鬼滅の刃 ― 礎 ―   作:【規制済み】

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こちらは幕間です。先に四十九話をご覧ください。


幕間 ― 不変を望む者

 

そこには、

“地”という概念がなかった。

 

畳は浮かび、

柱は傾き、

障子は壁にも天井にも現れる。

 

無限城。

 

鬼舞辻無惨の居城にして、

理の通じぬ異形の空間。

 

その静寂の中を、

乾いた音だけが響いていた。

 

琵琶の音。

 

一つ鳴るたびに、

空間がずれる。

 

廊下が反転し、

部屋が落ち、

また別の間が現れる。

 

そのたびに、

そこにいる鬼たちの気配だけが

異様な濃さを増していく。

 

そして――

 

一つの広間に、

それらは集められていた。

 

上弦。

 

鬼の中でも、

最も“壊れにくい”側にいる怪物たち。

 

だが今夜、

その均衡は崩れていた。

 

一体、足りない。

 

それだけで、

この場の異常さは十分だった。

 

百十余年。

 

上弦が欠けることなど、

なかった。

 

動かなかったものが、

動いた。

 

壊れなかったものが、

壊された。

 

その事実だけが、

広間の空気を重く沈めていた。

 

「俺たちが集められるのって何年振りかなー?」

 

軽い声が落ちる。

 

上弦の弐――童磨。

 

その口元には笑みすら浮かんでいたが、

その目の奥はまるで笑っていなかった。

 

「ひぃ……!

ひゃ、百年以上です……!」

 

上弦の肆――半天狗が、

震える声で答える。

 

その怯えは本物だ。

 

だがこの場にいる誰も、

それを“弱さ”だとは思っていない。

 

ただ一体だけ、

その場の空気が変わってもなお、

微動だにしない鬼がいた。

 

上弦の壱――黒死牟。

 

六つの目だけが、

静かにその場の全てを見ていた。

 

そして、

少し離れた位置には

もう一体。

 

上弦の参――猗窩座。

 

何も言わない。

 

ただその拳だけが、

わずかに軋むように握られていた。

 

誰も口にはしない。

 

だが、

この場にいる全員が理解していた。

 

“上弦が欠けた”

 

それがどれほど異常なことかを。

 

そして――

 

それを最も強く不快に思っている存在が、

まだこの場には現れていないことも。

 

だからこそ、

空気はさらに重かった。

 

 

やがて、

空間がわずかに軋む。

 

その瞬間、

全ての気配が張り詰めた。

 

来る。

 

誰も顔を上げない。

 

ただ、

その存在が“そこに現れた”と

分かっただけで、

空気そのものが変わった。

 

鬼舞辻無惨。

 

静かだった。

 

怒鳴りもしない。

 

荒ぶりもしない。

 

だが、

それが何よりも恐ろしかった。

 

感情を見せていないのではない。

 

あまりにも深く不快すぎて、

怒りが表面にすら出ていない。

 

その沈黙だけで、

場の全てが圧し潰されそうになる。

 

無惨は、

誰を見るでもなく口を開いた。

 

「……上弦が落ちた」

 

その一言だけで、

広間の温度がさらに下がる。

 

「百年以上、

変わらなかったものだ」

 

声は低い。

 

静かだ。

 

だがその静けさの奥にあるものは、

明らかに異常だった。

 

「それを、

壊された」

 

その“壊された”という言葉だけが、

妙にゆっくり落ちた。

 

まるで、

その事実そのものを

何度も噛み潰しているように。

 

「堕姫と妓夫太郎は、

上弦としての役目すら果たせなかった」

 

誰も何も言えない。

 

童磨の笑みも、

猗窩座の沈黙も、

半天狗の震えも、

この場では何の意味も持たなかった。

 

黒死牟だけが、

静かに目を伏せる。

 

「……浅ましい」

 

その声は低く、

ほとんど独り言のようだった。

 

だが、

その一言だけで

場の空気がさらに研ぎ澄まされる。

 

無惨は続けた。

 

「鬼殺隊はまだ、

私に届いていない」

 

その言葉は事実だった。

 

だが、

次の一言には

はっきりとした冷たさが宿っていた。

 

「それでも、

届かせる“形”を作り始めている」

 

その一言に、

広間の空気がわずかに揺れる。

 

偶然ではない。

 

まぐれでもない。

 

鬼狩りどもは、

ただ足掻いているだけではない。

 

届くべきではない場所へ届くための“形”を、

少しずつ積み上げ始めている。

 

その事実そのものが、

無惨には不快だった。

 

「それに引き換え、

お前達はどうだ」

 

「産屋敷の居場所は」

 

「鬼狩り共の拠点は」

 

「いつになれば見つかる?」

 

静かな問い。

 

だが、

そこには一切の逃げ道がなかった。

 

誰も答えない。

 

答えられない。

 

 

「玉壺」

 

