鬼滅の刃 ― 礎 ―   作:【規制済み】

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百三十二話 ― 霞の残したもの、終わりの庭、残る炎

 

山の朝は、

少し冷たかった。

 

刀鍛冶の里には、

まだ薄く霧が残っている。

 

鬼が消えてから、

しばらく経った。

 

それでも里では、

変わらず鉄を打つ音が響いていた。

 

火は灯る。

 

刀は作られる。

 

生き残った者達は、

今日も手を止めない。

 

小鉄が、

鍛錬場の掃除をしている。

 

木人の周囲。

 

削れた地面。

 

無数の刀傷。

 

そこには、

今でも“戦った跡”が残っていた。

 

霞柱。

 

時透無一郎。

 

あの少年が、

ここで鍛錬していた痕跡だった。

 

「おーい小鉄!」

 

後ろから、

鋼鐵塚の怒鳴り声。

 

「ボサッとするなァ!」

 

「してないよ!!」

 

いつものやり取り。

 

だが。

 

少しだけ、

静かだ。

 

以前なら、

もっと人の声があった。

 

怒鳴り声も。

 

笑い声も。

 

今は、

少し減った。

 

小鉄が、

木人へ手を置く。

 

「……時透さん、

ここめちゃくちゃに使ってたなぁ」

 

小さく笑う。

 

最初は、

怖かった。

 

無表情で。

 

何を考えているか分からなくて。

 

でも。

 

途中から、

少し変わった。

 

笑うようになった。

 

人を見るようになった。

 

守るために、

前へ出るようになった。

 

風が吹く。

 

鍛錬場を、

静かに抜けていく。

 

小鉄は、

空を見る。

 

青かった。

 

時透無一郎は、

もういない。

 

それでも。

 

この場所には、

ちゃんと残っている。

 

削れた地面。

 

踏み込みの跡。

 

そして。

 

誰かを守った記憶。

 

里の奥から、

鉄を打つ音が響く。

 

カン。

 

カン。

 

一定の音。

 

戦いが終わっても、

里は続いていく。

 

小鉄が、

小さく笑った。

 

「……負けてられないよな」

 

朝霧が、

少しずつ晴れていく。

 

霞が消えたあとにも。

 

残るものは、

確かにあった。

 

 

産屋敷亭の庭は静かだった。

 

風が、

木々を揺らしている。

 

鳥の声。

 

水の音。

 

それだけが、

広い屋敷へ静かに響いていた。

 

かつて。

 

ここには、

鬼殺隊の柱達が集っていた。

 

隊士達が走り。

 

鴉が鳴き。

 

夜ごと、

誰かが任務へ向かい。

 

そして散った。

 

だが今は違う。

 

鬼はいない。

 

鬼殺隊も、

もう存在しない。

 

長かった戦いは、

終わった。

 

 

 

産屋敷輝利哉が、

縁側へ座っている。

 

まだ若い。

 

だが。

 

その横顔には、

年齢以上の静けさがあった。

 

傍らには、

妹達。

 

三人とも、

穏やかな着物姿だった。

 

戦いのための服でもない。

 

それだけで、

時代が終わったことを感じる。

 

 

 

輝利哉の前には、

何冊もの記録帳が積まれている。

 

任務記録。

 

戦死者名簿。

 

柱達の報告。

 

鬼舞辻無惨討伐までの、

全て。

 

その一冊へ、

輝利哉が静かに手を置く。

 

指先が、

ほんの少し止まった。

 

この中には、

沢山の人間がいる。

 

生きた人。

 

死んだ人。

 

泣いた人。

 

最後まで戦った人。

 

その全部が、

ここへ残っている。

 

 

 

妹の一人が、

小さく口を開く。

 

「兄様」

 

輝利哉が、

静かに顔を上げる。

 

「……本当に、

終わったのですね」

 

その声は、

どこかまだ信じきれていなかった。

 

輝利哉は、

少しだけ空を見る。

 

青い。

 

穏やかな昼。

 

鬼のいない空だった。

 

「うん」

 

小さく頷く。

 

「終わった」

 

その言葉が、

庭へ静かに落ちる。

 

 

 

長かった。

 

本当に。

 

長かった。

 

産屋敷家は、

代々鬼と戦い続けてきた。

 

病に侵されながら。

 

命を削りながら。

 

誰かが死ぬ事を知りながら。

 

それでも。

 

止めなかった。

 

止められなかった。

 

だが。

 

もう終わった。

 

鬼舞辻無惨は滅びた。

 

鬼は消えた。

 

役目は、

果たされたのだ。

 

 

 

輝利哉が、

記録帳を静かに閉じる。

 

ぱたり。

 

その音が、

やけに大きく響いた。

 

「これで」

 

小さい声。

 

「鬼殺隊は、

終わりです」

 

誰も、

すぐには答えなかった。

 

風だけが、

庭を抜けていく。

 

妹達の目が、

少し潤む。

 

悲しい訳ではない。

 

