鬼滅の刃 ― 礎 ―   作:【規制済み】

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第五十話 ― 遠い記憶

 

その日の鍛錬は、

いつも以上に重かった。

 

「っ……!」

 

縁壱零式の腕が動く。

 

右。

 

左。

 

上。

 

下。

 

連続する斬撃に、

炭治郎は息を詰めながら応じていた。

 

受ける。

 

沈む。

 

戻す。

 

置く。

 

また受ける。

 

それを、

何度も繰り返す。

 

以前なら、

最初の数撃で完全に崩されていた。

 

だが今は違う。

 

押される。

 

それでも、

そのまま終わらない。

 

崩れた瞬間に、

足を戻す。

 

次の足を置く。

 

ほんのわずかでも、

次へ繋ぐ。

 

その感覚だけは、

確かに身体の中へ積み上がってきていた。

 

「遅いです」

 

小鉄の声が飛ぶ。

 

次の瞬間、

零式の斬撃がさらに鋭くなる。

 

「っ!」

 

炭治郎は歯を食いしばる。

 

一撃目。

 

受ける。

 

二撃目。

 

押される。

 

三撃目。

 

沈む。

 

四撃目。

 

戻す。

 

五撃目――

 

「ぐっ……!」

 

刀ごと弾かれ、

体勢が崩れる。

 

その隙に、

零式の腕が胴へ入った。

 

炭治郎の身体が吹き飛ぶ。

 

「がっ……!」

 

地面に転がる。

 

肺が熱い。

 

腕が痺れる。

 

視界の端で、

木漏れ日が揺れていた。

 

「今のは悪くありませんでした」

 

小鉄の声が、

上から落ちる。

 

炭治郎は地面に手をつきながら、

少しだけ目を上げた。

 

「でも、

最後の一歩が遅いです」

 

「……はい」

 

悔しさはある。

 

だが、

反論する気にはなれなかった。

 

本当にその通りだったからだ。

 

最後の一歩。

 

そこだけが、

まだ甘い。

 

通るかもしれないと思った瞬間に、

少しだけ気持ちが前へ出る。

 

そのズレが、

零式には見えている。

 

炭治郎は荒い息を整えながら、

もう一度だけ零式を見上げた。

 

六本の腕。

 

異様な造形。

 

それなのに、

構えに無駄がない。

 

ただ速いだけじゃない。

 

ただ強いだけでもない。

 

“崩れないまま、通してくる”

 

その感覚が、

炭治郎の中で少しずつ形になっていた。

 

 

しばらくして、

炭治郎は木陰に座り込んでいた。

 

汗が首筋を伝う。

 

足は重い。

 

肩も腕も、

もうかなりきつい。

 

それでも、

前より少しだけ

“どこが足りないか”が分かるようになってきた。

 

「……小鉄くん」

 

「なんですか」

 

「さっきの時透くんって、

いつもあんな感じなの?」

 

小鉄は少しだけ嫌そうな顔をした。

 

「だいたいそうです」

 

即答だった。

 

炭治郎は苦笑する。

 

「そっか……」

 

だが、

笑いながらも気になっていた。

 

時透無一郎。

 

柱。

 

強い。

 

それは間違いない。

 

立ち方を見ただけで分かる。

 

無駄がない。

 

余計な力もない。

 

あれほど自然に立てる人間は、

そう多くない。

 

なのに――

 

何かが欠けている。

 

あまりにも、

“人の温度”が薄い。

 

「でも、

すごく強い人だよね」

 

炭治郎がそう言うと、

小鉄は少しだけ視線を落とした。

 

「……強いです」

 

その返事は短い。

 

だが、

どこか素直ではなかった。

 

「でも、

強ければ何でもいいわけじゃありません」

 

その言葉に、

炭治郎は少しだけ目を瞬かせる。

 

小鉄は続けた。

 

「強いのに、

大事なものが見えてないなら、

それは強いだけです」

 

その言い方は、

年相応とは思えないほど真っ直ぐだった。

 

炭治郎は少しだけ黙る。

 

その言葉が、

妙に胸に残ったからだ。

 

強いだけじゃ駄目。

 

通せるだけでも駄目。

 

守るもの。

 

残すもの。

 

繋ぐもの。

 

そういうものがあるから、

立つ意味がある。

 

それはきっと、

自分が今積み上げようとしているものにも

繋がっていた。

 

「……うん」

 

炭治郎は小さく頷く。

 

そして再び、

縁壱零式へ視線を向けた。

 

あの人形は、

何も言わない。

 

だが、

そこに立っているだけで

何かを問われている気がする。

 

どう立つのか。

 

どう戻すのか。

 

どう通すのか。

 

その全部を。

 

 

その日の鍛錬が終わる頃には、

炭治郎の身体はほとんど限界だった。

 

足を引きずるようにして、

里の用意してくれた部屋へ戻る。

 

善逸はもう先に寝転がっていた。

 

「おっそ……

何してたの炭治郎……」

 

「訓練だよ」

 

「分かってるよ……

分かってるけど顔が死んでるよ……」

 

「お前も大概だろ!!」

 

伊之助が横から割り込んでくる。

 

「明日も行くんだろ!?

