鬼滅の刃 ― 礎 ―   作:【規制済み】

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第三話 ― 蝶屋敷の昼

 

昼の光は、夜の山とはまるで別のものだった。

 

蝶屋敷の庭先に差し込む日差しはやわらかく、木々の葉を揺らす風にも、血の匂いはない。

 

それでも炭治郎には、

まだどこか落ち着かないものがあった。

 

身体は痛む。

包帯は増えた。

寝ていれば治ると言われても、

気持ちの方がじっとしていられない。

 

善逸は別室で騒いでいる。

伊之助は天井裏にでもいるのか、気配だけがやけに元気だ。

 

禰豆子は箱の中で静かに眠っている。

 

それらを確かめて、ようやく少しだけ息をつく。

 

だが、完全には落ち着けない。

 

理由は一つだった。

 

 

 

炭治郎は、庭の縁側に座ったまま

ぼんやりと空を見上げる。

 

脳裏に浮かぶのは、

あの夜、那田蜘蛛山で自分の前に立った背中だ。

 

深紺の羽織。

静かな声。

そして、何よりも

 

“簡単に崩れない感じ”

 

あの人は誰だったのか。

 

 

蝶屋敷に運ばれるまで、炭治郎はその答えを知らないままだった。

だがここに運ばれてからも、

何度か名前を耳にした。

 

真壁堅。

 

階級は甲(きのえ)――柱の一歩手前。

現場に強く、目立たないがなぜか色々な場所にいる。

一緒に任務へ出た隊士の生還率が高い、という話も耳にした。

 

善逸が目を覚ましたあと、

半泣きでそんなことを言っていた気もする。

 

「何かあの人、怖くないのに怖いんだよぉ……!」

 

よく分からない感想だが、

少しだけ分かる気もした。

 

 

 

昼の庭先

 

その日、炭治郎は

薬湯を飲まされ無理やり寝かされたが、

それでも落ち着かずに縁側へ出てきていた。

 

すると庭の端に、見覚えのある背中があった。

 

深紺の羽織。

 

炭治郎は思わず目を見開く。

 

「……真壁さん」

 

声に気づいて、その人が振り向く。

 

真壁堅は、相変わらず静かな顔をしていた。

 

「起きていていいんですか」

 

開口一番がそれだった。

 

炭治郎は少しだけ苦笑する。

 

「……怒られました」

 

「でしょうね」

 

そう言った真壁の口元が、

ほんの少しだけ緩んだように見えた。

 

それだけで、炭治郎は少し驚く。

 

あの夜の印象が強かったぶん、

この人が“昼の光の下で立っている”こと自体が

少し不思議だった。

 

 

 

 

真壁の手元には、小さな包みがあった。

 

炭治郎が視線を向けると、

真壁は一瞬だけそれを見てから言う。

 

「差し入れです」

 

「差し入れ?」

 

「甘いものなら、多少は機嫌が直るかと」

 

炭治郎は思わず目を瞬かせる。

 

「誰のですか?」

 

真壁は少しだけ間を置く。

 

「主に我妻君向けです」

 

炭治郎は思わず吹き出しかけた。

 

たしかに善逸は、

何かあるたびに騒ぎ、泣き、甘いものを欲しがる。

 

「でも、竈門君も食べていいですよ」

 

そう言って差し出された包みの中には、

小さな饅頭が入っていた。

 

炭治郎はそれを見て、

少しだけ表情を和らげる。

 

「ありがとうございます」

 

「いいえ」

 

真壁はそう答えたあと、

自分も縁側の少し離れた場所へ腰を下ろした。

 

距離は近すぎず、遠すぎず。

 

その座り方が、

妙に真壁らしい気がして炭治郎は少しだけ可笑しくなる。

 

 

 

しばらく、沈黙が流れる。

 

だが、不思議と気まずくはなかった。

 

鳥の声。

風に揺れる葉。

庭を掃く音。

 

蝶屋敷の昼は、静かだった。

 

炭治郎は饅頭を一口食べてから、

思い切って口を開く。

 

「……あの時、ありがとうございました」

 

真壁はすぐには答えない。

 

ほんの少しだけ視線を前に置いたまま、

やがて言う。

 

「礼を言われることではありません」

 

「でも、真壁さんがいなかったら」

 

「それは結果論です」

 

炭治郎は少し言葉に詰まる。

 

真壁は続けた。

 

「たまたま、あの場にいた。

それだけです」

 

その言い方は、

どこか本気でそう思っているようにも聞こえた。

 

炭治郎はそこで少しだけ首を傾げる。

 

「……でも、見に来てたんですよね」

 

真壁がわずかに視線を向ける。

 

「鱗滝さんのこと、知ってたし」

 

一拍。

 

真壁は、短く息を吐いた。

 

「義勇さんからも聞いています」

 

