鬼滅の刃 ― 礎 ―   作:【規制済み】

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第十三話 ― 崩れる前に

 

山道は、

夜になると急に狭く感じる。

 

昼のうちはただの土道だったはずなのに、

日が落ちるだけで

木々の影が濃くなり、

足元の見え方まで変わってしまう。

 

炭治郎は先頭を歩きながら、

静かに息を整えていた。

 

夜風は冷たい。

 

草の匂い。

湿った土の匂い。

そしてその奥に、

かすかに混じる異臭。

 

鬼の匂い。

 

今回の任務は、

山間の小さな集落の近くで

夜ごと人が襲われているというものだった。

 

派手な被害ではない。

 

だが、

逆にそれが不気味だった。

 

一晩に一人。

足取りは途中で途切れ、

争った跡も少ない。

 

人を攫うように消える鬼は、

大抵ろくなものではない。

 

炭治郎の後ろでは、

善逸がずっと小さく震えていた。

 

「やだよぉぉ……絶対なんかいるよぉぉ……」

 

「うるせぇな!」と伊之助が言う。

 

「いるに決まってんだろ! だから来たんだろうが!!」

 

「分かってるよぉ!! 分かってるけど嫌なんだよぉ!!」

 

いつものやり取りだ。

 

その声を聞きながら、

炭治郎は少しだけ肩の力を抜く。

 

怖さはある。

 

だが、

今はそれに飲まれきってはいなかった。

 

蝶屋敷を出る前、

真壁に言われた言葉を思い出す。

 

(持っていけるものだけで十分です。)

 

炭治郎は静かに息を吐く。

 

全部を背負おうとしない。

 

今の自分にできることだけを、

ちゃんとやる。

 

それだけでいい。

 

そう思いながら、

一歩ずつ山道を進んでいく。

 

やがて三人は、

集落の裏手にある古い社へ辿り着いた。

 

人気はない。

 

だが、

匂いはここで濃くなっていた。

 

炭治郎は足を止める。

 

「……ここだ」

 

善逸がすぐに泣きそうな声を出す。

 

「やっぱりぃぃぃ……!」

 

伊之助は逆に目を輝かせた。

 

「よっしゃあ!! いるなら出てこい!!」

 

「伊之助、まだ――」

 

炭治郎が言いかけたその時だった。

 

社の屋根の上から、

ぬるりと細長い影が落ちる。

 

速い。

 

人の形をしているのに、

腕だけが異様に長い。

 

鬼だった。

 

「来るぞ!!」

 

炭治郎が叫ぶ。

 

その瞬間、

鬼の腕が鞭のようにしなり、

真っ先に善逸へ伸びた。

 

「ぎゃああああ!!」

 

善逸が悲鳴を上げる。

 

炭治郎は反射で飛び出しかける。

 

だが――

 

その一瞬で、

視界の端に全部が入った。

 

善逸は腰が引けている。

伊之助は逆方向へ飛び出しかけている。

地面は斜面で、

踏み込みが浅い。

 

このまま勢いで出たら、

間に合わない。

 

いや、

届いても崩れる。

 

炭治郎の身体が、

一瞬だけ強張る。

 

行かなきゃ。

 

早く。

 

守らなきゃ。

 

その焦りが、

胸の奥から一気にせり上がる。

 

――だが次の瞬間、

炭治郎は止まった。

 

無理に前へ出ない。

 

一拍だけ、

呼吸を戻す。

 

足元を見る。

 

肩の力を抜く。

 

地面を踏み直す。

 

そのわずかな一瞬で、

炭治郎の中の流れが変わる。

 

焦るな。

 

立て直してからでいい。

 

炭治郎は息を吸う。

 

そして次の瞬間、

今度こそ迷いなく前へ出た。

 

「水の呼吸――壱ノ型 水面斬り」

 

斬撃が走る。

 

鬼の腕を弾き、

善逸の前へ割って入る。

 

「うわぁぁぁ助かったぁぁぁ!!」

 

「善逸、下がって!」

 

「はいぃぃぃ!!」

 

鬼がすぐさま距離を取る。

 

その動きは素早い。

 

だが、

さっきの一撃で少しだけ流れを変えられた。

 

炭治郎は鬼を見据えながら、

呼吸を整える。

 

今のは、

ただ速く動いたから間に合ったわけじゃない。

 

崩れる前に戻せたから、

間に合った。

 

その感覚が、

身体の中ではっきりと残っていた。

 

鬼は細い目を歪め、

嫌な笑みを浮かべた。

 

「……なんだァ、お前」

 

低く湿った声だった。

 

「今の、止まったな」

 

炭治郎は黙って構える。

 

鬼は続ける。

 

「助けるなら、普通はもっと慌てるだろ」

 

その言葉に、

炭治郎は少しだけ目を細める。

 

この鬼は、

人の崩れを待つタイプだ。

 

焦り。

恐怖。

判断の遅れ。

 

そういう隙を突くことに慣れている。

 

だからこそ、

今の一拍を気味悪く感じたのだろう。

 

鬼は次の瞬間、

今度は左右から同時に腕を伸ばしてきた。

 

速い。

 

しかも、

軌道が読みにくい。

 

炭治郎はすぐには踏み込まない。

 

受ける。

 

流す。

 

足を滑らせない。

 

真正面から押し返そうとせず、

斜めに刃を入れる。

 

腕が逸れる。

 

その間に伊之助が横から飛び込んだ。

 

「オラァ!!」

 

「伊之助、踏み込みすぎるな!」

 

「うるせぇ!!」

 

