片が、
空へ散っている。
その中央。
ゆっくりと。
鬼舞辻無惨が、
姿を現す。
白い。
異形。
増殖し続ける肉。
無数の管。
脈打つ血。
その姿に。
誰も、
言葉を失う。
炭治郎が、
息を呑む。
義勇の目が、
細くなる。
悲鳴嶼。
実弥。
伊黒。
甘露寺。
全員が、
理解する。
(……違う)
上弦とは。
比べ物にならない。
“災害”だ。
無惨の目が、
静かに開く。
「……醜いな」
誰へ向けた言葉でもない。
ただ。
事実として、
落ちる。
次の瞬間。
腕が、
振られる。
――ブォンッ!!
空気が裂ける。
地面が抉れる。
鬼殺隊が、
散る。
速い。
重い。
広い。
「散開!!」
悲鳴嶼の声。
遅い。
もう、
触手が来ている。
炭治郎が踏む。
義勇が割り込む。
実弥が風を裂く。
伊黒が軌道を読む。
それでも。
“余る”。
鬼舞辻無惨。
鬼の王。
最終決戦が、始まる。
速い。
認識より先に、
地面が抉れている。
無惨の触手が走る。
数ではない。
“密度”だ。
一振りの中に、
何本もの殺意が重なっている。
――ドォンッ!!
衝突。
悲鳴嶼の鉄球が、
真正面から弾かれる。
重い。
違う。
“深い”。
衝撃が、
腕の奥まで突き抜ける。
「……ッ!」
片腕だけで鎖を引く。
間に合わない。
その隙間へ。
無惨の触手が、
滑り込む。
――ザッ!!
血が散る。
実弥が割って入る。
「チィッ!!」
風が裂ける。
触手を削る。
だが。
止まらない。
切った側から、
肉が増える。
骨が伸びる。
“戻る”より速く、
“増えている”。
炭治郎の目が、開く。
(再生……違う)
(増殖してる……!)
理解した瞬間。
もう次が来る。
――ブォンッ!!
横薙ぎ。
広い。
逃げ場がない。
義勇が前へ出る。
水の呼吸。
凪。
空間が静まる。
触手が、
削がれる。
流れる。
だが。
完全には、
消えない。
――ザシュッ!!
義勇の肩が裂ける。
血が飛ぶ。
それでも、
止まらない。
「炭治郎!」
炭治郎が踏む。
ヒノカミ神楽。
“線”を通す。
――ザンッ!!
無惨の腕が飛ぶ。
だが。
次の瞬間には、
もう戻っている。
早い。
速いではない。
“終わらない”。
無惨の目が、
静かに炭治郎へ向く。
「……耳飾り」
声が、
低く落ちる。
空気が変わる。
その瞬間。
触手の速度が、
さらに一段上がる。
――ドォンッ!!
炭治郎の身体が、
吹き飛ぶ。
地面を削る。
肺が軋む。
立て直す前に。
もう、
無惨がそこにいる。
「消えろ」
短い。
腕が振られる。
死。
その軌道へ。
――ギィンッ!!
蛇のように、
刃が滑り込む。
伊黒小芭内。
「竈門から離れろ」
斬る。
捻る。
軌道を変える。
甘露寺が、
その隙へ入る。
恋の呼吸。
柔らかく、速い。
しなる刃が、
無惨の身体へ絡みつく。
――ザザッ!!
裂ける。
深い。
だが。
閉じる。
間に合っている。
「……嘘でしょ」
甘露寺の顔が、
歪む。
手応えが、
薄い。
削っている。
だが。
“減っていない”。
無惨の口元が、
僅かに歪む。
「遅い」
次の瞬間。
無数の管が、
爆ぜるように広がる。
――ブワッ!!
範囲が、
変わる。
地面ごと、
呑み込む軌道。
「散れェ!!」
実弥の怒号。
全員が飛ぶ。
遅れた隊士が、
数人。
飲まれる。
悲鳴も、
残らない。
炭治郎の歯が、
軋む。
(違う)
(今までと……)
(比べ物にならない)
上弦ではない。
生物ですらない。
ただ。
殺すためだけに、
完成した存在。
鬼舞辻無惨。
その時。
無惨の動きが、
ほんの一瞬。
止まる。
「……」
小さい。
だが、
確かに。
肉の再生が、
一拍だけ遅れる。
珠代の薬。
まだ、
内側で生きている。
悲鳴嶼の目が、
細くなる。
「……効いている」
実弥が、
血を吐きながら笑う。
「だったら」
「削り続けるだけだァ!!」
踏み込む。
風が唸る。
義勇が繋ぐ。
炭治郎が通す。
伊黒が崩し。
甘露寺が裂く。
全員が、
“削る”ために動く。
だが。
無惨は、
止まらない。
別の場所。
鬼の群れが、
なおも流れている。
無惨の元へと。
終わらない。
止まらない。
その流れの前に。
真壁が、
まだ立っている。
血が落ちる。
呼吸は、
深い。
鬼が、
押し寄せる。
数百。
それでも。
一歩も、
通らない。
「……まだだ」
低く。
静かに。
足がさらに沈む。
礎は崩れない。
⸻
第百十六話 終