鬼滅の刃 ― 礎 ―   作:【規制済み】

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第七十話 ― 残ったもの

 

朝の光が、

里のあちこちへ落ちていた。

 

長かった夜が終わり、

崩れた建物の輪郭が

ようやくはっきり見え始めている。

 

折れた柱。

 

裂けた屋根。

 

砕けた土壁。

 

焼け焦げた木材。

 

戦いの跡は、

そこかしこに残っていた。

 

それでも――

 

里は、

まだ立っていた。

 

完全に崩れ落ちてはいない。

 

壊された。

 

傷ついた。

 

失われたものもある。

 

だが、

それでもなお

この場所は“残った”。

 

その事実だけが、

朝の空気の中で静かに重かった。

 

 

少し離れた場所で、

時透無一郎は

静かに立っていた。

 

その足元には、

壊れた壺の破片が散らばっている。

 

ぬめった嫌な気配は、

もうどこにもなかった。

 

玉壺。

 

上弦の伍。

 

その匂いは、

完全に消えている。

 

無一郎は、

割れた壺を一瞥する。

 

何か特別な感慨があるようには見えない。

 

だが、

その目はもう

さっきまでの霞の向こうを見ている目ではなかった。

 

今ここにあるものを、

ちゃんと見ている目だった。

 

少し離れたところで、

小鉄が座り込んでいる。

 

顔は煤だらけで、

服も泥まみれだ。

 

それでも、

その目はまだ死んでいない。

 

「……終わったの?」

 

小鉄が、

掠れた声で言う。

 

無一郎はそちらを見て、

短く答えた。

 

「うん」

 

少しだけ間を置いて、

もう一言だけ足す。

 

「もう大丈夫」

 

小鉄が、

わずかに目を見開く。

 

たったそれだけの言葉なのに、

前よりずっと

人の近くにある声だった。

 

 

小鉄も、

それを感じ取ったみたいに

小さく息を吐く。

 

張り詰めていたものが、

ようやく少しだけほどける。

 

「よかった……」

 

その言葉に、

無一郎は返事をしなかった。

 

ただ、

その言葉を今度は

霧の向こうへ流さなかった。

 

ちゃんと耳に残した。

 

それだけで、

前とは少し違っていた。

 

 

里の別の場所では、

真壁が崩れた通路の奥を歩いていた。

 

足元には、

壺鬼の残骸がいくつも転がっている。

 

壁際にも。

 

屋根の上にも。

 

細い路地にも。

 

派手な戦いの跡ではない。

 

だが、

確かにそこに“持たせた痕跡”が残っていた。

 

一つ一つは、

大きな敵じゃない。

 

本体でもない。

 

上弦でもない。

 

だが、

そういうものほど

人を殺すには十分だった。

 

逃げ遅れた刀鍛冶。

 

隠れていた子ども。

 

負傷者。

 

避難の途中で足を止めた者。

 

そういう場所へ届く前に、

片端から潰していた。

 

真壁は立ち止まる。

 

崩れた納屋の陰。

 

そこには、

刀鍛冶の老人と

その背に隠れる若い見習いがいた。

 

まだ怯えた顔をしている。

 

「……もう大丈夫だ」

 

真壁が言う。

 

短く。

 

それだけだった。

 

老人は、

しばらく言葉が出なかった。

 

やがて、

深く頭を下げる。

 

「……助かりました」

 

真壁は答えない。

 

ただ、

その場を離れる。

 

礼を受け取るために

ここにいるわけじゃない。

 

まだ確認すべき場所がある。

 

まだ、

崩れていないか見て回る場所がある。

 

その背中は、

やはり派手ではなかった。

 

けれど――

 

ああいう背中がいたから、

崩れきらなかった場所がある。

 

そのことだけは、

里のあちこちに

静かに残っていた。

 

その背中を、

炭治郎は少し離れた場所から見ていた。

 

 

 

禰 豆子の隣で、

炭治郎はその景色を見ていた。

 

善逸と伊之助も、

それぞれ疲れ切った身体を引きずりながら

周囲を見回している。

 

ようやく、

視界が広がる。

 

今まで見えていなかったものが、

少しずつ見える。

 

自分たちが走っていたその間にも、

別の場所で

別の誰かが踏ん張っていた。

 

自分たちの知らないところで。

 

気づかないところで。

 

そのことが、

妙に胸へ残る。

 

「……守られてたんだな」

 

炭治郎が、

小さく呟く。

 

善逸が、

その横でへたり込みながら言う。

 

「そりゃそうだよぉ……」

 

「俺たちだけじゃ絶対無理だったってぇ……」

 

伊之助も、

悔しそうに鼻を鳴らす。

 

「でも通しただろ」

 

その言葉に、

炭治郎は少しだけ目を開く。

 

伊之助は、

腕を組みながら前を見ていた。

 

