鬼滅の刃 ― 礎 ―   作:【規制済み】

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百三十三話 ― 約束

⸻

 

昼の光が、

蝶屋敷の廊下へ静かに落ちている。

 

風は穏やかだった。

 

薬草の匂い。

 

干した布の揺れる音。

 

遠くで、

誰かの笑い声がする。

 

鬼がいなくなってから、

蝶屋敷の空気は少し変わった。

 

慌ただしさは残っている。

 

負傷者もまだ多い。

 

けれど。

 

空気の底にあった

“死の近さ”だけが、

確かに薄れていた。

 

⸻

 

炭治郎は、

抱えていた籠を少し持ち直す。

 

中には、

町で頼まれた薬草や包帯。

 

任務ではない。

 

戦いでもない。

 

ただの、

頼まれごとだった。

 

昔なら。

 

こんな時間は、

束の間だった。

 

鬼が現れれば、

すぐ終わる。

 

夜が来れば、

また刀を握った。

 

でも今は違う。

 

昼が、

ちゃんと続いている。

 

その事実が、

未だに少し不思議だった。

 

⸻

 

廊下を曲がった時。

 

炭治郎の足が、

ふと止まる。

 

縁側。

 

庭へ落ちる光。

 

その先に、

一人座っていた。

 

風に揺れる髪。

 

静かな横顔。

 

栗花落カナヲだった。

 

炭治郎が、

少し目を細める。

 

「……カナヲ」

 

呼ぶと、

カナヲがゆっくり顔を上げる。

 

その目が、

炭治郎を映した。

 

ほんの少し。

 

柔らかくなる。

 

「……炭治郎くん」

 

小さい声。

 

けれど、

前みたいな迷いは少なかった。

 

炭治郎は、

自然と笑った。

 

「こんにちは」

 

「うん」

 

短い返事。

 

でも。

 

ちゃんと、

温度がある。

 

炭治郎が、

縁側へ座る。

 

少し間を空けて。

 

近すぎず。

 

遠すぎず。

 

風が、

庭の木を揺らしていた。

 

しばらく。

 

二人とも、

無理に喋らない。

 

その静けさが、

不思議と落ち着いた。

 

「……薬草?」

 

カナヲが、

籠を見る。

 

炭治郎が頷く。

 

「頼まれてたんだ」

 

「町まで?」

 

「うん。もう普通に店も開いててさ」

 

少し笑う。

 

「なんか、

まだ変な感じする」

 

カナヲが、

静かに聞いている。

 

炭治郎は、

庭を見ながら続けた。

 

「夜を気にしなくていい人が、

こんなに沢山いるんだなって」

 

言いながら。

 

胸の奥へ、

ゆっくり落ちてくる。

 

守ったもの。

 

残ったもの。

 

失ったもの。

 

全部。

 

消えた訳じゃない。

 

でも。

 

確かに、

朝へ繋がった。

 

風が吹く。

 

木漏れ日が、

少し揺れる。

 

カナヲが、

ぽつりと言った。

 

「……約束」

 

炭治郎が、

目を向ける。

 

カナヲは、

庭を見たまま続けた。

 

「覚えてる?」

 

その瞬間。

 

炭治郎の胸へ、

あの日の廊下が蘇る。

 

柱稽古の後。

 

静かな昼。

 

“戻る”

 

そう言った。

 

“約束だね”

 

そう笑った。

 

炭治郎が、

小さく息を吐く。

 

「うん」

 

忘れるはずがなかった。

 

カナヲが、

少しだけ目を伏せる。

 

「……ちゃんと」

 

一拍。

 

「戻ってきたね」

 

静かな声だった。

 

でも。

 

その一言の重さを、

炭治郎は知っている。

 

戻れなかった人もいた。

 

朝を見られなかった人もいた。

 

本当に。

 

紙一重だった。

 

炭治郎は、

ゆっくり頷く。

 

「カナヲも」

 

カナヲの目が、

少しだけ揺れる。

 

炭治郎は、

少し笑った。

 

「あの時、

ちゃんと約束守った」

 

大きな言葉じゃない。

 

でも。

 

命を懸けた約束だった。

 

カナヲが、

ほんの少しだけ笑う。

 

本当に、

小さく。

 

けれど今度は、

隠さなかった。

 

しばらく。

 

二人で庭を見る。

 

風が吹いている。

 

穏やかな昼。

 

鬼はいない。

 

刀の音も。

 

悲鳴も。

 

しない。

 

炭治郎が、

ぽつりと言う。

 

「こういう時間、

前は想像できなかったな」

 

カナヲが、

静かに頷く。

 

「うん」

 

「でも」

 

炭治郎は、

少し空を見る。

 

青かった。

 

「悪くないね」

 

カナヲが、

少しだけ目を細める。

 

その横顔は、

昔よりずっと柔らかかった。

 

「……うん」

 

⸻

 

遠くで、

洗濯物が揺れている。

 

誰かの笑い声。

 

食事の匂い。

 

何でもない昼。

 

でも。

 

命を懸けて、

ようやく辿り着いた昼だった。

 

炭治郎が、

ゆっくり立ち上がる。

 

「薬草届けてくるよ」

 

カナヲが、

顔を上げる。

 

炭治郎は、

少しだけ笑った。

 

「また来るね」

 

昔なら。

 

“帰ってくる”

 

だった。

 

でも今は違う。

 

帰る場所は、

もうちゃんとある。

 

だから。

 

次の約束は、

もっと自然でいい。

 

カナヲが、

静かに頷く。

 

「……うん」

 

それだけだった。

 

でも。

 

十分だった。

 

炭治郎が歩き出す。

 

廊下の先へ、

昼の光が落ちている。

 

その背中を見送りながら。

 

カナヲは、

そっと胸元で指を握った。

 

あの日交わした約束は、

終わったわけじゃない。

 

ちゃんと、

今へ続いている。

 

風が、

静かに庭を揺らしていた。

 

⸻

 

百三十三話 完




次回。最終話。
本日21時。
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