鬼滅の刃 ― 礎 ―   作:【規制済み】

39 / 124
第三十五話 ― 崩れた均衡

 

屋根の上の空気が、

明らかに変わっていた。

 

さっきまでとは違う。

 

鬼の女はまだ立っている。

 

帯もまだ尽きていない。

 

だが――

もう“余裕”では押し切れていなかった。

 

割れた屋根の奥。

 

剥がれた“核”。

 

そこへ刃が届いたという事実が、

戦場の均衡をはっきりと変えていた。

 

「……気に入らない」

 

鬼の女の苛立つ声音が、

夜気の中へ低く落ちる。

 

その瞬間、

帯が一斉に収束した。

 

今までのように四方へ散らばらない。

 

守る。

 

隠す。

 

その二つだけに絞られた、

明確な動き。

 

炭治郎は刀を構えたまま、

その変化を見逃さなかった。

 

「やっぱり……」

 

守っている。

 

帯ではない。

 

地下でもない。

 

この鬼自身の、

“本当に斬られたくない場所”を。

 

宇髄が口元を歪める。

 

「分かりやすくなったじゃねぇか、オイ」

 

次の瞬間――

 

鬼の女の目が、

はっきりと細くなる。

 

「黙れ」

 

帯が、

夜空を埋めた。

 

一斉射出。

 

数が違う。

 

今まで以上に、

速く、鋭く、迷いがない。

 

もはや牽制ではない。

 

完全な排除。

 

「こっから行くぜ!」

 

宇髄が踏み込む。

 

真正面。

 

一歩も引かない。

 

「音の呼吸――」

 

双刀が唸る。

 

「弐ノ型――響斬無間!!」

 

連続する斬撃が、

正面から迫る帯の群れをまとめて切り裂く。

 

空中で、

帯が火花のように散る。

 

だがその裂け目を縫うように、

別の帯が横から走る。

 

「炭治郎!!」

 

善逸の声。

 

「右、二本!!

そのあと足元来る!!」

 

炭治郎の呼吸が、

すっと深く入る。

 

見る。

 

選ぶ。

 

崩さない。

 

右から来る二本を、

正面からは受けない。

 

「水の呼吸――参ノ型・流流舞い!!」

 

流す。

 

斬る。

 

滑り込む。

 

帯の束を最小限で断ち、

足元から這う一撃を紙一重でかわす。

 

そのまま一歩、

さらに前へ。

 

鬼の女との距離を詰める。

 

「また来るぞぉ!!」

 

善逸が叫ぶ。

 

「今度は上だ!! 上、三本!!」

 

「助かる!!」

 

叫び返した炭治郎の横を、

影が飛んだ。

 

伊之助だ。

 

屋根の端から、

ほとんど獣のような軌道で飛び込んでくる。

 

「おらァ!!」

 

鬼の女の側面へ、

強引に切り込む。

 

帯が迎撃に回る。

 

だが伊之助は、

それを見てむしろ笑った。

 

「へへっ……やっぱそうだ!!」

 

斬る気ではなく、

“反応を見に行く”動き。

 

その狙いを、

炭治郎もすぐに理解した。

 

守る時だけ、

帯の軌道が変わる。

 

そこに、

この鬼の急所がある。

 

「宇髄さん!!」

 

炭治郎が叫ぶ。

 

「左から行けます!!」

 

「応、派手にぶち抜くぞ」

 

宇髄が応じる。

 

次の瞬間、

その身体が爆ぜるように前へ出た。

 

「ド派手に開けろ!!」

 

その一言に、

炭治郎の迷いはなかった。

 

必要なのは、

斬り切ることじゃない。

 

 

"通すこと"

 

 

炭治郎は踏み込む。

 

帯の群れが、

正面から壁のように立ち上がる。

 

多い。

 

厚い。

 

だが、

全部を相手にする必要はない。

 

「水の呼吸――」

 

足元を定める。

 

肩の力を抜く。

 

呼吸を深く入れる。

 

「陸ノ型――ねじれ渦!!」

 

捻りを伴う斬撃が、

帯の重なりをまとめて弾き崩す。

 

切るのではなく、

ずらす。

 

守りの噛み合わせを、

一瞬だけ外す。

 

その隙間へ――

 

宇髄が突っ込んだ。

 

「音の呼吸――」

 

双刀が閃く。

 

鬼の女の目が、

明確に揺れる。

 

「……っ!」

 

