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風が、
吹いていた。
乾いた風。
昼とも夕方ともつかない、
静かな時間。
蝶屋敷から少し離れた墓地で。
不死川実弥は、
一人立っていた。
目の前には、
新しい墓標。
白い花。
線香の煙。
その匂いだけが、
静かに漂っている。
実弥は、
何も言わない。
ただ。
立っている。
玄弥の墓。
戦いで散った、鬼殺隊志達の墓でもある。
弟。
最後まで、
鬼狩りとして戦った。
守れなかった。
結局。
兄として、
何一つ上手く出来なかった気がしている。
実弥の奥歯が、
僅かに軋む。
「……チッ」
小さく舌打ちする。
だが。
怒りではない。
行き場のない感情が、
まだ身体の中に残っているだけだ。
鬼舞辻無惨は討った。
鬼全て消えた。
全部、
終わった。
それなのに。
心だけが、
まだ戦場から戻っていない。
夜になると、
時々目が覚める。
無限城。
血の匂い。
悲鳴。
触手。
全部、
まだ夢に出る。
起きた瞬間、
刀を探す事もある。
もう必要ないのに。
実弥は、
小さく息を吐いた。
「……くだらねぇ」
だが。
身体は、
簡単には忘れない。
「不死川さん」
後ろから、
声がした。
炭治郎だった。
両腕に、
花を抱えている。
実弥が、
ちらりと見る。
「……何だァ」
「お墓参りです」
「見りゃ分かる」
炭治郎は、
少し困ったように笑う。
前なら、
もっと刺々しく返していた。
でも今の実弥には、
そこまで噛みつく力も残っていない。
炭治郎が、
静かに玄弥の墓へ花を置く。
少しだけ、
沈黙。
風が吹く。
炭治郎が、
静かに言った。
「玄弥の事聞きました、最後まですごかったです」
実弥は、
答えない。
「怖かったはずなのに、
ちゃんと前へ出ていたと」
「……あいつは昔から馬鹿だ」
低い声。
でも。
どこか、
柔らかかった。
炭治郎が、
小さく笑う。
「はい」
否定しない。
その返事に。
実弥の口元が、
ほんの僅かだけ動いた。
しばらくして。
炭治郎が、
ぽつりと言う。
「でも、不死川さんも生きてて良かったです」
実弥の眉が、
少し動く。
「何だそりゃ」
「そのままです」
真っ直ぐだった。
昔から。
こいつは、
こういう事を平気で言う。
実弥は、
小さく舌打ちした。
「……気色悪ぃ」
「ひどい!?」
だが。
そのやり取りだけで、
少し空気が軽くなる。
実弥が、
空を見る。
青かった。
鬼のいない空。
平和。
そんなもの、
自分には縁がないと思っていた。
どうせ最後は、
死ぬと思っていた。
悲鳴嶼も。
伊黒も。
甘露寺も。
皆、
そういう覚悟で戦っていた。
なのに。
自分は、
まだ生きている。
その事実が、
未だに少し重い。
「……何で俺だけ生き残ってんだろうな」
ぽつりと、
漏れる。
炭治郎は、
すぐには答えなかった。
しばらく考えて。
それから、
静かに言う。
「生き残ったからだと思います」
「は?」
「生きる側になったからです」
実弥が、
少し眉を寄せる。
炭治郎は、
続けた。
「悲鳴嶼さんも、
そう言ってた気がします」
“生きろ”
あの最後の声が、
脳裏を掠める。
実弥の喉が、
少しだけ詰まった。
風が吹く。
線香の煙が、
空へ流れていく。
実弥が、
小さく息を吐いた。
「……面倒くせぇな」
「はい?」
「生きる方が」
炭治郎が、
少しだけ笑う。
「そうかもしれません」
否定しない。
その返しが、
少しだけ心地良かった。
実弥が、
墓石を見る。
玄弥。
もういない。
戻らない。
それでも。
全部が消えた訳じゃない。
守れなかったものもある。
でも。
繋がったものも、
確かにある。
実弥は、
静かに立ち上がった。
「帰るぞ」
「はい」
炭治郎も立つ。
二人で、
墓地を歩き出す。
風が吹く。
もう、
鬼の気配はどこにもない。
ただ。
静かな昼だけが、
そこにあった。
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墓石の前には、
白い花が揺れていた。
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墓地からの帰り道。
石段を、
ゆっくり下る。
