鬼滅の刃 ― 礎 ―   作:【規制済み】

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百三十話 ― 残った者

 

風が、

吹いていた。

 

乾いた風。

 

昼とも夕方ともつかない、

静かな時間。

 

蝶屋敷から少し離れた墓地で。

 

不死川実弥は、

一人立っていた。

 

目の前には、

新しい墓標。

 

白い花。

 

線香の煙。

 

その匂いだけが、

静かに漂っている。

 

実弥は、

何も言わない。

 

ただ。

 

立っている。

 

玄弥の墓。

 

戦いで散った、鬼殺隊志達の墓でもある。

 

弟。

 

最後まで、

鬼狩りとして戦った。

 

守れなかった。

 

結局。

 

兄として、

何一つ上手く出来なかった気がしている。

 

実弥の奥歯が、

僅かに軋む。

 

「……チッ」

 

小さく舌打ちする。

 

だが。

 

怒りではない。

 

行き場のない感情が、

まだ身体の中に残っているだけだ。

 

鬼舞辻無惨は討った。

 

鬼全て消えた。

 

全部、

終わった。

 

それなのに。

 

心だけが、

まだ戦場から戻っていない。

 

夜になると、

時々目が覚める。

 

無限城。

 

血の匂い。

 

悲鳴。

 

触手。

 

全部、

まだ夢に出る。

 

起きた瞬間、

刀を探す事もある。

 

もう必要ないのに。

 

実弥は、

小さく息を吐いた。

 

「……くだらねぇ」

 

だが。

 

身体は、

簡単には忘れない。

 

 

 

「不死川さん」

 

後ろから、

声がした。

 

炭治郎だった。

 

両腕に、

花を抱えている。

 

実弥が、

ちらりと見る。

 

「……何だァ」

 

「お墓参りです」

 

「見りゃ分かる」

 

炭治郎は、

少し困ったように笑う。

 

前なら、

もっと刺々しく返していた。

 

でも今の実弥には、

そこまで噛みつく力も残っていない。

 

炭治郎が、

静かに玄弥の墓へ花を置く。

 

少しだけ、

沈黙。

 

風が吹く。

 

炭治郎が、

静かに言った。

 

「玄弥の事聞きました、最後まですごかったです」

 

実弥は、

答えない。

 

「怖かったはずなのに、

ちゃんと前へ出ていたと」

 

「……あいつは昔から馬鹿だ」

 

低い声。

 

でも。

 

どこか、

柔らかかった。

 

炭治郎が、

小さく笑う。

 

「はい」

 

否定しない。

 

その返事に。

 

実弥の口元が、

ほんの僅かだけ動いた。

 

しばらくして。

 

炭治郎が、

ぽつりと言う。

 

「でも、不死川さんも生きてて良かったです」

 

実弥の眉が、

少し動く。

 

「何だそりゃ」

 

「そのままです」

 

真っ直ぐだった。

 

昔から。

 

こいつは、

こういう事を平気で言う。

 

実弥は、

小さく舌打ちした。

 

「……気色悪ぃ」

 

「ひどい!?」

 

だが。

 

そのやり取りだけで、

少し空気が軽くなる。

 

実弥が、

空を見る。

 

青かった。

 

鬼のいない空。

 

平和。

 

そんなもの、

自分には縁がないと思っていた。

 

どうせ最後は、

死ぬと思っていた。

 

悲鳴嶼も。

 

伊黒も。

 

甘露寺も。

 

皆、

そういう覚悟で戦っていた。

 

なのに。

 

自分は、

まだ生きている。

 

その事実が、

未だに少し重い。

 

「……何で俺だけ生き残ってんだろうな」

 

ぽつりと、

漏れる。

 

炭治郎は、

すぐには答えなかった。

 

しばらく考えて。

 

それから、

静かに言う。

 

「生き残ったからだと思います」

 

「は?」

 

「生きる側になったからです」

 

実弥が、

少し眉を寄せる。

 

炭治郎は、

続けた。

 

「悲鳴嶼さんも、

そう言ってた気がします」

 

“生きろ”

 

あの最後の声が、

脳裏を掠める。

 

実弥の喉が、

少しだけ詰まった。

 

風が吹く。

 

線香の煙が、

空へ流れていく。

 

実弥が、

小さく息を吐いた。

 

「……面倒くせぇな」

 

「はい?」

 

「生きる方が」

 

炭治郎が、

少しだけ笑う。

 

「そうかもしれません」

 

否定しない。

 

その返しが、

少しだけ心地良かった。

 

 

実弥が、

墓石を見る。

 

玄弥。

 

もういない。

 

戻らない。

 

それでも。

 

全部が消えた訳じゃない。

 

守れなかったものもある。

 

でも。

 

繋がったものも、

確かにある。

 

実弥は、

静かに立ち上がった。

 

「帰るぞ」

 

「はい」

 

炭治郎も立つ。

 

二人で、

墓地を歩き出す。

 

風が吹く。

 

もう、

鬼の気配はどこにもない。

 

ただ。

 

静かな昼だけが、

そこにあった。

 

 

墓石の前には、

白い花が揺れていた。

 

 

墓地からの帰り道。

 

石段を、

ゆっくり下る。

 

実弥は、

まだ本調子ではない。

 

肋。

 

腕。

 

古傷。

 

歩ける。

 

だが、

完全ではない。

 

それでも、

杖は使わない。

 

炭治郎が、

ちらりと横を見る。

 

