鬼滅の刃 ― 礎 ―   作:【規制済み】

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第四十八話 ― 通る先

 

朝の空気は、

昨日までよりも少しだけ軽かった。

 

だがそれは、

身体が楽になったという意味ではない。

 

むしろ逆だ。

 

炭治郎の足は重い。

 

太腿は張り、

脛は熱を持ち、

踏み込むたびに

鈍い疲労がじわりと返ってくる。

 

それでも――

 

「お願いします」

 

炭治郎は、

迷わず刀を構えた。

 

小鉄は短く頷く。

 

そのまま、

縁壱零式を動かす。

 

 

一撃目。

 

受ける。

 

押される。

 

戻す。

 

二撃目。

 

足を置く。

 

三撃目。

 

沈む。

 

四撃目。

 

戻す。

 

昨日までと同じだ。

 

だが今は、

そこに一つだけ違いがあった。

 

“残れる”。

 

ほんの一瞬でも、

自分の足が死なずに残る。

 

それだけで、

見える景色が変わる。

 

五撃目。

 

六撃目。

 

七撃目――

 

「……っ!」

 

ここだ。

 

ほんのわずかに、

零式の腕の流れが開く。

 

昨日までなら、

見えても行けなかった。

 

行けば崩れた。

 

だが今は違う。

 

足が残っている。

 

呼吸も、

切れていない。

 

「水の呼吸――」

 

小さく、

呼吸が深く入る。

 

焦らない。

 

無理に押し込まない。

 

足元を殺さないまま、

その一瞬だけを通す。

 

「肆ノ型――打ち潮!!」

 

連なる斬撃。

 

零式の腕へ、

真正面からではなく

“流れをずらす”ように差し込む。

 

「……!」

 

木と木がぶつかる音。

 

一撃。

 

二撃。

 

三撃。

 

その最後の一撃が――

 

初めて、

零式の構えをわずかに崩した。

 

「っ!」

 

炭治郎の目が見開かれる。

 

今、

通った。

 

押し切ったわけじゃない。

 

倒したわけでもない。

 

だが確かに、

初めて“通した”。

 

次の瞬間、

反撃で肩を打たれ、

炭治郎は後ろへ吹き飛ぶ。

 

「がっ……!」

 

転がる。

 

土埃が舞う。

 

息が切れる。

 

だが――

 

今までとは違った。

 

苦しさより先に、

手応えがある。

 

「……今の」

 

炭治郎が荒い息のまま呟く。

 

小鉄が、

静かに言った。

 

「はい」

 

短い肯定。

 

だが、

その一言が十分だった。

 

「足が死ななかったから、

通せました」

 

炭治郎は地面に手をついたまま、

その言葉を受け止める。

 

そうだ。

 

無理に行ったから通ったんじゃない。

 

崩れなかったから、

通った。

 

その順番が、

ようやく身体の中で

一つに繋がる。

 

 

「……もう一回」

 

炭治郎はすぐに立ち上がる。

 

今の感覚を、

消したくなかった。

 

小鉄は無言で零式を動かす。

 

再び始まる。

 

一撃目。

 

二撃目。

 

三撃目。

 

続く。

 

だが今度は、

さっきの一撃を狙いすぎない。

 

見えたからこそ、

焦らない。

 

通そうとしない。

 

まず残る。

 

その先にだけ、

通る瞬間がある。

 

四撃。

 

五撃。

 

六撃――

 

「……!」

 

また、

一瞬だけ開く。

 

今度は迷わない。

 

焦らず、

足を置いたまま、

その“線”へ刃を差し込む。

 

「水の呼吸――」

 

呼吸が、

静かに深くなる。

 

「陸ノ型――ねじれ渦!!」

 

捻りを伴う斬撃が、

零式の腕の流れを

まとめて弾き崩す。

 

木片が散る。

 

構えが崩れる。

 

その中心を、

炭治郎の刃が真っ直ぐ通り抜けた。

 

「……!」

 

