鬼滅の刃 ― 礎 ―   作:【規制済み】

69 / 106
第六十話 ― 読みの先

 

四つの気配が、

同時に膨らんだ。

 

喜。

 

怒。

 

哀。

 

楽。

 

それぞれが勝手に暴れているようでいて、

実際には違う。

 

あれはもう、

一つの戦いとして噛み合い始めている。

 

「っ――!」

 

炭治郎は地を蹴る。

 

その瞬間、

頭上から風が落ちた。

 

翼の鬼だ。

 

バサァッ!!

 

羽ばたきと同時に、

目に見えない斬撃みたいな風圧が

広場一帯を薙ぎ払う。

 

「散れ!!」

 

炭治郎の声に、

善逸と伊之助、

禰 豆子がそれぞれ別方向へ飛ぶ。

 

次の瞬間、

怒の鬼の錫杖が地を打った。

 

ドン!!

 

閃光。

 

雷が地面を裂き、

瓦礫を跳ね上げながら一直線に走る。

 

風と雷。

 

そこへさらに、

哀の鬼が低く間合いを詰める。

 

そして楽の鬼が、

崩れた建物の陰を使いながら

死角へ回り込んでくる。

 

速い。

 

厄介なのは

一体一体の強さだけじゃない。

 

それぞれが、

こちらの逃げ道と意識の隙間を

埋めるように動いていることだった。

 

「くそっ……!」

 

炭治郎が刀を構える。

 

急拵えの刀が、

手の中でまだ少しだけズレる。

 

だが、

もうそんなことを気にしている暇はない。

 

今崩れたら終わる。

 

この戦場は、

一人でも足を止めた瞬間に

一気に呑まれる。

 

「炭治郎ぉ!!」

 

善逸の叫びが飛ぶ。

 

見れば、

楽の鬼がもう

善逸のすぐ目の前まで滑り込んでいた。

 

速い。

 

今からでは間に合わない。

 

そう思った――その時だった。

 

ふっと、

匂いが動いた。

 

「……!」

 

炭治郎の鼻先が、

わずかに震える。

 

鬼そのものの匂いじゃない。

 

もっと前。

 

もっと“起こる前”の匂い。

 

楽の鬼が踏み込む前に、

地面の土が擦れる匂いが動いた。

 

次に腕が伸びる方向へ、

空気がわずかに流れた。

 

見たんじゃない。

 

先に、

匂いが教えた。

 

炭治郎の身体が、

考えるより先に動いていた。

 

「水の呼吸、肆ノ型――」

 

踏み込む。

 

「打ち潮!!」

 

連続の斬撃が、

楽の鬼の腕と肩口をまとめて薙ぐ。

 

ギィン!!

 

完全には断てない。

 

だが、

十分だった。

 

鬼の軌道が逸れ、

善逸の喉元を狙っていた爪が

空を切る。

 

「うわぁぁ助かったぁぁ!!」

 

善逸が泣き声を上げながら転がる。

 

炭治郎はそのまま振り返る。

 

今のは偶然じゃない。

 

読めた。

 

“来る前”が。

 

だが、

その答えを掴む前に

今度は伊之助の方で火花が散る。

 

「チィッ!!」

 

怒の鬼の錫杖と、

伊之助の二刀が激しくぶつかり合っていた。

 

ギギギギ……!!

 

「こいつ、

力だけじゃねぇ!!」

 

伊之助が歯を剥く。

 

怒の鬼は、

怒りの形をしているくせに

動きそのものは冷静だった。

 

重い一撃で押し潰すだけじゃない。

 

伊之助の荒い踏み込みを見て、

正確にそこへ雷を重ねてくる。

 

「伊之助、離れろ!!」

 

炭治郎が叫ぶ。

 

だがその瞬間、

また鼻先に違和感が走った。

 

焦げる匂い。

 

空気が焼ける、

ほんの一歩前の匂い。

 

来る。

 

雷だ。

 

「伊之助!!右!!」

 

「おう!!」

 

伊之助が咄嗟に跳ぶ。

 

直後、

さっきまでいた場所を

雷撃が貫いた。

 

ドガァッ!!

 

瓦礫が吹き飛ぶ。

 

伊之助が着地しながら

目を剥く。

 

「今の見えたのかァ!?」

 

「匂いだ!!」

 

炭治郎が叫び返す。

 

「出る前の匂いがある!!」

 

「意味分かんねぇけど上等だ!!」

 

その雑な返事に、

ほんの一瞬だけ炭治郎の胸が軽くなる。

 

まだ回る。

 

まだ崩れていない。

 

なら――

 

読める。

 

 

だが、

敵も止まらない。

 

翼の鬼が上空から笑う。

 

「へぇ、

ちょっと面白いねぇ」

 

その声と同時に、

羽が鳴る。

 

違う。

 

ただの羽音じゃない。

 

その音の奥に、

風圧が生まれる“前”の

圧の匂いが混じっている。

 

炭治郎の鼻が動く。

 

来る。

 

次は横薙ぎ。

 

しかも広い。

 

「善逸!!

伏せて!!」

 

「えっ!?」

 

「禰 豆子!!」

 

禰 豆子が即座に動く。

 

善逸の肩を掴み、

半ば無理やり地面へ引き倒す。

 

次の瞬間――

 

ヒュオオッ!!

