鬼滅の刃 ― 礎 ―   作:【規制済み】

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エピローグ
百二十七話― 残された朝


 

 

静かだった。

 

蝶屋敷の廊下。

 

窓から差し込む朝の光だけが、

白く床へ落ちている。

 

戦いは終わった。

 

鬼はいない。

 

もう、

夜に怯える必要もない。

 

それなのに。

 

身体だけが、

未だ戦場のままだった。

 

 

 

伊黒小芭内が、

ゆっくりと目を開ける。

 

視界は、

ぼやけている。

 

右目は、

ほとんど見えない。

 

身体中が痛む。

 

呼吸をするだけで、

肋が軋む。

 

それでも。

 

生きている。

 

その事実に、

しばらく実感が追いつかなかった。

 

「……」

 

天井を見たまま、

息を吐く。

 

無惨戦。

 

夜明け。

 

朝日。

 

そして――

 

自分は、

死んでいない。

 

その時。

 

静かな足音。

 

障子が、

少しだけ開く。

 

「起きてたの?」

 

甘露寺蜜璃だった。

 

包帯だらけ。

 

右腕には添え木。

 

顔色も、

決して良くない。

 

それでも。

 

笑っていた。

 

伊黒の目が、

僅かに揺れる。

 

「……何故動いている」

 

「伊黒さんも動いてるじゃない」

 

「俺は今起きただけだ」

 

「私も今来ただけです」

 

即答。

 

伊黒が、

小さく息を吐く。

 

そのやり取りだけで、

少しだけ現実感が戻る。

 

 

 

甘露寺が、

静かに椅子へ座る。

 

少しだけ沈黙。

 

無理に埋めるような空気ではない。

 

風が、

窓を揺らしている。

 

甘露寺が、

ふと小さく言う。

 

「……生きてましたね」

 

伊黒は、

すぐには返さない。

 

やがて。

 

静かに口を開く。

 

「……ああ」

 

短い。

 

だが。

 

その一言に、

色々なものが混ざっていた。

 

安堵。

 

戸惑い。

 

信じられなさ。

 

そして。

 

ほんの少しの、

願い。

 

 

 

本来なら。

 

ここには、

もう時間が残っていなかった。

 

痣。

 

赫刀。

 

限界を超えた戦い。

 

とうに命は燃え尽きている。

 

だが。

あの戦場は、少しだけ違った。

 

真壁が止めていた。

 

悲鳴嶼が受けていた。

 

全員で、削り続けていた。

 

だから。ほんの少しだけ。

 

未来へ、届いた。

 

 

甘露寺が、

自分の手を見る。

 

まだ震えている。

 

力も、

完全には戻らない。

 

痣の痕も、

薄く残っている。

 

医師からも言われていた。

 

「寿命への影響は、

おそらく残るでしょう」

 

完全な無傷ではない。

 

身体は、

確実に削れている。

 

でも。

 

生きている。

 

甘露寺が、

小さく笑う。

 

「なんだか、不思議ですね」

 

「何がだ」

 

「ずっと、“死ぬまで戦う”しか考えてなかったから」

 

伊黒の目が、

僅かに揺れる。

 

それは、

自分も同じだった。

 

生き残る未来など、

考えていなかった。

 

考える資格もないと思っていた。

 

だから今。

 

朝を迎えていること自体が、

どこか現実味がない。

 

 

 

甘露寺が、

窓の外を見る。

 

庭。

 

風。

 

朝日。

 

鬼のいない世界。

 

「……綺麗ですね」

 

小さく。

 

本当に小さく。

 

そう呟く。

 

伊黒は、

その横顔を見る。

 

戦いの最中、

何度も血に塗れていた人。

 

泣きそうになりながら、

それでも最後まで前へ出続けた人。

 

その人が今。

 

穏やかな朝を見ている。

 

伊黒の喉が、

少しだけ詰まる。

 

「……甘露寺」

 

「はい?」

 

伊黒は、

少しだけ目を伏せる。

 

言葉を選ぶように。

 

珍しく、

迷うように。

 

そして。

 

静かに言った。

 

「生きていてくれて、良かった」

 

甘露寺の目が、

大きく開かれる。

 

一拍。

 

そのあと。

 

ふわりと、

笑った。

 

泣きそうな顔で。

 

でも、

嬉しそうに。

 

「はい」

 

短い。

 

それだけ。

 

だが。

 

十分だった。

 

 

 

廊下の向こう。

 

隠達が忙しく動いている。

 

炊き出しの匂い。

 

誰かの笑い声。

 

泣き声も、

まだ少し残っている。

 

失ったものは、

戻らない。

 

傷も残る。

 

寿命も、

きっと少し削れている。

 

それでも。

 

朝は来た。

 

伊黒が、

静かに窓の外を見る。

 

そして。

 