実弥は、
まだ本調子ではない。
肋。
腕。
古傷。
歩ける。
だが、
完全ではない。
それでも、
杖は使わない。
炭治郎が、
ちらりと横を見る。
「大丈夫ですか?」
「誰に聞いてんだァ」
即答。
だが。
息は少し荒い。
炭治郎は、
それ以上言わない。
代わりに、
歩幅だけ少し落とした。
実弥は気づく。
気づくが、
何も言わない。
町へ降りる。
昼下がり。
子供の声。
商人の呼び声。
焼き魚の匂い。
平和だった。
実弥は、
未だに時々違和感を覚える。
誰も、
怯えていない。
夕方が近づいても、
急いで戸を閉めない。
夜が来ても、
人が普通に笑っている。
昔なら、
考えられなかった。
「不死川さん」
炭治郎が、
ふと声を掛ける。
「腹減ってません?」
「……急だな」
「俺減りました」
「知ってる」
実弥は、
少しだけ呆れた顔をする。
炭治郎は、
本当に腹が減ると顔に出る。
昔からだ。
少し歩いた先。
小さな定食屋。
湯気。
味噌の匂い。
炭火の香り。
炭治郎の腹が、
正直に鳴った。
実弥が、
小さく鼻を鳴らす。
「入るぞ」
「えっ、いいんですか!?」
「うるせぇ」
だが。
どこか、
少しだけ気分が軽かった。
店の中は、
静かだった。
昼を少し過ぎた時間。
客も少ない。
二人は、
窓際へ座る。
店主が水を置いた。
「ご注文は?」
炭治郎が、
すぐ反応する。
「鮭定食で!」
実弥が、
思わず見る。
「お前もか」
「え?」
「いや……何でもねぇ」
義勇の顔が、
脳裏を過る。
鮭好きは、
あの界隈で流行っているのかもしれない。
実弥は、
少し考えて。
「焼き鯖」
低く言う。
店主が頷き、
奥へ引っ込む。
しばらく。
静かな時間。
炭治郎が、
窓の外を見る。
子供達が、
走っていた。
笑っている。
鬼を知らないような顔で。
実弥も、
少しだけ視線を向ける。
その時。
胸の奥で、
何かが静かに落ちた。
あぁ。
これを守るために、
戦ってたのかもしれねぇな。
今さら。
そんな事を思う。
定食が来る。
湯気。
白飯。
味噌汁。
焼き魚。
炭治郎が、
手を合わせる。
「いただきます!」
実弥は、
何も言わず箸を取る。
焼き鯖を口へ運ぶ。
塩気。
脂。
温かい飯。
静かな味だった。
炭治郎が、
ふと笑う。
「なんか、不思議ですね」
「何がだ」
「不死川さんと、
こうしてご飯食べてるの」
実弥が、
少し眉を寄せる。
「嫌か」
「違います!」
即答。
炭治郎は、
少し笑った。
「前は、こういう日が来るって思ってなかったから」
実弥は、
少し黙る。
それは、
自分も同じだった。
戦いが終わった後なんて、
考えていなかった。
生き残る未来も。
飯を食う未来も。
何も。
「……お前」
実弥が、
ぽつりと言う。
「はい?」
「変わったな」
炭治郎が、
少し目を丸くする。
「そうですか?」
「あァ」
実弥は、
焼き鯖を崩しながら続けた。
「前より、ちゃんと背負ってる顔してやがる」
炭治郎が、
少し黙る。
鬼舞辻無惨との戦い。
死んだ人達。
託されたもの。
全部、
消えない。
でも。
前へ進むしかない。
生きているから。
炭治郎が、
静かに笑った。
「不死川さんもです」
「ァ?」
「前より、
ちょっとだけ優しくなりました」
実弥の箸が止まる。
「ぶっ殺すぞ」
「理不尽!?」
だが。
怒鳴りながらも、
どこか昔ほど尖っていない。
炭治郎は、
それが少し嬉しかった。
店の外。
風が吹く。
暖簾が揺れる。
鬼のいない昼。
平和。
失ったものは、
戻らない。
玄弥も。
悲鳴嶼も。
もういない。
それでも。
残った者は、
生きていくしかない。
実弥が、
味噌汁を飲む。
温かかった。
その熱が。
少しだけ、
身体の奥へ落ちていく。
帰り際。
店を出たところで。
炭治郎が、
ふと空を見る。
夕方が近い。
橙色の光。
それでも。
誰も、
怯えていない。
実弥も、
空を見る。
夜が来る。
でも。
もう鬼はいない。
その事実だけが、
静かに胸へ残る。
実弥が、
小さく息を吐いた。
「……悪くねぇな」
炭治郎が、
少し笑う。
「はい」
夕暮れの風が、
二人の横を静かに抜けていった。
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百三十話 完