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山を下りる頃には、
空はすっかり朝の色になっていた。
夜の冷たさを引きずったままの風が、
木々の間を静かに抜けていく。
炭治郎は山道を歩きながら、
何度か小さく息を整えていた。
身体は重い。
戦いの後の気怠さもある。
だが――
足取りそのものは、以前より少しだけ安定している。
後ろでは善逸が、
いつものように情けない声を上げていた。
「もぉぉぉ無理ぃぃぃ……帰ったら絶対寝るぅぅぅ……」
「何言ってやがる!」と伊之助が言う。
「帰ったら次は俺と勝負だ!!」
「何でそうなるんだよぉ!!」
騒がしい。
だがその騒がしさが、
今は心地よかった。
炭治郎は少しだけ笑いながら、
前を向いて歩き続ける。
今回の任務は、決して楽ではなかった。
危ない場面もあった。
焦りかけた瞬間もあった。
それでも――
崩れきる前に戻れた。
その感覚が、
今も身体のどこかに残っている。
炭治郎は静かに思う。
少しずつでいい。
持っていけるものを、
一つずつ増やしていけばいいのだと。
そう考えながら、
三人は蝶屋敷への道を進んでいった。
蝶屋敷の門が見えてきた時、
炭治郎は無意識に少しだけ息を吐いた。
帰ってきた。
そう思うだけで、
身体の奥のどこかが緩む。
門の向こうには、
いつもの庭がある。
薬草の匂い。
掃き清められた地面。
柔らかな空気。
ここはもう、
ただの療養の場所ではない。
炭治郎たちにとって――
“戻る場所”だった。
「やっと着いたぁぁぁ……」
善逸が半泣きで門をくぐろうとした、その時だった。
中の方から、
妙に騒がしい声が聞こえてきた。
「嫌です!!」
「ちょ、ちょっと待ってください!!」
「えっ、えっ、何!?」
炭治郎が足を止める。
善逸も「えっ?」と顔を上げる。
伊之助は即座に反応した。
「何だ何だ!? 喧嘩か!?」
「違う……でも、何かおかしい」
空気が違う。
三人は顔を見合わせ、
そのまま足を速めた。
庭へ入った瞬間、
炭治郎は目を見開いた。
見慣れない男が、そこにいた。
派手だった。
いや――
派手、という言葉だけでは少し足りない。
その場の空気ごと、
自分の色に塗り替えてしまうような男だった。
額当て。
化粧。
大柄な体躯。
そして――
ただそこに立っているだけで、
蝶屋敷の静けさが似合わなくなるほどの存在感。
その男が、
アオイの腕を掴もうとしていた。
「嫌ですって言ってるでしょう!!」
アオイが珍しく声を荒げる。
三人娘も慌てている。
カナヲは静かに立っているが、
明らかに警戒していた。
炭治郎の身体が、
反射的に前へ出かける。
だがその瞬間、
足裏に意識が落ちた。
焦って踏み込めば、
この場はすぐに崩れる。
炭治郎は一度だけ呼吸を整え、
それから静かに一歩前へ出た。
「その人たちは連れていけません」
その声で、空気が止まる。
男がゆっくりと振り向いた。
目が合う。
その瞬間――炭治郎は理解する。
強い。
しかもこれは、
これまで見てきた強さとは違う。
“場を圧倒し支配する強さ”。
柱。
その答えが、すぐに出る。
男は炭治郎たちを見て、
わずかに目を細めた。
「……何だ、お前ら」
善逸が震えながら呟く。
「な、何あれ……怖いんだけど……」
伊之助は逆に笑う。
「何だコイツ!! 強そうだな!!」
炭治郎は一歩だけ前へ出る。
「その人たちは連れていけません」
言葉は、思ったよりも揺れていなかった。
男が炭治郎を見下ろす。
「お前、何様だ?」
「鬼殺隊士です」
即答だった。
その時――
背後から、静かな声が落ちた。
「宇髄様」
炭治郎が振り返る。
そこにいたのは、
深紺の羽織を纏った真壁堅だった。
騒ぎの中心ではない。
その少し外側。
だが、
確かに場を見ている位置。
宇髄天元がその姿を見て、僅かに眉を上げる。
「……あ?」
「真壁じゃねぇか。何でお前が蝶屋敷にいる」
その声音は、
初対面のものではなかった。
炭治郎は思わず目を見開く。
真壁は静かに頭を下げる。
「ご無沙汰しております」
宇髄は鼻を鳴らした。
「相変わらず地味なとこに立ってんな」
「必要な位置ですので」
間を置かず返る。
善逸が小声で言う。
「返しまで真壁さんだ……」
宇髄はそのやり取りを見て、
口元をわずかに歪めた。
「……なるほどな」
それから炭治郎の方へ視線を戻す。
「そいつが教えたか?」
炭治郎は一瞬だけ戸惑う。
だが、すぐに答える。
「……はい」
宇髄は肩をすくめる。
「派手じゃねぇ。だが、悪くねぇ教わり方してるじゃねぇか」
その一言に、
炭治郎の胸がわずかに動く。
真壁は何も言わない。
ただ、場を見ている。
宇髄は再びアオイたちへ視線を向ける。
「で、話は戻るが――」
空気が張る。
炭治郎は静かに息を整えた。
戻ってきたはずの場所で、
新しい流れが始まろうとしている。
だが今回は違う。
ただ流されるのではなく、
立ったまま、その場にいる。
足元は崩れていない。
それだけで、
見えるものが変わる。
朝の風が、
庭を静かに抜けていった。
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第十四話 終
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