鬼滅の刃 ― 礎 ―   作:【規制済み】

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⸻礎⸻
刀鍛冶の里編


刀鍛冶の里編
第四十二話 ― 鍛えられる場所


 

蝶屋敷の朝は、

静かだった。

 

風が通る。

 

庭木が揺れる。

 

薬草の匂いが、

障子の隙間から

かすかに部屋へ入り込んでくる。

 

その静けさが、

逆に身体の痛みを浮かび上がらせていた。

 

「っ……」

 

炭治郎は、

布団の中でわずかに顔をしかめる。

 

身体が重い。

 

傷は塞がりきっていない。

 

筋肉も、

骨も、

まだ完全には戻っていない。

 

それでも――

 

生きている。

 

目を覚ませる。

 

息ができる。

 

それだけで、

十分だった。

 

ぼんやりと天井を見つめながら、

炭治郎はゆっくり息を吐く。

 

遊郭での戦いが、

もうずいぶん前のことみたいにも思える。

 

だが身体には、

まだはっきり残っていた。

 

堕姫と妓夫太郎。

上弦の鬼だった、あの兄妹の気配は、

今も思い出せる。

 

 

帯の圧。

 

鎌の軌道。

 

そして――

一歩でも崩れれば終わっていた、

あの夜の感覚。

 

炭治郎は静かに目を閉じる。

 

怖さは、

消えていない。

 

あれより上の鬼が、

まだ居る。

 

そう思えば、

胸の奥に重いものが沈む。

 

だが同時に――

 

届いた感覚も、

確かに残っていた。

 

一人で届いたわけじゃない。

 

善逸の音。

 

伊之助の崩し。

 

宇髄の押さえ。

 

繋いで、

通して、

ようやく届いた。

 

あの形だけは、

今も身体の奥に残っている。

 

炭治郎は、

布団の上でそっと拳を握る。

 

まだ足りない。

 

だが、

何を積めばいいのかは

少しずつ見えてきていた。

 

その時だった。

 

障子の向こうから、

聞き慣れた騒がしい声が響いた。

 

「炭治郎ぉぉぉぉ!!」

 

勢いよく障子が開く。

 

「お前まだ寝てんのかよ!!

俺なんかもう超元気なんだけど!?」

 

「嘘つけよ!!」

 

そのすぐ後ろから、

伊之助が突っ込んでくる。

 

「お前さっきまで腹押さえて転がってただろうが!!」

 

「押さえてねえ!! 痛がってただけ!!」

 

「同じだろ!!」

 

二人とも、

怪我人とは思えない騒がしさだった。

 

だがその声を聞いた瞬間、

炭治郎の肩から

少しだけ力が抜ける。

 

「おはよう、二人とも」

 

「おはようじゃねぇよ!!」

 

善逸が涙目で言う。

 

「お前、あのあとずっと寝てたんだぞ!?

俺なんかもう何回死んだと思った!?」

 

「死んでねぇだろ!!」

 

伊之助が即座に怒鳴る。

 

「つーか死んでたら今喋ってねぇ!!」

 

「うるさいな!!

そういう比喩って分かんないの!?」

 

いつもの調子だ。

 

本当に、

いつもの三人の空気だ。

 

炭治郎は、

それが少しだけ嬉しかった。

 

戦いのあとも、

ちゃんと戻ってこられた。

 

その事実が、

何よりありがたかった。

 

 

しばらくして、

三人は縁側へ移っていた。

 

朝の光が、

庭へやわらかく落ちている。

 

まだ身体は重い。

 

だが、

こうして座っているだけでも

少しずつ“日常”が戻ってくるのを感じた。

 

「……でもさ」

 

善逸がぽつりと呟く。

 

珍しく、

少しだけ真面目な声だった。

 

「上弦、倒したんだよな……」

 

その言葉に、

場の空気が少しだけ静まる。

 

伊之助が鼻を鳴らす。

 

「当たり前だろ!!

俺がいたからな!!」

 

「お前だけじゃないだろ」

 

炭治郎が苦笑しながら返す。

 

だが、

善逸の言葉の重さは分かっていた。

 

上弦を倒した。

 

その事実は大きい。

 

けれど――

 

それで終わりじゃないことも、

全員分かっていた。

 

「上がいる」

 

炭治郎が静かに言う。

 

善逸が顔をしかめる。

 

「言うなよぉ……」

 

「でも本当だろ!!」

 

伊之助が前のめりになる。

 

「次はもっと強ぇ奴だ!!

