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夜が更けるほど、
遊郭の灯りは強くなっていった。
笑い声も、
三味線の音も、
行き交う足音も絶えない。
華やかだ。
賑やかだ。
何もかもが、
“ここには何も隠れていない”とでも言うように
明るく飾られている。
だが、
その下には確かに別の流れがあった。
炭治郎は帳場の手伝いを終えたあと、
表情を崩さないまま廊下を歩いていた。
見つけた入口。
消えた部屋。
怯えていた少女。
そして、
あの女。
全部が一つに繋がりかけている。
だが、
まだ足りない。
足りないまま踏み込めば、
崩れる。
炭治郎は静かに息を整えた。
今は持ち帰るべきものを増やす段階だ。
その時だった。
廊下の先で、
ふらつくような足音が近づいてくる。
「……た、炭子ぉぉぉ……」
聞き慣れた声だった。
炭治郎は一瞬だけ目を見開く。
そこにいたのは、
ぐったりした様子の善逸――
いや、
善子だった。
「善い……っ」
危うく名前を呼びかけ、
炭治郎はすぐに口を閉じる。
善逸は半泣きの顔で炭治郎に詰め寄る。
「やばい……ここやばい……」
「声、小さく」
炭治郎がすぐに言う。
善逸は慌てて口を押さえ、
それでも涙目のまま小さく続けた。
「下にいる……」
炭治郎の目がわずかに鋭くなる。
「……何が?」
善逸は喉を引きつらせながら言った。
「何か……分かんないけど、
下を何かが歩いてる音がするんだよ……」
その言葉に、
炭治郎の胸の奥が静かに強く鳴る。
下。
炭治郎の脳裏に、
あの隠し戸の先がよぎる。
やはり、
奥はただの物置や抜け道ではない。
善逸は震えながら続けた。
「一回だけじゃない……」
「聞き間違いじゃないんだ……」
「この建物の下に、
何かいる……」
炭治郎はすぐには返さなかった。
今の話だけで、
十分すぎるほど価値がある。
その時だった。
「おい」
さらに別の方向から、
聞き慣れた声が落ちる。
伊之助だった。
当然のように、
物陰からぬっと現れる。
「うわぁぁぁ!!」と善逸が飛び上がる。
「静かにしろ!!」と伊之助が即座に言い返す。
「お前が急に出てくるからだろ!!」
炭治郎は二人を見ながら、
ほんの一瞬だけ気を張る。
ここで騒げば終わる。
だが、
伊之助の顔はいつもより少しだけ真面目だった。
「お前らも何か見つけたのか」
その言い方に、
炭治郎はすぐ気づく。
伊之助もまた、
何かを掴んでいる。
炭治郎は短く聞く。
「伊之助も?」
伊之助は腕を組み、
低く言った。
「壁の向こうに空間がある」
善逸が「は?」と目を瞬かせる。
伊之助は続ける。
「見た目じゃ分かんねぇけど、
この建物、奥で妙に合わねぇ場所がある」
「隠してる」
「しかも向こうに何かいる」
炭治郎と善逸の視線が、
同時に伊之助へ向く。
その一瞬で、
三人の中にあった違和感が
一つの形へ繋がる。
炭治郎は声を落とした。
「……入口を見つけた」
二人の目が変わる。
炭治郎は続ける。
「店の奥に隠し戸がある」
「その先に、
誰かが入っていくのを見た」
善逸が青ざめる。
「やっぱりあるじゃん!!」
「声」
「ごめん!!」
伊之助の目が、
わずかに鋭く細まる。
「じゃあ繋がってんだな」
炭治郎は頷いた。
「たぶん」
「この店の奥と、
下に続く何かが」
短い沈黙が落ちる。
三味線の音が遠くで鳴る。
誰かの笑い声が響く。
こんなに賑やかなのに、
今この小さな廊下の陰だけが
別の温度を持っていた。
善逸が小さく言う。
「……どうするの」
炭治郎はすぐには答えない。
行きたい。
確かめたい。
助けられるなら、
今すぐ助けたい。
でも、
今ここで三人だけで踏み込めば
崩れる可能性が高い。
その時、
炭治郎の脳裏に
真壁の声がよぎった。
(持ち帰れるものだけで十分です。)
そして宇髄の声も重なる。
(まずは生き残れ。話はそこからだ。)
炭治郎はゆっくりと息を吐いた。
「……宇髄さんに伝える」
善逸が一瞬で頷く。
「そうしよう!! それがいい!! 今すぐそうしよう!!」
伊之助は不満そうに眉を寄せた。
「今行けばいいだろ」
「駄目だ」と炭治郎は静かに言う。
伊之助が炭治郎を見る。
炭治郎は言葉を選びながら続けた。
「今行っても、
中がどうなってるか分からない」
「俺たちが見つかれば、
向こうが動くかもしれない」
「そうなったら、
消えた人たちの手がかりまで切れる」
伊之助はすぐには返さなかった。
だが、
反発もしない。
その沈黙だけで、
炭治郎には十分だった。
善逸がまだ青い顔のまま呟く。
「ていうか、
俺もうここにいるだけで限界なんだけど……」
「でも下に何かいるのは本当だ」
その一言だけは、
珍しくはっきりしていた。
炭治郎は善逸を見る。
震えている。
怯えている。
それでも、
聞こえたものを誤魔化してはいない。
伊之助もまた、
感覚だけで掴んだ空間の違和感を
きちんと持ってきている。
それを見た時、
炭治郎の胸の奥に
静かに熱が灯った。
自分一人ではない。
別々に動いていても、
ちゃんと同じ場所へ辿り着けている。
それは、
思っていた以上に大きかった。
炭治郎は小さく頷く。
「ありがとう」
善逸が「えっ」と固まる。
伊之助は「何だ急に」と眉を寄せる。
炭治郎は少しだけ息を整えてから言った。
「十分だ」
「もう、かなり見えてきた」
その言葉に、
二人の空気がほんの少しだけ変わる。
怖さは消えない。
だが、
ただ訳も分からず怯えている段階ではなくなった。
敵の輪郭が、
少しずつ見えてきている。
その時だった。
廊下の向こうから、
ふっと人の気配が近づく。
三人の表情が一瞬で変わる。
「散るぞ」と炭治郎が低く言う。
善逸が即座に頷く。
伊之助は一瞬だけ不満そうな顔をしたが、
それでも何も言わずに身を翻した。
次の瞬間には、
三人ともそれぞれ別の方向へ
自然に散っていた。
すれ違う女中の視線は、
一瞬だけ廊下を流れたあと
何事もなかったように過ぎていく。
気づかれていない。
まだ、
繋がりは切れていない。
炭治郎は何事もなかったように歩き出しながら、
静かに息を整えた。
入口はある。
下に何かがいる。
壁の向こうに、
隠された空間がある。
ここまで揃えば、
もう偶然ではない。
遊郭の夜の奥に沈んでいるものは、
確実にこちらへ近づいている。
そしてこちらもまた、
その輪郭へ手をかけ始めていた。
華やかな灯りの下。
誰にも見えないまま、
夜はさらに深く沈んでいく。
その底にあるものへ、
もうすぐ手が届くところまで来ていた。
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第二十三話 終
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