鬼滅の刃 ― 礎 ―   作:【規制済み】

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第五十一話 ― 眠る刃

 

朝の空気は、

少しだけ冷たかった。

 

だが炭治郎の意識は、

目を覚ました時から

どこか熱を帯びたままだった。

 

布団から起き上がっても、

昨夜の夢の感触が

まだ身体の奥に残っている。

 

炭の匂い。

 

雪の冷たさ。

 

耳飾りの男。

 

そして――

あの動き。

 

「……」

 

炭治郎は、

無意識に自分の手を見る。

 

指先を開き、

軽く握る。

 

夢だったはずなのに、

ただの夢で終わらない感覚があった。

 

まだ分からない。

 

だが、

確かに何かが繋がりかけている。

 

その輪郭だけが、

ぼんやりと胸の奥に残っていた。

 

「炭治郎ー……」

 

横から、

眠そうな声が飛んでくる。

 

善逸だった。

 

布団の中から半分だけ顔を出し、

死んだ目でこちらを見ている。

 

「お前また朝から行くの……?」

 

「うん」

 

「元気だなぁ……」

 

「元気じゃないよ」

 

炭治郎は苦笑する。

 

実際、

身体はまだ重い。

 

足も張っている。

 

肩も痛い。

 

だが、

止まりたくなかった。

 

昨夜見たものを、

少しでも今の自分へ繋げたい。

 

そんな気持ちが、

疲労より少しだけ強かった。

 

伊之助はすでに起きていて、

意味もなく腕立てのようなことをしていた。

 

「おせぇぞ炭治郎!!

俺はもう強くなってる!!」

 

「何してるんだよ朝から!!」

 

「見りゃ分かんだろ!!

鍛えてんだよ!!」

 

「部屋で暴れるなよ!!」

 

善逸が即座に怒鳴る。

 

いつもの騒がしさ。

 

だが、

その空気が少しだけありがたかった。

 

炭治郎は軽く息を吐き、

立ち上がる。

 

「行ってくるね」

 

「死ぬんじゃねぇぞ!!」

 

「お前縁起でもないこと言うなよ!!」

 

背後から聞こえる二人の声を受けながら、

炭治郎は部屋を出た。

 

 

木々の奥。

 

いつもの鍛錬場。

 

そこにはすでに、

小鉄と縁壱零式が待っていた。

 

朝の光の中で見る零式は、

昨日までとは少しだけ違って見えた。

 

六本腕。

 

異様な姿。

 

それでもそこに立つだけで、

何かを語っているような気配がある。

 

炭治郎はその姿を見ながら、

昨夜の夢を思い出していた。

 

耳飾りの男。

 

縁壱。

 

そして、

その動き。

 

「遅いです」

 

小鉄の声が飛ぶ。

 

炭治郎は我に返り、

すぐに頭を下げた。

 

「ごめん!」

 

「今日は昨日より動いてもらいます」

 

「はい」

 

容赦がない。

 

だが、

それでいいと思った。

 

炭治郎は刀を握る。

 

足を置く。

 

呼吸を整える。

 

そして――

 

縁壱零式が動き出した。

 

 

速い。

 

昨日よりも、

明らかに速い。

 

一撃目。

 

受ける。

 

二撃目。

 

沈む。

 

三撃目。

 

戻す。

 

四撃目。

 

置く。

 

五撃目――

 

「っ!」

 

炭治郎は、

その瞬間だけ

昨夜の夢の動きを思い出した。

 

押される前に、

次の足を置く。

 

終わる前に、

次へ繋ぐ。

 

その意識を、

ほんのわずかだけ早める。

 

刀がぶつかる。

 

木と鉄のような重い音が響く。

 

そして――

 

零式の腕が、

ほんの一瞬だけ外へ流れた。

 

「……っ!」

 

通る。

 

今だ。

 

炭治郎は踏み込む。

 

昨日までより、

半歩だけ深く。

 

そして刀を――

 

「遅いです」

 

六撃目。

 

肩口へ直撃。

 

「ぐっ!!」

 

炭治郎は吹き飛ばされ、

地面を転がった。

 

土埃が舞う。

 

息が詰まる。

 

だが、

今までと感覚が違った。

 

「今の……」

 

炭治郎は荒い息のまま、

零式を見上げる。

 

「今、少しだけ……」

 

小鉄が近づいてくる。

 

その表情は相変わらず厳しい。

 

だが、

目だけはほんの少し違った。

 

「はい」

 

短い肯定。

 

「今のは、

昨日より一歩先でした」

 

その一言に、

炭治郎の胸の奥が熱くなる。

 

届いていない。

 

まだ足りない。

 

だが、

確かに前へ進んでいる。

 

それだけで、

もう一度立つ理由には十分だった。

 

 

何度目かの打ち合いのあと、

炭治郎は零式のすぐ前まで踏み込んでいた。

 

息は荒い。

 

腕は重い。

 

足もきつい。

 

だが、

昨日より見えている。

 

押される前の流れ。

 

崩れる前の位置。

 

そして、

零式の“芯”のようなもの。

 

「……?」

 

その時だった。

 

炭治郎の視線が、

零式の胴へ止まる。

 

打ち合いの衝撃か、

胸元の木部が

ほんのわずかに軋んでいた。

 

