鬼滅の刃 ― 礎 ―   作:【規制済み】

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第四十六話 ― 戻す足

 

朝から、

炭治郎は何度も地面に転がっていた。

 

「っ……!」

 

背中を打つ。

 

肩を打つ。

 

受け身を取っても、

衝撃は容赦なく全身へ響いた。

 

肺が熱い。

 

腕も重い。

 

脚はもう、

とっくに悲鳴を上げている。

 

それでも――

 

「もう一回です」

 

小鉄の声は変わらない。

 

容赦がない。

 

励ましも、

気遣いもない。

 

ただ、

必要なことだけを

真っ直ぐに言ってくる。

 

炭治郎は地面に手をつき、

息を整えながら立ち上がった。

 

目の前には、

絡繰人形・縁壱零式。

 

木でできているはずなのに、

その立ち姿には隙がない。

 

構えれば構えるほど、

こちらの甘さだけが

浮き彫りになる。

 

「……お願いします」

 

炭治郎が言う。

 

小鉄は頷かない。

 

ただ、

淡々と零式の仕掛けを動かした。

 

次の瞬間――

 

来る。

 

炭治郎は今度こそ、

最初から足元へ意識を落とした。

 

腕じゃない。

 

目でもない。

 

“受ける場所”より先に、

“戻る場所”を意識する。

 

右が来る。

 

刀を出す。

 

受ける。

 

重い。

 

だが今度は、

その衝撃に押された足を

そのまま流さない。

 

一度沈む。

 

すぐ戻す。

 

「っ……!」

 

左。

 

上。

 

さらに右。

 

連続する斬撃に、

炭治郎は歯を食いしばる。

 

受け切れない。

 

全部は無理だ。

 

だからこそ、

崩れた瞬間の足だけを戻す。

 

受ける。

 

ズレる。

 

戻す。

 

受ける。

 

ズレる。

 

戻す。

 

その繰り返し。

 

だが――

 

「遅いです」

 

小鉄の声。

 

次の瞬間、

足元を払われる。

 

「うわっ!?」

 

視界が傾く。

 

胴へ一撃。

 

吹き飛ぶ。

 

「ぐっ……!!」

 

また地面に叩きつけられる。

 

痛い。

 

悔しい。

 

だが、

今のは前より分かった。

 

何が悪かったのか。

 

「戻す足が、

まだ“受けた後”になってます」

 

小鉄が言う。

 

炭治郎は荒い息のまま、

その言葉を聞く。

 

「受けてから戻すんじゃ遅いです」

 

「押された瞬間に、

もう次の足がないと」

 

「……次の足」

 

炭治郎が、

小さく繰り返す。

 

小鉄は頷く。

 

「そうです」

 

短い言葉。

 

だが、

今の炭治郎には

その意味がはっきり刺さった。

 

一撃を防ぐことばかり見ていた。

だが本当に必要なのは、

その次だった。

 

一度押されても、

次の一歩が死なないこと。

 

それがなければ、

結局全部押し切られる。

 

 

炭治郎は、

ゆっくりと立ち上がる。

 

足裏に意識を落とす。

 

土の感触。

 

体重の乗り方。

 

抜ける瞬間。

 

沈む位置。

 

今まで、

ここまで細かく

自分の足を意識したことはなかったかもしれない。

 

「……もう一回」

 

「はい」

 

今度は返事が、

少しだけ軽かった。

 

理解できたからだ。

 

まだ出来ない。

 

だが、

何を掴むべきかは見えた。

 

 

縁壱零式が動く。

 

右。

 

左。

 

上。

 

速い。

 

重い。

 

鋭い。

 

だが炭治郎は、

今度は腕より先に

足を置いた。

 

受ける。

 

ズレる。

 

戻す。

 

次の足を先に置く。

 

その瞬間――

 

初めて、

二撃目の押し込みに

完全には崩されなかった。

 

「……っ!」

 

炭治郎の目が、

わずかに見開かれる。

 

今、

残れた。

 

完璧じゃない。

 

だが、

さっきまでみたいに

そのまま流されなかった。

 

小鉄の目が、

ほんの少しだけ細くなる。

 

だが口には出さない。

 

零式の腕が、

さらに加速する。

 

三撃。

 

四撃。

 

五撃。

 

「っ、ぐ……!」

 

炭治郎は耐える。

 

受け切れてはいない。

 

何度も押される。

 

何度も崩れる。

 

それでも今度は、

崩れた先の足が死なない。

 

右足が浮いたら左を置く。

 

押されたら沈める。

 

浮いたら戻す。

 

その繰り返し。

 

やがて――

 

六撃目で、

ついに肩口を打たれる。

 

「がっ……!」

 

吹き飛ぶ。

 

転がる。

 

土埃が舞う。

 

息が切れる。

 

肺が焼ける。

 

だが――

 

炭治郎は地面に手をついたまま、

わずかに口元を歪めた。

 

「……今の、少し見えた」

 

小さく漏れたその声に、

小鉄が初めてはっきりと頷いた。

 

「はい」

 

短い肯定。

 

だが、十分だった。

 

