鬼滅の刃 ― 礎 ―   作:【規制済み】

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第二十一話 ― 線になるもの

 

夜が近づくにつれて、

店の中の空気はまた少しずつ変わっていった。

 

昼の間は見えやすかったものが、

灯りがともるにつれて逆に輪郭を失っていく。

 

人が増える。

 

声が増える。

 

笑い声も、

足音も、

三味線の音も、

店の中を埋めていく。

 

それなのに――

 

炭治郎には、

昨日よりもはっきりと分かっていた。

 

この店のどこかに、

たしかに沈んでいるものがある。

 

そしてそれは、

ただ“いる”だけではなく

人の流れの中に紛れて動いている。

 

炭治郎は盆を持って廊下を歩きながら、

静かに周囲を見ていた。

 

視線は流すだけ。

 

止めない。

 

探っていると思われないように。

 

だが意識だけは、

一つ一つを拾っていく。

 

帳場の前。

 

階段の近く。

 

裏手へ抜ける細い廊下。

 

その中で、

またあの女の姿が目に入る。

 

視線を逸らした女。

 

今夜もやはり、

人の流れの中にいながら

少しだけ“浮かないように浮いている”。

 

忙しそうに動いている。

 

誰かに声をかけ、

誰かの手伝いをし、

自然に見えるように店の中を巡っている。

 

だがその動きは、

よく見ると不思議だった。

 

必要な場所にいるようで、

必要な場所に長くいない。

 

炭治郎はふと気づく。

 

――この人は、働いているように見せながら

“見て回っている”。

 

その感覚が、

胸の奥に静かに沈む。

 

誰を。

 

何を。

 

そして、

何のために。

 

炭治郎はそこですぐに結論を出さない。

 

決めつける方が危ない。

 

今はまだ、

見えた線を落とさないことが大事だ。

 

その時だった。

 

廊下の向こうで、

昨日の少女が一瞬だけこちらを見た。

 

ほんの一瞬。

 

すぐに視線を逸らす。

 

だがその目には、

昨日よりはっきりとした怯えがあった。

 

炭治郎の胸がわずかに強く鳴る。

 

何かあった。

 

そう思った次の瞬間、

少女の背後にあの女が現れる。

 

自然な動きだった。

 

だが、

近づく距離が近すぎる。

 

少女の肩がぴくりと揺れたのを、

炭治郎は見逃さなかった。

 

女は何かを言った。

 

声までは届かない。

 

だが、

少女は小さく何度も頷いている。

 

その様子を見た瞬間、

炭治郎の中で

昨日まで別々だった違和感が

一本の線になり始める。

 

消えた子の部屋。

 

口を閉ざす空気。

 

怯える少女。

 

そして、

それを見張るように動くあの女。

 

偶然ではない。

 

炭治郎は息を整える。

 

焦るな。

 

まだ動くな。

 

今は、

崩れない位置を保つ。

 

盆を運ぶ足取りを変えずに、

そのまま廊下を抜ける。

 

だが、

意識だけはずっと残しておく。

 

見失わなければいい。

 

それだけで、

次は掴める。

 

夜が深くなるほど、

店の中の音は増えていった。

 

客の声。

笑い声。

酔った足音。

 

華やかさが増すほどに、

異常は見えにくくなる。

 

だが炭治郎には、

逆に分かることもあった。

 

この店では、

“消える”ことが

不自然なほど自然に処理されている。

 

誰かがいなくなっても、

すぐに別の誰かがその穴を埋める。

 

話題にしない。

 

深く聞かない。

 

そうやって、

空いた場所ごと静かに均されていく。

 

まるで、

最初から誰もいなかったかのように。

 

そのやり方が、

あまりにも冷たかった。

 

炭治郎は障子の前で立ち止まり、

盆を置く。

 

中から笑い声がする。

 

だがその声の奥に、

ふと混じるものがあった。

 

かすかな嗚咽。

 

ほんの一瞬だけ。

 

炭治郎の身体が、

わずかに強張る。

 

今のは――

 

だが、

次の瞬間には笑い声にかき消された。

 

聞き間違いかもしれない。

 

そう思えるほど短い。

 

だが、

胸の奥に引っかかる。

 

炭治郎はそこで無理に障子を開けない。

 

ここで確認しようとすれば、

全部が崩れる。

 

今はまだ、

その一音を覚えておくだけでいい。

 

夜はまだ長い。

 

そのあとも、

小さな違和感は続いた。

 

裏手へ向かう足音がある。

 

だが、

戻ってくる気配が薄い。

 

誰かが話を止める瞬間がある。

 

名前が途中で消える瞬間がある。

 

全部が小さい。

 

全部が曖昧だ。

 

けれど、

もう気のせいではなかった。

 

炭治郎は帳場の近くで帳面を抱えながら、

静かに考える。

 

この店の中には、

見えている流れと

見せないための流れがある。

 

そしてあの女は、

その境目に立っている。

 

鬼かどうかは、

まだ分からない。

 

だが、

鬼に繋がる線の上にいる。

 

その時だった。

 

不意に、

背筋が粟立つ。

 

視線。

 

はっきりと、

誰かに見られている感覚。

 

炭治郎は反射で顔を上げかけて、

すぐに止めた。

 

そこで探せば、

“気づいた”ことを知らせる。

 

それは駄目だ。

 

炭治郎はあくまで自然に、

帳面を持ったまま

視線だけをゆるく流す。

 

誰だ。

 

どこだ。

 

――いた。

 

二階の廊下の奥。

 

薄い灯りの下。

 

ほんの一瞬だけ、

誰かの影が立っていた。

 

女の形に見えた。

 

だが次の瞬間には、

もういない。

 

気配も、

匂いも、

すぐに人の流れに紛れて消える。

 

炭治郎の呼吸が、

ほんのわずかに浅くなる。

 

今のは、

ただの見間違いではない。

 

見られた。

 

しかも、

こちらを測るように。

 

炭治郎は胸の内で、

ゆっくりと息を戻す。

 

焦るな。

 

崩れるな。

 

相手が見ているなら、

なおさらこちらが崩れたら終わる。

 

そう思った瞬間だった。

 

すぐ近くを、

あの女が通り過ぎる。

 

何気ない足取り。

 

何気ない横顔。

 

だが、

炭治郎の横を通る瞬間だけ、

ほんのわずかに口元が動いた。

 

「……深入りしない方がいいわよ」

 

声は、

ほとんど息のように小さかった。

 

立ち止まることもなく、

そのまま通り過ぎていく。

 

炭治郎は一瞬だけ、

全身の温度が落ちるのを感じた。

 

忠告か。

 

牽制か。

 

あるいは、

その両方か。

 

だが一つだけ、

はっきりしたことがある。

 

向こうはもう、

こちらをただの新入りだとは思っていない。

 

炭治郎は帳面を抱えたまま、

静かに目を伏せる。

 

見えてきた。

 

違和感は、

もう線になっている。

 

あとは、

その線の先にあるものを

見失わずに辿れるかどうかだ。

 

遊郭の夜は、

相変わらず明るい。

 

灯りは多い。

 

笑い声も絶えない。

 

だがその下で、

たしかに何かがこちらを見返している。

 

炭治郎は静かに息を吸う。

 

もう、

“探しているだけ”ではいられないところまで来ていた。

 

 

第二十一話 終

 

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