今までにはなかったズレ。

 

炭治郎の目が細くなる。

 

「小鉄くん」

 

「なんですか」

 

「ここ……

少しだけ変じゃない?」

 

小鉄がすぐに近づき、

零式の胸元を見上げる。

 

「……」

 

一瞬だけ、

その表情が変わった。

 

驚き。

 

それを、

炭治郎は見逃さなかった。

 

「どうしたの?」

 

小鉄は何も言わず、

零式の胸元へ手を伸ばす。

 

指先で慎重に木部をなぞる。

 

そして、

ほんのわずかに浮いた部分を押した瞬間――

 

カチリ

 

小さな音が鳴った。

 

空気が止まる。

 

次の瞬間、

零式の胸元の一部が

わずかにずれた。

 

「……え?」

 

炭治郎が目を見開く。

 

小鉄もまた、

息を呑んでいる。

 

そこにあったのは、

ただの木の継ぎ目ではなかった。

 

何かが、

中にある。

 

長い時間、

ずっと隠されていたものが。

 

小鉄の喉が、

小さく鳴る。

 

「まさか……」

 

その声には、

驚きと、

信じられないものを見た時の震えが混じっていた。

 

炭治郎も、

自然と息を止める。

 

縁壱零式。

 

ただの絡繰人形じゃない。

 

その中に、

何かが眠っている。

 

それが今、

ようやく姿を見せようとしていた。

 

その時

 

「やっぱり」

 

静かな声が落ちる。

 

炭治郎と小鉄が同時に振り向く。

 

そこに立っていたのは、

時透無一郎だった。

 

朝の光の中でも、

相変わらず輪郭が薄い。

 

霞みたいに静かで、

けれど立っているだけで

空気が少し変わる。

 

時透は、

零式の胸元を見ながら

淡々と言った。

 

「中にあると思ってた」

 

小鉄がすぐに顔をしかめる。

 

「……また来たんですか」

 

「必要だから」

 

「だからって勝手に来ないでください」

 

時透は小鉄の言葉を

気にしているのかいないのか分からないまま、

零式へ視線を向け続ける。

 

その目は、

昨日より少しだけ

はっきりして見えた。

 

「これはたぶん、

かなり古い刀だよ」

 

炭治郎の目が動く。

 

「刀……?」

 

時透は頷く。

 

「この人形、

戦闘用としては異常なくらい精巧だから」

 

「そこまでして隠すなら、

中身にも意味がある」

 

言い方は相変わらず淡々としている。

 

だが、

今はその視線が

ちゃんと“そこ”を見ていた。

 

昨日みたいな空虚さとは、

少しだけ違う。

 

炭治郎は時透の横顔を見ながら、

ほんのわずかに違和感を覚える。

 

この人はやっぱり、

ただ冷たいだけじゃない。

 

何かに対してだけ、

異様に鋭い。

 

そこにだけ、

確かな熱がある。

 

小鉄は零式を見つめたまま、

小さく唇を噛んだ。

 

「……壊したくありません」

 

その一言には、

はっきりとした感情が乗っていた。

 

炭治郎も、

その気持ちは痛いほど分かる。

 

これはただの人形じゃない。

 

受け継がれてきたものだ。

 

守ってきたものだ。

 

簡単に壊していいものじゃない。

 

だが――

 

時透はそこで、

ほんの少しだけ視線を落とした。

 

そして、

昨日よりも少しだけ静かな声で言った。

 

「でも、

眠ったままなら意味がない」

 

空気が止まる。

 

その言葉は冷たく聞こえるはずなのに、

今はなぜか、

それだけではなかった。

 

炭治郎はその一言を、

すぐには否定できなかった。

 

受け継がれたもの。

 

残されたもの。

 

それを守ることは大事だ。

 

だが、

それが本当に“残る”ということは、

ただ閉じておくことではないのかもしれない。

 

炭治郎は零式を見る。

 

夢の中で見た、

耳飾りの男の立ち姿が

胸の奥に重なる。

 

あの動き。

 

あの流れ。

 

あの“次が死んでいない”感覚。

 

それがもし、

この中に繋がっているのだとしたら――

 

「……開けよう」

 

炭治郎が、

静かに言った。

 

小鉄が顔を上げる。

 

炭治郎は零式を見たまま、

続ける。

 

「壊すんじゃなくて、

ちゃんと受け取るために」

 

その言葉に、

小鉄はしばらく黙っていた。

 

迷いがある。

 

当然だった。

 

だがその迷いの奥に、

ほんの少しだけ

決意が混じり始めているのが分かった。

 

時透は何も言わない。

 

ただ、

静かにそこに立っている。

 

やがて小鉄は、

ゆっくりと頷いた。

 

「……分かりました」

 

その声は小さい。

 

だが、

確かだった。

 

朝の空気が揺れる。

 

木々が鳴る。

 

縁壱零式の胸の奥には、

長い時間眠っていた何かがある。

 

それはまだ、

完全には見えていない。

 

だが――

 

確かに、

次へ繋がるものがそこにあった。

 

炭治郎は静かに息を吸う。

 

夢の続きを追うように。

 

まだ見えていない先へ、

手を伸ばすように。

 

刀鍛冶の里で積み上がってきたものが、

今、

少しずつ形になり始めていた。

 

 

第五十一話 終

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