「やっぱり」

 

炭治郎は思わず前のめりになる。

 

「じゃあ、最初から俺のことを――」

 

「気にはしていました」

 

その言葉は短かったが、

妙にまっすぐだった。

 

炭治郎は少しだけ言葉を失う。

 

気にしていた。

その一言が、思った以上に胸に残る。

 

真壁は続ける。

 

「ただ、判断は自分の目でしたかった」

 

それはあの夜、義勇に言っていた真壁の基準そのものだった。

 

炭治郎はそれをまだ知らない。

だが、その言葉の重さだけはなんとなく感じた。

 

 

 

「……真壁さんって」

 

炭治郎は、饅頭を持ったまま言う。

 

「すごく強いですよね」

 

真壁は少しだけ眉を動かした。

 

「いえ、普通です」

 

「いや、普通じゃないです」

 

即答だった。

 

真壁は少しだけ困ったような顔をする。

 

その表情を見て、

炭治郎はまた少し驚く。

 

この人にも、

こういう顔をする時があるんだと思った。

 

真壁はやがて、ぽつりと言う。

 

「強い人は、もっとたくさんいます」

 

「でも、あの時……」

 

炭治郎は言葉を探す。

 

うまく言えない。

でも、どうしても伝えたいことがある。

 

「真壁さんが立った時、

なんか……少しだけ安心したんです」

 

その言葉に、真壁は黙る。

 

炭治郎は少しだけ焦る。

 

変なことを言ったかもしれない。

そう思った時だった。

 

真壁は視線を前に向けたまま、静かに言った。

 

「それなら、よかった」

 

それだけだった。

 

でもその短い言葉が、

炭治郎には妙に嬉しかった。

 

 

 

その時、廊下の向こうから

軽い足音が近づいてくる。

 

現れたのは、蝶の羽織を纏った女剣士――

 

胡蝶しのぶ

 

炭治郎は思わず背筋を伸ばす。

 

しのぶはいつもの微笑みを浮かべたまま、

二人の様子を見ていた。

 

「仲良くお茶会ですか?」

 

その声色は柔らかい。

だが、炭治郎はまだ少しだけ身構えてしまう。

 

真壁は立ち上がるでもなく、

静かに答えた。

 

「経過観察です」

 

「甘いもの付きで?」

 

「機嫌が悪いと治りが遅いかと思いまして」

 

炭治郎は思わず吹き出しそうになる。

 

しのぶも、一瞬だけ目を細めた。

 

「ふふ。珍しいですね、真壁さん」

 

「何がですか」

 

「そういう気の遣い方をするの」

 

真壁は少しだけ黙る。

 

それが図星なのか、

単に返答に困っているだけなのかは分からなかった。

 

しのぶはそれ以上追及せず、

炭治郎の方を見る。

 

「無理はしないでくださいね」

 

「……はい」

 

「真壁さんも、ほどほどに」

 

「善処します」

 

その返答に、しのぶは小さく笑って去っていった。

 

 

しのぶが去ったあと、

また静けさが戻る。

 

だが今度の沈黙は、

少しだけ柔らかかった。

 

炭治郎は饅頭の残りを見つめながら、

ぽつりと呟く。

 

「真壁さんって、思ってたより怖くないですね」

 

真壁は無言のまま、

ほんの少しだけ炭治郎を見る。

 

「……善逸には怖がられていましたけど」

 

「彼は誰が相手でも少し怖がりますね」

 

炭治郎は吹き出す。

 

「それはそうですね」

 

昼の風が吹く。

 

那田蜘蛛山の夜とは違う風だった。

 

血の匂いも、鬼の気配もない。

 

ただ、少しだけ温かい。

 

炭治郎はふと思う。

 

この人はきっと、

夜の中だけで生きている人ではない。

 

ちゃんとこういう昼の中にもいて、

こうして誰かの隣に座ることができる人なんだ、と。

 

それが炭治郎には、

少しだけ救いのように思えた。

 

 

 

その日、炭治郎は

真壁堅という人のことを少しだけ知った。

 

崩れない人。

静かな人。

簡単には人を切り捨てない人。

 

そして――

 

甘いものを差し入れに持ってくる人。

 

それは、那田蜘蛛山の夜だけでは見えなかった

もう一つの横顔だった。

 

鬼との戦いは、まだ終わらない。

 

だがその中で、

炭治郎は少しずつ知っていくことになる。

 

戦う人の中にも、

色々な立ち方があるのだということを。

 

そしてその一つとして、

真壁堅という男がいることを。

 

昼の光の中で見たその背中は、

夜よりも少しだけ近く見えた。

 

 

第三話 終




明日31日から8時、20時の2話ずつ更新します。

1話1話が短めの為。現状二十五話まで書き貯め済みなので消化スピードを早めます。
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