鬼滅の刃 ― 礎 ―   作:【規制済み】

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第五十六話 ― 崩さぬために

 

壺から生まれた異形たちが、

一斉に跳ねた。

 

ぬめるような気配。

 

湿った土と腐臭が混じった、

嫌な風が正面から吹きつけてくる。

 

「っ――!」

 

炭治郎は足を置く。

 

来る。

 

右。

 

左。

 

正面。

 

ただ速いわけじゃない。

 

動きそのものが、

人の感覚から少しだけ外れている。

 

骨があるはずの場所が沈み、

肉があるはずの場所が流れる。

 

“斬りにくい”のではない。

 

“形が定まらない”。

 

その不快さが、

相手をしていてひどく気持ち悪かった。

 

「水の呼吸、弐ノ型――」

 

息を吸う。

 

腰を落とす。

 

「水車!!」

 

炭治郎の身体が回る。

 

刃が弧を描き、

飛びかかってきた鬼の胴を深く斬り裂いた。

 

肉が裂ける。

 

ぬめった血が飛ぶ。

 

だが――

 

「浅い……!」

 

切れている。

 

だが、

“通っていない”。

 

胴を裂いたはずの鬼が、

そのまま捻れた身体で着地し、

裂けた口を歪めて笑った。

 

断面が、

ぶるりと脈打つ。

 

次の瞬間にはもう、

斬った肉が寄り始めていた。

 

「ちっ……!」

 

炭治郎はすぐに次へ移る。

 

止まるな。

 

一体に深く入れ込みすぎるな。

 

全部を斬るな。

 

“止めるべきものから止める”。

 

胸の奥で、

崩れない、あの声がまだ生きていた。

 

崩れるな。

 

先に守るものを見失うな。

 

炭治郎は前を見た。

 

二体目が来る。

 

三体目は少し後ろ。

 

その奥には、

まだ刀鍛冶たちの気配が残っている。

 

なら、

ここで抜かせるわけにはいかない。

 

「炭治郎ぉ!!」

 

善逸の叫びが飛ぶ。

 

振り向かなくても分かった。

 

首だけになった鬼が、

また息を吸っている。

 

「今だ善逸!!」

 

「言われなくても分かってるよぉ!!」

 

泣き声みたいな返事と同時に、

いつもより鋭い雷が走った。

 

「雷の呼吸、壱ノ型――」

 

一直線。

 

善逸の身体が地を滑る。

 

「霹靂一閃!!」

 

刃が光る。

 

今度は、

ただ首を落とすための斬撃じゃなかった。

 

“叫ぶ前”に、

その一点だけを通すための一撃。

 

鬼の口元から喉にかけて、

最短の線が走る。

 

吸い込まれかけた息ごと、

首の上半分が吹き飛んだ。

 

「ギッ――」

 

悲鳴になり切らない音を残し、

首鬼の身体が痙攣する。

 

善逸が着地した。

 

足がわずかに流れる。

 

だが、

倒れない。

 

「はぁっ……はぁっ……!」

 

呼吸は荒い。

 

それでも、

その目はまだ次を追っていた。

 

(速い……!)

 

炭治郎の胸が熱くなる。

 

一つしかできないんじゃない。

 

一つを、

ここまで研いでるんだ。

 

その瞬間、

炭治郎の右から

ぬめった腕が突き出した。

 

「っ!!」

 

反射で刀を返す。

 

ギィン!!

 

嫌な音が響く。

 

受けた刃の奥へ、

重く湿った衝撃が食い込んでくる。

 

腕なのに、

まるで鈍い鉄塊を受けたみたいだった。

 

炭治郎の足が沈む。

 

だが、

崩れない。

 

受ける。

 

沈む。

 

戻す。

 

置く。

 

あのからくり人形との鍛錬が、

身体の奥から浮かび上がる。

 

押される前に、

次の足を置く。

 

終わる前に、

次へ繋ぐ。

 

炭治郎は刀を滑らせ、

鬼の腕を外へ流した。

 

そのまま半歩だけ踏み込む。

 

「水の呼吸、参ノ型――」

 

低く潜る。

 

「流流舞い!!」

 

足が動く。

 

身体が流れる。

 

斬るためというより、

“通させないため”の移動。

 

刃が浅く、

だが確実に

鬼たちの間合いを削っていく。

 

一体の膝。

 

もう一体の脇腹。

 

三体目の伸びた指先。

 

首は取れない。

 

芯まで届かない。

 

それでも、

前へ出させない。

 

「伊之助!!」

 

「あっちだ!!」

 

路地の奥から、

荒っぽい声が返る。

 

次の瞬間、

壁の向こうから

刀鍛冶の悲鳴と、

何かが砕ける音が同時に響いた。

 

炭治郎の喉が鳴る。

 

だが、

すぐに続けて

伊之助の怒鳴り声が飛ぶ。

 

「まだ二人いるぞ!!

奥の床下だ!!」

 

その声に、

炭治郎は少しだけ息を戻した。

 

伊之助はちゃんと拾っている。

 

見えていない場所を。

 

隠れている人を。

 

そして――

敵の潜んでいる位置まで。

 

「炭治郎!!

