⸻
昼時を少し外した寿司屋は、
静かだった。
暖簾が揺れる。
酢飯の匂い。
炙った魚の香り。
包丁の音が、
小気味よく響いている。
炭治郎が、
少しだけ目を輝かせる。
「すごい……!」
「静かにしろ」
義勇が即座に言う。
「す、すみません!」
「別に怒ってない」
「でも今ちょっと怒ってましたよね!?」
「怒ってない」
真顔。
炭治郎が、
困った顔になる。
その横で。
真壁は、
湯呑へ静かに口を付けていた。
⸻
今日は珍しく、
四人だった。
炭治郎。
義勇。
真壁。
そして――
鱗滝左近次。
鬼殺隊が解散してから、
こうして顔を合わせる機会も増えた。
もっとも。
賑やかというよりは、
静かな集まりだ。
炭治郎だけが、
時々空気を慌てて埋めている。
「好きなもの頼め」
鱗滝が言う。
炭治郎が、
少し慌てる。
「えっ、でも」
「今日は儂が出す」
低い声。
だが、
どこか柔らかい。
炭治郎が、
少し嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます!」
義勇は、
既に湯呑を持っている。
真壁は、
静かに品書きを見ていた。
店主が来る。
「ご注文は?」
炭治郎が、
少し悩む。
義勇は、
即答だった。
「鮭」
「またですか」
炭治郎が反応する。
義勇は真顔。
「好きだ」
「知ってますけど!」
鱗滝が、
小さく息を吐く。
「偏るな」
「……気を付ける」
たぶん、
気を付けない。
「堅は?」
鱗滝が聞く。
真壁は、
少しだけ視線を上げた。
「白身を」
「ほう」
「昆布締めがあれば、それを」
店主が頷く。
「ありますよ!」
真壁が、
小さく礼をする。
炭治郎が、
少し意外そうな顔をした。
「真壁さん、昆布締め好きなんですね」
「ええ」
静かに頷く。
「味が落ち着いているので」
義勇が、
ちらりと見る。
「分かる」
炭治郎が、
少し笑う。
「なんか二人らしいですね」
「どういう意味だ」
義勇。
「静かな感じです!」
「……そうか」
真壁は、
少しだけ湯呑を置いた。
「派手なものより、
積み重ねた味の方が落ち着きます」
鱗滝が、
僅かに目を細める。
「お前らしいな」
寿司が来る。
鮭。
白身。
昆布締め。
玉子。
湯気の立つあら汁。
炭治郎が、
少し嬉しそうに手を合わせた。
「いただきます!」
義勇は、
既に食べている。
早い。
炭治郎が慌てる。
「義勇さん待ってください!」
「待っている」
「いや食べてますよね!?」
真壁が、
少しだけ口元を緩めた。
昆布締めを、
静かに口へ運ぶ。
白身の旨味。
昆布の香り。
強すぎない塩気。
真壁が、
小さく息を吐く。
「……美味い」
鱗滝が、
それを見る。
「少し顔が緩んだな」
炭治郎が、
即座に反応する。
「本当だ」
「えっ」
真壁が、
少し止まる。
義勇が真顔で言う。
「分かりやすい」
「義勇さんに言われるとは思いませんでした」
「俺は分かりやすいぞ」
炭治郎が、
絶妙な顔になる。
「義勇さんは、
ちょっと違う意味で分かりやすいです」
「?」
分かっていない。
鱗滝が、
静かに笑った。
しばらく。
誰も喋らない時間が続く。
でも。
気まずくない。
酢飯の匂い。
湯気。
包丁の音。
静かな昼。
それだけが、
ゆっくり流れている。
炭治郎が、
ふと呟く。
「こういう日が来るなんて、
前は想像できませんでした」
誰も、
すぐには答えない。
やがて。
鱗滝が、
静かに言った。
「だからこそ、生き残った者は生きねばならん」
低く。
穏やかな声。
義勇が、
湯呑を持つ。
真壁は、
静かに頷いた。
炭治郎が、
少しだけ目を細める。
昼の光が、
店の中へ落ちている。
鬼のいない昼。
戦わなくていい時間。
