鬼滅の刃 ― 礎 ―   作:【規制済み】

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第六十一話 ― 見えた背

 

見えている。

 

今度こそ、

間違いなく。

 

四つに裂けた鬼たちの気配。

 

喜。

 

怒。

 

哀。

 

楽。

 

そのどれもが濃い。

 

だが、

その奥にある“薄い匂い”だけは

逆に浮いていた。

 

隠れている。

 

怯えている。

 

逃げることだけを考えている。

 

それでも確かに、

そこにいる。

 

「……いた」

 

炭治郎が低く吐く。

 

瓦礫の奥。

 

崩れた柱材と土煙の陰。

 

哀の鬼が半歩退いた、

そのさらに裏。

 

ほんの一瞬だけ見えた、

小さく歪な背中。

 

みすぼらしい。

 

弱そうで、

情けなくて、

今にも泣き出しそうな背中。

 

なのに――

 

「こいつが本体だ……!」

 

炭治郎の目が細くなる。

 

その瞬間、

四体の鬼が一斉に動いた。

 

まるで今の視線だけで、

本体へ辿り着かれたと理解したみたいに。

 

「っ――!」

 

翼の鬼が空へ跳ねる。

 

怒の鬼が錫杖を握り直す。

 

楽の鬼が横へ滑り、

哀の鬼が本体の前へ入る。

 

今までより明確だった。

 

こいつらはもう、

ただ暴れているだけじゃない。

 

本体を守るために、

ちゃんと噛み合っている。

 

「炭治郎!!」

 

善逸の声が飛ぶ。

 

だが、

炭治郎はもう迷わなかった。

 

全部を相手にするな。

 

全部を抱えるな。

 

崩れるな。

 

胸の奥で、

何度も繰り返し叩き込まれた声が

一つに重なる。

 

「善逸!!」

 

「な、何!?」

 

「上のやつを止めてくれ!!

一瞬でいい!!」

 

「む、無茶言うなぁ!!」

 

「伊之助!!

怒ってるやつをずらして!!」

 

「応ォ!!」

 

「禰 豆子――」

 

言い切る前に、

禰 豆子はもう動いていた。

 

哀の鬼の前へ飛び込み、

本体を隠すように立ち回るその視線を

強引に自分へ引き寄せる。

 

バシィッ!!

 

蹴りが入る。

 

哀の鬼の腕が弾かれ、

わずかにその壁が揺らいだ。

 

炭治郎の呼吸が変わる。

 

今だ。

 

抜ける。

 

「行く!!」

 

地を蹴る。

 

その瞬間、

怒の鬼の錫杖が閃いた。

 

ドン!!

 

雷。

 

だが、

鼻が先に拾う。

 

焦げる匂い。

 

焼ける空気。

 

来る場所が、

もう分かる。

 

炭治郎は半歩だけずれる。

 

雷撃が、

さっきまでいた場所を裂いて通り過ぎた。

 

「させるかよォ!!」

 

伊之助が吠える。

 

獣みたいな踏み込みで、

怒の鬼へ身体ごとぶつかる。

 

二刀が錫杖へ噛みつくように絡みつき、

強引にその軌道を外へ押し流した。

 

ギギィン!!

 

火花が散る。

 

怒の鬼の視線が、

わずかに伊之助へ向く。

 

その一瞬が、

道になる。

 

「善逸!!」

 

「うわぁぁぁやるしかないじゃんもう!!」

 

雷が走る。

 

「雷の呼吸、壱ノ型――」

 

霹靂一閃。

 

善逸の踏み込みは、

翼の鬼そのものではなく

その羽ばたきの“間”へ突き刺さった。

 

ギィン!!