後ろにもいる!!」

 

善逸の声。

 

炭治郎は振り向かない。

 

その代わり、

足を半歩だけずらす。

 

次の瞬間、

背後から伸びてきた鬼の腕が

さっきまで首があった場所を薙いだ。

 

(見えた……!)

 

いや、

見えたんじゃない。

 

“置けた”のだ。

 

足を。

 

位置を。

 

次を。

 

炭治郎はそのまま振り返りざまに

斬り下ろす。

 

「水の呼吸、捌ノ型――」

 

刃が堕ちる。

 

「滝壺!!」

 

最上段から足元へ。

 

鬼の顎を砕くように斬り伏せられる。

 

首元を強引に断ち斬る。

 

だが――

 

「くっ……!」

 

強引にへし斬ったが

急拵えの刀が軋む。

 

ギシ……と、

嫌な感触が手元に返る。

 

炭治郎の眉が寄る。

 

(足は置けてる……)

 

身体は前より動いている。

 

押されても戻せる。

 

崩れかけても、

次へ繋げられる。

 

だが――

 

(刃が、

そこまで届かない……!)

 

今の自分の感覚に、

この刀がまだ追いついていない。

 

いや、

刀だけじゃない。

 

自分の“通し切る力”そのものが、

まだ足りていないのだと分かってしまった。

 

その一瞬の詰まりを、

鬼は見逃さない。

 

ぬめった腕が、

真横から炭治郎の胴を狙う。

 

「っ!!」

 

避け切れない。

 

そう思った瞬間だった。

 

ヒュン――

 

霞のような斬線が、

横からその腕を切り落とした。

 

ぬるりとした肉が、

遅れて宙を舞う。

 

炭治郎が目を見開く。

 

「時透くん……!」

 

少し先の屋根の上。

 

そこに、

時透無一郎が立っていた。

 

薄い。

 

相変わらず、

そこにいるのに

輪郭が遠い。

 

だがその目だけは、

はっきりと戦場を見ていた。

 

時透の周囲には、

すでに何体かの壺鬼の残骸が転がっている。

 

鋭い目が合う。

 

その瞬間には

時透はもう次の屋根へ飛んでいた。

 

返事を待たない。

 

立ち止まりもしない。

 

その背中はすぐに、

別の戦場へ消えていく。

 

だが、

たった一閃だけで

この場の空気が少し変わった。

 

炭治郎は息を吸う。

 

今のは助けられた。

 

だが、

全部を任せられるわけじゃない。

 

ここはまだ、

自分たちの持ち場だ。

 

「善逸!!」

 

「な、何!?」

 

「叫ぶやつはあと一体いる!!

左の屋根下!!」

 

「うえぇっ!?

見えてんの!?」

 

「匂いだ!!」

 

「意味分かんないよぉ!!」

 

叫びながらも、

善逸の足はもう動いていた。

 

「伊之助!!」

 

「おう!!」

 

「救出終わったら、

鬼の湧く場所を探ってくれ!!

どこかに“出どころ”がある!!」

 

一瞬だけ、

返事が遅れた。

 

だが次の瞬間、

伊之助の声が吠える。

 

「最初からそう言えぇ!!」

 

壁の向こうで、

何かを蹴り砕く音がした。

 

その荒っぽさに、

炭治郎はほんの少しだけ笑いそうになる。

 

まだ回る。

 

まだ崩れていない。

 

なら、

押し返せる。

 

目の前の壺鬼が、

再び一斉に跳ねた。

 

数はまだ多い。

 

しかも、

どこかでまだ増えている。

 

このままではキリがない。

 

だが――

 

勝ち筋は、

見え始めていた。

 

全部を倒す必要はない。

 

まず、

“増える口”を塞ぐ。

 

そうすれば、

この戦場は必ず狭まる。

 

炭治郎は刀を握り直す。

 

応急の刀。

 

まだ馴染まない刃。

 

それでも今は、

この手の中にあるものを通すしかない。

 

「――行くぞ」

 

低く吐く。

 

足を置く。

 

呼吸を整える。

 

鬼たちが跳ねる。

 

善逸の雷が走る。

 

伊之助の咆哮が響く。

 

遠くでは、

柱たちの戦いが

里そのものを揺らしていた。

 

分かたれた戦場。

 

散った気配。

 

崩れかけた里。

 

その中で今、

炭治郎たちは確かに踏み止まっていた。

 

全部を守れなくてもいい。

 

守るべき順を、

見失わなければいい。

 

崩さぬために。

 

繋ぐために。

 

その先へ届く刃を、

いつか本当に振るうために。

 

炭治郎は、

前を見た。

 

その視線の先、

崩れた建物のさらに奥で――

 

壺の匂いが、

ひときわ濃くなった。

 

「……いた」

 

炭治郎の目が細くなる。

 

供給源。

 

この戦場を

削り続けている“口”が、

まだ奥にある。

 

なら――

 

次に斬るべきものは、

もう決まっていた。

 

 

第五十六話 終

 

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