第十五話 ― 派手な任務
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庭に落ちた朝の空気は、
まだ完全にはほどけていなかった。
宇髄天元という男が現れた瞬間から、
蝶屋敷の空気はそれまでの静けさを失っていた。
派手。
強い。
そして、
理屈より先に場を持っていく。
音柱とは、
そういう存在なのだと分かる立ち方だった。
その中心で、
アオイはまだ警戒を解いていなかった。
「だから、私は行きません!」
はっきりとした声だった。
宇髄は腕を組んだまま、
露骨に不満そうな顔をする。
「行きませんじゃねぇんだよ。
こっちは人手が要るっつってんだ」
「だからって、
何で私たちなんですか!」
「女だからだ」
即答だった。
「今回の任務先じゃ、
一番潜り込みやすい」
場が一瞬止まる。
善逸が「えっ」と固まり、
伊之助が「何だそりゃ」と眉を寄せる。
炭治郎も思わず目を瞬かせた。
宇髄は悪びれもせず続ける。
「今回の任務先は遊郭だ」
その一言に、
空気が少し変わる。
炭治郎は目を上げる。
遊郭――
華やかで人が集まり、
夜が深くなるほど賑わう場所。
同時に、
人が消えても気づかれにくい場所でもある。
宇髄は顎をしゃくって続けた。
「俺の嫁が三人、潜入してる」
「そのうち二人と連絡が取れねぇ」
善逸の顔が引きつる。
「えっ、嫁が三人?」
「そこじゃないだろ!!」と炭治郎が思わず突っ込む。
伊之助は別方向で反応した。
「潜入!? 面白そうじゃねぇか!!」
「面白くないよ!!」
善逸が即座に叫ぶ。
だが宇髄は意に介さず、
淡々と状況を告げる。
「中は派手に入り込めねぇ。
女の隊士なら自然に潜り込ませやすい」
「だから連れて行くつもりだった」
その視線が再びアオイたちへ向く。
アオイがわずかに肩を強ばらせる。
炭治郎はその横顔を見て、
一歩だけ前へ出た。
「無理やり連れて行くのは違うと思います」
宇髄が片眉を上げる。
「ほぉ?」
「危険な任務なのは分かります。
でも、本人が嫌がってるのに無理やり行かせるのは――」
「じゃあ代わりにお前が行くか?」
即座に返された。
炭治郎は言葉を詰まらせる。
宇髄は炭治郎を見下ろしながら続ける。
「遊郭に潜るには、
それ用のやり方が要る」
「鬼を斬るだけで済む任務じゃねぇ」
「中で探る。
見つける。
崩さず動く。
そういう任務だ」
その言葉に、
炭治郎の胸の奥がわずかに動く。
崩さず動く。
それは、
このしばらくでずっと考えてきたことだった。
宇髄は腕を組み直す。
「で、
お前らにそれができんのか?」
その問いは、
試すようでもあり、
切り捨てるようでもあった。
善逸はすでに後ずさっている。
「できないできない!! 俺は絶対できない!!」
「俺はできる!!」と伊之助が即答する。
「お前は絶対違う方向で問題起こすだろ!!」
「何だとコラ!!」
いつもの騒がしさが始まりかける。
その時だった。
「宇髄様」
静かな声が入る。
真壁だった。
大きくはない。
だが、
それだけで場の流れがわずかに変わる。
宇髄がそちらを見る。
「何だ」
真壁はいつものように、
騒ぎの中心ではなく少し外れた位置に立っていた。
だがその視線は、
炭治郎たち全員を静かに見ている。
「竈門君たちは、
無理に前へ出るだけの状態ではありません」
宇髄が目を細める。
「ほぉ?」
真壁は続ける。
「少なくとも、
前より整っています」
炭治郎は思わずそちらを見る。
真壁は視線を向けず、
事実だけを置くように言った。
「場を見て動くことも、
少しずつ覚え始めています」
宇髄は鼻を鳴らした。
「お前がそこまで言うなら、
多少は使えるんだろうな」
「思ったままを申し上げています」
その返しに、
宇髄はほんの少しだけ口元を歪める。
「地味だな、お前は本当に」
「恐縮です」
善逸がまた小声で呟いた。
「会話の温度差で風邪ひきそう……」
炭治郎は真壁の言葉を胸の内で反芻していた。
前より整っている。
場を見て動ける。
その評価は、
今この場で何より支えになった。
宇髄はしばらく三人を見ていたが、
やがて不意に笑った。
「ならいいな」
その一言で、
全員の視線が集まる。
宇髄は指を差す。
「お前ら三人、来い」
「えっ」
「はぁ!?」
「嫌だぁぁぁ!!」
三者三様の反応が返る。