今度は、

はっきりだった。

 

一撃ではない。

 

繋いだ先に、

通した。

 

その感覚が、

炭治郎の身体に強く残る。

 

だが次の瞬間、

零式の反撃が脇腹へ入り、

炭治郎はまた転がった。

 

「いっ……!」

 

「通したあと、

崩れてます」

 

小鉄が即座に言う。

 

炭治郎は地面に倒れたまま、

思わず苦笑する。

 

「……はい」

 

それもまた、

正しかった。

 

通せるようになった。

 

だが、

その先がまだ甘い。

 

つまり――

 

次の課題も、

もう見えている。

 

 

昼を過ぎる頃には、

炭治郎の動きは

明らかに変わっていた。

 

相変わらず、

何度も転がる。

 

何度も打たれる。

 

だが今は違う。

 

ただ壊されているのではない。

 

“通した上で崩れている”。

 

そこまで来ていた。

 

善逸が木陰から、

半分引いた顔で呟く。

 

「……なんか、

昨日より怖くなってない?」

 

「だろォ?」

 

伊之助が鼻を鳴らす。

 

「あいつ、

もう“残る”だけじゃねぇ」

 

善逸が目を細める。

 

「……通してる」

 

短い一言だった。

 

だが、

そこにあった違いは大きい。

 

昨日までは、

残るだけで精一杯だった。

 

今は、

その先へ踏み込めている。

 

それは、

戦場で生き残るだけじゃない。

 

“討つ”ための形だ。

 

 

その時だった。

 

炭治郎の鼻が、

ふと何かを捉える。

 

「……?」

 

構えたまま、

わずかに眉を寄せる。

 

鉄の匂い。

 

炭の匂い。

 

木の匂い。

 

里の空気には、

もともと色々な匂いが混ざっている。

 

だが今、

その中にほんの少しだけ

“淀み”のようなものが混じった。

 

嫌な匂いではない。

 

鬼の匂いでもない。

 

だが、

どこか落ち着かない。

 

“流れていない”匂い。

 

「どうしました?」

 

小鉄が問う。

 

炭治郎は少しだけ迷ってから、

首を振る。

 

「……いや、

なんでもない」

 

言葉にはできない。

 

だが、

何かが少しだけ引っかかる。

 

その違和感は、

すぐに消えた。

 

けれど炭治郎の胸の奥には、

小さく残った。

 

 

鍛錬を終えた帰り道。

 

夕方の里は、

朝とは違う静けさを持っていた。

 

鉄を打つ音が、

少しずつ減っている。

 

火も、

一つずつ落ちていく。

 

その中を歩きながら、

炭治郎はぼんやりと空を見上げる。

 

疲れていた。

 

足は重い。

 

肩も痛い。

 

だが、

不思議と心は前より静かだった。

 

今日、

確かに通した。

 

一度だけじゃない。

 

まだ粗い。

 

まだ崩れる。

 

それでも、

身体が覚え始めている。

 

崩れないこと。

 

その先で、

通すこと。

 

それが少しずつ、

一つの流れになり始めていた。

 

「……よし」

 

炭治郎は小さく息を吐く。

 

夜が近づく。

 

里の灯りが、

一つずつ点り始める。

 

静かな隠れ里。

 

穏やかな時間。

 

それでもその奥に、

まだ言葉にならない違和感がある。

 

鍛えられる場所。

 

守られている場所。

 

そして――

何かが入り込める隙を

どこかに残しているような場所。

 

炭治郎は、

その夜気を静かに吸い込む。

 

今はまだ、

分からない。

 

だが、

この場所もまた

ただの休息の地では終わらない。

 

そんな予感だけが、

胸の奥に残っていた。

 

そしてその予感の中で、

炭治郎の中には

確かに一つだけ積み上がったものがある。

 

崩れない足。

 

その先で、

通す一撃。

 

刀鍛冶の里での鍛錬は、

確かに次の段階へ進み始めていた。

 

 

第四十八話 終

 

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