なら食って寝ろ!!」

 

その勢いに、

炭治郎は少しだけ笑った。

 

「うん」

 

食事を摂り、

温泉に浸かり、

身体の力を落とす。

 

 

そういう当たり前の流れすら、

今は少しありがたかった。

 

戦いの最中には、

こういう時間はほとんどない。

 

だからこそ、

この時間の中で

積めるものもあるのだと思う。

 

炭治郎は布団へ身体を沈める。

 

疲労は深い。

 

まぶたが重い。

 

意識が、

少しずつ沈んでいく。

 

その時だった。

 

ふと、

鼻先をかすめるように

懐かしい匂いがした。

 

炭の匂い。

 

木の匂い。

 

冬の朝の、

澄んだ空気の匂い。

 

「……?」

 

炭治郎の意識が、

ゆっくりと揺れる。

 

そして次の瞬間、

景色が変わっていた。

 

 

そこは、

不思議と見覚えがある場所だった。

 

どこか懐かしい。

 

雪の残る山道。

 

薄い朝靄。

 

静かな空気。

 

遠くで、

薪のはぜる音が聞こえる。

 

一人の男が、

そこに立っていた。

 

耳飾り。

 

黒い髪。

 

静かな横顔。

 

その姿を見た瞬間、

炭治郎の胸の奥が

どくん、と大きく脈打つ。

 

知っている。

 

いや、

“知っている気がする”。

 

男は何も言わず、

ただ静かに空を見ていた。

 

その立ち姿には、

奇妙なほど無駄がなかった。

 

構えていない。

 

力んでもいない。

 

なのに、

崩れる気配が一切ない。

 

ただ立っているだけで、

その場そのものが静まっているように見えた。

 

「……っ」

 

炭治郎は、

思わず息を呑む。

 

それは、

今まで見てきたどの強さとも違った。

 

押し返すでもない。

 

威圧するでもない。

 

ただそこに在るだけで、

何も崩れなくなるような感覚。

 

 

その時、

もう一人の人影が近づいてくる。

 

炭治郎は目を見開いた。

 

それは、

自分に似た顔立ちの男だった。

 

竈門家の血を感じる顔。

 

その人が、

耳飾りの男へ向かって静かに頭を下げる。

 

炭吉。

 

炭治郎の中で、

その名前が自然に浮かんだ。

 

男――縁壱は、

炭吉へ静かに向き直る。

 

言葉はよく聞こえない。

 

だが、

そのやり取りには

不思議な温度があった。

 

押し付けるでもなく、

教え込むでもなく。

 

ただ、

何か大事なものを

静かに渡そうとしているような空気。

 

縁壱が、

ゆっくりと身体を動かす。

 

一歩。

 

そして、

刀を振るう。

 

それはあまりにも自然だった。

 

速いのに、

速く見えない。

 

重いのに、

重く見えない。

 

ただ、

一切の無駄がない。

 

流れの中に、

迷いがない。

 

そして何より――

 

“次が死んでいない”。

 

一太刀の終わりが、

そのまま次の始まりに繋がっている。

 

止まっていない。

 

崩れていない。

 

繋がっている。

 

その動きに、

炭治郎の胸の奥が熱くなる。

 

これは、

ただ強いだけじゃない。

 

もっと深い。

 

縁壱の動きを見つめながら、

炭治郎はふと気づく。

 

この感覚を、

少しだけ知っている。

 

縁壱零式。

 

あの人形の中にあった

“何か”の正体が、

ほんのわずかだけ

ここに繋がっている気がした。

 

「――」

 

縁壱が、

何かを言う。

 

炭吉が頷く。

 

だがその言葉は、

どうしても最後まで聞き取れない。

 

遠い。

 

届きそうで、

届かない。

 

それでも、

一つだけ残った。

 

これはただの夢じゃない。

 

何かが、

ここへ繋がっている。

 

炭治郎の中に。

 

竈門家の中に。

 

もっとずっと前から、

受け継がれてきた何かへ。

 

その瞬間、

景色がふっと揺らぐ。

 

雪の匂いが遠ざかる。

 

縁壱の姿が霞む。

 

炭吉の輪郭も、

朝靄の向こうへ消えていく。

 

「待って……!」

 

思わず手を伸ばした瞬間――

 

 

炭治郎は、

勢いよく目を覚ました。

 

「っ、は……!」

 

荒い呼吸。

 

胸が上下する。

 

部屋は暗い。

 

まだ夜明け前だ。

 

隣では善逸が寝言を言い、

伊之助は豪快にいびきをかいている。

 

だが、

炭治郎の胸の鼓動だけが

まだ早かった。

 

夢。

 

そのはずだ。

 

だが、

あまりにも鮮明だった。

 

炭の匂い。

 

雪の冷たさ。

 

縁壱の立ち姿。

 

炭吉の横顔。

 

そして――

 

あの動き。

 

「……今のは」

 

炭治郎は、

布団の中でそっと拳を握る。

 

まだ全部は分からない。

 

だが、

確かに何かが繋がった気がした。

 

縁壱零式。

 

耳飾りの男。

 

竈門家に伝わるもの。

 

それらが、

少しずつ一つの線になり始めている。

 

炭治郎はゆっくり息を吸い、

静かに吐く。

 

まだ暗い。

 

だが、

夜はもう深くない。

 

次に何を掴むべきか。

 

その輪郭だけが、

ほんの少しだけ見え始めていた。

 

夜明け前の静けさの中で、

炭治郎は目を閉じ直す。

 

そして心の奥で、

確かに思った。

 

――まだ、先がある。

 

 

第五十話 終

 




この後30分後に幕間です。
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