宇髄は構わず続ける。
「女を無理やり連れてくより、
お前らの方がまだマシだ」
「あと何より面白ぇ」
「最後の理由おかしいですよね!?」と炭治郎が言う。
「細けぇことは気にすんな。
派手に行くぞ!」
「派手に行きたくないぃぃぃ!!」と善逸が叫ぶ。
伊之助は逆に目を輝かせていた。
「よっしゃあ!! 派手上等だ!!」
「お前だけだよテンション合ってるの!!」
庭先は一気に騒がしくなる。
その中で、
アオイが炭治郎を見る。
少しだけ不安そうな、
でもどこか言いたいことを堪えているような顔だった。
炭治郎はその視線に気づき、
静かに頷く。
大丈夫、とまでは言えない。
でも、
ちゃんと行って帰るつもりでいる。
その意思だけは伝えたかった。
アオイは小さく眉を寄せたあと、
ぶっきらぼうに言った。
「……無茶しないでよ」
「うん」
炭治郎が頷く。
その時、
宇髄が踵を返した。
「準備しろ。
すぐ出る」
あまりにも早い。
善逸が絶望した声を出す。
「えぇぇぇぇ!? 心の準備が!!」
「まだ言ってんのか」と伊之助が鼻を鳴らす。
炭治郎はそのやり取りを聞きながら、
ふと真壁の方を見た。
真壁は少し離れた場所で、
相変わらず静かに立っていた。
この人は来ない。
そう、
炭治郎には分かっていた。
これは、
自分たちが行く任務だ。
真壁が整えてくれた場所から、
今度は自分たちの足で出ていく番なのだろう。
炭治郎は真壁の前へ歩み寄る。
「真壁さん」
真壁が視線を向ける。
炭治郎は少しだけ迷ったあと、
それでもまっすぐに言った。
「……行ってきます」
真壁は数秒だけ炭治郎を見ていた。
やがて、
短く頷く。
「いってらっしゃい」
それだけだった。
だが、
その一言の中には
これまでと同じ静かな重さがあった。
炭治郎は続きを待つように少しだけ立つ。
すると真壁は、
いつもの調子で静かに言った。
「派手さに呑まれないように」
炭治郎は一瞬だけ目を瞬かせ、
それから思わず少しだけ笑ってしまう。
「……はい」
善逸が遠くから叫ぶ。
「炭治郎ぉぉぉ!! 置いてかれるぅぅぅ!!」
「今行く!」
炭治郎は真壁にもう一度だけ頭を下げる。
それから、
宇髄たちの方へ駆けていった。
騒がしい足音が、
朝の蝶屋敷から少しずつ離れていく。
真壁はその背中を、
静かに見送っていた。
追わない。
呼び止めない。
ただ、
崩れない位置から見送る。
それが、
今の自分の役目だと知っているように。
朝の光が庭に落ちる。
蝶屋敷はまた、
少しだけ静けさを取り戻していく。
だがその静けさの奥で、
新しい流れはもう動き始めていた。
華やかで、
危うくて、
夜に人を呑み込む街へ。
炭治郎たちは今、
次の戦いへ向かおうとしている。
眩しい場所ほど、
何が沈んでいるのかは見えにくい。
だからこそ――
足元を失わないことが、
きっと何より大事になる。
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第十五話 終
短い幕間の為後書きにて。
幕間 ― 灯りの下
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遊郭は、明るい。
夜になれば灯りがともり、
人の声が絶えない。
笑い声。
足音。
音と熱。
だからこそ――
消える時は、静かだ。
誰にも気づかれないまま、
人は一人ずつ消えていく。
灯りの下では、
影は見えにくい。
その日の夕方。
蝶屋敷の外れで、
真壁は一人立っていた。
空はまだ明るい。
だが、
夜はもう近い。
宇髄天元が動く任務。
それだけで十分だった。
派手な場所へ入る。
だが崩れるのは、
もっと手前だ。
見落とし。
油断。
一瞬の判断。
そういうもので、
形は簡単に崩れる。
真壁は静かに息を吐く。
送り出すことはした。
言葉も渡した。
あとは、
持っていくかどうかだ。
風が吹く。
遠くで灯りが一つ、
また一つと点き始める。
明るくなるほど、
足元は見えなくなる。
――踏み外せば、戻れない。
真壁は踵を返す。
戻る場所は、
崩さない。
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幕間 終
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