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最初の一撃で、
炭治郎は吹き飛ばされた。
「がっ……!?」
背中から地面に叩きつけられる。
息が詰まる。
視界が揺れる。
何が起きたのか、
一瞬分からなかった。
「……え?」
炭治郎は、
半ば呆然としたまま
目の前を見上げる。
そこには、
何事もなかったように立つ
絡繰人形――縁壱零式がいた。
六本の腕。
木でできた身体。
それなのに、
さっきの一撃は
間違いなく“生きた剣”だった。
「今のも見えなかったんですか」
小鉄の声が飛ぶ。
淡々としている。
慰めも、
遠慮もない。
「……はい」
炭治郎は息を整えながら、
正直に答えた。
悔しいが、
事実だった。
構えた瞬間までは見えていた。
だが次の瞬間には、
もう斬られていた。
しかも――
「速い……だけじゃない」
炭治郎は、
ゆっくりと立ち上がる。
速い。
それは確かだ。
だが、
それだけじゃない。
“崩されている”。
構えた瞬間、
足元が浮く。
視線が遅れる。
呼吸の拍が、
わずかにズレる。
その小さな崩れを、
一撃でそのまま形にされている。
「……」
炭治郎は刀を構え直す。
人形を相手にしているはずなのに、
嫌な汗が背中を伝う。
この感覚を、
知っている。
上弦だ。
堕姫と妓夫太郎の時に感じた、
“立て直す前に崩される”あの感覚に近い。
「もう一回」
短く言う。
小鉄は頷きもしない。
ただ、
静かに零式の横に立っていた。
「どうぞ」
その声と同時に――
縁壱零式が動いた。
速い。
今度は見えた。
右。
次に左。
炭治郎は反射で刀を出す。
受ける。
弾く。
「っ……!」
重い。
木だとは思えない。
一撃一撃が、
腕にずしりと響く。
しかも止まらない。
二撃、
三撃、
四撃。
“受けた”瞬間には
もう次が来ている。
炭治郎の足が、
じりじりと後ろへ下がる。
まずい。
押される。
そう思った瞬間――
足元を払われた。
「うわっ!?」
視界が反転する。
そのまま、
喉元に木刀が止まった。
終わり。
あまりにも、
あっさりと。
炭治郎は地面に倒れたまま、
しばらく動けなかった。
「なんだこれ……」
息が乱れる。
悔しい。
情けない。
だが何より、
分かってしまう。
これはただの“速い相手”じゃない。
「お前、
崩れたあとに“戻す”のが遅いんだよ」
小鉄が言った。
炭治郎が顔を上げる。
小鉄は相変わらず、
真っ直ぐにこちらを見ている。
「斬られたあとじゃなくて、
崩された瞬間に戻さないとダメです」
「……っ」
その言葉が、
胸の奥へ刺さる。
図星だった。
炭治郎は今まで、
崩れたあとに立て直そうとしていた。
だがそれでは遅い。
相手が上弦級なら、
その一瞬でもう終わる。
「あなた、
守る時に少しだけ力みます」
小鉄は続ける。
「そこを毎回、壊されています」
炭治郎の呼吸が、
わずかに止まる。
守る時。
その言葉に、
炭治郎の脳裏へ
これまでの戦いがよぎる。
禰 豆子を庇った時。
仲間へ届こうとした時。
誰かを通そうとした時。
確かに自分は、
その瞬間だけ
少し強く踏みすぎていた。
強く立とうとして、
逆に硬くなる。
その硬さが、
崩しやすさになっている。
「……そうか」
炭治郎は、
小さく呟く。
“崩れない”と、
“固まる”は違う。
そこを履き違えると、
逆に壊される。
小鉄は静かに頷いた。
「もう一回です」
「はい」
炭治郎は、
すぐに立ち上がる。
身体が痛い。
息も苦しい。
だが、
今の言葉だけで
少し見えるものがあった。
今度は、
受ける前に戻す。
構えた瞬間から、
崩れを作らない。
縁壱零式が、
再び動く。
右。
左。
上。
炭治郎は刀を出す。
受ける。
流す。
一歩引く。
そして、
その引いた足を
すぐに戻す。
「っ……!」
今までより、
ほんの少しだけ
遅れが減った。
だが――
次の瞬間、
胴を打たれる。
「ぐっ……!!」
また吹き飛ぶ。
痛い。
肺から空気が抜ける。
だが、
さっきとは違った。
完全に見えなかったわけじゃない。
少しだけ、
追えた。
「今のは悪くないです」
小鉄が言う。
初めて、
少しだけ評価らしい言葉が出た。
炭治郎は地面に手をつきながら、
苦く笑う。
「でも、まだ全然だ」
「全然です」
小鉄は即答した。
「でも、
さっきより壊れ方が小さいです」
その言い方が、
妙にこの里らしいと思った。
褒めるのではなく、
“削れた部分”を見る。
けれどそれは、
確かに前進だった。
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その頃――
少し離れた木陰で、
善逸と伊之助がその様子を見ていた。
「うわぁ……」
善逸が青ざめた顔で呟く。
「絶対やりたくない……」
「なんでだよ!!」
伊之助は腕を組みながら、
やたら楽しそうに笑う。
「面白ぇじゃねぇか!!
あの木のやつ、超強ぇぞ!!」
「面白いで済む相手じゃないよ!!
見た!? 今の!? 完全に殺しに来てたよ!?」
「だからいいんだろ!!」
「よくないよ!!」
二人のやり取りをよそに、
炭治郎はもう一度立ち上がる。
その背中は、
決して軽くはない。
疲れている。
傷も痛む。
だが、
止まってはいない。
善逸がふと、
その背中を見ながら呟いた。
「……でもさ」
伊之助が横目で見る。
善逸は珍しく、
少し真面目な声だった。
「炭治郎、前よりちゃんと“戻る”の早くなってる」
伊之助は鼻を鳴らす。
「当たり前だろ」
その返しは、
妙にあっさりしていた。
「アイツはそういうやつだ」
善逸は少しだけ目を瞬かせる。
だが、
その言葉には頷けた。
何度崩されても、
炭治郎は戻る。
それが、
あいつの強さだ。
炭治郎は、
再び前を向く。
痛みの中で。
悔しさの中で。
それでも、
崩れた場所から
また立ち直るために。
刀鍛冶の里での鍛錬は、
まだ始まったばかりだった。
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第四十五話 終