それでも。
失ったものが消える訳ではない。
傷も。
記憶も。
残る。
だが。
こうして。
誰かと同じ席で、
寿司を食べられる朝がある。
それだけで。
十分、
前へ進める気がした。
「追加は?」
店主が聞く。
炭治郎が、
少し悩む。
義勇は即答だった。
「鮭」
「また!?」
炭治郎が思わず声を上げる。
義勇は真顔。
「好きだ」
「それはもう分かってます!」
「鮭と大根の煮付けもありますよ!」
「貰おう」
即答。
真壁が、
静かにあら汁を飲む。
鱗滝が、
小さく息を吐いた。
「義勇」
「はい」
「少しは周りに合わせろ」
「合わせている」
「鮭しか頼んでおらん」
「鮭は美味い」
真壁が、
ぽつりと言う。
「私も鮭は好きです」
義勇が、
僅かに真壁を見る。
「分かるか」
「ええ」
炭治郎が、
困った顔で笑う。
「なんでそこで意気投合するんですか……」
店主が、
少し笑いながら追加を握る。
「兄さん達、仲いいねぇ」
その瞬間。
義勇と真壁が、
同時に否定した。
「違う」
「そこまででは」
ぴたり。
重なる。
炭治郎が、
吹き出しそうになる。
鱗滝が、
静かに茶を飲んだ。
「十分仲が良い」
「……」
「……」
否定できない空気だけが残る。
追加の昆布締めが来る。
真壁が、
静かに箸を伸ばした。
義勇が、
ちらりと見る。
「そんなに好きなのか」
「好きですね」
「どこがいい」
真壁は、
少し考える。
「派手ではないところです」
炭治郎が聞く。
「派手じゃない?」
「昆布締めは、
寝かせるネタなので」
真壁が、
静かに続ける。
「すぐ完成しない」
「時間を置いて、
少しずつ味を重ねる」
「そういうものが、好きです」
義勇が、
小さく頷く。
「……分かる」
炭治郎が、
また笑う。
「やっぱり似てますよ二人とも」
「似てない」
「似ていません」
また重なる。
今度は鱗滝まで、
少し肩を揺らした。
その時。
店の奥から、
小さな子供の声がした。
「おにーちゃん!」
店主の娘だろうか。
小さな女の子が、
転びそうになりながら走ってくる。
炭治郎が、
反射的に身体を動かす。
だが。
その前に。
真壁の視線が、
入口と足場を確認していた。
床。
角。
湯呑。
転倒位置。
無意識。
完全に、
昔の癖だった。
真壁自身が、
それに気づいて少し止まる。
女の子は、
店主に抱き止められて笑っていた。
怪我はない。
静かになる。
その時。
義勇が、
ぽつりと言った。
「まだ見るんだな」
責める声ではない。
確認のような言葉。
真壁は、
少しだけ息を吐いた。
「ええ」
否定しない。
「多分、
もう抜けません」
炭治郎が、
静かに真壁を見る。
真壁は、
少しだけ笑った。
「でも今は、
それでもいいと思っています」
昔なら。
その癖ごと、
戦場へ縛られていた。
だが今は違う。
守るべきものが、
変わっただけだ。
鱗滝が、
静かに頷く。
「癖は消えん」
低い声。
「だが、それでいい」
一拍。
「生き残った者は、
背負ったまま生きる」
静かな言葉だった。
でも。
重かった。
店の外では、
昼の風が暖簾を揺らしている。
炭治郎が、
ふと笑った。
「今度は皆も呼びたいですね」
「騒がしくなるぞ」
真壁。
「賑やかなのは嫌だ」
義勇。
「二人とも絶対途中で疲れますよね?」
炭治郎が笑う。
その瞬間。
真壁と義勇が、
同時に湯呑へ手を伸ばした。
また動きが重なる。
炭治郎が、
とうとう吹き出した。
「やっぱり似てますって!」
義勇は、
少しだけ眉を寄せる。
真壁は、
静かに目を閉じた。
鱗滝だけが、
どこか穏やかに笑っていた。
昼の寿司屋に、
静かな笑い声が残る。
鬼のいない時間が。
ゆっくりと、
流れていた。
百二十九話 完