「大丈夫ですか?」

 

「誰に聞いてんだァ」

 

即答。

 

だが。

 

息は少し荒い。

 

炭治郎は、

それ以上言わない。

 

代わりに、

歩幅だけ少し落とした。

 

実弥は気づく。

 

気づくが、

何も言わない。

 

町へ降りる。

 

昼下がり。

 

子供の声。

 

商人の呼び声。

 

焼き魚の匂い。

 

平和だった。

 

実弥は、

未だに時々違和感を覚える。

 

誰も、

怯えていない。

 

夕方が近づいても、

急いで戸を閉めない。

 

夜が来ても、

人が普通に笑っている。

 

昔なら、

考えられなかった。

 

「不死川さん」

 

炭治郎が、

ふと声を掛ける。

 

「腹減ってません?」

 

「……急だな」

 

「俺減りました」

 

「知ってる」

 

実弥は、

少しだけ呆れた顔をする。

 

炭治郎は、

本当に腹が減ると顔に出る。

 

昔からだ。

 

少し歩いた先。

 

小さな定食屋。

 

湯気。

 

味噌の匂い。

 

炭火の香り。

 

炭治郎の腹が、

正直に鳴った。

 

実弥が、

小さく鼻を鳴らす。

 

「入るぞ」

 

「えっ、いいんですか!?」

 

「うるせぇ」

 

だが。

 

どこか、

少しだけ気分が軽かった。

 

店の中は、

静かだった。

 

昼を少し過ぎた時間。

 

客も少ない。

 

二人は、

窓際へ座る。

 

店主が水を置いた。

 

「ご注文は?」

 

炭治郎が、

すぐ反応する。

 

「鮭定食で!」

 

実弥が、

思わず見る。

 

「お前もか」

 

「え?」

 

「いや……何でもねぇ」

 

義勇の顔が、

脳裏を過る。

 

鮭好きは、

あの界隈で流行っているのかもしれない。

 

実弥は、

少し考えて。

 

「焼き鯖」

 

低く言う。

 

店主が頷き、

奥へ引っ込む。

 

しばらく。

 

静かな時間。

 

炭治郎が、

窓の外を見る。

 

子供達が、

走っていた。

 

笑っている。

 

鬼を知らないような顔で。

 

実弥も、

少しだけ視線を向ける。

 

その時。

 

胸の奥で、

何かが静かに落ちた。

 

あぁ。

 

これを守るために、

戦ってたのかもしれねぇな。

 

今さら。

 

そんな事を思う。

 

定食が来る。

 

湯気。

 

白飯。

 

味噌汁。

 

焼き魚。

 

炭治郎が、

手を合わせる。

 

「いただきます!」

 

実弥は、

何も言わず箸を取る。

 

焼き鯖を口へ運ぶ。

 

塩気。

 

脂。

 

温かい飯。

 

静かな味だった。

 

炭治郎が、

ふと笑う。

 

「なんか、不思議ですね」

 

「何がだ」

 

「不死川さんと、

こうしてご飯食べてるの」

 

実弥が、

少し眉を寄せる。

 

「嫌か」

 

「違います!」

 

即答。

 

炭治郎は、

少し笑った。

 

「前は、こういう日が来るって思ってなかったから」

 

実弥は、

少し黙る。

 

それは、

自分も同じだった。

 

戦いが終わった後なんて、

考えていなかった。

 

生き残る未来も。

 

飯を食う未来も。

 

何も。

 

「……お前」

 

実弥が、

ぽつりと言う。

 

「はい?」

 

「変わったな」

 

炭治郎が、

少し目を丸くする。

 

「そうですか?」

 

「あァ」

 

実弥は、

焼き鯖を崩しながら続けた。

 

「前より、ちゃんと背負ってる顔してやがる」

 

炭治郎が、

少し黙る。

 

鬼舞辻無惨との戦い。

 

死んだ人達。

 

託されたもの。

 

全部、

消えない。

 

でも。

 

前へ進むしかない。

 

生きているから。

 

炭治郎が、

静かに笑った。

 

「不死川さんもです」

 

「ァ?」

 

「前より、

ちょっとだけ優しくなりました」

 

実弥の箸が止まる。

 

「ぶっ殺すぞ」

 

「理不尽!?」

 

だが。

 

怒鳴りながらも、

どこか昔ほど尖っていない。

 

炭治郎は、

それが少し嬉しかった。

 

店の外。

 

風が吹く。

 

暖簾が揺れる。

 

鬼のいない昼。

 

平和。

 

失ったものは、

戻らない。

 

玄弥も。

 

悲鳴嶼も。

 

もういない。

 

それでも。

 

残った者は、

生きていくしかない。

 

実弥が、

味噌汁を飲む。

 

温かかった。

 

その熱が。

 

少しだけ、

身体の奥へ落ちていく。

 

帰り際。

 

店を出たところで。

 

炭治郎が、

ふと空を見る。

 

夕方が近い。

 

橙色の光。

 

それでも。

 

誰も、

怯えていない。

 

実弥も、

空を見る。

 

夜が来る。

 

でも。

 

もう鬼はいない。

 

その事実だけが、

静かに胸へ残る。

 

実弥が、

小さく息を吐いた。

 

「……悪くねぇな」

 

炭治郎が、

少し笑う。

 

「はい」

 

夕暮れの風が、

二人の横を静かに抜けていった。

 

 

百三十話 完

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