言いながらも、

伊之助の足がほんの少しだけ止まる。

 

その瞬間、

鬼の腕が空を切る。

 

炭治郎はその一拍を逃さず、

前へ出る。

 

「水の呼吸・弐ノ型――」

 

流れるような斬撃が、

鬼の懐へ滑り込む。

 

鬼が大きく後ろへ跳んだ。

 

浅い。

 

だが、

確実に間合いは崩せた。

 

炭治郎は追いすぎない。

 

前の自分なら、

ここで焦って詰めていたかもしれない。

 

でも今は違う。

 

届く位置でなければ、

出ない。

 

その感覚が、

ようやく少しずつ身体に根を張り始めていた。

 

その時、

善逸の声が背後から飛ぶ。

 

「た、炭治郎!! 右ぃ!!」

 

炭治郎は反射で身体を捻る。

 

別の腕が、

木々の陰から回り込んできていた。

 

鬼の腕は一本ではなかった。

 

いや、

伸ばした腕を枝のように分けていたのだ。

 

炭治郎は舌打ちしそうになる。

 

嫌な攻め方だ。

 

焦らせて、

崩れたところを絡め取る。

 

まるで、

最初からそういう狩り方しかしてこなかったみたいに。

 

だが今は、

それが分かる。

 

分かるなら、

崩されなければいい。

 

炭治郎は一度だけ息を吐いた。

 

「善逸、後ろ下がって!」

 

「う、うん!!」

 

「伊之助、右を切って!」

 

「言われなくても!!」

 

二人の返事が飛ぶ。

 

その声を聞いた瞬間、

炭治郎の中で

ほんの少しだけ何かが噛み合った。

 

一人で全部を抱えなくていい。

 

場を整えれば、

戦い方は変わる。

 

それは、

ここしばらくで学んだことだった。

 

鬼が再び飛び込んでくる。

 

炭治郎は今度こそ、

迷わず前へ出た。

 

「水の呼吸――」

 

足元は崩れない。

 

呼吸も切れない。

 

焦りに引っ張られない。

 

斬撃が、

鬼の腕を弾き、

身体の中心線を開く。

 

その瞬間、

伊之助が横から叫ぶ。

 

「今だァ!!」

 

炭治郎は踏み込む。

 

届く位置。

 

崩れない位置。

 

そこへ身体を通した瞬間、

迷いはなかった。

 

「――肆ノ型・打ち潮!!」

 

連撃が走る。

 

鬼の身体が大きく仰け反る。

 

炭治郎はそのまま一気に間合いを詰め、

最後の一太刀を振り抜いた。

 

「な!?」

 

驚愕した鬼の頸が飛ぶ。

 

一瞬遅れて、

身体が崩れ落ちる。

 

静寂が戻った。

 

夜風だけが、

社の周囲を吹き抜けていく。

 

しばらく誰も動かなかった。

 

やがて善逸が、

へなへなとその場にしゃがみ込む。

 

「し、死ぬかと思ったぁぁぁ……」

 

「毎回言ってんなお前」と伊之助が言う。

 

「でも今回はちょっと危なかっただろ!!」

 

「ちょっとじゃねぇよ!! めちゃくちゃ危なかったよ!!」

 

二人のやり取りを聞きながら、

炭治郎は静かに息を整える。

 

まだ心臓は速い。

 

腕にも力が入っている。

 

でも――

 

崩れてはいない。

 

炭治郎は自分の足元を見る。

 

ちゃんと立てている。

 

それが、

今は妙に実感としてあった。

 

善逸が顔を上げて言う。

 

「……でもさ」

 

「今日の炭治郎、

何かちょっと違ったよな」

 

炭治郎が目を向ける。

 

善逸は鼻をすすりながら続けた。

 

「前だったらもっとこう……

“うわぁぁ!!”ってそのまま突っ込んでた気がする」

 

「何だその説明」

 

「うるさいなぁ!! でも何か、

一回ちゃんと見てたっていうか……」

 

伊之助も腕を組んだまま言う。

 

「まあ、さっきは悪くなかったな」

 

そう言ってから、

伊之助はいつものように鼻を鳴らす。

 

「でも俺様の方が強えけどな!!」

 

その言い方は相変わらず偉そうだったが、

炭治郎にはそれが少しだけ嬉しかった。

 

炭治郎は静かに息を吐く。

 

そうかもしれない、と思う。

 

自分ではまだ全然足りないと思っている。

 

でも、

何も変わっていないわけじゃない。

 

少なくとも今日、

自分は一度崩れかけて――

 

そして、

戻ることができた。

 

それはきっと、

前の自分にはまだなかったものだった。

 

山を下りる帰り道。

 

夜明け前の空は、

少しずつ色を変え始めていた。

 

炭治郎はその薄明るい空を見上げながら、

静かに思う。

 

持っていけるものだけで十分。

 

あの言葉の意味が、

少しだけ分かった気がした。

 

全部を背負う必要はない。

 

全部を一度に守ろうとしなくていい。

 

ただ、

今の自分に持てるものを

ちゃんと落とさずに運ぶ。

 

それを積み重ねていくしかないのだ。

 

炭治郎は小さく息を吸う。

 

まだ未熟だ。

 

まだ足りない。

 

今日の一歩は、

ちゃんと前に進んでいた。

 

蝶屋敷で受け取ったものは、

ちゃんと自分の中に残っている。

 

それを確かめられただけで、

この任務には意味があった。

 

山道の先に、

少しずつ朝の光が滲んでいく。

 

その中を、

炭治郎たちは再び歩き出した。

 

 

第十三話 終

 

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