鬼滅の刃 ― 礎 ―   作:【規制済み】

29 / 154
第二十五話 ― 下へ

 

夜の音は、

変わらず店の中を満たしていた。

 

笑い声。

三味線。

酒器の触れ合う音。

 

何も知らなければ、

ただ華やかな夜にしか見えない。

 

だが炭治郎にはもう、

その音の下に別の流れがあることが分かっていた。

 

隠された通路。

人が消えていくための流れ。

そして、

その先に沈んでいるもの。

 

炭治郎は帳場の近くで頭を下げながら、

呼吸だけを静かに整えていた。

 

今夜動く。

 

宇髄の言葉が、

胸の奥で静かに熱を持っている。

 

焦るな。

 

崩すな。

 

その上で――

今夜は踏み込む。

 

それが、

これまでと違う。

 

その時だった。

 

廊下の向こうで、

小さな物音がした。

 

炭治郎は顔を上げないまま、

意識だけを向ける。

 

気配が近い。

 

そして次の瞬間、

障子の隙間から

小さく紙片が滑り込んできた。

 

ほんの一瞬のことだった。

 

誰が入れたかも分からないほど自然に、

それは炭治郎の足元へ落ちる。

 

炭治郎は掃除の手を止めないまま、

何事もない顔でそれを拾った。

 

視線を落とす。

 

そこに書かれていたのは、

短い一言だけだった。

 

――下。今。

 

炭治郎の呼吸が、

ほんのわずかに深くなる。

 

宇髄だ。

 

炭治郎は紙片を袖の内に隠し、

周囲を確認する。

 

誰もこちらを見ていない。

 

今なら動ける。

 

だが、

不自然に消えるな。

 

その言葉を思い出し、

炭治郎はすぐには動かなかった。

 

帳面を一つ運ぶ。

 

桶を戻す。

 

雑巾を置く。

 

一つずつ、

“今そこにいる新入り”として

不自然のない動きを重ねる。

 

それからようやく、

人目の薄い方へ足を向けた。

 

廊下を折れる。

 

奥へ。

 

さらに奥へ。

 

昨夜見つけた、

あの隠し戸のある方へ。

 

灯りは少ない。

 

人の気配も薄い。

 

だが今夜は、

もう迷いがなかった。

 

その角を曲がった瞬間――

 

「遅ぇ」

 

低い声が落ちる。

 

宇髄だった。

 

その傍には、

すでに善逸と伊之助の姿もある。

 

「炭治郎ぉぉぉ……」

善逸は顔色が悪い。

 

「もう帰りたい……絶対嫌な音してる……」

 

「うるせぇ!!」と伊之助が言う。

 

「さっさと行くぞ!! この壁の向こうだろ!!」

 

宇髄が二人を一瞥し、

すぐに炭治郎を見る。

 

「話は合わせたな」

 

炭治郎は頷く。

 

「はい」

 

宇髄は隠し戸の一角へ目を向ける。

 

「ここから入る」

 

その一言で、

空気が一段深く締まる。

 

宇髄は低く続けた。

 

「ここから先は潜入じゃねぇ」

 

「見つかったら終わりじゃなく、

見つけたら斬る段階だ」

 

善逸の喉がひきつる。

 

伊之助の目が鋭くなる。

 

炭治郎は静かに息を吸った。

 

ここから先は、

完全に鬼の領域。

 

戻る場所の外だ。

 

だが――

足元は崩れない。

 

宇髄が隠し戸へ手をかける。

 

わずかに力を入れると、

壁の一部が静かにずれた。

 

その奥から、

冷たい空気が流れ出る。

 

暗い。

 

細い。

 

人の気配の流れから切り離された、

“下へ続く道”が口を開けていた。

 

善逸が一歩後ずさる。

 

「やだやだやだやだ!! 絶対嫌なとこじゃん!!」

 

「当たり前だろ」と宇髄が切る。

 

「だから来たんだよ」

 

伊之助は逆に笑っていた。

 

「へへっ……やっと腹の中か」

 

炭治郎はその暗がりを見つめる。

 

匂いがある。

 

人の匂い。

古い木の匂い。

湿った空気。

 

その奥に、

確かに鬼の気配が混じっていた。

 

宇髄が先に入る。

 

「俺が前だ」

 

「お前らは後ろついて来い」

 

「勝手に飛び出すな」

 

「何かあったら、

まず声じゃなく合図を見ろ」

 

炭治郎たちは頷く。

 

善逸は半泣きのままだが、

それでも足は止めていない。

 

伊之助は今にも飛び込みたそうだが、

珍しくまだ抑えている。

 

宇髄が一歩踏み込む。

 

その後に、

炭治郎。

 

善逸。

 

伊之助。

 

四人は音を殺して、

隠し通路の中へ入っていった。

 

壁が背後で閉じる。

 

その瞬間、

店の音が一気に遠くなる。

 

笑い声も、

三味線も、

酒の音も、

もうほとんど聞こえない。

 

あるのは、

自分たちの足音だけだ。

 

木の階段が、

下へ続いている。

 

ぎし。

ぎし。

 

一段降りるたびに、

空気が重くなる。

 

炭治郎は呼吸を整えながら、

足元を確かめて進む。

 

焦るな。

 

崩すな。

 

だが、

今夜は止まるだけでは終わらない。

 

ここから先は、

届くために進む夜だ。

 

やがて通路の先で、

宇髄がぴたりと足を止めた。

 

炭治郎もすぐに止まる。

 

その先の暗がりから、

かすかに何かが聞こえる。

 

……すすり泣くような音。

 

善逸の顔が一気に青ざめる。

 

「……っ」

 

伊之助の肩がわずかに上がる。

 

宇髄は振り返らず、

低く言った。

 

「いるな」

 

その声には、

戦闘直前の鋭さが宿っていた。

 

炭治郎の胸が、

強く鳴る。

 

この先に、

誰かがいる。

 

助けを待っている誰かか。

 

あるいは、

鬼そのものか。

 

どちらにせよ、

もう目の前だ。

 

炭治郎は刀の柄へ、

静かに指をかける。

 

遊郭の灯りの下に隠されていたものへ。

 

その奥へ。

 

四人はついに、

踏み込もうとしていた。

 

 

第二十五話 終

 




アンケート投票ありがとうございます。
引き続き投票お願いします。
遊郭編の結までは現在のペースで。

それ以降はアンケート結果を参照しようと思います。

今後ともよろしくお願いします。

更新頻度について

  • 今のままでいい
  • 早い、毎日更新で良い
  • 隔日くらいでいい
  • 更新頻度の権を他人に握らせるな!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。