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朝の里には、
鉄を打つ音が戻っていた。
カン、カン、カン――
規則正しく響く音が、
山の空気に溶けていく。
刀鍛冶の里。
その名の通り、
ここは“戦う者を整える場所”なのだと、
炭治郎は改めて感じていた。
縁壱零式の胸元から見つかった
“何か”は、
すぐには取り出せなかった。
無理に開けば、
零式そのものを壊しかねない。
だから今は、
小鉄と時透が
慎重に構造を見直している最中だった。
「今日は触れません」
小鉄は朝一番にそう言った。
「中身を壊したら意味がないので」
「うん、それはそうだね」
炭治郎は頷く。
本当は今すぐにでも
確かめたい気持ちはあった。
あの夢。
耳飾りの男。
縁壱零式の中に眠るもの。
それらが繋がっている気配を、
炭治郎はもう無視できなくなっていた。
だが、
焦って壊しては意味がない。
積み上げるものほど、
急いではいけない。
それは、
ここ数日の鍛錬で
少しずつ身体に入ってきた感覚でもあった。
「なので今日は別です」
小鉄が言う。
「別?」
炭治郎が聞き返した、その時だった。
「炭治郎ー!!」
遠くから、
聞き慣れた情けない声が響いてきた。
振り向くと、
善逸が半泣きの顔でこちらへ走ってくる。
その後ろから、
伊之助もずかずかとついてきていた。
「聞いてよ炭治郎ぉぉ!!」
「なんか変な顔のやつらに
刀持っていかれたんだけど!!」
「変な顔ってひょっとこ面の人たちのこと!?」
炭治郎が思わず言うと、
善逸は勢いよく頷く。
「そう!! 全員同じ顔!!
怖いんだよあの里!!」
「何言ってんだお前!!
あいつら面白ぇぞ!!」
伊之助は妙に元気だった。
むしろ少し嬉しそうですらある。
「俺の刀見て全員変な顔してた!!
褒めてんだろあれ!!」
「絶対違うよ!!」
善逸が即座に叫ぶ。
炭治郎は思わず苦笑した。
張っていた空気が、
少しだけほどける。
小鉄は小さくため息をついた。
「日輪刀の調整です」
「里に来た隊士は、
だいたい一度見られます」
「そうなんだ」
炭治郎は納得したように頷く。
確かにここは刀鍛冶の里だ。
身体を鍛えるだけではなく、
刀そのものを整えるのも当然だった。
炭治郎の刀も、
今は鋼鐵塚の手にあるらしい。
「あなたのは論外です」
と小鉄に真顔で言われ、
炭治郎は何も言い返せなかった。
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少しして、
炭治郎たちは里の鍛冶場の一角へ案内された。
熱気がある。
炭の匂いが濃い。
鉄の焼ける音と、
火の爆ぜる音が
あちこちから聞こえてくる。
そこにはすでに、
善逸の日輪刀と
伊之助の二刀が並べられていた。
……いや、
正確には
“並べられている”というより、
“検分されている”という方が近い。
ひょっとこ面の刀鍛冶たちが、
それぞれ無言で刀を見ていた。
空気が重い。
善逸は炭治郎の後ろへ隠れる。
「ねぇ……
なんか怒ってない……?」
「怒ってると思うよ!!」
炭治郎も小声で返す。
一方で伊之助は、
胸を張っていた。
「どうだ!!
俺の刀すげぇだろ!!」
その瞬間、
一人の刀鍛冶が
伊之助の刀を持ち上げ、
しばらく無言で見つめたあと――
「……なんだこれは」
低く呟いた。
「山育ちの芸術だ!!」
「芸術じゃない!!」
別の刀鍛冶が思わず突っ込む。
「刃を石で削るな!!」
「勝手に形を変えるな!!」
「なんで刀をノコギリみたいにする!!」
怒涛だった。
伊之助は腕を組みながら、
まったく悪びれずに言い返す。
「こっちの方が裂けるだろ!!」
「裂けるとかそういう問題じゃない!!」
「いや問題ではあるか……!?」
「問題だろ!!」
刀鍛冶たちの会話が、
途中から少し迷子になっていた。
炭治郎は吹き出しそうになるのを堪える。
だがその中で、
一人の刀鍛冶が
伊之助の刀の柄を握り、
実際に軽く振ってみた。
その動きが止まる。
「……あ?」
周囲の刀鍛冶がそちらを見る。
その男はもう一度、
今度は少し踏み込みを入れて振った。
ギザ刃の重さ。
重心。
抜け。
その感覚を確かめるように。
やがて、
低く呟く。
「……こいつ、
この形で振る前提で身体ができてる」
伊之助が鼻を鳴らした。
「だから言ってるだろ!!」
炭治郎の目が少し開く。
その言葉は、
思った以上にしっくり来た。
伊之助の戦い方は荒い。
だが、
ただの無茶ではない。
あの独特の間合いも、
踏み込みも、
感覚の鋭さも、
全部この刀と噛み合っていたのだ。
刀鍛冶の一人が、
深くため息をつく。
「直すというより、
合わせ直すしかないな……」
「最低限の強度だけ戻す」
「それ以上やると、
こいつが逆に振れなくなる」
伊之助はよく分かっていない顔で頷いた。
「おし!! もっと強くしろ!!」
「話聞いてたか!?」
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その隣では、
善逸の日輪刀が静かに見られていた。
こちらは伊之助とは逆に、
見た目には大きな無茶はない。
だが、
刀鍛冶の表情は
こちらもこちらで妙に真剣だった。
「……偏ってるな」
一人が呟く。
善逸がびくっと肩を震わせる。
「えっ何が!?
