⸻
日が落ちるにつれて、
街の空気は少しずつ変わっていった。
人通りが増える。
声が増える。
灯りが増える。
そのすべてが、
夜へ向かうほどに濃くなっていく。
炭治郎たちは宇髄の後ろを歩きながら、
次第にその変化を肌で感じていた。
宇髄の足取りは迷いがない。
大股で、
堂々としていて、
まるで最初からこの夜の中を
自分の庭のように歩いているようだった。
その背中を見ながら、
善逸が小声で震える。
「ねぇ……本当に行くの……?」
「ここまで来て何言ってんだよ」と伊之助が言う。
「何かすげぇな!! 人がすげぇ!! 音もすげぇ!!」
「うるさい場所にうるさい奴が増えるな!!」
炭治郎は二人のやり取りを聞きながらも、
視線は自然と街の方へ向いていた。
遊郭。
遠くから見た時より、
近くで見る方がずっと異様だった。
灯りが多い。
笑い声も多い。
人の顔も、
着物の色も、
店先の飾りも、
どれも華やかで、
目を引くものばかりだ。
それなのに――
どこか落ち着かない。
匂いが多すぎる。
香の匂い。
酒の匂い。
化粧の匂い。
人の汗。
甘い匂い。
疲れた匂い。
いろいろなものが混ざりすぎていて、
炭治郎の鼻には
“何かを隠している匂い”に思えた。
何かを隠すには、
ちょうどいい場所だ。
その感覚に、
胸の奥が少しだけ重くなる。
その時、
宇髄が振り返りもせずに言った。
「ぼさっとすんな」
炭治郎ははっとする。
「はい!」
宇髄はそのまま前を向いて続けた。
「目ぇ奪われてると、
すぐ置いてかれんぞ」
その言葉に、
炭治郎の胸の内がわずかに動く。
真壁の言葉が重なった。
派手さに呑まれないように。
目を奪われる場所ほど、
足元が疎かになります。
炭治郎は静かに息を整える。
視線を落とすわけではない。
だが、
自分の立ち位置を一度だけ確かめる。
人の流れ。
宇髄との距離。
善逸と伊之助の位置。
足元は崩れていない。
それだけで、
少しだけ周囲の見え方が変わった。
やがて宇髄は、
ひときわ賑わう通りへ入っていく。
善逸が露骨に後ずさった。
「やだやだやだ!! 何ここ!! 怖いんだけど!!」
「何で怖ぇんだよ!」と伊之助が言う。
「こんだけ人いりゃ何か起きるに決まってるだろ!!」
「それ怖いって言ってんだよ!!」
宇髄がそこでようやく足を止めた。
振り返る。
その顔には、
さっきまでの軽さとは違う鋭さがあった。
「こっから先は任務だ」
その一言だけで、
三人の空気が引き締まる。
宇髄は続ける。
「遊郭は派手だ。だが中身は違う」
「笑ってる奴もいりゃ、
沈んでる奴もいる」
「見えてるもんだけで判断すんな」
炭治郎は黙って聞く。
宇髄の目は、
さっきまでの賑やかな柱のものではなかった。
潜って、
探って、
異常を見つけ出す者の目だ。
宇髄は指を三人へ向ける。
「お前らはここから潜る」
善逸が即座に叫ぶ。
「潜れない!! 俺は絶対潜れない!!」
「うるせぇ」と宇髄が切る。
「お前は黙って潜れ」
「無茶苦茶だよぉぉぉ!!」
伊之助は逆に妙に乗り気だった。
「面白ぇ!! で、どうすんだ!!」
宇髄は少しだけ眉を寄せる。
「お前はまず落ち着け」
「何でだよ!!」
「一番向いてねぇからだよ」
炭治郎は思わず少しだけ笑いそうになる。
だが、
宇髄の空気は本気だった。
これは冗談ではない。
鬼を見つける前に、
まずこの場所で崩れないこと。
その難しさが、
今なら少しだけ分かる気がした。
灯りが多い。
人も多い。
音も多い。
情報が多すぎる。
その中で、
必要なものだけを拾わなければならない。
炭治郎は静かに息を吸う。
焦らない。
全部を一度に見ようとしない。
今の自分に持てるものだけを、
ちゃんと持つ。
その時だった。
ふと、
通りの奥から風が流れてくる。
一瞬だけ、
その中に混じる匂いがあった。
ほんのわずかだ。
だが、
確かに異質だった。
人の匂いでも、
酒でも、
香でもない。
鬼。
炭治郎の表情が変わる。
「……!」
宇髄がすぐにそれに気づく。
「何かあったか」
炭治郎は視線を奥へ向けたまま、
低く答えた。
「今、
少しだけ……鬼の匂いがしました」
善逸が一瞬で青ざめる。
「やっぱりいるじゃん!! 帰ろう!!」
「帰るわけねぇだろ」と宇髄が言う。
だがその目は、
すでに笑っていなかった。
「場所は」
炭治郎は鼻を利かせる。
だが、
すぐに顔をしかめた。
「……消えました」
人の流れに混じって、
匂いが散ったのだ。
この街は、
鬼にとって都合が良すぎる。
宇髄は短く言う。
「上等」
宇髄の声から、
さっきまでの軽さが完全に消える。
「つまり、
もう踏み込んでるってことだ」
遊郭の灯りが、
夜の中で揺れている。
明るい。
賑やかだ。
だがその下には、
たしかに何かが沈んでいる。
炭治郎は静かに息を整える。
怖さはある。
だが、
足元はまだ崩れていない。
今はそれでいい。
それだけあれば、
見失わずに進める。
宇髄が歩き出す。
「行くぞ」
短い一言だった。
炭治郎たちはその後を追う。
夜の街へ。
灯りの下へ。
見えないものが沈む場所へ。
そこで何を見つけるのか、
まだ誰にも分からないまま――
彼らはその奥へ、
足を踏み入れていく。
⸻
第十六話 終
更新頻度について
-
今のままでいい
-
早い、毎日更新で良い
-
隔日くらいでいい
-
更新頻度の権を他人に握らせるな!