「止めるやつがいて、

支えるやつがいて、

俺らが抜けた」

 

「それで勝ったんだろ」

 

乱暴な言い方だった。

 

だが、

間違っていない。

 

炭治郎は、

静かに頷く。

 

そうだ。

 

全部を一人で背負ったわけじゃない。

 

誰かが止めてくれて、

誰かが持たせてくれて、

その上を通した。

 

それでようやく、

この朝へ届いた。

 

その構図が、

今ようやく胸の中で

一本の線になっていく。

 

 

 

少し離れた場所で、

甘露寺蜜璃が

ふっと息を吐いた。

 

その表情にはまだ疲労が残っている。

 

けれど、

それ以上に今は

安堵の方が大きかった。

 

「本当に……終わったんだねぇ……」

 

その声に、

炭治郎がゆっくりと顔を上げる。

 

里は傷ついた。

 

壊れた場所も多い。

 

失ったものだって、

決して少なくはない。

 

それでも――

 

守れたものがある。

 

繋げたものがある。

 

その事実だけが、

今は胸の中に残っていた。

 

甘露寺が、

炭治郎の方へ歩み寄る。

 

その足取りは柔らかい。

 

けれど、

柱としての重みは

ちゃんとそこにあった。

 

「炭治郎くん」

 

呼ばれて、

炭治郎が顔を上げる。

 

甘露寺は、

やわらかく笑った。

 

「あなたは上弦の鬼と戦って、

ちゃんと生き残った」

 

その一言に、

炭治郎の喉がわずかに詰まる。

 

軽く言われているわけじゃない。

 

それがどれだけ重いことかを、

この人はちゃんと分かった上で

言っている。

 

「それってね、

本当にすごいことなんだよ」

 

甘露寺の声は明るい。

 

でも、

軽くはなかった。

 

「こういう実戦で掴んだものって、

きっとただの修行じゃ届かないところまで

人を強くしてくれるから」

 

炭治郎は何も言わない。

 

言えなかった。

 

今回の戦いで得たものを、

まだ自分の中で

うまく言葉にできないからだ。

 

けれど、

分からないなりに

一つだけははっきりしていた。

 

前とは違う。

 

何かが、

確かに変わった。

 

「今の炭治郎くんは、

自分が思ってるより

ずっと強くなってると思う」

 

その言葉が、

炭治郎の胸へ静かに落ちる。

 

強くなった。

 

そんなふうに、

まだ自分では簡単に言えない。

 

足りなかったものも、

届かなかった瞬間も、

嫌というほど知っているから。

 

それでも――

 

あの夜を越えた自分が

前のままではないことだけは、

もう分かっていた。

 

甘露寺は少しだけ視線をずらし、

禰 豆子の方も見る。

 

そして、

ふわっと笑った。

 

「甘露寺蜜璃は、

竈門兄妹を応援してるよ」

 

その言い方が、

あまりにも甘露寺さんらしくて。

 

炭治郎の口元が、

ほんの少しだけ緩む。

 

「……はい」

 

短い返事だった。

 

けれどそこには、

ちゃんと力があった。

 

まだ終わっていない。

 

鬼舞辻無惨は生きている。

 

鬼殺隊の戦いも、

ここで終わるわけじゃない。

 

けれど――

 

この戦いを越えた意味は、

決して消えない。

 

炭治郎は静かに拳を握る。

 

ここで終わらせない。

 

守れたものも、

失ったものも、

全部無駄にしないために。

 

次へ行く。

 

もっと強くなるために。

 

その胸の奥に生まれたものは、

まだ熱に近かった。

 

けれどそれはきっと、

次の戦いへ繋がる火だった。

 

 

 

里のあちこちで、

少しずつ人の声が戻り始めていた。

 

生き残った者たちの声。

 

安堵の声。

 

泣き声。

 

呼び合う声。

 

壊れたものを前にして、

それでも立ち上がろうとする気配。

 

朝日は、

それら全部の上へ

静かに降り注いでいる。

 

戦いは終わった。

 

だが、

終わっただけじゃない。

 

この夜で越えたものは、

確かにあった。

 

守り切れなかったものもある。

 

失ったものもある。

 

それでもなお、

残ったものがある。

 

繋がったものがある。

 

そしてそれが、

次の戦いの土台になる。

 

礎になる。

 

炭治郎は、

静かに息を吐く。

 

朝の空気が、

肺の奥へ入ってくる。

 

冷たくて、

少し痛い。

 

けれど、

嫌じゃなかった。

 

まだ足りない。

 

まだ届かない場所がある。

 

それでも――

もう立ち止まってはいられない。

 

その先に続く道を、

今度は自分の足で

越えていかなければならないと、

炭治郎は静かに分かっていた。

 

 

第七十話 終

 




このあと幕間2話、30分間隔で投稿します。よろしければそちらもよろしくお願いします。
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