名を呼ばれた鬼が、

ゆっくりと顔を上げる。

 

壺から覗くような異形の姿。

 

粘つくような笑み。

 

上弦の伍――玉壺。

 

「はい、無惨様」

 

軽い。

 

だがその軽さの奥にあるものは、

まともではない。

 

無惨は一切揺れずに言う。

 

「お前は探れ」

 

玉壺の目が細くなる。

 

「何を、でございましょう?」

 

「鬼狩り共の流れだ」

 

短い答え。

 

無惨は続けた。

 

「刀鍛冶。

補給。

修復。

繋がる場所。

そして産屋敷の居場所」

 

玉壺の笑みが、

ゆっくりと深くなる。

 

理解したのだ。

 

鬼殺隊は、

戦場だけで成り立っているわけではない。

 

刀を打つ者。

 

傷を癒やす者。

 

次へ繋ぐ者。

 

そして何より、

忌むべき産屋敷の一族。

 

その土台があるから、

鬼狩りは続いている。

 

ならば――

 

壊すべきは、

その“土台”だ。

 

玉壺の口元が歪む。

 

「なるほど……

なんとも壊し甲斐のあるお話で」

 

無惨はそれに答えない。

 

 

「半天狗」

 

次に呼ばれた名。

 

その瞬間、

広間の隅に縮こまるようにいた小さな鬼が

びくりと震える。

 

上弦の肆――半天狗。

 

「ひぃっ……!

わ、わしですか……!」

 

怯えたような声。

 

だがその奥に潜むものは、

到底“弱さ”では片付かない。

 

無惨は冷たく言い放つ。

 

「失敗は許さない」

 

その一言だけで、

半天狗の顔色がさらに変わる。

 

「ひぃぃ……!

も、申し訳……!」

 

「結果だけを持ち帰れ」

 

無惨の声には、

もはや温度すらなかった。

 

「鬼狩り共が繋ぎ始めているのなら、

その前に潰せ」

 

「形になる前に壊せ」

 

それは命令というより、

鬼という存在の本質そのものだった。

 

積まれる前に壊す。

 

立ち上がる前に折る。

 

繋がる前に裂く。

 

そのために鬼はいる。

 

そして無惨は、

それを最も徹底している存在だった。

 

 

「私は変化が嫌いだ」

 

その声だけで、

広間の空気がさらに沈む。

 

「変化とは、

ほとんどの場合、劣化だ」

 

「私が望むものは、

完璧で不変であることだけだ」

 

誰も何も言えない。

 

それはただの価値観ではない。

 

鬼舞辻無惨という存在そのものの、

歪んだ核だった。

 

変わらないこと。

 

失われないこと。

 

壊れないこと。

 

その執着が、

この異形の城を、

この鬼たちを、

この長い時間を支配してきた。

 

だが今、

その“不変”に

初めて微かな亀裂が入った。

 

だからこそ、

無惨は動く。

 

変化を許さないために。

 

形になる前に壊すために。

 

届く前に断つために。

 

 

無惨はそこで、

ふと視線を落とす。

 

その目の奥には、

怒りだけではない

別の執着が宿っていた。

 

「青い彼岸花も、

まだ見つからない」

 

その一言に、

場の空気がまた変わる。

 

鬼にとっての絶対。

 

無惨が何よりも求め、

何よりも苛立ち続けているもの。

 

それが、

まだ見つからない。

 

その不快さもまた、

今この場の全てに滲んでいた。

 

「……役立たずが」

 

静かなその一言だけで、

鬼たちはさらに身体を固くする。

 

誰に向けたものか、

もはや分からない。

 

上弦か。

 

鬼殺隊か。

 

この世界そのものか。

 

ただ一つだけ確かなのは、

その苛立ちが

次の破壊へ直結するということだった。

 

 

やがて、

琵琶の音が鳴る。

 

空間が歪む。

 

広間が崩れ、

柱がずれ、

畳が消えていく。

 

解散の合図だった。

 

だが、

誰一人として安堵などしていない。

 

この場を離れても、

無惨の気配だけは

身体の奥に残り続ける。

 

玉壺の笑みは深い。

 

半天狗の震えは止まらない。

 

猗窩座は無言のまま、

ただ前だけを見ている。

 

黒死牟の六つの目だけが、

静かに闇の奥を見つめていた。

 

無限城の歪んだ闇の中で、

鬼たちの気配が一つずつ消えていく。

 

そして最後に残ったのは、

無惨ただ一人。

 

静かに立つその姿は、

まるで何一つ乱れていないように見えた。

 

だがその実――

 

最も深い場所で、

最も強く歪んでいたのは

この男そのものだった。

 

「どこまで来れるか」

 

小さく落ちたその声は、

誰にも届かない。

 

それでも確かに、

次の戦場へ向けて放たれていた。

 

無限城の闇だけが、

静かにそれを飲み込んだ。

 

 

幕間 ― 不変を望む者 終

 

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