でも。

 

あまりにも長かった戦いが終わるというのは、

どこか現実味が薄かった。

 

 

 

輝利哉は、

ゆっくり立ち上がる。

 

庭へ降りる。

 

陽射しが、

静かに肩へ落ちていた。

 

昔なら。

 

昼でも、

完全に安心などできなかった。

 

でも今は違う。

 

何も恐れなくていい。

 

夜が来ても、

誰も死なない。

 

その未来を。

 

沢山の人間が命を懸けて繋いだ。

 

 

 

輝利哉が、

小さく息を吐く。

 

「皆」

 

静かな声。

 

「本当に、

ありがとうございました」

 

誰へ向けたものか、

分からない。

 

柱達か。

 

隊士達か。

 

もう戻らない人達か。

 

あるいは。

 

今も生きて、

朝を迎えている者達か。

 

きっと、

全部だった。

 

庭の木々が、

風に揺れる。

 

穏やかな音だった。

 

鬼殺隊は終わった。

 

けれど。

 

繋がれた命は、

これからも続いていく。

 

それだけが、

静かに庭へ残っていた。

 

 

煉獄家の庭へ、

午後の陽射しが落ちている。

 

風は穏やかだった。

 

竹が揺れる音。

 

湯の沸く音。

 

鳥の声。

 

静かな昼。

 

昔から変わらない景色のはずなのに。

 

今はどこか、

空気が違った。

 

鬼がいない。

 

それだけで、

世界はこんなにも静かになる。

 

 

縁側に、

煉獄槇寿郎が座っている。

 

湯呑を片手に、

庭を見ていた。

 

かつてのように、

酒瓶はない。

 

荒れた気配も。

 

怒鳴り声も。

 

もう無かった。

 

その横で。

 

煉獄千寿郎が、

静かに本を閉じる。

 

「父上」

 

槇寿郎が、

少しだけ目を向ける。

 

千寿郎は、

昔より背が伸びていた。

 

表情も、

少し大人びている。

 

「手紙が届きました」

 

「炭治郎君達からです」

 

槇寿郎が、

小さく息を吐く。

 

「あぁ」

 

短い返事。

 

だが。

 

その声は、

昔よりずっと穏やかだった。

 

千寿郎が、

少しだけ笑う。

 

「皆、

元気みたいです」

 

「そうか」

 

それだけ。

 

でも。

 

その一言に、

安堵が混じっている。

 

しばらく。

 

風の音だけが続く。

 

やがて、

千寿郎がぽつりと言った。

 

「兄上が守ったもの、

ちゃんと残りましたね」

 

槇寿郎の手が、

ほんの少し止まる。

 

杏寿郎。

 

もういない。

 

帰ってこない。

 

それは、

今でも変わらない。

 

だが。

 

あの炎は、

確かに誰かへ繋がった。

 

炭治郎へ。

 

鬼殺隊へ。

 

最後まで戦った者達へ。

 

そして。

 

鬼のいない朝へ。

 

 

槇寿郎が、

静かに空を見る。

 

「……あいつらしい」

 

小さく。

 

本当に小さく。

 

そう呟く。

 

千寿郎が、

少しだけ目を細めた。

 

「父上」

 

「何だ」

 

「俺、

剣士にはなりません」

 

静かな声だった。

 

迷いはない。

 

槇寿郎は、

何も驚かなかった。

 

ただ。

 

静かに聞いている。

 

千寿郎は、

少しだけ庭を見る。

 

「でも」

 

「兄上達が守ったものを、

別の形で残したいです」

 

昔なら。

 

自分は弱いと思っていた。

 

兄のようになれないと。

 

剣を持てない自分には、

価値がないと思っていた。

 

でも今は違う。

 

守る形は、

一つじゃない。

 

その事を、

沢山の人から教わった。

 

槇寿郎が、

静かに息を吐く。

 

「そうか」

 

否定はしない。

 

怒鳴らない。

 

それだけで、

十分だった。

 

千寿郎が、

少しだけ笑う。

 

風が、

庭を揺らしていく。

 

槇寿郎が、

湯呑を持つ。

 

午後の光が、

静かに差している。

 

鬼はいない。

 

戦いは終わった。

 

炎の呼吸も、

もう必要ないのかもしれない。

 

それでも。

 

残った想いは、

消えない。

 

杏寿郎の炎は、

もう誰かを斬るためではなく。

 

誰かを照らすものとして、

静かに残っていた。

 

千寿郎が、

空を見上げる。

 

青かった。

 

穏やかな空。

 

兄が命を懸けて守った空だった。

 

「……綺麗ですね」

 

槇寿郎が、

小さく頷く。

 

「あぁ」

 

短い返事。

 

でも。

 

その横顔は、

少しだけ穏やかだった。

 

午後の風が、

煉獄家の庭を静かに抜けていく。

 

炎は消えない。

 

形を変えて、

これからも誰かの中で残り続ける。

 

そんな昼だった。

 

 

百三十二話 完

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