つまり俺がもっと暴れられるってことだろ!!」

 

「なんでそうなるんだよ!!」

 

「強ぇ奴がいるなら行くしかねぇだろうが!!」

 

そのやり取りに、

炭治郎は少しだけ笑う。

 

だがその目は、

自然と庭の先を見ていた。

 

次がある。

 

それはもう、

避けられない。

 

そして次は、

きっとまた違う戦いになる。

 

あの兄妹のように、

“繋いで通す”だけでは届かないかもしれない。

 

もっと別のものを、

試されるかもしれない。

 

そう考えた時だった。

 

庭の向こうから、

静かな足音が近づいてくる。

 

「みなさん、お元気そうで何よりです」

 

しのぶだった。

 

いつもの微笑み。

 

いつもの柔らかい声音。

 

だが、

その目には

少しだけ別の色があった。

 

「胡蝶さん」

 

炭治郎が姿勢を正す。

 

しのぶは三人を見回しながら、

にこやかに言った。

 

「朗報と、少し面倒なお話があります」

 

「嫌な予感しかしないんだけど!?」

 

善逸が即座に反応する。

 

しのぶは気にせず続けた。

 

「炭治郎くんの刀のことです」

 

その一言で、

炭治郎の表情が変わる。

 

刀。

 

遊郭での戦いの後、

自分の刀は大きく損傷していた。

 

刃こぼれどころではない。

 

もはや、

次の戦いにそのまま持っていける状態ではなかった。

 

しのぶは柔らかく微笑んだまま言う。

 

「鋼鐵塚さんが、かなり怒っているそうです」

 

炭治郎の顔が引きつる。

 

「あ……」

 

「かなり、です」

 

「……はい」

 

善逸が横で小さく吹き出す。

 

「終わったな、お前」

 

「笑い事じゃないよ!!」

 

炭治郎が慌てて返す。

 

しのぶはそこで、

少しだけ声の調子を変えた。

 

「それで――

刀鍛冶の里へ行ってもらいます」

 

空気が、

わずかに変わる。

 

炭治郎の目が動く。

 

「刀鍛冶の……里?」

 

「はい」

 

しのぶは頷く。

 

「鬼殺隊の刀を打つ人たちがいる場所です。

普段はその所在も隠されています」

 

その説明に、

善逸が嫌そうな顔をする。

 

「なんかすごい大事な場所じゃん……

俺たちなんかが行っていいの?」

 

「本当はあまり良くありません」

 

しのぶはあっさり言った。

 

「ですが今回は特別です」

 

その“特別”という言葉に、

炭治郎はほんのわずかに引っかかる。

 

しのぶは続けた。

 

「それに――

炭治郎くんには、

一度行っておいてもらった方が良さそうです」

 

「……?」

 

炭治郎の眉が、

わずかに寄る。

 

どういう意味だろう。

 

だが、

しのぶはそれ以上詳しくは言わない。

 

ただ、

いつもの柔らかい笑みを浮かべたままだった。

 

「詳しいことは着いてからです」

 

その言い方が、

逆に少しだけ不穏だった。

 

伊之助が立ち上がる。

 

「よし!!

じゃあ行くぞ刀の里!!

強ぇ奴いんのか!?」

 

「刀鍛冶の里に何期待してんの!?」

 

善逸が即座に突っ込む。

 

「お前の頭の中、戦うか食うかしかないの!?」

 

「うるせぇ!!

お前は泣くか喚くかしかねぇだろ!!」

 

「あるよ!! もっと色々あるよ!!」

 

また騒がしくなる。

 

だがその騒がしさの奥で、

炭治郎の胸の内には

別の感覚が静かに広がっていた。

 

刀鍛冶の里。

 

新しい場所。

 

新しい出会い。

 

そして――

まだ見えていない、

次の戦いの気配。

 

遊郭の夜を越えた先に、

また別の“鍛えられる場所”が待っている。

 

そんな気がした。

 

炭治郎は静かに息を吸う。

 

崩れたら、

戻す。

 

足りないなら、

積む。

 

その先でまた、

届く形を作る。

 

遊郭で掴んだものを、

今度は別の場所で

どう立てるのか。

 

その答えは、

まだ分からない。

 

だが――

 

確かに、

次はもう始まりかけていた。

 

朝の光が、

庭を照らす。

 

その光の向こうへ、

炭治郎は静かに目を向ける。

 

新しい戦場は、

もう遠くない。

 

 

第四十二話 終

 

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