折れてる!?
もうダメ!?」
「折れてはいない」
別の刀鍛冶が淡々と言う。
「だが使い方が極端だ」
善逸が少しだけ口を閉じる。
その顔を見て、
炭治郎は何となく察した。
たぶん、
図星だったのだ。
刀鍛冶は続ける。
「踏み込みが深い」
「抜きが速い」
「だが、動きの軸がほとんど同じだ」
「……」
善逸は黙る。
伊之助が横から口を挟んだ。
「なんだそりゃ!!
一個しかやってねぇってことか!!」
「うるさいな!!」
善逸が即座に怒鳴る。
だが、
刀鍛冶はそこで首を横に振った。
「悪い意味じゃない」
善逸が目を瞬かせる。
刀鍛冶は刀を見たまま言う。
「ここまで一つに絞ってるなら、
中途半端に広げるより、
この軸を研いだ方がいい」
「……え?」
「お前の刀は、
一撃を最短で通すことに
もうかなり寄っている」
「なら、
それに合わせて整えた方が強い」
善逸の表情が、
わずかに変わる。
炭治郎はその横顔を見ながら、
小さく息をついた。
善逸は、
全部できるタイプではない。
だが、
一つを極めることに関しては
異様な強さがある。
それをこうして
刀の側から言葉にされると、
不思議と説得力があった。
善逸は少しだけ視線を逸らしながら、
ぼそっと言う。
「……じゃあ、
今のままでもいいってこと?」
刀鍛冶は短く返した。
「良くはない」
「だが、
悪くもない」
「もっと尖らせろ」
その言葉に、
善逸はなんとも言えない顔をした。
褒められたのか、
怒られたのか、
よく分からない顔だった。
炭治郎は少しだけ笑う。
「善逸らしいってことだよ」
「なんだよそれ……」
だが、
善逸も少しだけ肩の力を抜いたように見えた。
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刀を打つ音が響く。
火花が散る。
炭治郎は、
少し離れた場所からその光景を見ていた。
刀を整える者たち。
自分の戦い方に合わせて、
刃を見直される善逸と伊之助。
そして、
零式の中に眠るもの。
全部がどこかで、
“次へ通る形に戻されている”気がした。
ここは、
ただ隠れるための里じゃない。
折れたものを、
次へ繋ぐ場所だ。
壊れたものを、
ただ元に戻すだけじゃない。
“どう使うか”まで含めて、
もう一度立て直す場所。
それは刀だけじゃない。
たぶん、
人も同じなのだ。
炭治郎は、
自分の足元を見た。
鍛錬で踏み固めた土。
昨日までより、
ほんの少しだけ
身体に馴染んだ立ち方。
自分も今、
ここで打ち直されている途中なのだと思った。
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その時だった。
「開いた」
静かな声が、
鍛冶場の奥から聞こえた。
炭治郎の意識が一気に引き戻される。
振り向く。
そこには、
縁壱零式の前に立つ
小鉄と時透の姿があった。
小鉄の手は、
零式の胸元へ伸びている。
時透はその横で、
静かに中を見ていた。
炭治郎は反射で駆け出す。
「小鉄くん!!」
善逸と伊之助も、
何事かと後を追ってくる。
零式の胸元は、
確かに開いていた。
木の奥。
長い時間、
誰にも触れられなかったその中心に――
一本の刀が、
眠っていた。
「……っ」
炭治郎の息が止まる。
古い。
錆びている。
だが、
ただの古刀ではないことだけは
一目で分かった。
その場の空気が、
ほんのわずかに変わる。
まるで、
ずっと眠っていた何かが
今ここで目を覚ましかけているみたいに。
小鉄の手が、
わずかに震えていた。
「本当に……
入ってた……」
時透はその刀を見つめたまま、
静かに言う。
「やっぱり」
その声は昨日までより、
少しだけ“ここ”にあった。
炭治郎は、
目の前の刀から視線を外せない。
昨夜の夢。
耳飾りの男。
縁壱の動き。
それらが、
胸の奥で静かに繋がり始めていた。
まだ全部は分からない。
だが、
これは確かに“先”へ続くものだ。
炭治郎は、
無意識に拳を握る。
積み上がってきたものが、
少しずつ形になっていく。
その音が、
今は確かに聞こえた気がした。
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第五十二話 終