 

刃が翼の付け根を浅く裂く。

 

だが、

それで十分だった。

 

翼の鬼の体勢が崩れる。

 

羽音が乱れる。

 

空気の流れが一瞬だけ止まる。

 

「今!!」

 

炭治郎が踏み込む。

 

楽の鬼が横から滑り込む。

 

速い。

 

だが、

その前に匂いが動く。

 

踏み込みの土。

 

爪が空気を裂く方向。

 

見える。

 

いや、

読める。

 

「水の呼吸、肆ノ型――」

 

刃を返す。

 

「打ち潮!!」

 

連続の斬撃が、

楽の鬼の腕と肩口をまとめて薙いだ。

 

ギィン!!

 

完全には断てない。

 

だが、

軌道は逸れた。

 

鬼の身体が横へ流れる。

 

その隙間を、

炭治郎は抜ける。

 

抜けた。

 

本体との間にあった壁が、

一瞬だけ消えた。

 

 

 

瓦礫の奥。

 

逃げる背中が見える。

 

小さい。

 

縮こまっている。

 

怯えた老人みたいな身体を丸めて、

這うように前へ進んでいる。

 

「ひぃっ……ひぃっ……!」

 

情けない声だった。

 

それなのに、

その匂いは間違いなく上弦だった。

 

弱いのに、

重い。

 

惨めなのに、

禍々しい。

 

炭治郎の胸に、

嫌悪感が強く湧く。

 

(逃がすな――)

 

この鬼だけは、

絶対にここで逃がしてはいけない。

 

壺鬼とは違う。

 

分体とも違う。

 

こいつがいる限り、

この戦場は終わらない。

 

炭治郎はさらに踏み込む。

 

だが、

本体も必死だった。

 

情けない悲鳴を上げながら、

異様な速さで瓦礫の隙間を縫っていく。

 

「待て!!」

 

炭治郎が手を伸ばす。

 

届かない。

 

ほんのわずかに、

足りない。

 

その瞬間――

 

また、

身体が勝手に動いた。

 

足が深く入る。

 

もっと前へ。

 

もっと通すために。

 

身体の軸が、

水よりも細く、

鋭く、

熱を孕んだ軌道へ傾く。

 

(これは……!)

 

考えるより先に、

刃が走る。

 

「――ッ!!」

 

振り抜く。

 

今の一閃は、

水の流れだけではなかった。

 

斬線が、

逃げる背へ真っ直ぐ落ちる。

 

ギィン――ッ!!

 

硬い。

 

だが、

当たった。

 

本体の背から肩口にかけて、

確かに刃が食い込んだ。

 

「ひいいいいい!!」

 

本体が絶叫する。

 

転がる。

 

炭治郎の目が見開く。

 

届いた。

 

今、確かに――

 

だが。

 

「浅い……!」

 

斬れている。

 

間違いなく通した。

 

だが、

断ち切れていない。

 

首へ届かない。

 

芯まで、

まだ足りない。

 

急拵えの刀が、

嫌な軋みを返してくる。

 

ギシ……と、

手元へ重い震えが残る。

 

(くそっ……!)

 

位置は合っていた。

 

読みも通った。

 

踏み込みも、

今までで一番深かった。

 

それでもまだ、

上弦を断ち切るには足りない。

 

その一瞬の停滞を、

鬼は逃さなかった。

 

 

 

ゾワッ――

 

空気の匂いが、

変わる。

 

「……!」

 

炭治郎の鼻が反応する。

 

さっきまで

別々に暴れていた四つの感情が、

急に寄り始めた。

 

喜。

 

怒。

 

哀。

 

楽。

 

混ざるわけじゃない。

 

だが、

一つの濁流みたいに

こちらへ寄ってくる。

 

嫌な圧だった。

 

湿っていて、

重くて、

ぞっとするほど気持ち悪い。

 

「まずい……!」

 

炭治郎が顔を上げる。

 

遠くにいたはずの四体が、

一気にこちらへ寄ってきている。

 

善逸の顔が青ざめる。

 

「えっ、何あれ何あれ何あれぇ!?」

 

伊之助が牙を剥く。

 

「臭ぇのが一つに固まってるぞ!!」

 

