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――ずるり。
肉の奥から、
何かが引き剥がされる音がした。
湿っている。
重い。
生き物が、
無理やり外へ出てくるような音。
屋根の上の空気が、
一瞬で冷える。
炭治郎の呼吸が、
わずかに止まる。
来る。
これは、
さっきまでの敵とは違う。
割れた“核”の奥から、
ゆっくりと姿が現れた。
細い腕。
不自然に長い指。
そして――
骨ばった身体。
痩せている。
だが、
弱さとは真逆の存在感。
皮膚の下に、
何か別のものが蠢いているような、
歪んだ気配。
顔が上がる。
濁った目。
その奥に、
底の見えない闇があった。
「……ああ」
低い声。
擦れるような、
耳にまとわりつく声音。
「起こされたのかァ……」
炭治郎の背筋に、
冷たいものが走る。
匂い。
さっき感じた“別の鬼”。
その正体が、
目の前に立っている。
鬼の女が、
嬉しそうに身を寄せた。
「妓夫太郎兄ちゃん」
男の鬼が、
だるそうに目を向ける。
「おぉ……堕姫ぃ、どうしたァ」
その呼び方。
その距離。
それだけで、
関係がはっきりする。
宇髄が双刀を構えたまま、
低く吐く。
「……なるほどな」
視線は、
もう堕姫ではない。
新しく現れた“それ”へ。
「厄介なのは、こっちか」
妓夫太郎は、
ゆっくりと首を傾ける。
「厄介?」
かすれた笑いが漏れる。
「ひでぇ言い方だなァ」
その言葉と同時に――
ぞわり、と。
空気が粘つく。
炭治郎の足元が、
わずかに重くなる。
見えない圧。
立っているだけで、
肌が粟立ち、
呼吸の深さを奪われるような感覚。
善逸の膝が、
震える。
「……無理」
小さく漏れる声。
「これ……やばい……」
伊之助が低く唸る。
「さっきの女とは別モンだな」
笑っていない。
完全に、
“獲物を見る目”だ。
宇髄だけが、
一歩前へ出た。
迷いがない。
「上弦だな」
断定。
妓夫太郎が、
ゆっくりと視線を向ける。
「……へぇ」
その目が、
宇髄を舐めるように見た。
「分かんのかァ」
宇髄が口元を歪める。
「分かるさ」
双刀を軽く鳴らす。
「気配が違ぇ」
その一言に、
炭治郎の呼吸が整う。
そうだ。
怖い。
だけど――
崩れるほどじゃない。
ここまで来た。
整えてきた。
繋いできた。
それは、
消えていない。
妓夫太郎が、
ぽり、と首を鳴らす。
「……あーあー」
だるそうに言う。
「面倒くせぇなァ」
その瞬間だった。
空気が、
裂けた。
見えない。
だが、
確かに“何か”が飛んだ。
「炭治郎!!」
宇髄の声。
反射で身体をずらす。
次の瞬間、
背後の屋根が弾けた。
「……っ!?」
斬撃。
だが、
帯ではない。
もっと鋭く、
もっと重い。
遅れて、
炭治郎の頬に血が滲む。
掠った。
見えなかった。
宇髄の目が、
鋭くなる。
「毒か」
短い一言だった。
だがその重さだけで、
炭治郎には十分だった。
炭治郎の鼻が、
すぐに反応する。
違う匂い。
鉄でも、
血でもない。
もっと嫌な、
刺すような匂い。
妓夫太郎が、
つまらなそうに笑う。
「よく避けたなァ」
その指先から、
黒ずんだ鎌が覗く。
血が、
滴っている。
「でもよォ」
にたり、と口元が歪む。
「次はどうだァ」
次の瞬間――
消えた。
「っ!!」
善逸が叫ぶ。
「速い!! 右!! いや違う上!!」
音が乱れる。
追えない。
炭治郎の視界に、
影が差す。
上だ。
振り上げる。
だが――
間に合わない。
「遅ぇ」
耳元で、
声がした。
死角。
完全に入られた。
その瞬間――
「派手に割り込むぜ!!」
轟音。
宇髄の斬撃が、
間に叩き込まれる。
金属がぶつかる音。
火花が散る。
炭治郎の視界のすぐ前で、
鎌が弾かれる。
距離が開く。
宇髄が前に立つ。
「一人で受けんな」
短く言う。
「こいつは格が違う」
炭治郎は息を整えながら、
頷く。
「はい……!」
理解している。
今までの流れとは違う。
“通す戦い”だけでは、
足りない。
妓夫太郎が、舌打ちする。
「邪魔すんなよォ」
宇髄が笑う。
「するに決まってんだろ」
双刀を構える。
「俺ぁ柱だ」
その言葉に、
空気がさらに張り詰める。
堕姫が、
不満そうに眉を寄せる。
「お兄ちゃん、こいつら嫌い」
妓夫太郎が、
だるそうに頷く。
「あぁ……分かる」
その目が、
四人をゆっくりと見渡す。
「気持ち悪ぃよなァ」
その一言で――
殺気が、
一段深くなる。
炭治郎の足元が、
ぐっと沈む。
重い。
だが――
崩れない。
呼吸を整える。
視線を上げる。
刀を握る。
ここからだ。
ここからが、
本当の戦いだ。
宇髄が低く言う。
「いいか」
一瞬だけ、
全員の意識が揃う。
「こいつは同時だ」
炭治郎の目が、
わずかに動く。
「同時……?」
宇髄は前を見たまま、
言い切る。
「どっちかだけ斬っても死なねぇ」
その言葉で、
すべてが繋がる。
炭治郎の中で、
確信が形になる。
「……っ」
二体で一つ。
だから、
“核”が二つあった。
妓夫太郎が、
にやりと笑う。
「おぉ、正解だァ」
その瞬間――
二体同時に、
動いた。
帯と鎌。
上下から、
左右から、
同時に迫る。
逃げ場はない。
だが――
炭治郎の足は、
止まらなかった。
「――行くぞ!!」
叫ぶ。
その声に、
善逸が、
伊之助が、
宇髄が応じる。
崩れない。
見失わない。
通すだけじゃない。
ここからは――
討つ。
しかも、
同時に。
遊郭の夜の上で、
本当の戦いが、
完全に始まった。
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第三十六話 終
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