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近い。
もう、
すぐそこだった。
瓦礫の擦れる音。
浅く乱れた呼吸。
情けない泣き声。
そのすべてが、
炭治郎のすぐ前にある。
「……逃がさない」
低く、
言葉が落ちる。
足は止まらない。
迷いもない。
どこを通るか。
どこを捨てるか。
どこに踏み込むか。
全部、
もう決まっている。
だから――
速い。
「いたァ!!」
伊之助の声が響く。
崩れた壁の奥。
半天狗が、
地を這うように逃げていた。
「ひぃっ……ひぃぃっ……!!」
振り返る。
目が合う。
その瞬間、
炭治郎の呼吸がさらに深く沈んだ。
(今度こそ――)
ズドォン!!
地面が裂ける。
木龍。
横から三本。
「っ!!」
炭治郎の足が動く。
止まらない。
左。
半歩。
沈む。
すり抜ける。
“通すための足”
その頭上を、
木龍の顎が噛み砕くように通り過ぎる。
「上だァ!!」
伊之助が吠える。
次の瞬間、
二刀が木龍へ叩き込まれる。
ギィン!!
止めない。
斬らない。
軌道をずらす。
それだけでいい。
「右ィ!!来る!!」
善逸の声。
音で拾っている。
“来る前”を。
炭治郎の足が、
迷いなく右へ切れる。
直後、
木龍が地面を抉った。
「うわぁぁぁぁぁ!!」
善逸が叫びながらも、
踏み込みを止めない。
「今しかねぇだろォ!!」
伊之助が前へ出る。
二人とも、
もう逃げていない。
“通すために動いている”
その瞬間。
ボッ
赤い火が灯る。
「……!」
禰 豆子。
血が、
前へ飛んでいた。
爆血。
半天狗の進路に、
炎が走る。
肉が焼ける。
再生が鈍る。
「いける……!」
炭治郎の呼吸が変わる。
今なら届く。
今なら通る。
距離が、
消える。
半天狗が転がる。
逃げる。
まだ逃げる。
「来るなぁぁぁぁ!!」
叫び。
醜い。
情けない。
だが――
ここで終わらせる。
(あと一歩――)
踏み込む。
水の呼吸。
今まで通りの軌道。
首へ。
届く。
はずだった。
だが――
「っ……!」
わずかに、
足りない。
ほんの指一本分。
それが、
届かない。
(また……!)
その瞬間だった。
ふっと、
身体が沈む。
違う。
今までの踏み込みじゃない。
もっと深く。
もっと滑らかに。
円を描くように。
炭治郎の視界に、
一つの光景がよぎる。
雪の夜。
静かな火。
揺れる影。
父の背中。
ゆっくりと、
途切れることなく、
円を描いていた剣の軌道。
(――知っている)
考えるより先に、
身体がそれをなぞっていた。
「――ヒノカミ神楽」
息が通る。
「円舞」
斬線が走る。
水ではない。
だが、
水を通してきたからこそ
辿り着いた軌道。
細く。
鋭く。
途切れない一閃。
ギィン――ッ!!
刃が入る。
今度は違う。
肩口から、
首へ。
止まらない。
そのまま、
一直線に――
「ひぃぃぃぃぃ!!!」
半天狗の声が裂ける。
次の瞬間。
ズバンッ!!
首が落ちた。
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一瞬、
音が消えた。
炭治郎の足が止まる。
息が、
荒い。
身体が重い。
だが――
(届いた……)
確かに。
今度は、
通した。
⸻
遅れて、
ドンッ!!
と
重い音が響く。
遠くで、
憎珀天の気配が
大きく揺れた。
「やった……のか……?」
善逸が震えた声で言う。
伊之助が荒く息を吐く。
禰 豆子が、
静かに炭治郎の隣へ立つ。
炭治郎は、
地面に転がる首を見る。
小さい。
弱そうだ。
今にも消えそうなほど脆い。
だが――
その匂いは、
確かに終わりへ向かっていた。
「……終わる」
小さく呟く。
その瞬間。
風が変わる。
夜の匂いが、
さらに薄れる。
朝が来る。
確実に。
炭治郎は空を見上げる。
まだ暗い。
だが、
終わりはすぐそこまで来ていた。
「……みんなのおかげだ」
ぽつりと、
言葉が落ちる。
自分一人じゃ届かなかった。
善逸の音。
伊之助の感覚。
禰 豆子の血。
甘露寺の支え。
全部があって、
やっと――
届いた。
炭治郎はもう一度、
刀を握り直す。
まだ終わっていない。
だが、
一つだけ確かなことがある。
「……通せた」
その一言は、
静かだった。
だが確かに、
これまで積み上げてきたものが
一本の刃になった証だった。
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第六十六話 終