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通路の先は、
思っていたよりもずっと広かった。
細い階段を下りた先にあったのは、
ただの物置や地下室ではない。
人の気配から切り離された、
別の“住処”のような空間だった。
湿っている。
冷たい。
空気が淀んでいる。
木の匂いに混じって、
古い布の匂いと、
人の体温が抜けたあとのような気配が漂っていた。
炭治郎は息を浅くせず、
ゆっくりと整えながら進む。
宇髄が先頭で止まらずに進み、
その背を追うように三人も足を運ぶ。
善逸は顔色を失ったまま、
それでも今は騒がない。
伊之助は周囲を睨みながら、
獣のように気配を探っている。
音がない。
いや、
正確にはある。
何かが擦れるような、
柔らかいものが引きずられるような、
不快な気配だけが
空間の奥に薄く沈んでいる。
その時だった。
宇髄が左手をわずかに上げる。
止まれ、の合図。
四人の足が一斉に止まる。
その先の暗がりに、
何かがある。
炭治郎は目を凝らす。
最初はただの壁に見えた。
だが違う。
それは壁ではなかった。
幾重にも重なった、
帯だった。
何本もの帯が、
天井から垂れ、
床を這い、
壁のように空間を塞いでいる。
その様子はあまりにも異様で、
炭治郎の足がほんのわずかに止まりそうになる。
ただの布ではない。
“生きている”感じがする。
宇髄が低く言う。
「……こいつか」
炭治郎の鼻が、
かすかに震える。
鬼の匂い。
濃い。
しかもこれは、
昨日まで上で嗅いでいた断片とは比べ物にならない。
ここが中心だ。
帯の一枚が、
かすかに脈打つように揺れた。
善逸が息を呑む。
「っ……」
伊之助が今にも斬りかかりそうに、
肩を上げる。
だが宇髄はまだ動かない。
「待て」
低い一言だけで、
場が止まる。
炭治郎もすぐに理解した。
まだ早い。
ここで闇雲に斬れば、
中にいるものごと傷つける可能性がある。
宇髄は帯の群れを睨みながら、
一歩だけ前へ出る。
その瞬間だった。
「……っ、ぅ……」
かすかな声。
今のは――
人の声だ。
帯の奥から、
確かに誰かのうめき声がした。
宇髄の目が鋭くなる。
「生きてるな」
その言葉に、
空気がさらに張りつめる。
いた。
消えた者たちが。
そしてまだ――
生きている者がいる。
宇髄が小さく顎をしゃくる。
「炭治郎」
「はい」
「匂いで追えるか」
炭治郎は一歩前へ出て、
慎重に鼻を利かせる。
鬼の匂いが強すぎる。
だが、
その奥に混じる人の匂いがある。
弱い。
消えかけている。
だが、
確かにある。
「……左の奥です」
宇髄は即座に頷いた。
「伊之助」
「おう」
「壁の薄いとこ探れ」
「任せろ」
伊之助が一気に帯の側面へ回り込み、
空気の流れを探るように顔を向ける。
善逸は青ざめたまま、
じっと耳を澄ませていた。
「……いる」
小さく呟く。
「何人もいる……
泣いてる……苦しそうな音がする……」
その声に、
炭治郎の胸の奥がさらに強く締まる。
やはりここは、
ただの通路ではない。
人を溜め込むための場所だ。
宇髄の目つきが完全に変わる。
「上等だ」
その一言は、
もはや確信だった。
鬼はここにいる。
そして、
人もまだ生きている。
ならば、
やることは一つしかない。
宇髄が日輪刀へ手をかける。
「一気に開ける」
「だが中を巻き込むな」
「炭治郎、お前は救出を優先しろ」
「善逸、音で生存者の位置を拾え」
「伊之助、空間の抜けを見ろ」
「俺が斬る」
短い。
だが、
それだけで十分だった。
柱の指示は迷いがない。
炭治郎の呼吸が、
すっと深くなる。
役割がある。
やるべきことが見えている。
それだけで、
焦りが少しだけ形を失う。
「はい」
炭治郎は頷いた。
宇髄が一歩踏み込む。
帯の群れがぞわりと蠢く。
まるでこちらの意図に気づいたかのように、
何本もの帯が
一斉に持ち上がる。
遅い。
だが、
不気味だ。
生き物のように、
空気を裂いて伸びてくる。
「来るぞ!」
炭治郎が叫ぶ。
宇髄はすでに前へ出ていた。
「音の呼吸――」
鋭い踏み込み。
次の瞬間、
派手な斬撃が地下の空間を切り裂く。
「壱ノ型――轟」
爆ぜるような衝撃とともに、
帯の壁が一気に裂けた。
何重にも重なっていた布が、
一斉に断ち切られ、
奥の空間が露わになる。
その奥に――
人がいた。
帯に絡め取られ、
壁際に沈むように囚われている。
その中の一人を見た瞬間、
宇髄の目がわずかに変わる。
「……須磨」
低く落ちたその声で、
炭治郎は理解する。
宇髄の嫁の一人だと。
顔色は悪い。
だが、
まだ息がある。
その瞬間、
裂かれた帯の奥から
ぬるりと別の帯が這い出る。
数が増える。
しかも今度は、
さっきより速い。
炭治郎の身体が即座に動く。
「水の呼吸――」
斬る。
救う。
守る。
今はもう、
迷っている暇はない。
鬼の巣の中で、
救出と戦闘が同時に始まろうとしていた。
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第二十六話 終
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