 

横一文字の風圧が、

二人のすぐ上を薙ぎ払った。

 

背後の木造壁がまとめて裂ける。

 

「ひっ……!」

 

善逸の顔が青ざめる。

 

その隙を、

哀の鬼が逃さない。

 

低い姿勢のまま、

地面を滑るように炭治郎の懐へ入る。

 

「っ!!」

 

近い。

 

速い。

 

刀を返すには遅い。

 

避け切れない。

 

そう思った瞬間だった。

 

炭治郎の身体が、

勝手に沈んだ。

 

ただ低くなるんじゃない。

 

もっと滑らかに。

 

もっと円を描くように。

 

身体の軸が、

自然と斜めへ流れる。

 

視界の端で、

哀の鬼の腕が空を切る。

 

そのまま炭治郎の足が、

半歩だけ深く入る。

 

(今の動き――)

 

頭が追いつくより先に、

身体がもう刃を振っていた。

 

「――ッ!!」

 

斬線が走る。

 

今の斬撃は、水の流れじゃなかった。

もっと細く、もっと鋭く、

一瞬だけ身体の奥を焼くような軌道だった。

 

知っている。

なのに、まだ掴み切れない。

 

ギィン!!

 

哀の鬼の肩口から胸元まで、

今までより深い一閃が刻まれる。

 

鬼の目が、

明らかに動揺する。

 

「……熱い熱い熱い!?傷口が再生しない!!」

 

炭治郎自身が、

一番驚いていた。

 

今のは何だ。

 

身体の奥から勝手に引き出された動き。

 

その時、

夢の中で見た剣筋が

脳裏を掠める。

 

炎のようで、

けれど燃えてはいない。

 

熱だけが残るような、

あの軌道。

 

(今の……は……)

 

考えた瞬間、

喉が焼けるみたいに熱を持った。

 

重い。

 

息が乱れる。

 

まだ、

意図して振れるものじゃない。

 

だが確かに今――

“通り方”が違った。

 

その隙に、

禰 豆子が飛び込む。

 

ドゴッ!!

 

哀の鬼の胴へ、

重い蹴りが叩き込まれる。

 

鬼の身体が吹き飛び、

崩れた石壁へ激突した。

 

「禰 豆子!」

 

炭治郎が呼ぶ。

 

禰 豆子は一瞬だけこちらを見る。

 

赤みを帯びた瞳が、

まっすぐだった。

 

何も言わない。

だがその目は、

今の一撃をもう一度とでも言うように

まっすぐだった。

 

炭治郎の胸が強く鳴る。

 

自分だけでは届かない。

 

けれど、

今は違う。

 

支えてくれる背中がある。

 

繋いでくれる火がある。

 

なら――

 

この“読み”を、

次へ繋げる。

 

 

 

「炭治郎!!」

 

善逸の声が飛ぶ。

 

「上のやつ、

羽ばたく前に音がズレる!!」

 

「……!」

 

炭治郎の目が開く。

 

善逸の耳だ。

 

自分が匂いで拾っているものを、

善逸は音で拾っている。

 

「右の弱ぇやつ!!

逃げる時だけ土の下が薄いぞ!!」

 

今度は伊之助。

 

地面の踏み方。

 

重心の置き方。

 

それを獣みたいな感覚で拾っている。

 

炭治郎の頭の中で、

盤面が一気に繋がった。

 

匂い。

音。

足場。

 

ばらばらだったはずのものが、

ふっと一つに重なった。

 

見えた、というより

そこだけ急に浮いた。

 

そしてその先に――

 

「……いた」

 

炭治郎が低く呟く。

 

怯えた顔をした鬼。

 

あいつが下がる瞬間だけ、

その後ろの瓦礫の影に

ほんの一瞬だけ

“もっと薄い匂い”が滲む。

 

いた。

 

本体は、

まだこの場に紛れている。

 

四体の奥。

 

守られている。

 

隠れている。

 

「善逸!!」

 

「な、なに!?」

 

「上を止めてくれ!!

一瞬でいい!!」

 

「えぇぇぇぇ!!」

 

「伊之助!!

怒ってるやつをずらせ!!」

 

「応!!」

 

「禰 豆子――」

 

言い切る前に、

禰 豆子はもう動いていた。

 

哀の鬼へ飛び込み、

その視線を自分へ引きつける。

 

炭治郎の呼吸が変わる。

 

足を置く。

 

今度は、

崩れないだけじゃない。

 

“通すために置く”。

 

そのための足だ。

 

善逸の雷が走る。

 

伊之助の咆哮が響く。

 

禰 豆子の蹴りが、

石を砕く。

 

四つに裂けた戦場が、

ほんの一瞬だけ揺らぐ。

 

その隙間へ、

炭治郎は踏み込んだ。

 

まだ届かないかもしれない。

 

まだ斬り切れないかもしれない。

 

それでも――

 

今まで見えなかったものが、

確かに見え始めている。

 

読みの先へ。

 

刃のその先へ。

 

本当に斬るべきものへ。

 

炭治郎の視線が、

瓦礫の奥を射抜いた。

 

 

第六十話 終

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。