炭治郎の胸の奥に、

確かな手応えが残る。

 

ほんの少しだけ。

 

本当に少しだけ。

 

それでも、

“何もできない”からは抜けた。

 

 

昼過ぎには、

炭治郎の足はかなり重くなっていた。

 

踏み込みが鈍い。

 

戻しも遅くなる。

 

集中も切れかける。

 

だが、

小鉄は止めない。

 

「止まったら戻れなくなります」

 

その言葉に、

炭治郎は何も言い返せなかった。

 

正しいからだ。

 

今やめたら、

身体が楽な崩れ方を覚えてしまう。

 

それは、

戦場では死に直結する。

 

だから炭治郎は、

また立つ。

 

息を吸う。

 

足を置く。

 

構える。

 

そしてまた、

壊される。

 

だが、

少しずつだけ違った。

 

壊され方が変わっていた。

 

前は、

何もできずに崩されていた。

 

今は、

戻そうとして崩されている。

 

その差は、

決して小さくなかった。

 

 

その頃、

少し離れた木陰で。

 

「まだやってる……」

 

善逸が引いた顔で呟く。

 

「無理だよあれ……

絶対脚おかしくなるって……」

 

「なってから言え!!」

 

伊之助は相変わらず元気だった。

 

というより、

途中から明らかに

自分もやりたそうな顔をしている。

 

「つーかアイツ、

最初より立ってる時間長くなってんぞ」

 

その一言に、

善逸が目を凝らす。

 

「……あ」

 

言われてみればそうだった。

 

朝は、

本当に一瞬で転がされていた。

 

今は違う。

 

押されている。

 

崩されている。

 

それでも、

一瞬だけ残る。

 

その“一瞬”が、

少しずつ伸びている。

 

「……地味にすごいな」

 

善逸が小さく呟く。

 

伊之助は鼻を鳴らした。

 

「地味じゃねぇだろ」

 

短い返し。

 

だが、

妙に真っ直ぐだった。

 

「あいつのああいうのが、

一番強えんだ」

 

善逸は少しだけ黙る。

 

確かにそうだ。

 

炭治郎は、

急に強くなるタイプじゃない。

 

だが、

一度掴み始めると

そこから崩れにくい。

 

それが、

何度も戦場で

結果になってきた。

 

 

夕方が近づく頃には、

炭治郎の足はほとんど限界だった。

 

ふらつく。

 

重い。

 

踏み込むたびに、

太腿が軋む。

 

それでも、

最後の一回だけと決めて

刀を構える。

 

縁壱零式が、

静かに立っている。

 

炭治郎は息を吸う。

 

深く。

 

足裏へ落とす。

 

右足。

 

左足。

 

重心。

 

戻る位置。

 

全部を意識する。

 

「……お願いします」

 

次の瞬間、

零式が動いた。

 

速い。

 

一撃目。

 

受ける。

 

押される。

 

だが戻す。

 

二撃目。

 

足を置く。

 

三撃目。

 

沈む。

 

四撃目。

 

戻す。

 

五撃目――

 

「っ!!」

 

炭治郎の刀が、

初めてほんのわずかに

零式の腕を弾き返した。

 

完全な迎撃ではない。

 

だが、

確かに押し返した。

 

その一瞬だけ、

零式の流れが止まる。

 

炭治郎の目が、

はっきりと見開かれた。

 

通った。

 

今、

初めて。

 

だが次の瞬間、

六撃目が胴へ入り、

炭治郎は再び吹き飛ばされた。

 

「がっ……!」

 

地面に転がる。

 

息が切れる。

 

視界が滲む。

 

それでも、

今度は悔しさより先に

別の感覚があった。

 

届いた。

 

まだ少しだけ。

 

でも、

確かに一つだけ届いた。

 

炭治郎は仰向けのまま、

荒い息を吐く。

 

空が赤い。

 

一日が終わる。

 

そしてその終わりに、

ほんの少しだけ

掴めたものがあった。

 

小鉄が近づいてくる。

 

炭治郎はその足音を聞きながら、

目だけを向けた。

 

小鉄は少しだけ黙ってから、

短く言った。

 

「今のです」

 

炭治郎の目が、

わずかに動く。

 

「押されても、

次の足が死んでませんでした」

 

その一言だけで、

十分だった。

 

炭治郎は疲れたまま、

ほんの少しだけ笑う。

 

「……はい」

 

声は掠れていた。

 

だが、

迷いはなかった。

 

崩れたら戻す。

 

その“戻す”は、

気持ちじゃなく、

足から始まる。

 

そのことを、

今日一日で

身体が少しだけ覚え始めていた。

 

夕暮れの風が吹く。

 

木々が揺れる。

 

その中で、

炭治郎はゆっくりと起き上がる。

 

足は重い。

 

身体は痛い。

 

それでも、

昨日までとは少しだけ違う。

 

立ち方が。

 

戻り方が。

 

そして――

 

次へ行くための土台が。

 

刀鍛冶の里での鍛錬は、

まだ終わらない。

 

だが――

足元から、確かに積み上がり始めていた。

 

 

第四十六話 終

 

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