「肆ノ型――響斬乱舞!!」

 

連続する斬撃が、

帯の守りを正面から叩き割る。

 

割れた。

 

帯の守りが、

今度こそ明確に崩れた。

 

鬼の女の身体が、

初めて大きく後ろへ流れる。

 

「……あっ」

 

かすかに、

女の口から声が漏れる。

 

それは怒りでも、

嘲りでもなかった。

 

明確な、

“焦り”だった。

 

炭治郎の胸の奥が、

強く鳴る。

 

押せている。

 

今なら届く。

 

今なら――

 

その瞬間だった。

 

鬼の女の顔から、

感情が消えた。

 

「……もういい」

 

低い声。

 

その一言に、

炭治郎の背筋が冷える。

 

違う。

 

これは追い詰められた顔じゃない。

 

何かを、

切り替えた顔だ。

 

宇髄も気づいたのか、

一瞬だけ目が細くなる。

 

「……あ?何する気だ」

 

鬼の女は、

割れた屋根の奥――

あの“核”の方へ手を伸ばした。

 

「うるさいの、

嫌いなのよ」

 

その指先が、

脈打つ肉へ触れる。

 

次の瞬間――

 

ぞわり、と。

 

夜気そのものが、

粘ついたように重くなった。

 

炭治郎の鼻が、

はっきりと反応する。

 

「……っ!?」

 

匂いが変わる。

 

違う。

 

今までの鬼の匂いじゃない。

 

もっと濁っていて、

もっと重く、

もっと嫌な――

 

別の鬼の匂い。

 

善逸の顔色が、

一気に失せた。

 

「……やだ」

 

小さく漏れる声。

 

耳を押さえるように、

善逸の肩が震える。

 

「やだやだやだ……これ……っ」

 

伊之助の笑みも、

この瞬間だけ消えた。

 

「……何だ今の」

 

屋根の上の空気が、

完全に変わる。

 

鬼の女の背後、

割れた奥の“核”が

ゆっくりと膨らみ始めていた。

 

脈打つ。

 

膨らむ。

 

蠢く。

 

まるで、

中から何かが

押し出されようとしているみたいに。

 

炭治郎の呼吸が、

わずかに乱れる。

 

嫌な予感ではない。

 

ここまでの違和感が、

全部繋がる。

 

確信だった。

 

ここまで戦ってきた相手は、

まだ“片側”に過ぎない。

 

本当に斬るべきものは、

まだ奥にいる。

 

宇髄が低く吐き捨てる。

 

「……そういうことかよ」

 

双刀を握る手に、

さらに力がこもる。

 

「派手に面倒くせぇな」

 

鬼の女が、

初めて笑った。

 

今までのような、

薄い嘲りじゃない。

 

もっと歪で、

もっと醜い笑み。

 

「ねぇ、お兄ちゃん」

 

その呼びかけが、

夜に落ちる。

 

その瞬間、

割れた“核”の奥から――

 

何かが、応えた。

 

 

夜の空気が、

どろりと歪む。

 

屋根の下。

肉の奥。

帯のさらに深いところから、

ゆっくりと、

何かが這い出してくる気配。

 

骨が軋むような音。

 

湿った肉が裂けるような音。

 

それだけで、

全員の身体に緊張が走った。

 

炭治郎は刀を握り直す。

 

善逸は青ざめたまま、

それでも逃げていない。

 

伊之助は低く唸り、

獲物を見る獣の目になっている。

 

宇髄だけが、

真正面からそれを見据えていた。

 

「来るぞ」

 

短い一言。

 

それだけで、

戦場の意味が変わる。

 

ここから先は、

もう“帯の鬼を崩す戦い”じゃない。

 

本体を討つ戦いだ。

 

割れた奥から、

ぬらりと一本の腕が覗く。

 

細い。

 

青白い。

 

だが、

その腕が屋根にかかった瞬間、

ぞっとするほど濃い殺気が夜に満ちた。

 

鬼の女が、

嬉しそうに目を細める。

 

「起きて、お兄ちゃん」

 

炭治郎の背筋を、

冷たいものが走る。

 

来る。

 

今までとは、

比べものにならないものが。

 

遊郭の夜の上で――

 

ついに、

本当の“奥”が

姿を現そうとしていた。

 

 

第三十五話 終

 

更新頻度について

  • 今のままでいい
  • 早い、毎日更新で良い
  • 隔日くらいでいい
  • 更新頻度の権を他人に握らせるな!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。