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昼の光が、
蝶屋敷の廊下へ静かに落ちている。
風は穏やかだった。
薬草の匂い。
干した布の揺れる音。
遠くで、
誰かの笑い声がする。
鬼がいなくなってから、
蝶屋敷の空気は少し変わった。
慌ただしさは残っている。
負傷者もまだ多い。
けれど。
空気の底にあった
“死の近さ”だけが、
確かに薄れていた。
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炭治郎は、
抱えていた籠を少し持ち直す。
中には、
町で頼まれた薬草や包帯。
任務ではない。
戦いでもない。
ただの、
頼まれごとだった。
昔なら。
こんな時間は、
束の間だった。
鬼が現れれば、
すぐ終わる。
夜が来れば、
また刀を握った。
でも今は違う。
昼が、
ちゃんと続いている。
その事実が、
未だに少し不思議だった。
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廊下を曲がった時。
炭治郎の足が、
ふと止まる。
縁側。
庭へ落ちる光。
その先に、
一人座っていた。
風に揺れる髪。
静かな横顔。
栗花落カナヲだった。
炭治郎が、
少し目を細める。
「……カナヲ」
呼ぶと、
カナヲがゆっくり顔を上げる。
その目が、
炭治郎を映した。
ほんの少し。
柔らかくなる。
「……炭治郎くん」
小さい声。
けれど、
前みたいな迷いは少なかった。
炭治郎は、
自然と笑った。
「こんにちは」
「うん」
短い返事。
でも。
ちゃんと、
温度がある。
炭治郎が、
縁側へ座る。
少し間を空けて。
近すぎず。
遠すぎず。
風が、
庭の木を揺らしていた。
しばらく。
二人とも、
無理に喋らない。
その静けさが、
不思議と落ち着いた。
「……薬草?」
カナヲが、
籠を見る。
炭治郎が頷く。
「頼まれてたんだ」
「町まで?」
「うん。もう普通に店も開いててさ」
少し笑う。
「なんか、
まだ変な感じする」
カナヲが、
静かに聞いている。
炭治郎は、
庭を見ながら続けた。
「夜を気にしなくていい人が、
こんなに沢山いるんだなって」
言いながら。
胸の奥へ、
ゆっくり落ちてくる。
守ったもの。
残ったもの。
失ったもの。
全部。
消えた訳じゃない。
でも。
確かに、
朝へ繋がった。
風が吹く。
木漏れ日が、
少し揺れる。
カナヲが、
ぽつりと言った。
「……約束」
炭治郎が、
目を向ける。
カナヲは、
庭を見たまま続けた。
「覚えてる?」
その瞬間。
炭治郎の胸へ、
あの日の廊下が蘇る。
柱稽古の後。
静かな昼。
“戻る”
そう言った。
“約束だね”
そう笑った。
炭治郎が、
小さく息を吐く。
「うん」
忘れるはずがなかった。
カナヲが、
少しだけ目を伏せる。
「……ちゃんと」
一拍。
「戻ってきたね」
静かな声だった。
でも。
その一言の重さを、
炭治郎は知っている。
戻れなかった人もいた。
朝を見られなかった人もいた。
本当に。
紙一重だった。
炭治郎は、
ゆっくり頷く。
「カナヲも」
カナヲの目が、
少しだけ揺れる。
炭治郎は、
少し笑った。
「あの時、
ちゃんと約束守った」
大きな言葉じゃない。
でも。
命を懸けた約束だった。
カナヲが、
ほんの少しだけ笑う。
本当に、
小さく。
けれど今度は、
隠さなかった。
しばらく。
二人で庭を見る。
風が吹いている。
穏やかな昼。
鬼はいない。
刀の音も。
悲鳴も。
しない。
炭治郎が、
ぽつりと言う。
「こういう時間、
前は想像できなかったな」
カナヲが、
静かに頷く。
「うん」
「でも」
炭治郎は、
少し空を見る。
青かった。
「悪くないね」
カナヲが、
少しだけ目を細める。
その横顔は、
昔よりずっと柔らかかった。
「……うん」
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遠くで、
洗濯物が揺れている。
誰かの笑い声。
食事の匂い。
何でもない昼。
でも。
命を懸けて、
ようやく辿り着いた昼だった。
炭治郎が、
ゆっくり立ち上がる。
「薬草届けてくるよ」
カナヲが、
顔を上げる。
炭治郎は、
少しだけ笑った。
「また来るね」
昔なら。
“帰ってくる”
だった。
でも今は違う。
帰る場所は、
もうちゃんとある。
だから。
次の約束は、
もっと自然でいい。
カナヲが、
静かに頷く。
「……うん」
それだけだった。
でも。
十分だった。
炭治郎が歩き出す。
廊下の先へ、
昼の光が落ちている。
その背中を見送りながら。
カナヲは、
そっと胸元で指を握った。
あの日交わした約束は、
終わったわけじゃない。
ちゃんと、
今へ続いている。
風が、
静かに庭を揺らしていた。
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百三十三話 完
次回。最終話。
本日21時。