禰 豆子の目が、

鋭く細くなる。

 

本体が、

地面を這いながら泣き叫ぶ。

 

「助けてぇぇぇぇ!!」

 

その情けない声に応じるみたいに、

怒の鬼の輪郭が膨らんだ。

 

風が吸い寄せられる。

雷が唸る。

哀の鬼の気配が沈み、

楽の鬼の笑みが歪み、

それらすべてが怒の鬼へ呑まれていく。

 

ドクン――

 

戦場の空気そのものが、

脈打つ。

 

次の瞬間、

轟音とともに

瓦礫がまとめて吹き飛んだ。

 

「っ!!」

 

炭治郎が腕で顔を庇う。

 

土煙の向こう。

 

そこにいたものを見て、

全身が凍る。

 

小さい。

 

子供の背丈ほどしかない。

 

だが――

今までの四体とは、

明らかに格が違った。

 

圧が違う。

 

そこに立っているだけで、

空気が重い。

 

怒りというより、

もっと粘ついた何か。

 

許さない。

認めない。

赦せない。

 

そんな憎しみだけを

何百年も煮詰めたみたいな、

息の詰まる圧迫感だった。

 

雷を孕んだような重圧と、

風を孕んだような圧迫感が

一つの身体へ押し込められている。

 

「なっ……」

 

善逸の声が裏返る。

 

「ふざけんなよぉぉぉぉ!!」

 

伊之助が叫ぶ。

 

「なんだこいつ!!」

 

炭治郎の喉が鳴る。

 

圧が違う。

 

ただ強いだけじゃない。

 

さっきまで

“分けて処理できた戦場”が、

一気に一つの暴力へ変わった。

 

「くっ……!」

 

次の瞬間、

地面が軋んだ。

 

メキ……メキメキッ!!

 

崩れた床板の下から、

太い木の根みたいなものが

一気にせり上がる。

 

それは生き物みたいにうねりながら、

泣き叫ぶ本体の前へ絡みつき、

覆うようにその姿を隠した。

 

「っ……木……!?」

 

 

炭治郎が歯を食いしばる。

 

まずい。

 

今の自分たちだけでは、

本体へ辿り着く前に

潰される。

 

その瞬間だった。

 

風圧と雷の気配が、

同時に膨れ上がる。

 

来る。

 

避け切れない。

 

受けても持たない。

 

炭治郎が禰 豆子の前へ出る。

 

「禰 豆子!!」

 

だが――

 

次の瞬間。

 

ビュオオオオッ!!

 

空気そのものを裂くような、

今までとは明らかに違う斬撃音が

横から戦場へ突き刺さった。

 

「――ッ!?」

 

鬼の腕が、

振り下ろされる寸前で弾かれる。

 

ドガァン!!

 

衝撃が横へ流れ、

瓦礫の山がまとめて吹き飛んだ。

 

その斬線は、

柔らかいのに鋭い。

 

しなるようでいて、

異常に重い。

 

炭治郎の目が開く。

 

この斬撃は知っている。

 

「甘露寺さん……!」

 

土煙の向こう。

 

崩れた建物の上に、

一つの影が立っていた。

 

長い桃色と緑の髪が、

風の中で揺れている。

 

その姿が見えた瞬間、

戦場の空気が一段変わった。

 

まだ終わっていない。

 

だが、

ここで潰れずに済む。

 

その確信が、

炭治郎の胸へ走る。

 

甘露寺蜜璃が、

しなる刀を構えたまま

まっすぐこちらを見る。

 

その目にはもう、

迷いがなかった。

 

本体は見えた。

 

だが、

まだ斬り切れない。

 

なら――

 

ここから先は、

さらに深い戦場になる。

 

炭治郎は息を吸う。

 

まだ終わらない。

 

まだ届かない。

 

それでも――

見失ってはいない。

 

逃げる背は、

もう見えた。

 

 

第六十一話 終

 

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