今度は、

少しだけ自然に言った。

 

「……悪くない朝だな」

 

甘露寺が、

隣で笑う。

 

「はいっ」

 

朝の光が、

静かに二人へ落ちていた。

 

 

蝶屋敷の中庭。

 

昼前の陽射しが、

静かに石畳を照らしている。

 

戦いが終わってから、

しばらく経った。

 

まだ包帯姿の隊士も多い。

 

だが。

 

空気は、

確かに変わっていた。

 

誰も、

夜を警戒していない。

 

それだけで、

庭の静けさが違う。

 

 

 

縁側に、

伊黒小芭内と甘露寺蜜璃が座っている。

 

湯呑から、

白い湯気が立っていた。

 

甘露寺が、

両手で湯呑を包む。

 

「なんだか、こういうの久しぶりですねぇ」

 

「そうか?」

 

「そうですよぉ」

 

伊黒は、

少しだけ視線を逸らす。

 

確かに。

 

“何も起きていない時間”

というもの自体が、

久しかった。

 

任務。

 

鬼。

 

負傷。

 

死。

 

ずっと、

その繰り返しだった。

 

今は違う。

 

風が吹いているだけだ。

 

それが、

妙に落ち着かない。

 

 

 

「おーおー」

 

声。

 

軽い。

 

よく通る。

 

「随分甘ぇ空気出してんじゃねぇか」

 

宇髄天元だった。

 

包帯姿。

 

それでも無駄に派手だ。

 

片手に盆。

 

団子まで持っている。

 

甘露寺の目が、

少し輝く。

 

「わぁ、お団子!」

 

「おう。差し入れだ」

 

宇髄が、

にやりと笑う。

 

「お前ら、生き残った途端わかりやす過ぎんだろ」

 

伊黒の眉間に、

皺が寄る。

 

「何の話だ」

 

「はいはい」

 

宇髄が、

わざとらしく頷く。

 

「“生きてて良かった”だの、“悪くない朝”だの」

 

「聞こえていたのか貴様」

 

「聞こえるだろ、あんだけしっとりしてりゃ」

 

甘露寺が、

一気に赤くなる。

 

「えっ!? あっ、あの、それは、その……!」

 

宇髄は、

面白そうに笑う。

 

「いやぁ、青春だねぇ」

 

「違う!!」

 

伊黒が即答する。

 

だが。

 

耳まで赤い。

 

宇髄が、

さらに笑いそうになった時。

 

別方向から、

静かな声。

 

「別に違わないでしょう」

 

三人の視線が向く。

 

そこにいたのは、

真壁だった。

 

左袖は空。

 

まだ包帯も残っている。

 

だが、

立ち姿は変わらない。

 

宇髄が、

思わず吹き出す。

 

「お前、そこ真正面から行くのかよ」

 

真壁は、

少し首を傾げる。

 

「事実では?」

 

伊黒が、

珍しく言葉に詰まる。

 

甘露寺は、

顔を覆っている。

 

宇髄が、

腹を抱えて笑い始める。

 

「ハハッ! お前ほんと容赦ねぇな!」

 

「……?」

 

真壁は、

本当に分かっていない顔をしていた。

 

 

 

少しして。

 

四人で、

縁側へ座る。

 

団子。

 

茶。

 

風。

 

それだけの時間。

 

宇髄が、

ふと空を見る。

 

「平和ってのは、妙に暇だな」

 

「派手柱らしからぬ発言ですね」

 

真壁が返す。

 

「うるせぇ」

 

だが。

 

宇髄は少し笑っていた。

 

「でもまぁ、悪くねぇ」

 

甘露寺が、

静かに頷く。

 

伊黒も、

何も言わない。

 

否定しない。

 

それだけで十分だった。

 

 

 

真壁が、

湯呑を持つ。

 

ふと。

 

視線だけが、

庭を巡る。

 

出入口。

 

塀。

 

人の流れ。

 

それを見た宇髄が、

少しだけ笑う。

 

「まだ見るか」

 

真壁は、

小さく息を吐いた。

 

「癖ですね」

 

「まぁ、すぐには抜けねぇよな」

 

宇髄の声は、

軽い。

 

だが。

 

どこか実感が混じっていた。

 

失ったものは多い。

 

傷も残った。

 

身体も、

元通りではない。

 

それでも。

 

こうして、

昼の縁側で団子を食べている。

 

それだけで、

十分すぎるほどだった。

 

 

 

甘露寺が、

団子を頬張りながら笑う。

 

「美味しいです!」

 

宇髄が、

得意げに頷く。

 

「だろ? 派手に美味ぇ店選んだからな」

 

伊黒が、

小さく息を吐く。

 

その横顔は。

 

以前より、

ほんの少しだけ柔らかかった。

 

縁側へ、

穏やかな昼の光が落ちていた。

 

百二十七話 完

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